㉒
俺は『魔王』やそれにまつわる人たちに呪術をかけられているかもしれない。
その事実に気づいてから、呪術の本を幾つも読み漁っていた。呪術は、犯罪に使われたり、俺のように常識を改変されてしまったりした人がいて、そのことでずっと忌避されていたらしい。
流石に俺のように会ったこともない存在に『魔王』の側近だと思い込ませるような大きな呪術は本にも書いていなかった。呪術は魔法と似ているようで、違う。適性なども違うらしく、俺は呪術を使ってみようとしたけど出来なかった。
……そう考えると少しでも呪術が使えるジャンナは凄いと思う。ある程度のことが何でも出来るジャンナはやはり不思議だ。
俺は呪術を解いた方がいいのではないかという気持ちはある。だけれども、『魔王』の側近だと思い込んでいるからとああいう態度をしてきた周りの連中のことを思うと少しどうでもいい気持ちもある。――ここでの日々が穏やかで、優しいからかもしれない。
「クロ、今日は何を食べたい?」
「ジャンナの作るものは何でもおいしいからなんでもいい」
「ありがとう。美味しいと思ってくれているのね。嬉しいわ」
ジャンナは一心に呪術の本を読む俺に何も言わない。何も聞かない。それ俺に興味がないとかではなく、俺に対する優しさからだと分かる。
「ジャンナは料理が得意だよな。どうやって学んだんだ?」
「そうね。生まれ育った村で習ったのと、侍女たちから習ったのと、あとは一人暮らしで学んだことぐらいね。そう考えれば私は習ってばっかりね」
「侍女?」
「あー、えっと、ちょっとそういう機会があったのよ。侍女とかと接する機会が」
ふと問いかけてしまった言葉から、ジャンナが侍女と接する機会があったことを知って、不思議な気持ちになった。
庶民には侍女なんてつかない。侍女を雇えるのは裕福な家だけだ。
ジャンナはやっぱり、そういう立場の人間だったのだろう。でもならば、どうしてこんなところに一人で住んでいるのだろうか。元貴族とかなのだろうか。この大きな家や設備や、魔法具などもその家から与えられたものなのだろうか。
……俺は自分の事を語る気はなく、ジャンナの事を詳しく聞く気もない。だけれど、ジャンナに興味を持ってしまっている。
でもそれを互いに聞いてしまえば、俺とジャンナの穏やかな空間が壊れてしまう気もした。
「ねぇ、クロ。私、クロと一緒にいるの、楽しいわ」
ジャンナは心からそう思っているとでもいうような笑顔で言った。そんな風に真っ直ぐに、本心からの言葉をかけられると恥ずかしくなった。
「……俺も、ジャンナと過ごすのは、楽しい」
俺がそう言えば、ジャンナは微笑んで、俺の頭を優しく撫でた。
その優しい撫で方が俺には心地よかった。
だけど、ただ穏やかに、優しい日々を暮らせていたとしても俺は『魔王』の側近だと言われている存在で、ジャンナだってこんなところに一人で暮らしている訳アリな存在だった。
――ただのんびりと過ごした数か月。夢のように穏やかで、優しい時間だった。
そんな中で、その日は訪れた。
「クロ、今日はどうする?」
「そうだな、今日は森の方に――」
いつものように訓練を終えて、朝食を食べていた時のことだ。
気配がして、俺は扉の方を警戒したように見る。
「誰か来る」
ジャンナと過ごしていて、誰かが訪れるのは初めてだった。
まさか、ジャンナが俺を引き渡すために呼んだのだろうかとジャンナを見る。ジャンナがそんなことをする人ではないと心のどこかでは思っている。だけれどもジャンナのことを完全に信用出来ていないのだ。
「クロ、隠れて」
難しい顔をしたジャンナは、ただそう言った。
「私への来訪者だと思う。もしクロを探しに来たっていうなら、私を人質にしてでも逃げなさい」
自分への来訪者だといって、顔を強張らせている。
今まで優しく笑っていたジャンナに、そういう顔をさせるような存在がやってきたということだろうか。この表情を見ていると、ジャンナが俺を引き渡そうとなんてしていないように思える。
でも……実際にどうなのかは分からない。けれど俺はただ頷いた。




