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花の唄が聴こえる  作者: FRIDAY
序:ひとりと一匹は旅に出た
9/63

9 「私、旅に出ます」2

 ハルカの台詞を、エリシアはすぐに呑み込めたわけではないようで、数秒の間瞳を瞬かせていた。だがやがてゆっくりと理解が及ぶと、目を見開き、息を呑んだ。

 すぐに言葉は出て来ない。何か言おうとはするものの、それが何かにはなかなかならないようで、しばらくぱくぱくと口を開閉した後、エリシアは猫を抱えたままゆっくりとソファに座った。

 ハルカは自分の意志を表明した後は、先程まで以上に所在なさげに小さくなって座っている。

「――そう」

 随分と時間が経った後、心を落ち着けるために深呼吸を数度繰り返したエリシアは、やがてようやく口を開いた。

「旅に、出るの」

「……はい」

 静かなエリシアの言葉に対し、ハルカはもうこれ以上は無理というほどに身を小さくし、怯えていると言ってもいいほどに肩を震わせている。

「決めたのね?」

「……はい」

「理由を、教えてくれる?」

 エリシアの問いに、ハルカは怒鳴られたように身をすくめながら、それでも何とか答えていく。

「そ、その……最初は、外に出たいと、思ったんです」

「外に」

「はい。ずっと引きこもっているのは、やっぱりダメだと思って。エリシア館長も、学院の先生方もよくしてくれますし、生きていくだけなら、引きこもったままでもできないことはない。でも……それは、嫌だなって」

「うん」

「でも……最初は本当にそれだけで、だから、怖いのに勝てなくて。外に出ることが怖くて仕方がなくて、だからほとんど諦めかけていたんです。でも……もうひとつ、もっと大きな理由が、できたんです」

「それは?」

 はい、とハルカは応じる。徐々に、少しずつではあるが、ハルカの声に確かさが宿っていく。震えていた声に芯が垣間見えてくる。彷徨っていた視線が上がってくる。

「外の世界が見たいって、そう思うようになったんです」

 エリシアの顔をまっすぐに見つめて、ハルカは答えた。

「家の中ですることなんてないから、ずっと本を読んでいました。本の中には、凄くいろいろなことが書いてあります。綺麗な景色、珍しい植物、伝説の魔法、綺麗なこと、恐ろしいこと、本当にいろんなことが……初めはただそれを読んでいただけでした。でも気付いたんです。それらは全て、この世界に確かにあるものなんだって。この世界のどこかに、確かに存在しているものなんだって。だから」

 言う。

「それを見たいと、思ったんです」

 自ら旅歩いて、世界を見て回りたい。

 狭い家の中ではない。果てのないと思えるほどに広い世界を、知りたい。

 思いを全て告げたハルカは、しかし再びもとのように小さくなってしまった。叱られるのを待つ子供のように、びくびくとエリシアを見ている。

 エリシアは、そう、と短く応じた。それからようやく、ここまでずっと閉じていた目を開き、ハルカを見る。そしてハルカの様子に気付いて、安心させるように、穏やかに笑んだ。

「――そんなに怖がらなくても大丈夫よ。私はあなたを叱ったり、怒ったりなんかしないわ」

 エリシアは一度立ち上がり、ハルカの横に移動して、座る。そして、身をすくめたままのハルカの細身を、そっと抱きしめた。

 そして、言う。

「――素晴らしい思いよ」

 え、とすぐ傍にあるエリシアの顔を見上げるハルカに、エリシアは笑みを向ける。

「誰にでも抱ける思いではないわ、それは。本当に――凄いことよ。勿論、私はあなたが外に出てきてくれたことが、凄く嬉しい。同じくらいに心配でもあるけれど、でもあなたなら大丈夫だと思う。あなたはあなたが自分で思っているよりも、ずっと強いのだから。だから私は、それにきっと、学院の先生方も、あなたのその決意を大切にするし、尊重する」

「止めたり……しませんか?」

「どうして? 確かに凄く心配だけれど、可愛い子には旅をさせよ、とも言うしね。それにハルカちゃんには、頼りになる友達もいる」

 ボクのことだね! と胸を張る黒猫に笑みを見せて、エリシアは続ける。

「ハルカちゃんはひとりじゃないわ。世界にはきっと、凄く怖いことも、危ないこともいっぱいある。けれど、ハルカちゃんなら乗り越えられるし、素晴らしいものや美しいもの、たくさんの掛け替えのないものに出会える。私はそう信じてる」

「エリシアさん……」

 エリシアを見上げるハルカの顔は、もう今にも泣き出しそうなくらいだった。やはり黒猫の前では強がっていたが、本心では不安で仕方がなかったのだろう。

 誰にも相談することなく、自分で決めたことを、認めてもらえるのかどうかが。

「それじゃあ、いつ出発するのとか、決めないとね。もう予定は立ててあるの?」

「あ、はい。それは……」

 ハルカはやや言い淀む。うん? と首を傾げたエリシアにハルカは、こちらは先程までとは別の意味で声音小さく、

「……その、なるべく早くと思って、今日か明日には」

「今日か明日!? それは早いわね……」

「決心が鈍る前に、早く出たいと思って」

 そのために、ここに来る前に既に家も掃除してある。もっとも、もともと大量の書物以外に物がなく、大してすることもなかったのだが。

 ハルカの言葉に、エリシアはやや顔を曇らせた。

「そんなに早いと、何の準備もしてあげられないわね……」

「そんな! いいんです、その言葉だけで……」

 確かに、ハルカとしてはエリシアに励ましてもらっただけで相当に勇気を得たのだろう。ここに来るまでとは断然明るい表情になっている。だがエリシアとしてもそうはいかないようで、しばらく考え込んでいたが、

「そうね……そうだわ。それじゃあ」

 言って、エリシアはおもむろに自分の胸元に手を突っ込んだ。ごそごそとそこを漁り、何をするのかとハルカと黒猫が見ていると、すぐに目当てのものが見つかったらしくエリシアは手を引き抜いた。

 さらにはそこにとどまらず、首裏も探り、外す。それは、

「ペンダント。御守りにね」

「え、でもこれって……」

 差し出されたそれを反射的に受け取ってしまってから、ハルカは慌てる。ハルカの手中に置かれたそれは、

「私が私の御祖母さんからもらった、加護の御守りよ。効果は抜群」

「そんな大切なもの、いただくわけには」

「いいの。はなむけよ。これくらいしかできないから、これくらいのことはさせて」

 言って、エリシアは一度それを手に取り、ハルカの首に回した。

 首裏で金具を止め、位置を整え、やや離れて見て見みる。

「――うん、似合ってるわよ」

「あ……有り難うございます」

 自分で自分の首から下がったそれを見下ろし、ハルカは小さくはにかんだ。

「大事にします」

「うん。――でも、あなた自身のことをもっと大事にしてよ。そのためにあげるんだから」

 両手で大切に包むようにしてペンダントを持ったハルカの頭を、エリシアは笑いながら優しく撫でていた。

 ……本当に。

 ふたりのその様子を眺めながら、黒猫は内心に思う。

 ……このふたり、一体どういう関係なんだろうなあ。

 詳細はわからない。いつか教えてもらえる日が来るのだろうか。だが少なくとも、今こうして見る姿は、はっきりと、

 ……家族みたい、だよね。


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