44 ここは戦場です
上の空でダニエルとのダンスを終え、何人かと挨拶も交わしたがよく覚えていない。
無気力な方がかえってきちんとした対応が出来ているようで、マルグリット伯爵夫妻もダニエルも和やかに話をしている。
(…ダニエルお兄様は平気なのかしら)
そっと顔を見上げてみるが、いつものように貴族らしい微笑みで会話をしている。
アルフレッドとミオーネが二人揃って登場し、その後に二人が中央で踊っていた。
優雅で美しい二人のダンスは誰もが見惚れ、終えたあとは拍手喝采となった。
ヴィクトリアもベネディクト侯爵も唖然としてその光景を眺めていたが、途中ヴィクトリアはその場から立ち去っていた。
アルフレッドは婚約者同伴のために、エストルネ国の王女は第二王子のレオナルドがエスコートをしダンスを披露した。
(何か理由があると思いたいけど……)
二人の踊る姿を思い出すと胸が苦しい。
そして、二人の姿を見ていたダニエルも一瞬だったがどこか苦しそうな険しい顔つきになったのだが、セリーヌの視線に気づきすぐさま表情が元に戻った。
(やっぱりダニエルお兄様も本当はミオーネお姉様のことを思っているはず…本当にこれでいいのかしら…)
「どうした?疲れた?」
ダニエルが顔を覗き込んでくる。
「ダニエル、セリーヌと少し向こうで休んでいてもいいわ」
キャサリンが気を利かせる。
「じゃあセリーヌ少し休もうか」
「ええ、ありがとうございますお母様。少し休ませて頂きます」
マルグリット伯爵夫妻と別れ二人は大広間から出る。
あの場から離れることでほんの少し息苦しさから開放された。
「あら、ご機嫌ようセリーヌ、ダニエル」
後ろから声をかけられ振り返ると王太后サンドラが笑顔でこちらへ向かって歩いてくる。
「お久しぶりです、サンドラ様」
ダニエルとセリーヌは恭しく挨拶をする。
「そんなに畏まらないで。一応今は一貴族ということでこっそり参加しているのよ」
「そうなのですか」
言われてみると、先程王族の紹介のときにはサンドラはいなかった。
「今はねほとんど表には出ないから顔を知らない人が多くて楽なのよ」
「ウフフ」といたずらっ子のように無邪気に笑っている。
一緒に笑おうとしたが上手く笑えないセリーヌはとうとう涙が溢れてしまった。
「ごっごめんなさい…どうしたのかしら…」
ダニエルは無言でセリーヌの背を支えている。
困ったように、でもどこか悲しそうにサンドラがセリーヌの両手を握る。
「いいのよ、あなたには辛い思いをさせてしまったわ。でもね、皆があなたの事を思っている。それだけはわかってちょうだい。今はそれしか言えないの…」
「みっ皆さん…が…そっそう言うのですがっ…」
必死に言葉にしようと思うけれど涙が邪魔をして言葉にならない。
「そうね…あなたにしてみればそんな一言で納得できるわけないわよね」
「もっ申し訳ありっ…ません…」
次から次に溢れてくる。
そんなセリーヌの姿に堪らずサンドラはセリーヌを抱き寄せた。
「こんなにも不甲斐ない私でごめんなさいね…」
「セリーヌ…僕は」
ダニエルが耐えられなくなり口を開こうとしたがサンドラがわずかに首を振ってそれを制した。
セリーヌを悲しませている事で苦しんでいるのはサンドラもダニエルも同じなのだろう。
どれくらい経っただろうか。ひとしきり泣いたセリーヌは目も鼻も真っ赤にしてサンドラに謝る。
「いいのよ」
優しく笑って頭を撫でてくれる。
そこへ聞き覚えのある声が近づいてきた。
「これは王太后サンドラ様ではございませんか」
扇子を手にミオーネの母フォンテーヌ公爵夫人が若い娘を連れてやってきた。
「あら、私の顔を知っている人がここにもいたわ。お久しぶりね」
「ご機嫌麗しゅうございます。サンドラ様にお会いできるなんて感激ですわ」
美しいカーテシーで挨拶をする姿はさすがミオーネの母。
後に連れているご令嬢もスラリとした美人で立ち居振る舞いがとても綺麗だ。
貴族らしく当たり障りのない世間話をしている所へサンドラの執事が急ぎの用だと呼びに来た為に、後ろ髪を引かれるような気持ちでその場を後にする。
