13 門出の品
「さて。では、ハルカ君へ門出の贈り物をしよう。そう、卒業祝いもまだではないか。しかもどうやら、エリシア君はカトレア君のタリスマンを贈ったようだね? カトレア君は元気かな?」
「ええ、二百年ほど前に故郷の森に帰ってからは、悠々自適に生活しているようです。先日も手紙が来ていましたよ」
「それは重畳。しかし鉱石科で未だ不動の冠位を持っている細工師が制作したタリスマンが既に贈られているのであれば、私も生半可なものは贈れないな」
「いえ、そんな、全然、お気になさらず!」
専攻していた花の魔法以外にはとんと疎いハルカだ。エリシアの祖母が高名な魔法使いであることまでは知っていたが、一学問においてそれほど高位の人物であったとまでは知らず、今更になって震えるほど恐縮している。
ふうむ、とエドワンスは瞑目して考え込んだ。ふむ、と首を傾げ、ふむ、と周囲を見回し、
「この上なく情けないことだが、どれほど考えてみてもカトレア君のタリスマンに匹敵するようなものは、私には持ち合わせがないようだ。龍種によくある蒐集癖は、私は植物に偏っているからな。金銀財宝というものもない。勿論、旅の路銀ならいくらか出すつもりではあるが」
「で、ですから、お気になさらず!」
「いやいや、しかしそれでは私の気が済まない。だから、ここは私らしい贈り物をさせてもらおう」
言下に、エドワンスは向こう、ハルカらの頭上を越えて、さらにその先を見やる。
「…………?」
ハルカと黒猫は首を傾げながら同じ方向を見やるが、その方向にあるのは植物園、その中央で最も太く、高く、深く茂る大樹だ。そのことに気が付いたエリシアは、ああ、と得心がいったように頷くが、ハルカと黒猫にはまだわからない。
「……少し待っていてくれ給え」
エドワンスの言葉に、はあ、と頷きながら大樹の方向を見ていると、何かが、光ったような、
「――――!」
ハルカは驚きで身をすくめ、黒猫はハルカの腰の高さまで飛び上がったかと思うと電光石火の勢いでハルカの足元に隠れた。
甲高い音を立てて、ハルカらの眼前に一直線に矢のように飛来したもの。
「……え、枝?」
宙に静止するそれは、ハルカの身長ほどもあり、太さはハルカの腕くらいはある瑞々しい枝だった。
「まあ、見ていたまえ」
言下に、未だ茂っていた枝葉を振り乱しながら、それが宙で回転し始める。見る間に速度を増し、ハルカが一歩退くほど風を纏い振り散らして、ようやく止まったそれは、
「……杖」
それを見たハルカの第一声に、エドワンスは頷いた。
「イヴトネリコの杖だ。さて――イヴトネリコについて、講義したことはあったかな?」
エドワンスの問いに、はい、とハルカは頷き、一呼吸してから口を開いた。
「イヴトネリコ。モクセイ科トネリコ属の落葉樹です。木材として質が良く、建物の資材としては上質の部類に入ります。でも特に言及すべきは魔法との親和性です。花の魔法は勿論、他の魔法との相性も良く、触媒や魔杖などに好んで使われます」
うむうむ、とエドワンスが上機嫌に頷きながら聞いているので、ハルカの口調にも少しずつ自信が現れてきた。
「魔法とイヴトネリコの関係は古いですが、最も古くは北方民族のノードが伝える神話に、イヴトネリコと思われる大樹が見られます。ノード族の創世神話、彼らの言うところの“クラウヴィアの独白”において、多層世界の中心を貫き支える世界樹として登場し、神話の要所で重要なファクターとなっています」
「満点の回答だ、ハルカ君。では、こと花の魔法においては、どうかな?」
ハルカは頷いた。
「他の魔法と同様、花の魔法もイヴトネリコとの親和性は非常に高い。枝葉や種を触媒として使うと、魔力の循環が非常にスムーズで、魔導院の初等部ではこれを媒介して花の魔法の習得を始めます」
ただ、とハルカは続ける。
「イヴトネリコそのものに魔法をかけることは、非常に難しいとされています。その難しさは、植物科ではイヴトネリコに魔法をかけられることで一流であると認められるほど」
勿論、ハルカもイヴトネリコに魔法を通すことはできるが、イヴトネリコを魔法で扱うことはできない。試したことはあるが、まるで話にならなかった。
