5 王太子アルフレッド
王太子の所へ案内されている途中、執事のサイラスから先日王太子が突然訪問したことを謝罪された。
「セリーヌ様には大変ご迷惑をおかけしてしまったようで、主に代わりお詫びいたします」
「いえっ、そんな謝って頂くような事は何もございません」
突然の謝罪にどうして良いやら。
「幼い頃より文武両道、何でもすぐに会得してしまう天才なのですがどうも女性の事となると驚くほど不器用なのです…」
その言い方が二人の仲を表している。
「ふふっ、なんだか主従というより兄弟のようですわね」
「あーいやぁお恥ずかしい。何せあの方がお産まれになった時から私は側についておりましたので」
そう言うと昔を思い出しているのか目を細めて遠くを見ている。
(ふふっ、弟が可愛くて仕方ないお兄さんという感じね。私とリリアンも姉妹のように見えるかしら)
と姉のように慕っている侍女を思い出している間に王太子の執務室へついた。
中に入ると長椅子の真ん中に王太子が座っていてその後ろにシモンが立っていた。
「マルグリット伯爵令嬢、そこへ座ってくれ」
ぶっきら棒な言い方だが、先程執事の話を聞いたお陰で何となく微笑ましい。
「オホンっ、アルフレッド殿下、ここは気の利いた挨拶の一つでも…」
「うむ…先日ぶりだなマルグリット伯爵令嬢」
気の利いた要素が一つもない。
「はい、ご機嫌麗しゅうございます王太子殿下。先日はわざわざ学園まで足をお運び頂きありがとうございました」
セリーヌは美しい所作で挨拶をする。やれば出来る子なのだ。
「うむ、堅苦しい挨拶は苦手なんだ。これくらいで良いだろう?」
王太子はとことん女性への対応が苦手らしい。執事は溜め息をつき、シモンは下を向いて肩を震わせている。
「なんだ?」
「あの、王太子殿下!先日のお話を!」
ご機嫌が斜めになってきたので慌てて話を変える。
「あぁ、そうだな。シモンもマルグリット伯爵令嬢の横に座ってくれ」
まだ顔が引き攣っているシモンが横へ座った。
「あの、もしお嫌でなければ私の事はセリーヌとお呼びください。マルグリット伯爵令嬢は少々呼びにくいかと」
「そっ、そうか…わかった…セリーヌ…」
「はい!ありがとうございます」
ニコニコと元気よく答える。
心なしか横を向く王太子の顔が赤く見えるような…
「セリーヌも僕のことは名前で呼んでもいいぞ」
そっぽを向きながらチラリと目だけセリーヌを見る
「へっ?あっ、あの…では…アルフレッド様…でよろしいでしょうか…」
(名前で呼ぶなんて…やっぱり殿下の方が良かった??)
「あぁ、まぁいいだろう」
「あのぉ、そろそろ話に入れてもらっていいですかー」
モジモジしてる二人が焦れったくなったシモンが話に入ってきた。
「なんだシモンその目は」
「はぁ、あなた達仮にも婚約者がいた二人でしょう。何を今更モジモジしてるのよ」
とうとうシモンの口調がおネエ様に変わった。
「シモン!話し方が…」
こっそり耳打ちしたが、シモンはケロッとして
「いいのよ、アルフレッド様とは小さい頃から一緒に駆け回っていたからあたしが本当はこんな話し方だって知ってるもの」
「そうなの?それなら良かったわ」
「あぁ、シモンのこともダニエルの事も幼い頃からよく知っている」
(そうなの…まだ私の知らないことがあったのね…)
「お互い様だな。僕も君のことはよく知らなかった」
(また心を読まれたー!!)