「セリーヌ、またお茶会しましょうね」
と言い残して去って行った。
サンドラが見えなくなると公爵夫人は扇子を広げ蔑むような視線を向けながら口を開く。
「ところでそこの魔女の子はそんな酷いお顔で何をしているのです?」
「お見苦しい所をお見せして申し訳ございません」
「公爵夫人、申し訳ありませんが今日はここで失礼して…」
ダニエルはこの場を辞そうとするが、そう簡単に逃してはもらえないようだ。
「そんな顔で大広間へ戻るつもりなの?馬鹿を言わないでちょうだい、みっともない」
相変わらずの毒舌ぶりであるが、なぜかセリーヌには以前のような嫌悪感を持たれているようには感じない。
「ですが…戻らないわけにもいきませんし…」
「はぁ……いいわ、ちょっとこちらへ来なさい」
ダニエルがセリーヌから離れるわけにはいかないからと一緒についていこうとすると、女の支度に男は必要ないと一喝された。
「心配しなくてもちゃんと護衛がついているわ」
そう言って後ろのご令嬢に目を向けると…
「んっ?」
ダニエルと同時に気づく。
「シッ…シモン?!」
「お前…なんて格好だ」
「私シモンではなくてシモンヌですわ」
いや、よく見れば見るほどシモンだ。
「見ての通り私にも護衛がついているのよ。だから黙ってついてきなさい」
「ダニエル様、ご心配なく。セリーヌ嬢には私がついておりますので」
シモン改めシモンヌが口元を抑えながら淑やかに笑う。
あんなに溢れていた涙もあっという間に乾いた。
「ダニエルお兄様、私は大丈夫ですので少し行って参りますわ」
「わかった、何かあったらシモンを盾にしていいからね」
随分な言い様だが、セリーヌもそれに頷いて夫人の後を追った。
そこは夫人が使っている控室で中へと通された。
お付きのメイドに指示をしてどうやらお化粧直しをしてくれるらしい。
「何があったか大体察しはつくけれど、だからと言ってあの場で泣くなんて貴族女性としては失格ね。ましてや王太后様に慰めてもらうなんて…」
ぐうの音も出ない。
「申し訳ありません…」
「それもダメよ。簡単に謝るなんて以ての外。この舞踏会という場は女の戦場なのよ。涙も有効的に使えないのなら腕をつねってでも止めなさい。本気で泣くのは自室の衣装部屋だけにして」
(ええ…そんなの無茶よ…)
素直に真っ直ぐ育ってきたセリーヌにはものすごく高い壁のように思えるが、この世界を渡り歩く為には乗り越えなければいけなのかもしれない。
思わぬところで貴族女性の心得を学ぶ事になった。
「セリーヌは今日初めての参加なのでお手柔らかにお願いします」
シモンヌが助け舟を出す。
「知っているわ。だからこそ今教えてあげているのよ」
(あの公爵夫人が私の為に…)
「いい?背筋を伸ばして堂々としなさい。簡単に謝罪を口にしてはいけない。自信を持ちなさい」
鏡越しに真っ直ぐな視線をセリーヌに向けて貴族令嬢として大事なことを教えてくれる。
どこかミオーネと姿が重なる。
「やはり親子ですのね。ミオーネお姉…ミオーネ様にとても似ていらっしゃいますわ」
「わざわざ言い替えなくてもいいわ。ミオーネもあなたの事を可愛がっているようだし、あの子は兄妹もいないものね」
「ありがとうございます!」
「でもあなたはミオーネの事を恨んでいるのでしょう」
「そんな恨むだなんて!そんな事はありません。ただ…今は少しどう思っていいのか複雑ですが…」
「ふんっ、結局その程度ね」
どういうことだろうか。
魔女の子と蔑んでいたセリーヌがミオーネと仲良くすることをあんなに嫌がってたのに。
「表で笑っているからといって心も同じとは限らないわ。特にミオーネは、心を隠すのが上手すぎるくらいよ」
ハッとした。
(そうよ…あんなにダニエルお兄様の事が大好きで、二人で命がけで遠くへ逃げるほど愛し合っていたじゃない。二人でお出かけしたときもあんなに楽しそうにしていたし、それがそう簡単に変わるとは思えないわ)
冷静に考えると色々とおかしい事に気づく。
(アルフレッド様も言っていたじゃない。これから何を見ても信じてって!)
