14 調査開始
庭を整えるにあたって、いくつかのルールを、最初に言い含められた。
この庭の存在を他言しないこと。
この庭を訪れるとき、ティアネ、フェリエ以外の人物を連れてこないこと。
それはベルモンドらは勿論、ギンゼルですらもダメだという。
「おばあ様との約束ですの。この庭は秘密の庭で、許した人以外に知られてしまったら消えてしまうのだから、と。おばあ様はもう亡くなられてしまいましたが……その言葉の意味が分かるまでは、この庭のことは誰にも秘密にしておきたいんですの」
「ボクたちはいいの?」
「私が許しましたもの。フェリエも、最初は私が連れてきたんでしてよ?」
お転婆なのは、やはり昔かららしい。
それから王女は、公務が溜まっているということで執務室へ戻っていった。
というより、フェリエに追い返された。王女自身はまだここにとどまっていたかったようだが。「何かあったら何でも訊いてくださいまし!」とだけ言い残して、名残惜し気に戻っていった。
「――それにしても、まさか引き受けるとは思わなかったよ」
一応、壁際に控えているフェリエを気にしつつ、黒猫は声量を落とし気味にハルカに言う。
「そう?」
「うん。正直面倒ごとだし、無理難題だもの。想い出の庭の姿をもう一度、だなんて。しかも、ほとんど覚えていないって言うし。朧気で美化された想い出なんて、どんなに素晴らしい庭を造ったところで敵いっこないよ」
「まあそれは、そうね。それでも、自分でひとつの庭を造るというのは、やっぱり花の魔法使いとしては容易に断ち切り難い、魅力のある話だってことも確かよ」
そう言うハルカは、とりあえず庭の中央、井戸だったものの傍まで進み、周囲を見渡している。水路、道、区画、その幅。
……うーん。
面積。仕切りの形、高さ、素材。
……うーむ。
土質、その色。風の流れ、日の当たり。
「うーん……?」
「ハルカ?」
「いや、何というか、コレ、この雰囲気というか、空間の取り方、どこかで見たことがあるような……でも、そんなわけないし」
ない、のだが。直感的なものは案外馬鹿にできないもので、不意にパズルのピースのように何かとぴったり噛み合うこともある。この違和感というか、既視感については頭の片隅に置いておこう。
ひとしきり見分して、全体像を頭に入れる。
「えっと……フェリエさんに、何か書くものをもらってきてもらえる?」
「……はぁ、まあ、うん。わかった。でもこういうのはできるだけ自分で言った方がいいよ。御礼と頼み事は自分でするべき。そうでしょ?」
「……ええ、わかってるわよ。次からは努力するわ」
わかってはいる。けれど、そう易々とできるのであれば、ハルカはこうも苦労していない。
黒猫の頼みを受けたフェリエが一度場を外し、すぐに羊皮紙と羽ペン、インク壺、下敷きにする板を持ってきてくれた。
「あ、ありがとう、ござい、ます……」
目も合わせられず俯きの視線で、ボソボソと聞き取れるかも怪しい礼の言葉だが、フェリエは「いえ。また何か入用のものがあればお申し付けください」と品よく会釈してもとの位置に戻る。
「言えたじゃん。次は、まあ目を合わせるのはまだいいから、もう少しはっきり発音できるといいね」
「……ええ、そうね」
緊張から解放された安堵で、黒猫の軽口に言い返す余裕もない。ともかく、貸してもらった筆記具一式を、早速構える。
さらさらと描き出すのは、この庭の見取り図だ。
全体像は円形。枯れた井戸を中央にして、放射状に仕切られた花壇が壁沿いに囲む。よく見ると花壇は二段になっていて、奥側の方が高い。
「通路と水路は、こうですね」
「――――!?」
急に横から差し込まれた繊手に、ハルカは声も出せないほど仰天する。その様に、おっと、とこちらも驚いて手を引いた。
「申し訳ございません。黒猫様が手招いておられましたので、よろしいものかと」
見ると、黒猫はそ知らぬフリをしている。睨むが、追い払うのも失礼な話だ。「いえ……大丈夫。ちょっと、驚いただけ、ですから。通路と、水路、ですか」
かなり気負って声を絞り出す。時折掠れるが、先の程ではない。はい、とフェリエは頷き、再び手を伸ばして指先で見取り図を幾筋かなぞる。
「こう、それぞれの区画に沿って手入れのために踏み固められた道があり、道沿いに石の板で舗装された水路があります。各水路は最終的に一番奥で、この一か所に集約され、壁の向こう、どこかへ排出されています」
詳しいね、と黒猫が感心すると、フェリエは頷いた。
「私も最盛期の花園を存じておりますし、先王妃亡き後も、草抜き程度ですが手入れをしておりましたもので」
成程、と頷く黒猫を横に、ハルカはフェリエの示した道と水路を書き込む。一旦身を引いて眺めて、ふむ、とハルカは頷いた。
