59 女神への誓い
『古より泉の奥底に眠る悪の気が流れ出す時、平安の終わりを告げる時』
「女神様…それは北山の上にある願いの湖の事でしょうか」
『器よ、お前の成すべきことは祈りを捧げこの地を護ること』
「はい、それは承知しております」
『ならば、愚か者共が災の箱に手をかけぬよう護るのだ』
「はい。ですが…悪の気とはどのようなものですか?祈りを捧げると言われてもどうすればよいのか…」
『泉へ行け』
「…はい。あの…女神様、一つお願いがございます」
『なんだ』
「私のことはどうぞセリーヌとお呼びください。器と呼ばれるのはちょっと…」
『…人とはおかしな事にこだわるものよ…まあ良いだろう。セリーヌ、この国の安寧を願うのならば躊躇わず突き進むのだ。私の力はお前の力、生きるも死ぬもお前次第、迷えばそれは死を意味する。直感に従え』
迷わない自信はない。
しかし、迷えば死を意味する。それも己の命だけではない。
サンドラやミオーネにかけられた呪いを退けた事を後悔する事はないが、呪いをかけた二人の女性のことを知った今、自分の力を使うことが怖い。
「女神様…誰かを助けるために誰かが犠牲になるのは仕方のない事なのでしょうか…何か他に方法は…」
『欲の深い事よ…己の為に他者を呪い殺すような者までお前は助けたいと言うのか』
「何のために呪いをかけたのかはわかりません。その人にもそうせざるを得ない理由があったのかも…」
『ならば、己の命をかけて行ったことであろう?覚悟の上であろう』
サンドラと同じ事を女神も言う。
「そうかもしれませんが、それではずっと同じ事の繰り返しではないですか」
『お前はどうなりたいのだ?』
女神に問われてもうまく言葉を探せない。
「どうなりたいか…うまく言えませんが、殺したいほど人を憎みながら生きるなんてそんな悲しいことはないと思うのです…私はこの国の人達皆が幸せでいて欲しい」
『今のお前にそれだけの事を成せる力があるのか?言うのは簡単だろう』
「………」
痛いところをつかれて何も言えなくなる。
『セリーヌ、お前はまだ何も知らない。それでどうして人を守れるのだ?その目でしかと見よ。お前には私の力が備わっているのだ、それを使いこなせるかどうかはお前次第。人々を守りたいなら身も心も強くなるしかあるまい』
女神の言葉が重くのしかかる。
恭しく深く頭を下げ、顔をあげるともうそこに女神の姿はなかった。
******
「おはようございますお嬢様」
リリアンがいつものように起こしに来た。
窓を開けると朝日が差し込み気持ちの良い風が流れてくる。
先程まで夢で会っていたけれど、この国の皆と同じように胸の前で手を組み、今日という日を迎えられたことに感謝の祈りを女神に捧げる。
(女神様、私は皆を守れるよう強くなります)
改めて女神に誓いを立てた。
「お嬢様、最近はすっかり目覚めが良いですね」
リリアンが嬉しそうだ。
「そう?そんなに変わったかしら」
「ええ、ええ、それはもう。以前は何度も何度もお声をかけないとなかなか…今では本当の妖精のように安らかな寝顔です」
褒められているのかどうか。
「そこまで酷くはなかったと思うわ」
つい口を尖らせてしまうところはまだまだ大人とは言えないようだ。
昨夜はずいぶんミオーネとリリアンと三人で恋の話で盛り上がった。
「昨日は楽しかったですね」
リリアンも同じように思い出していたようだ。
「リリアンももし想う方が出来たら私達に教えてね。全力で応援するわ」
「ありがとうございます、その時は一番にお二人にお知らせします」
恋の話で盛り上がっていた声が部屋の外まで漏れ聞こえていた為に、セリーヌの部屋を訪れようとしたロンベルクが扉の前でワナワナと震えているのをキャサリンが宥め自室へ引き返した事など三人は知らない。
まさかその後ロンベルクが思わず帯剣し、城へ乗り込もうとしてエントランスがざわついた事も三人だけは知らない。
そんなこととは露知らず、リリアンも楽しそうだ。
「さぁ、お支度いたしましょう」
張り切って支度をしているリリアンにセリーヌはソワソワと落ち着きがなく何か言いたそうにしている。
「どうされたのですか?」
