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花の唄が聴こえる  作者: FRIDAY
序:ひとりと一匹は旅に出た
10/64

10 魔導院が見えてきた

 今日か明日には旅立つ、というか、出立の準備は既に終わっているのだ。あとは挨拶回りだけであって、早々に出発しなければならないのだから、一ヵ所に長居をすることはできない。だから、当のハルカ自身がとても名残惜しげであったけれども、いつまでもエリシアのところにいるわけにはいかない。

「この後は、魔導院に行くの?」

 エリシアの問いに、ハルカは頷いた。

「はい。エド先生に、挨拶してこようと思ってます」

「急な話だから、先生も驚くでしょうね……でも、やっぱり励ましてくれるわよ。皆」

 はい、とハルカは笑顔で頷いた。

 図書館の入り口である。それなりに時間は経っていたのだが、カウンターではまだハルカの返却図書との奮闘が続いていた。

「ユリ、私はちょっと出てくるから、その間よろしくね。戻ってきたら、そっちも手伝うわ」

「館長ぉ~! 早く戻ってきてくださいね!」

 涙目の彼女だが、その手さばきは熟練だ。頷きながらエリシアは風の精霊を呼び出し、「ちょっと手伝ってあげて」とユリの方へ送り出した。精霊たちがユリのサポートに回ったのを確認すると、エリシアは笑顔でハルカの方へ向き直る。

「それじゃあ、行きましょうか。魔導院まで送るわよ」

「え、でも……」

「いいのいいの。私もちょうど、院長に用事があったから」

 軽くハルカの背を叩いて、エリシアは図書館を出ていく。少し遅れて続きながらも、ハルカは思わず安堵の吐息をついていた。

 親しい人と一緒なら、ひとりで歩くよりも怖くない。

 でもさ、と猫は思う。

 ……王立中央図書館の館長と一緒に歩いてたら、そっちの方が、よっぽど目立つんじゃないのかな。

 言わないが。

 埋められるのは嫌だし、それに。

 エリシアと並び、彼女を見上げながら楽しげに話すハルカには、図書館に来るまでには確かにあった、切れる寸前の糸のような危うさは感じられない。目立とうが何だろうが、エリシアがいてくれれば周りのことなど気にならないのだ。

 それならその方がいい、と猫は内心で微笑みながら、歩調を上げてハルカたちに追いつく。

 ふたりの会話が聞こえてくる。

「――そうなんですよ。そしたらこの猫、あんまりにも怖すぎて漏らしちゃって」

「あらあら」

「何の話をしてるのかなっ!」

 割り込んだ。聞き捨てならない。

 折角のセンチな気分が台無しだ。心配を返してほしい。

「それにしても、ハルカちゃんが旅に、かぁ……成長しているのねえ。ついこの間までこんなに小さかったのに」

 こんなに、とエリシアは手の幅でサイズを示す。そりゃあ、長寿族からしてみれば人間の成長は一瞬だろう。大人の時間は早く流れるとも聞くし。

「何か、役に立つもののひとつでもあげられればいいのだけれど……さすがに、咄嗟には用意できないわねえ」

「そんな、いいんです。必要なものは持ってますから」

「必要なものは……って、ハルカちゃん、見たところほとんど何も持ってないんじゃない?」

 エリシアの言う通り、ハルカの装いは簡素だ。ローブと三角帽子こそ身に着けているものの、ローブの下は平服だし、足も一般的な革サンダルだ。これからちょっと買い物へ、というのであればともかく、とても旅に出るような恰好ではない。

「で、でも非常食や魔法に使う種は持ってます!」

 ほら! とハルカは腰から提げていた包みを開いて見せる。そこには確かに、保存のきく干し魚、干し肉、水筒、薬草、数種類の植物の種が入っていた。覗き込んだエリシアは、ふむ、と頷くも、しかし表情から曇りは消えない。