「……あそこの」
一画にある作業道具を見やる。
「あれは、当時からあのまま?」
「はい。私には使い方がわからず、朽ち始めてしまっている道具もありますが、当時の道具そのままにそろっています」
ふむ……とハルカは頷く。使っていた道具から、何かわかることがあるかもしれない。後で検分してみよう。
「それじゃあ……ハルカ。庭の全体像が見えたところで、どうしようか?」
「そうね。整理しましょう。まず……何をするか」
当時の庭の再現をするにしても、あるいはハルカのデザインで庭を興すにしても、最初に必要不可欠なことがある。
「土と、水ね」
「水はともかく、土はいっぱいあるじゃないか」
「ええ。土はね。問題はその中身よ」
ひょいと身を乗り出す。車椅子のハルカだ、バランスを崩さないかとフェリエが支えようとするが、大丈夫、と手で制す。
伸ばした手で浚うのは、花壇の土だ。一掴み、浅くとらえて観察し、手の中で擦り合わせる。
「土は上質。ただ、水不足による乾燥と、花を生育した後に追肥されていないから、枯れてしまっている。良い花が育つには良い土と良い水が必要なの。そして良い土とは、養分を多く含むものよ。そのためには肥料と、それを分解する微生物が要る」
「魔法じゃダメなの?」
「ダメではないわ。むしろ瞬間的には魔法の方がいい。でも魔法だけだと、長くは続かないのよ。芽吹きをブーストするのは魔法でいいし、最終的にはそうするつもりだけど、その後、花が自立自生するには、しっかりとした環境に支えられなければならない。というわけで、追肥をしましょう」
えっと、とハルカはちらりとフェリエへ視線をやり、しかし俯いてしまうが、
「その……フェリエ、さん」
「はい。何でもお申し付けください」
「ええと……藁が、あれば用意してほしい、です。馬の飼料にするような、乾燥した藁束で、量は……そうね、そこの」鍬などの道具に交ざって置かれている木桶を示す。「この庭の広さなら、あの桶にして十くらい、それで足りるんじゃないかと思うんですけど、手に、入りますか……?」
木桶を見、目測でサイズを測ったフェリエは、頷いた。
「可能です。冬に備えて蓄えもありますし、その量であれば集められるでしょう。一か所からだと取り過ぎてしまうため、厩舎をいくつか回ることになるかと思います。数日はかかってしまうかと思いますが……」
「構いません。それほど急ぐことでもありませんし、用意できてからもまた時間がかかりますから。――それから、次は水ね」
中央、乾ききった井戸を見やる。先ほど猫がしていたのと同じようにその洞を覗き込んでみた。中は暗く、底は見えない。手近なところに転がっていた石を拾って試しに落としてみると、数秒経ってから硬い音が反響した。
「結構深い。で、底まで枯れてる。ここって、常時水が溢れ出ていた感じの井戸、ですよね?」
フェリエへ振り返って問うと、当時を知る侍女は頷いた。
「はい。湧き水のように、緩やかに溢れ出ておりました」
「そんなこと、どうしてわかったの?」
「井戸の造りね」
縁をなぞる。そこは漣のような模様が細工されていた。内側が最も高く、外側へわずかに傾斜している。
「溢れ出た水が、水路を伝って、庭全体を満たす。そういう作りだと思う。でも水の水位っていうのは自然には上がらない。少なくとも、溢れるほどに満たすには、上から下へ注ぎ込んで器をいっぱいにする必要があるの。だから多分、この井戸の中、どこかで、水をここまで汲み上げる仕組みがあるはず。それに、底があって、しかも枯れていて、石の落ちた音が聞こえるということは、底は天然のものじゃない。湧き水とかではないはずだわ」
フェリエを見るが、今度は彼女は首を振った。
「申し訳ございません。その井戸の仕組みがどうなっているのかまでは、私も存じ上げません」
「ここの……水は、先王妃が亡くなられてから……すぐに、枯れてしまったん、ですか?」
「すぐというほどではありませんが、程なくして」
「この場所自体を、造ったのは? 井戸も組んだ人が……いるはず」
「すみません。……何分、先王にも内密に作られた場所ということもありまして、造営の詳細は先王妃しか知らず……」
ふむ……とハルカは顎に手を当てて考え込む。数秒、そうしていたが、やがて、うん、と頷いた。
「いずれにしても、確かめてみるしかないわね。フェリエさん……は、藁の調達をお願いします。その間、私と猫はこの井戸を調べてみるわ」
畏まりました、と会釈して、早速フェリエは庭を出ていった。城内外の厩舎を回るのだろう。
「それで、ボクらはこの井戸ね。どうやって調べるの?」
問いを投げかけて、振り返る。ハルカはにんまりと笑っていた。
「……おっと。凄く、嫌な予感がするぞ」