「セリーヌ、ひとまずあたし達兄弟とアルフレッド様、ミオーネ様の事を説明するわよ」
二人の会話終わりを待ってると日が暮れると漏らしながらシモンはさっさと話始めた。
ダニエルとシモンのランドール侯爵家は代々王家に仕える近衛騎士含む第一から第三まである全ての王立騎士団の上に立つ総督を努めている。
さらには独自の様々な情報網を持ち、それを使って秘密裏に国内外の情報を集める事が役目だ。
そんなランドール侯爵家の兄弟は王家との関わりが深い。
幼い頃から共に学び、鍛えながら一緒に育ってきたのだ。
そして、公爵家に生まれたミオーネは誕生したその瞬間から未来の王妃として、第一王子であるアルフレッドの婚約者として育てられてきた。
そのためにアルフレッドもミオーネもなんの疑いもなく、お互いに将来婚姻を結ぶ事は当然の事として受け止めていたはずだった…
それが、いつの頃からかミオーネの視線の先にはダニエルがいた。
穏やかで面倒見が良く優しいダニエルに恋をするのは必然だったのかもしれない。
「僕には恋というものが良くわからない。ミオーネがダニエルの事を慕っていたのは何となくわかっていたが、僕達が将来結婚する事は決まっていたから全く気にしていなかった」
アルフレッドの後悔の念が伝わってくる。
(ミオーネ様もダニエルお兄様が初恋だったのかしら…)
シモンが心配そうに覗き込んできた
「大丈夫よ。アルフレッド様、どうぞお続けになってください」
「そうか…うん。ミオーネがダニエルを慕っていてもダニエルにも婚約者がいたから安心していたんだ。ダニエルは君のことは詳しくは話さないけど可愛がっている事はわかっていた」
セリーヌの胸がグッと詰まる。
(ダニエルお兄様…私はお兄様にとってどんな存在だったのかしら…)
在りし日の優しい眼差しのダニエルの顔が思い浮かぶ。
「アルフレッド様のそのお気持ちは私にもわかります。私も同じように将来を疑うことなくあの日まで過ごしておりましたから」
「セリーヌ…無理して話さなくてもいいのよ?」
シモンが心配そうに手を握ってくれる
「ありがとうシモン。大丈夫よ、あなたがいてくれて本当に心強いわ」
水臭いこと言わないでと背中を叩かれむせる。
「王家の事は口にするわけにいかなくて、今まで話せなくてごめんなさいね」
ふるふると首を横に振ってシモンの手を握り返した。
「私最初は本当に悲しくて悲しくて干からびてしまうかと思うくらい涙が出たけど…あれから色々思い返してみると私はいつも自分の事ばかりでダニエルお兄様の事を何も知らなかったと気づいたの。これではお兄様から見れば子供にしか思えないのも当然よ」
「そんな事ないわよ。兄上がセリーヌを可愛く思っていた事は本当よ?」
「ありがとうシモン。でも私はきちんと現実を受け止めなければ前に進めないと思って今日アルフレッド様のお話を伺いに来たの」
「そう、さすがはセリーヌね。あなたのその前向きな所尊敬してるわ」
「ふふっ、ありがとう。シモンたら本当にお姉様みたい」
二人で顔を見合わせて笑う様子をアルフレッドと執事は微笑ましく見守っていた。
「セリーヌ、シモン、二人の絆の深さはよく分かった。だが、ここからが大事なところだ。話を続けて良いか?」
「申し訳ございません。お願いします」
「あぁ、ではセリーヌは祈りの女神伝説は知っているか?」
"祈りの女神伝説"
この国にいて知らぬ者はいないだろう。
昔々に恐ろしい魔女がこの国を滅ぼそうと呪いをかけたが、女神の祈りにより呪いが解かれ平和な世が続いていると伝えられている。
美しい祈りの女神は平和と繁栄の象徴とされている。
幼い頃からこの国の子供たちは眠りにつく時、子守唄のようにこの伝説を親から子へ語り継がれている。
毎朝、女神様に感謝を捧げるところから一日が始まるのだ。
「もちろん、存じております」
「うん。ではここからは一部の者のみが知ることなのだが、女神の体には赤い痣があったと言われている。そして、200年に一度体に赤い痣を持つ子供が生まれてくるのだが、それは女神の生まれ変わりと伝えられている」
「ということは、女神様は200年ごとに生まれ変わってこの世に存在しているということですか?」
「そうなるな」
「まさか本当に実在するなんて…」
「そんな事って…」
シモンも知らなかったようだ。
おとぎ話の中の人だと思っていた女神がまさか本当にいるなんてにわかには信じ難い。
「この話は国の機密事項です。限られた者しか知らない事で万が一国外へ漏れてしまったら女神を巡って戦争になりかねないのでくれぐれも漏れないようお気をつけ下さい」
先程まで朗らかだったサイラスの顔が厳しいものへと変わっている。
聞いている二人の喉がゴクリと鳴る。
「そのような重大な秘密をどうして私たちにお話くださったのですか?」
「あぁ、それはミオーネがその痣を持っている女神の生まれ変わりだからだ。ダニエルは知らないはずだが…もし国外へ出てしまったとしたらまずい」
(何ということ…だから必死で探していらっしゃるのね。でもそうなると…もし二人が見つかったらダニエルお兄様は…)
セリーヌの考えを読んだシモンはアルフレッドへと視線を向ける
「そうね、聞きたくないけど…アルフレッド様…」
主に変わってサイラスが淡々と答える。