「それでも少ないとは思うけれど、大荷物になりすぎてもよくないものね。でもね、ハルカちゃん……旅装は大事よ。雨風にも対応できて、長持ちするものでないと、いつでも魔法で守る、というわけにもいかないのよ?」

「あー……それは……」

 ハルカの視線が泳ぐ。まあ、そうだろう。

「ハルカはね、もともと物をほとんど持ってなくて、家にあるものをかき集めてようやくこれなんだよ。何か買おうにもお金だってほとんどないし、そもそも買い物に出られなかったんだからね。さすがに僕だって、ハルカのサイズまで把握しておつかいすることなんてできないんだから」

「ちょ、猫!」

「ハルカちゃん……」

 エリシアが何とも言えない顔になった。怒られるだろうか、とハルカは首をすくめる。が、エリシアは小さく吐息をすると精霊を呼び出した。

「――ええ、そうよ。それでお願い。よろしく伝えてね」

 どうやら誰かに伝言を持たせたらしい。誰宛なのか、その用件も明言しないが、エリシアはハルカを見て微笑んだ。

「その恰好で旅に出るのは、私の名に懸けて絶対に許さないわ」

「あう」

「まあ、待ってなさい。手は回したから。とりあえずほら、魔導院へ向かいましょう」

 いつの間にか止めていた足を、再び魔導院の方角へ向けた。まだしばらく距離はあるが、その尖塔は見えてきつつある。

「ハルカちゃんは魔導院を卒業して……一年だったかしら。でも飛び級してたわよね。今、いくつだったかしら?」

「えと……十六歳です」

「それなら、新しい世界を勉強してくるにもいい年頃なのかもしれないわね……でも、気を付けなくてはダメよ。あなたも言っていたとおり、世界にはいろいろなものがある……善い人もいれば悪い人もいる。危険もたくさんある。無闇に恐れる必要はないけれど、対策は必要。ね?」

「はい。いっぱい、勉強しました」

 ああ、と黒猫は思い出す。そういえば、ハルカが積んでいた本には魔法に関係のない本も結構あった。コミュニケーション術関係のものもそうだが、他にも『密林で生き抜くサバイバル術』『砂漠の真ん中で百五十日を生き延びるたったひとつの冴えたやり方』『猫を美味しく調理する十の方法』――

「……ハルカは一体どこへ行こうとしているのだろーか」

「非常食の知識もばっちりです!」

「あらあら、それは頼もしいわね」

「ボクたちって相棒だよねハルカ!」

 無視された。いざというときの算段はつけておこう、と黒猫は固く心に誓った。

「そうだ。ちょうどいいから、旅に役に立つ知識を授けましょう。そうね、地図はある?」

「あ、はい」

 ハルカは懐から巻物タイプの地図を取り出し、クルクルと広げた。エリシアはその地図を横から覗き込み、要所を指で示しながら、ハルカに役に立つ薬草などの自生範囲を教えていく。ハルカはそれを、黒猫からしてみれば驚くほど素直に頷きながら聞いている。黒猫は、ハルカが魔導院での講義を受けている様子を何度か見たことはあるが、ここまで真摯に聞き入っているのを見るのは珍しい。

 ……クラスメートの目がない分、素が出てるってことなのかな。

 魔導院に通っていた当時――と言っても、ハルカが実際に出席していたのは実のところ数える程度しかないのだが、その際は良くも悪くも……いや、はっきり言って悪目立ちしていたから、その好奇の視線を遮断するためにも、終始むすっとしていたのだろう。

 素のハルカは、とにかく勉強熱心なのだ。知識に貪欲であるとも言える。特別に頭がいいというわけではないけれど、一度理解して記憶したことはまず忘れない。だから、ほぼ不登校だった魔導院での成績もトップクラスだったのだ。

「ああ、そうこうしているうちに、魔導院が見えてきた」

 行先は魔導院が一角、これまた広大な敷地を有する植物園だ。


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