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花の唄が聴こえる  作者: FRIDAY
序:ひとりと一匹は旅に出た
6/63

6 王立中央図書館

 正直に言って、ハルカは今にも気を失いそうだった。

 猫に対して見栄を張っていなければとっくに引っ繰り返っているだろうし、そうでなくてもさっさとあの家にとって返しているだろう。

 覚悟していた以上に……これは、キツいわ。

 ただ歩いて行くだけ。自走を施したお陰で台車を引く必要もないのだから、本当にただ台車の横を歩いていくだけなのに、ただそれだけのことが、これ以上なく辛かった。

 ……思えば、何の防備もなく外を歩くのは、十年振りとかになるのかしらね。

 ローブこそ着ているが、マスクもサングラスもしていない。素顔を外気にさらしている。

 さらには、気持ち過敏になっているからだろう、妙に自分が視線を集めているような気がしているのだった。

 ……大丈夫よ、私は大丈夫。自意識過剰なだけよ。何でもないんだから。

 私は大丈夫だから大丈夫だから大丈夫。心の中で一心に唱え続ける。大丈夫、と唱えれば本当に大丈夫になる魔法があればどんなにいいか。今、どんな貴重な花の種よりもそんな魔法が欲しい。

 表面上は、辛うじて何でもない顔を保っていると思う。しかし実際は、歯の根が合わないほど震えているし、膝も笑い転げているし、額から背中から冷たい汗が滝のように流れていた。まっすぐ歩いていることが我ながら驚くような状態だ。

 大丈夫、この街じゃ魔法使いなんて珍しくもないし、そもそも私のことを知ってる人もほとんどいない。誰も私のことなんか見ちゃいないんだから……。

 ハルカのこの認識は、しかし若干ずれている。実のところ、このときのハルカは多少周囲の奇異の視線を集めてはいた。

 確かに魔法使いは珍しくもないし、ハルカを直接知っている人間もその中にはいなかったが、ハルカの横を並走している台車は、結構人目を引いていた。

 あの女の子、何であんなに大量の本を運んでるんだろう……?

 そんな思いとともに人々に見送られているのだが、それ以外のことであっぷあっぷしているハルカは知る由もない。ただ、人目を集めないようにと自然な歩調で歩くように努めるので精いっぱいだ。

 道は、こっちで合ってるわよね。

 そう頻繁に通ってなどいないからいまいち心もとないのだが、猫が何も言わないのだから恐らく合っているのだろう。間違っているのを知りながら何も言わなかったのなら、とりあえず問答無用に埋める。尻尾を残して頭から埋める。

 ――それにしても。

 魔導院はこちらではないし、仕方なく向かう際もわき目も振らず疾走するため周囲を見る余裕などないからいちいち覚えていないのだが。

 変わってないのね……何にも。十年前から。

 もとよりかなり古い街だ。通りに沿って並ぶ石造りの建物は、その歴史を感じさせこそすれ、何も変わるところがない。

 幼少時の朧げな記憶を探ってみても、何も。

 まあ別に、懐かしいと感慨にふけるほどのものではないのだが。

 打ち水をする人やすれ違う人々を意識から外すためには、それくらいしか考えることがなかった。

 そろそろだと思うんだけど……。

 石畳の道で、段差に当たってときどき跳ね上がる台車を気に留めながら、道なりに進んでいく。中心部からはややずれた地区だ。

 通りの奥に視線を投げながら緩やかなカーブを進むこと、数分。

 あった。見えた。

 その威容を視界に捉えて、心持ち歩調を早める。ハルカが速さを上げるのに伴って、台車も速度を上げた。

 そうして近づいていくほど、ハルカの目的地の威容が迫ってくる。



 王立中央図書館。



 この王国内で、いや、近隣の国々を含めても最大規模を誇る図書館である。

 王家創立と同時期か、ひょっとするとそれよりも古いかもしれないとまで言われる歴史のある施設だ。ここに蔵書されていない書物はないとまで言われるほどの蔵書量で、その総数は誰も把握していないという。世界中にこの図書館にしか存在しないものまであるのだそうだ。