「知らずとはいえ、これは国に対しての反逆行為ととられても仕方がありません。然るべき罰を受ける事になるでしょう。最悪は極刑ということもありえますね」
その横でアルフレッドは目を閉じて口を噛み締めている。
「だが、この国から出ていなければ最悪の事態はさけられるかもしれない。だから万が一、国外へ出ようとしているのならその前に止めたい。ダニエルが行きそうなところに心当たりがないか、探すのを手伝って欲しい」
まさかこんなに国の未来を左右する事になろうとは。
「シモンは侯爵家とは別に独自の情報網を持っているのだろう?セリーヌはダニエルに可愛がられていたようだから何か行き先のヒントになるような事を言っていなかったか思い出せるだけ思い出してほしい」
「はい、僕の方はすでに手を回しております」
シモンがキリリとした騎士に戻った。
「私は…できるだけダニエルお兄様とお話した事を思い出してみます」
「二人をこんな事に巻き込んですまない。でもなんとかしてダニエルとミオーネを保護したいんだ」
アルフレッドの悲痛な思いが伝わってくる。
「僕も兄の行方は探していましたし、ミオーネ様の事を知った今はなんとしても足取りを掴んでみせます」
「あぁ、頼む。総督にも話を通してある。必要なら何人か騎士団の者を使うといい」
総督とは全ての騎士団のトップに立つランドール侯爵、つまりシモンの父親だ。
「わかりました…」
「総督よりアルフレッド殿下のお話が終わりましたらシモン様を総督室へお連れするようにと仰せつかっております」
シモンは苦い顔をしているが、逆らうことなどできない。渋々立ち上がってサイラスの後に続いた。
二人がいなくなり、王太子と二人きりになると何となくソワソワと落ち着かない気持ちになる。
「セリーヌ、もう少し話してもいいか?」
「はい」
「僕は回りくどいのは苦手だからはっきり言い過ぎることがあるかもしれないが悪意はないと先に言っておく」
「はい、悪意など感じた事はございませんのでどうぞご心配なさらないでください」
「そうか…それは…うん…良かった」
何とも歯切れが悪くなってきた。
「ミオーネの事を恨んでいるか?」
突然の質問に一瞬言葉に詰まったものの、王太后サンドラ様を思わせる様子が微笑ましくもある。
「アルフレッド様はサンドラ様に似ていらっしゃいますわね」
くすくすと笑うと心外だと言わんばかりに目を大きくした。
「お話が逸れてしまって申し訳ございません。正直な所、ミオーネ様の事は色々な事を一度に知りましたので混乱していて…でも恨むような気持ちはございません」
「そうか、確かに二人がいなくなるまでミオーネの事を知らなかったのだからそうだろうな」
「それに、まだほんの一面しか知りませんしミオーネ様にお会いした事もないのでフンワリとした印象といったところです」
「セリーヌは心根が真っ直ぐだな」
「そうでしょうか」
「あぁ、僕の周りにはあの手この手ですり寄ってくる人間ばかりだ。良いことを言っていても心の黒さが透けてみえるとうんざりする。でも君からはそういうものが見えない」
「両親からもよく思っている事が顔に出ていてわかりやすいと言われます。そんなに表に出しているつもりはないのですが…」
「ははは、そうか無意識なのだな。良いと思うぞ」
「そんなに分かりやすいと言われると少々悔しいのですが…」
目の前にいるのが、王太子ということを忘れているらしい。
ムスッとしていると
「すっすまん、怒ったのか?」
とアルフレッドが慌てている
「ふふっ、アルフレッド様でも慌てることもあるのですね。怒ってなどいませんわ」
そう告げると見るからにほっとしている。
「こういう時どうしていいのかわからなくなる。だからいつもサイラスに小言を言われるのだ。ダニエルならもっとうまく話せるのだろうが」
「アルフレッド様はアルフレッド様です。誰かのようになどなさる必要はありません」
さっきまで頭をかいて困り顔だったのが今は真剣な眼差しでセリーヌを見ている。
「あっ、あの偉そうな事を申し訳ございません。なんだかお話ししやすくてつい…」
「いや、昔お祖母様に同じ事を言われたのを思い出した」
「サンドラ様にですか?」
「あぁ、そういえば先程まで王太后の茶会に呼ばれていたのだったな。よほど気に入られたみたいだ」
「はい、今日はサンドラ様ともたくさんお話してとても楽しかったですわ。気に入ってもらえたかはわかりませんが、私は太陽のようなサンドラ様が大好きになりました」
「そうか、君もなかなか変わり者だな。あのおばあさまと気が合うとは。恐ろしい魔女だとか噂は色々あるけど、僕も大好きなんだ」
満面の笑みで本当に嬉しそうに話すアルフレッドにドキッとする。
アルフレッドは元々が神を模した彫刻の様な美しい顔立ちなのだ。その笑顔の破壊力たるや、普通の令嬢は失神ものだろう。
しかしセリーヌは斜め上をいく令嬢なのだ。
(こんな風に笑うこともあるのね…)
と変に関心している。
「おい、今まで僕が笑わない人間だと思ってたのか」
「えっ、いえ、嫌ですわまた心を読まないでくださいませっ」
顔を見合わせるとプッと吹き出し二人で笑いだした。
「あはは、本当に正直だなセリーヌは」
「ふふふ、アルフレッド様こそこんなに表情豊かな方とは思いませんでしたわ」
扉の外では今までこの執務室から聞こえたことのない楽しげな声にサイラスが驚き扉を叩くことが出来ずにいた。