そう思うと、これは私には話せないが何かが起こっているのだと思えてきた。
皆が信じてと言っていたのはそういうことなのだと腑に落ちる。
「公爵夫人、ありがとうございます。やっと目が冷めましたわ!」
「私は華やかな席でしみったれた顔を見たくないだけよ」
夫人の嫌味も何だか嬉しくなる。
「そんなニヤニヤしてないで品良く口角を少しあげて"微笑む"のよ」
そんなやり取りをしている間にもお化粧直しが終わり表情も晴れやかになった。
先程よりも口紅の色が濃くなり、ドレスより少し濃いピンク色の艷やかな唇に仕上がっている。
「まぁ、最低限それくらいの華やかさは必要ね」
「本当にありがとうございました!」
お礼を言うと満更ではない様子で、顔を見られるのが恥ずかしいのか扇子を広げてそっぽを向いている。
「そう思うなら、マルグリット邸の薔薇園に真っ赤な薔薇が咲いたらお茶会を開きなさい。それなら行ってあげてもよくてよ」
余程気に入ったようだ。
セリーヌは満面の笑みで元気よく返事をしたら、そんな大声出してはいけないと一喝される。
「全く…あなた本当に立ち直りが早すぎないかしら」
シモンも呆れるほどいつものセリーヌだ。
「シモンヌ、大広間へこの娘を連れていきなさい」
「いえ、しかし…」
「ここには私のメイド達もついているのだから問題ないわ」
「承知しました。それではセリーヌを送り届けたら戻ります」
こうして夫人の部屋を出たセリーヌは来た時とは別人のように自信に満ち溢れた晴れやかな顔で大広間へと戻った。
「シモンもありがとう」
「さっきから言っているけど、私はシ·モ·ン·ヌよ」
「ああ、ごめんなさいシモンヌよね。どうしてそうなったかは今度ゆっくり教えてもらうわ」
「ふぅ…あなたこのまま大広間へ戻っても大丈夫なの?」
「ええ、もう平気よ」
「そう、じゃあ心配無用ね」
いつもの二人のように歩いてると前から知っている顔がこちらに気づき駆け寄ってきた。
「やぁ、セリーヌ嬢。シモンヌ嬢と知り合いだったのか。」
「ご機嫌よう、ウィルバート様。無事洗礼の儀を終えましたわね」
「お互いに今日から大人の仲間入りだね」
このウィルバートはセリーヌと同じ教室で学んでいるロンダリオ伯爵家の子息で、以前ダンスレッスンの時にセリーヌに散々足を踏まれて以来セリーヌを避けていたのだが、今日は自然に声をかけて来た。
どうやらお目当てはシモンヌのようだ。
「ちょっとセリーヌ助けなさいよ」
ウィルバートはシモンだとは気づいていないようでしつこくダンスに誘ってくるようだ。
「ウィルバート様、シモンヌは公爵夫人に呼ばれていますの。よろしければ私がお相手を…」
言い終わらないうちにウィルバートは慌てて手を振る。
「いっいやっ、そうか忙しいのだな?また今度にしよう」
と、そそくさと来た方へ戻って行った。
「そんなに逃げなくても!私も成長しているのに」
シモンが肩を震わせている。
そして大広間の入り口では心配そうにマルグリット夫妻がセリーヌを待っている。
「お父様、お母様、ご心配おかけしました。もう大丈夫ですので戻りましょう」
こうしてセリーヌは戦場へと向かっていった。