さらには、この図書館には例外的に、書物に関する点において王をも凌ぐ権威も与えられているという。歴代の王の中には焚書を行った王も少なくなかったが、唯一この図書館にだけは手が出せなかったとか。

 そんな由緒ある図書館に、ハルカが何をしに来たのかと言えば。

 まあ言うまでもなく、借りていた図書の返却である。

「しっかし、ハルカもまあ困った利用者だよねえ」

 図書館の前まで来たところでこちらも気が緩んだのか、猫がお気楽な声を出した。

「確か、何冊かはほんとに冗談じゃなく十年くらい滞納してるでしょ。短くても半年から一年は滞納してるわけだし……よくもまあ今まで許されてきたよねえ」

 今にしたって、返せって言われてるわけでもないんだけどさ。

 対してハルカは、こちらもひとまず安心したのか、台車を大門横に停めながら、

「まあね。でもまあ、他に誰も借りなかったからでしょ。借りたい人がいたんなら、さすがに返すように言われただろうし」

 言いながらも、本気でそう言っているわけではない。確かにこの図書館は比較的貸出期間にはルーズだが、ハルカが桁違いの滞納を許されているのは、



「――あれ、ハルカちゃん?」



 不意に声がかかった。それに反応して、ハルカはすばやく振り返り、自分に声をかけた人物の姿を捉える。

 その人物を目にした途端、ハルカは外に出て初めて表情を緩めた。

 笑みに。

「エリシア館長!」

 弾むような声を上げ、ハルカは迷いなくエリシアの胸に飛び込んだ。

「お久し振りです、ご無沙汰してました! 会いたかったです!」

「こちらこそ、久し振りねえハルカちゃん」

 慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべながら、エリシアはハルカを抱き留めた。

「久し振り……本当に久し振りね。いつ以来かしら。猫君も久し振り――猫君は、この間も会ったわね」

 エリシアに笑みを投げかけられた猫は、こちらは座ったまま会釈だけを返した。

 そうして、驚きをもってエリシアと、その胸に顔をうずめて半泣きになっているハルカを見上げる。

 ハルカが、誰かに対してこれほど屈託なく感情を表している姿は、実は猫は初めて見たのであった。

「ここまで一人で来たの? 外に出るのなんて本当に怖かったでしょうに……頑張ったわね」

「ボクもいるよ」

 これだけは一応主張しておく。エリシアは「そうだったわね。有り難う」と笑みを返してくれた。

 エリシア・ハルモニア。

 長身の女性だ。白いブラウスと空色のロングスカート、その上に黒いエプロンを身に着けている。肩口で切りそろえられた金色の髪は三角巾でまとめられていて、どうやら何かの作業中だったらしい。

 柔らかな物腰、包容力のある表情。見かけを裏切らず、気質も聖母のような女性だ。普段ハルカにさんざんに苛められている猫にとって、数少ない癒し系。

 ハルカの使いで猫が図書館に図書を借りに来た際、応対してくれたのはほとんどが彼女だった。ハルカが引きこもっている事情を知る数少ない人物――

 そして、この王立中央図書館の館長である。

 ハルカが膨大な書物を滞納し続けられたのは、確かにハルカの借りる本がその道の研究者でも滅多に必要としないスキモノ系ばかりだったので誰も要求しなかったということも大いにあるが、一番は彼女の存在だった。

