22 花選び
「――さて、それじゃあ、始めましょうか」
土壌への追肥を行った翌日、宛がわれている自室でハルカは半ば自らへ言い聞かせるように宣言した。
昨日のうちに、部屋には大きな四角テーブルを運び込んでもらい、その上に幾冊もの大判の書籍を積んでいる。加えて、卓上サイズの三脚を展開し、例の庭の絵を立て掛けていた。
「始めるって言っても、どこから取り掛かるの?」
机上に上がり、本の背表紙を眺めている黒猫が訊く。そうね、とハルカはローブの袖をまくりながら応じた。
「まずは、目星をつけている花の検証についての検証ね。昨日ふたりにも話していたけれど、この地域の気候と植生は大方把握できている。それに加えて、あの絵のお陰でもっと具体的な絞り込みができるわ。色、背の高さ、組み合わせ……ざっと頭の中でリストアップしただけでも、十以下まで絞れている。だからあとは、記憶の不確かな部分の補強と、実際に植えるときのマッピングね」
言下に、ハルカはテーブルの中央に大きな羊皮紙を広げた。そして、筆をインクで湿らせると一息に走らせる。淀みない筆跡で描かれるのは、
「庭の見取り図?」
「ええ。中央のこれが井戸、周縁に仕切っているのが花壇ね。で、例の絵を見た感じ、花の区画は、こう」さらさらと、花壇部分に区切りとなる線を入れていく。「これくらいの面積で植え分けしているわ。絵は、庭の全域を捉えているわけではないけれど、少なくとも可視範囲内ではこんな感じね」
で、とハルカは例の絵へ視線を当てる。
「植えられている花の色は庭の奥に向かって左から、白、黄、赤、紫、水色、桃、橙、茜、藍、紫紺。まあ、珍しい色はないわね。季節は春から夏。初夏ってところかしらね」
「三人が薄着だから?」
「それもあるし、あとは光ね」
描かれている明暗の境界線を、ハルカは指先でなぞる。
「あの庭は周囲をぐるっと壁で囲まれているから、季節や時間ごとの日の傾きが影に大きく影響する。今の時期での日の動きから大体割り出した感じ、この影の差し方なら初夏のあたりでしょう」
さらに、ハルカは羊皮紙に描いた見取り図、井戸の手前に三つの丸を描き加えた。
「それは、あの三人?」
「ええ。ティアネ王女とフェリエさんは同じくらいの身長で、絵を見た感じ、先王妃の腰には届いていないわね。5歳から6歳くらいって話で、先王妃は結構長身な方。で、それを踏まえて、三人の立ち位置と花壇までの距離による遠近感を加味すると、それぞれの花の高さもおおよそこれくらい、とわかる」
デフォルメされた花を、奥に向かって順に描き込んでいく。それはやはり段々と背を高くしていくものだが、
「それでも、膝丈くらいなんだね」
「見上げるほどの高さっていうのは、ないわね。容易に一望できる程度のもの。その分世話もしやすいでしょうしね」
書き込んだ条件を眺めて、ふむむ、とハルカは唸った。傍らに積んである分厚い一冊を手に取って、パラパラと捲っていく。探していたページで手を止め、別に用意している羊皮紙に書き込み、さらにページを捲る。
「もうわかったの?」
「大体ね。やっぱり予想通りだわ。ありふれたものではないにしても、特別希少な種類の花が並んでいるというわけでもなさそう。生息地を探せばそれなりに見つけられる花ね。観賞用にも見栄えするし、何なら花の魔法でもよく使える花ばかりみたいよ」
私の見立てが正しければだけど、と言いつつ、ふと何かが引っかかった。
……うん?
「どうしたの、ハルカ」
「いえ……いや、うーん」
顎に指を添えて何事か考え始めた。うーん、と唸るばかりで、その懊悩の内は黒猫には計り知れない。
「ハルカ?」
「……とりあえず、一通り書き出してみた方がよさそうね。これが気のせいだとしても」
それに、と内心に思う。
……気のせいじゃないとした方が、しっくり来るところもあるし。
筆を持ち直し、さらに新たに羊皮紙を置くと、傍らの本とメモを確認しながら、そこに花の名を書き並べていく。
「フエノヴァ、カルエ、ナナノト、ソサキモリ、ミミエかエルノアレ、ハルキサミ、ハシミズク、それからファンシーユ、ソア、ユフィリア」
いち、に、さん、と数えて、おお、と黒猫が唸った。
「凄いね、これでほぼ全部?」
「ええ。ミミエとエルノアレは、ここまでの情報からではどちらと断定するのは難しいけれど……でも、多分。断定する必要は、なさそうね」
「どういうこと?」
黒猫が首を傾げるが、ハルカはそれには応じず、腕を組んで唇を摘まんでいる。何か、記憶を探るように眉根を寄せてさえいる。
「見たことがある……そう、私は見たことがあるのよ、この並び。色、種類、この構成。全く同じとは言わないまでも、応用や変則と考えれば合点がいく。でもそれはおかしい。私が見たことがあるというのは、おかしいのよ。これは偶然?」
ぶつぶつと、口の中で呟いている。
……偶然では、ないとしたら。
でも、この国で?
とうとうハルカは、難しい顔のまま黙り込んでしまう。花はほぼ断定できているのに、さらに何をそんなに考え込むことがあるのだろうと黒猫は首を傾げるが、口を挟んでも何かが進展するわけでもあるまい。見るともなしに、ハルカが並べた花の名を眺める。
そうして俯瞰していると、ふと思った。
「あれ、この並び、ボクも見たことがある気がするね。どこだったかなー。何かの授業?」
ハルカを見ると、ハルカは先ほどまでと同じ表情のまま、じっと黒猫を見下ろしていた。何かただならぬ気配を感じて「え、なに」と身をすくめるが、やがてハルカはひとつ深い吐息をする。
「あんたもそう思うのなら、やっぱりそういうことなんでしょうね。わかったわ。――明日、フェリエさんに花の種を頼むついでに訊いてみましょう。もしこれが、私の思っているとおりなら……あそこは確かに、秘密の庭なんだわ」
黒猫にはハルカが何を理解したのかさっぱりわからないが、わかった、と頷いた。