……何と言うか、“すっぽ抜ける”感じがするんだよね。
それを捕まえられるのが、一流ということなのだろうか。
「イヴトネリコにまつわる伝説で有名なのが、エルフに伝わる英雄譚のひとつ、“フィンドール叙事詩”に謳われる主人公、フィンドールが植えた建国の大樹。フィンドールは幼少よりイヴトネリコの槍を愛用していましたが、叙事詩のクライマックスにフィンドールはその槍を突き立て、槍は瞬く間に大樹へと成長します。胴回りは成人男性が百人囲っても余るほど、その根は周囲数里へ至るほど、高さは雲を抜けるほど、と謳われ、その一帯は妖精郷となって俗人のたどり着け得ぬ神秘の向こう側へ隠れ、フィンドールと大樹は今も妖精卿を守っている――という物語ですね。物語のとおりならば、フィンドールはイヴトネリコへ魔法をかけて、大樹へと成長させたことになります。実際、叙事詩で紡がれるフィンドールは一流の魔法使いであり、その偉業の数々には花の魔法にまつわるものも数多く登場しますから、彼が花の魔法を使ったことは確かなのだと思います」
各地の神話や伝説では、たびたび妖精郷と呼ばれる世界が登場する。特にエルフに伝わるものは数多いが、中でもフィンドールの妖精郷と言えば際立って有名だ。
……行ってみたいよね。
広い世界。伝説に語られる庭園などはいくつもある。旅の中で、訪れたい場所は既に自分の中で挙げてあるが、フィンドールの妖精郷もそのひとつだ。“神秘の奥に隠れた”という記述があるとおり、道があるのかどうかもわからないが……それはいずれ、見つけるのだ。そのための、旅なのだから。
ハルカの話を、エドワンスだけでなく、エリシアも頷きながら聞いていた。つまりは誤りなどはないということだ。語り終えて、安堵の一息をついた。
「上々の出来だ、ハルカ君。よく学んでいる上に、よく覚えている。ではそれを踏まえて、私は君にこのイヴトネリコの杖を贈ろう。――さて、その意図はわかるかな?」
面白がるような色を含んだエドワンスの言葉に、しかしハルカは即答できなかった。
「えっと……イヴトネリコを通せば魔法は使いやすくなって、旅の助けになる……とか」
たどたどしさを帯びるハルカの答えに、エドワンスは苦笑を見せた。
「いや、間違いではないのだがね。しかし真意はそこではないのだよ。――私の思うところはだな、その杖は、イヴトネリコとして君の助けになるのだ」
「えっと……?」
意図を呑み込みかねているハルカに、エドワンスは静かに続けた。
「簡単に言えば、ハルカ君。いずれ君は、その杖をイヴトネリコとして使いこなせるようになるのだ」
「え、でも、それは……」
イヴトネリコとして、ということは、つまり、
「私が、イヴトネリコを魔法で使える、と……そんなの、私には無理ですよ」
伝説級、少なくとも一流でなければ扱えないのがイヴトネリコなのだ。一流など程遠いハルカが、そんなことができるようになるはずがない。
しかしエドワンスは首を振った。
「君には知識があり、才能があり、意欲がある。ただ惜しむらくは、君には自信がない。――責めているわけではないよ。驕らないというそれは、君の美点でもあるのだから。だが、私もエリシア君も、君を認めている。それは揺るがない事実なのだ。君が君を信じないとしてもね」
だから、とエドワンスは続けた。
「自信を持ち給え、とは言わない。言って持てるようなものではないからね。ただいつか、必要になったときに思い出してもらえばいい。私とエリシア君が、君のことを認めているという事実をね。きっとその杖とともに、君の助けになるだろう。――さあ、受け取り給え」
エドワンスの言葉に、思わずエリシアを見ると、彼女もまた微笑で頷いていた。恐れ多いような、面映ゆいような気持ちながら、恐る恐る、ハルカはその杖を手に取った。
軽い。しかし丈夫だ。手にもよく馴染む。軽く地面を突くと小気味よい音がした。
この杖に見合うような、相応しい、魔法使いに、なれるだろうか。
「――ありがとうございます」
頑張ろう、とそう思った。