 館長と懇意。

 この上ない依怙贔屓エコヒイキである。

「でも、どうしたの? 魔導院は卒業したんでしょう?」

「あ、えっと……その」

 どうやらさすがに言いにくいようで、ハルカはちょっと言葉に詰まった。だから猫が、

「借りっぱなしだった本を返しに来たんだよ」

「あら、そうだったの! ――わあ、それ全部?」

 猫の背後にどっかりと据えられた台車を見て、エリシアは驚きの声を上げた。ハルカはちょっと不機嫌そうに猫を見下ろしたが、猫はあえて気づかないふりをする。

 あとで痛いことになりませんように。

「こんなにたくさん、よく運んでこられたわねえ」

「台車に自走の魔法を使いました。得意分野でないのでうまくいくか心配だったんですけど、なんとか」

「まあ! 凄い凄い!」

 褒められた上に頭まで撫でられて、ハルカは実にご満悦そうだ。それならと猫は、

「本当はそれはねんぎょうばっ」

「それはねん……何ですって?」

「何でもありません」

 猫には何も言わせないつもりらしい。

「あ、それで、これを今から返却しますので、」

「ん、わかったわ。大丈夫よ。私がカウンターまで持っていくから。二人とも中に入ってて」

 にこやかに言って、エリシアは台車の横まで歩いて行った。はい、と素直に頷いて、ハルカは猫を引きずって扉を抜け図書館の中に入る。

 入った途端、ぶあっと冷気が全身を撫でる。館内は冷房の魔法がよく利いているらしく、暑い中を歩いてきた汗が一気に引いた。むしろ温度差で風邪をひきそうだ。猫も横で身震いしている。クスクスと囁くような笑い声に視線を向けると、近くの書棚の上に小人が腰かけていた。いや、冷気を霧のように纏うその存在は、精霊だ。館内の温度を適度に保っている精霊が、悪戯を仕掛けたものらしい。

 館内は、外観と同じく歴史を感じさせる荘厳な佇まいだった。利用者は少なくないが、館内が広大であるためにまばらに見え、毛足の長い絨毯によって足音なども吸収され、静寂に支配されていた。

 ほあ、と入口に突っ立ったままでハルカは館内を一望する。吹き抜けになった中央で一階から最上階まで見上げると、その膨大な書物の数に気が遠くなりそうだ。ハルカの家を埋め尽くしていた滞納書物でもかなりの量に思えていたのだが、やはりこことは比べるべくもない。

「あら、どうしたの?」

 図書館の威容に呑まれていると、後ろから入ってきたエリシアが不思議そうな顔をした。

「あ、いえ……」

 振り返ったハルカはまた違う意味で絶句する。

 うん? と首を傾げるエリシアの背後。そこに、ハルカの滞納した数々の書物が整然と浮かんでいた。

 もちろん、エリシアの魔法である。

 エリシアはカウンターの方を向くと、そこにいた女性に向けて、「ユリ、これの返却手続お願い」と言う。言ったそばからエリシアの背後の本が一列になって滑空し、カウンターの上に次々と積み上げられていく。ユリ、と呼ばれた若い女性は、エリシアの魔法に、ではなくその書物の量に驚いた顔をしながらも、慌てて急いで返却手続をとり始めた。

 ……凄いなあ、やっぱり。館長は。

 ひゅんひゅんと飛んでいく本を見上げながら、猫は心底感服する。

 さすが、ハルカとは年季が違う。

 いかにも年若く見えるエリシアだったが、実のところは相当な手練れなのである。何せ彼女は、

「せっかく来たんだし、ゆっくりしていくでしょ? 奥行きましょっか。お茶入れてあげる」

 言いながら、エリシアは髪をまとめていた三角巾をとる。そうすることで、ほどけた髪が下がっていくとともに、

 耳が、あらわれた。

 横に、やや尖った耳が。

 エルフ。

 どれだけ斜に構えてみても二十代中盤か、それくらいにしか見えない館長は、実際は五世紀は優に生きている一流の魔法使いなのだ。だからこそ、治外法権に近い権限を有する王立中央図書館の館長であり、ことと次第によっては王立魔導院長、聖教会教皇らとともに国政に助言者として招かれることもある、国内屈指の魔法使いなのである。

 せいぜい十六ちょっとのハルカではもちろん、比べるべくもない。

 ………それにしても。

 猫は、カウンターの奥に入っていくエリシアと、その後ろを嬉々としてついていくハルカを追いながら、密かに思う。

 ………どうしてそんな凄い人と、ただの引きこもりのハルカがこんなに仲良しなんだろう?


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