16 水源の調査2
「多分、あの井戸はサイフォンの原理か、それに近い原理で造られていると思うの」
一旦部屋に戻り、車椅子を置いて松葉杖に換え、慎重に城内を歩きながら、ハルカは言う。
「足、大丈夫なの?」
「ときどき、力がどこかへ抜けていくような感覚がするけど、大丈夫よ。どのみち、早いことまともに歩けるようにならないとね。一応杖なしでも歩けるくらいにはなってるけど、念のためよ」
以前ギンゼルにも言われていたとおり、あとは体力なのだ。ずっと車椅子を使い続けていては、体力が戻るどころか、足腰の筋力まで衰えてしまう。
「それで、サイフォンの原理って?」
「魔導院で習ったことがあるの。水、というか液体を移動させる原理ね。容器をふたつ用意して、高低差をつけてそれぞれ置く。高い方に置いた容器に水を入れて、空気を入れず水で満たした管で繋ぐ。そうすると、水の入った容器から空の容器へ、動力を必要とせず自然に水が汲み上げられていく、という原理よ。どうしてそうなるのかは訊かないでね。わからないから」
「原理はいいとして……でも今回、高いところに水はないし、管も繋いでないよ?」
「この原理はね、管を上ではなく、下を通したとしても作用するの。距離が離れていてもね」
いい? とハルカは説明する。
「あの庭の、あの井戸よりも標高の高いところに池や川、貯水池があれば、そことあの井戸まで水路を繋げば、システム自体はできるわね。最初に呼び水が必要になるけど、そこは問題じゃないわ。――で、あんた、ここまでのことで気付けることがあるんだけど、どう?」
「え?」
ハルカの言葉に、何だろう、と黒猫は首を捻る。だがピンと来ない。
「ヒント頂戴」
「そうね……水源。それから、あの井戸は本当に枯れたのか、ってところ」
んむむ、とさらに考える。窓から差し込む光を踏んで歩きながら、
「人口の水路、他の場所にあるかもしれない水源、サイフォンシステム……」
ハッ、と黒猫は顔を上げた。
「水は、意図的に抜かれた……?」
「他に水源があることが前提条件だけれどね。天然の湧き水や地下水を汲み上げているわけではなく、川とかの水を引いていて、サイフォンシステムを設計しているなら、勝手に水が止まるとは考えにくい。どこかで水門を閉じて、人為的に抜いたと考えた方が自然だわ。現状、管部分まで水が残っていないのなら、サイフォンの原理では完全に水を除くことはできないし、光の届かない井戸の底では数年程度じゃ干上がるとも思えないから、何らかの方法で、これも人事的に残った水を浚ったということになるけれど」
ということは、と猫がその先を続ける。
「その水門を上げれば、あの井戸は元通り湧き出すということだね!」
「準備は要るけどね。そのためには、まずこの仮説の証明と、水門の位置を特定する必要があるわけだけど……どうしたものかしら」
そう、難しいのはここからだ。もっともらしく言ってはみたが、あくまでも仮説は仮説。確かめようにも、ハルカにはこの国の土地勘などはない。人に訊こうにも、誰をあてにしたものか。
とりあえず、あの庭にいたところで埒が明かないということで、城内を適当に歩いているのだが……。
と、廊下の向こうからガラガラという音が聞こえてきた。曲がり角となっているため何なのかはわからないが、誰かが手押し車を動かしているのか。それほど広い廊下ではないし、ハルカはまだ俊敏に避けるということはできない。あらかじめ壁側に避けて、その音の主を待つ。
「――ん、何だ、嬢ちゃんじゃねえか! どうした、こんなところで」
角からひょいと顔を出し、すぐにこちらに気づいて破顔したのは、エーリエ王国近衛隊中隊長のザルツだった。
「いや、ザルツさんこそ、何してるの? こんなところで荷車なんか押して」
「ん? ああ、フェリエさんから頼まれてな。こいつを、フェリエさんの別室前に置いてきてくれって。ちょうど手が空いてたもんでな」
見れば、そこに積まれているのは桶がふたつ。中にはぎっしりと藁が詰まっている。
ザルツは首を捻っているが、ああ、と黒猫とハルカは得心いった顔になる。
「お、何か知ってるのか?」
「知ってるというか……まあ、少しね。ちょっとハルカが頼んでるんだ」
「ってことは、魔法絡みってことか? 変わったものを使うんだなあ。何するんだ?」
「肥料にするんだよ。ね、ハルカ」
ハルカは無言で頷く。ザルツは、フェリエよりも慣れていたはずだが、久々に会うためかまた緊張してしまっているらしい。
「成程、肥料になるのか……や、よくわからんが、頑張れよ。俺も手伝えるときは手伝うから、遠慮なく呼んでくれな」
気さくに笑って、んじゃ、とザルツは再び荷車を押し始める。ガラガラ、と音を立て始めたあたりで、「あの」とハルカが声を上げた。
「うん?」
「いや、その……」
足を止めて振り返ったザルツに対し、ハルカは逡巡するように視線を彷徨わせる。だが、やがて意を決して視線を上げた。
「この城の構造というか、用水に詳しい人って、誰かいませんか。周辺の庭園を管理している人とか……」
視線はすぐに下がり、声も尻すぼみになっていってしまったが、ザルツには問題なく聞こえていた。ハルカの様子に特に気を止めることなく、そうさなあ、と顎をさする。
「城の構造となると、さすがに知っていても教えられないだろうが……城の内外の庭園なら、ドーヴェン爺さんが一番詳しいんじゃないかな」
「ドーヴェン爺さん?」
「庭師さ。先々代の頃から庭師で今も現役。あの爺さんなら、何か知ってるんじゃないか」
成程ね、と黒猫が頷いた。
「そのドーヴェン爺さん、現役ってことは今も働いてるんだね。今日はどこにいるか、わかる?」
「さて、見かけちゃあいないが……この時間なら、正門広場の花壇の世話かな。そこにいなければ、正門広場に向かって時計回りに、木の剪定をやっていると思う。そんなに忙しい人じゃないから、ゆっくり追ってもすぐ追いつけるだろう」
「ありがとう! 探してみるよ。ちなみに、見た目にわかりやすい何かある?」
ああ、とザルツは笑った。
「小柄で、腹の中ほどまである立派な白髭を蓄えてる。んで人相が悪い。剪定中なら、自分の身の丈くらいある裁ち鋏を振り回しているだろうさ。種族はドワーフでな。そう思うと、いろいろ合点がいくだろ?」