「うん…あの…これを届けて欲しいの」
そう言ってモジモジしながら手紙を差し出した。
「これはもしかして!」
「ええ、アルフレッド様へお返事を書いたの。早い方がいいと思って」
二人と話した後、返事を書くと決めたら今度はそちらに気を取られて寝付けなくなってしまった。
それならばと思い切って返事を書くことにしたのだ。
何度も書いては破り、書いては破りを繰り返しようやく書き上げた。
「わかりました!ですが、少しだけ時間をおいた方がいいかもしれませんね」
「そう?お返事は早いほうがいいのではないの?」
「きっとアルフレッド様も心待ちにしている事でしょう。普段は早い方がいいのですが、この場合は少し時間をおいて焦らすのもいいのです」
「そっそういうもの?」
「ええ、そういうものです」
経験は乏しいリリアンだが、恋愛小説を読むのが趣味なだけあり知識は豊富なのだ。
ここで更にリリアンからのアドバイスにより、庭の薔薇で作った香水をほんの少しだけ振りかけた。
「少々大人の手法ですが、お嬢様ももう大人の仲間入りをされましたからこれくらいされても良いかと」
「うん、いい香り。アルフレッド様もこの香りが好きになってくれるといいな」
幼い頃からお転婆だったセリーヌの恋の応援をする日が来たのだと思うと、感慨深くもあるがほんの少しだけ寂しさも感じるリリアンであった。
「さぁ、もうすぐ朝食のお時間ですからお支度させてくださいませ」
いつものように手際よく支度を済ませ部屋を出た。
「おはようございます、お父様、お母様」
両親に挨拶をし席につく。
「ミオーネお姉様まだいらっしゃらないのですね。いつも早起きでいらっしゃるのに珍しい」
「朝早くにフォンテーヌ公爵家からお迎えが来てお出かけになったのよ」
「そうですか…」
早速返事を書いたことをミオーネにも伝えたかったのだが残念。
椅子を引いてくれたロニーを見ると、顔に痣が出来ているではないか。
「ロニー!その顔どうしたの?」
一瞬ピクリと眉毛が動いたが、すぐにいつもの穏やかさが戻った。
「これは扉にぶつかってしまいまして。大げさに見えるだけで、見た目程痛くはないのです。お見苦しい所を申し訳ございません、私ももう歳ですね」
と言いながら後ろへ下がった。
何となく違和感を感じたが、言いたくないことを無理矢理言わせたくはない。
そう思いながら父の方に目をやると、目が真っ赤に充血している。
ただでさえ人から恐れられているのに、これでは今日お会いする方は恐ろしさのあまり凍りついてしまうのではないかと思うほど。
「お父様、目が真っ赤ですわ。どうされたのです?」
「そうか?いつもこんなものだぞ」
明らかに違うが、今度はキャサリンに目を向けると澄ました顔で静かに座っている。
何だかこれ以上聞いてはいけない雰囲気だ。
「そうですか…お父様もロニーも大丈夫ならいいのですが。後で私が治して差し上げますね」
「それならロニーの痣を治してあげて」
とキャサリンが声を上げるが、何故だか怒っているようだ。
(お父様とお母様珍しく夫婦喧嘩でもなさったのかしら)
これ以上続けると巻き込まれそうなので、朝食を食べることに集中した。
昨夜エントランスで暴れたロンベルクを止めるためにロニーの顔に痣が出来た事は口が裂けてもセリーヌには言えまい。
その暴れようにキャサリンは呆れ少々ご立腹のようだ。
何も知らず幸せなのはセリーヌ達三人娘だけであった。
「セリーヌ、今色々考えているのだが一度母上の所に行ってみてはどうか」
このロンベルクという男は魔力量は他のものより多少多い方というくらいで、特別な物はない。予知能力や千里眼もない。
しかし、何かを察する本能なのか、時々何かを感じているとしか思えないような事を言うときがある。
「はい、私もおばあ様に会いたいですし、湖にも行きたいと思っていました」
「そうか、では手配しよう。山の上までは数日かかるから準備にも数日かかるが、そのつもりでいてくれ。母上にも知らせておく」
「わかりました。おばあ様にお会いできるの楽しみです」
こうして数日後には北山の頂上にある湖にいるクアリスティアに会いに行く事になった。




