11 魔導院付植物園
魔導院そのものに比肩する広さ、高さを有する植物園が、魔導院の一角にある。日光を効率よく取り込むために計算されたガラスで全面を覆われた植物園は、学生のために開放されてはいるが、実のところただひとりのための植物園である。
平たく言うと、私物だ。誰のと言えば、
「院長、今日のこの時間には講義はなかったと思うから、多分いらっしゃるはずなんだけれど」
言いながら、エリシアは奥を覗き込む。ほどなくして、ああ、と頷いてハルカを手招きした。
「いらっしゃるわ。また何か集中しているみたいだけれど、行きましょう」
「え、いいんですか。集中されているのならまた出直した方が……」
「いいのいいの。爆発するタイプじゃないし、院長はひとりでいるときは大概物思いに集中しているんだから。話しかけたって途切れないわ」
軽い調子で笑って、エリシアはスタスタと入っていく。その後に、恐る恐るハルカと黒猫も続く。
この植物園に入るのは、ハルカも黒猫も初めてではない。ハルカは勿論、黒猫もまたハルカの宿題を届けるために訪れたことがある。この園内で生育している植物は、世界各地から集められたてんでばらばらな地域の種々様々なものだが、いずれもこの植物園の主の魔法によってそれぞれに最適な環境を保たれている。これだけ広大な植物園で、これほどの多様な植生を保ち続けるだけの魔法を常時行使し続けているのだから、魔力量、繊細さ、いずれをとっても魔法使いとしての技量は目を見張るレベルであると言えよう。
それもそのはず、この植物園を一手に管理しているのは、
「院長、ご無沙汰しております。エリシアです」
壁があった。
エリシアが話しかけたのは、壁だ。いや、違う、山か。植物園の中央にそびえ立つ、灰色の乾いた岩盤を持つ壁。
いや、それも違う。
「うん? ――おお、おお。これはこれはエリシア君。ご機嫌麗しゅう」
正しくはそれは、背中だ。見上げるほど巨大な。
朗々とした声が応じ、ぐぐ、と壁が動く。ぐいっと左手に、これまた巨大な鼻先が突き出てきた。
「やあやあ、それにどうやら、エリシア君の横にいるのはハルカ君だね。これはこれは、珍しいこともあるようだ。何かあったのかい?」
呼びかけに、ハルカが答えようと口を開くが、いやいや待て待て、と声は続けた。
「ここで立ち話もなんだろう。見受けるに、なかなか大事な話のようだ。もう少し落ち着ける場所がいい。そうさな。奥にちょっとした喫茶スペースがある。学生向けのものだが、ここよりは寛げるだろう。どれ、案内しよう」
よいしょ、と弾みをつけて、立ち上がった。ただでさえ山の如き威容をもっていたその身体が、見上げても頂上が見えない程に高くなる。
見慣れているエリシアは平然としたものだが、黒猫は、ハルカでさえ、小さく口を開けて見上げてしまう。
それもそのはずだ。彼は――植物園の主にして魔導院の院長、エドワンス。
超常種族、ドラゴンである。
「年を取ると、時間の感覚が鈍くなっていかんな。エリシア君とは、さていつ以来だったか」
「魔導院と図書館との連絡会議以来ですから、大体2年ぶりくらいかと。書簡でのやり取りはしておりましたが、直接の機会はご無沙汰しておりました」
「ああ、ああ、そうだった。そちらもなかなか多忙なようだ。他国の図書館連合から来訪があったとか。――まあ、その話もおいおい聞かせていただこう。今回の用件は、ハルカ君、キミだね?」
横を、エリシアと並んで歩くハルカを、エドワンスが見下ろす。はい、と思わずハルカは身を固くするが、エドワンスは朗らかに言う。
「そう畏まらずともよい。初対面でもないのだから。ついこの間も、講義には出席していたね。あれはどれくらい前だったかな」
「一年前です。無事に卒業できました」
「そうかそうか。それはめでたい。後で何か祝いの品を贈ろう。――それに、何やら決意をもって訪ねてきてくれたようだ。その話も聞かせてもらいたい」
さあ、とエドワンスが示した先には、ちょっとした広場があった。緑に囲まれた空間に、柔らかな陽光が差し込んでいる。照らし出されているのは、純白の丸テーブルと二脚の椅子だ。それぞれに向かって、既に色のついた飲み物の注がれたグラスが用意されている。掛けるといい、と促され、エリシアとハルカはそれぞれ席に着いた。黒猫はハルカの足元に収まる。
グラスのそれは、麦茶だった。氷も入っていないのに冷えているそれを一口飲み、喉を潤す。
「さて、それでは積もる話といこうか」
ハルカが一息ついたのを見計らって、エドワンスが穏やかに促した。
「はい――」
ハルカは朴訥と話し始める。己の決意を。




