⑩
夢を見ていた。
俺が平穏を感じていた頃の、何気ない日常の夢を。仲間たちと笑いあい、エレファーと過ごした穏やかな日々。
ああ、『魔王』の側近などと言われて、この身を追われていたことは夢だったのだと俺は安堵する。
「なぁ、エレファー」
俺はエレファーの名を呼ぶ。
俺が名前を呼べば、エレファーは驚くほどに嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「俺は夢を見ていたんだ」
「夢?」
「ああ。『魔王』の側近だなんて言われて、誰も話を聞いてくれない夢だ」
騎士として名を広めていた俺が『魔王』の側近だと言われて、誰からも話を聞いてもらえないなんて……現実的ではないのに。俺はそう言う夢を見ていた。
――そんなことありえないのに。
そう思っていたら、目の前のエレファーの顔が歪んだ。
「『魔王』の側近――その通りでしょう?」
歪んだ顔――真っ黒に染まった顔が、口を開く。
場面は気づけば変わる。
「『魔王』の側近が汚らわしい!!」
「『魔王』の側近だ!!」
気づけば俺はおわれていた。そして魔法の攻撃を受けて倒れこむ。そして俺を覗き込む、誰か――。
はっとなって、目を開く。
そして俺の顔を覗き込んでいた存在を、力任せに手を掴み、押さえつけた。
そこまでやってようやく――俺は俺が押さえつけた存在を見る。
栗色の髪の女性――ああ、ジャンナだ。
「……ジャンナ?」
俺がベッドに押さえつけていたのはジャンナだった。眠気から覚めたばかりの頭はぼーっとしていたが、ジャンナを見てはっとなる。
そして慌てて拘束を外した。
俺は……昔の夢を見ていたのだ。平和だった頃の夢。それでいてそれが現実だと思い込みたかったのか、そういう夢を見ていた。そして『魔王』の側近だとして追われることを思い出してしまったのだ。
「すまん」
俺はそう口にする。
流石にこんな風に寝ぼけているからとはいえ、押さえつけられればジャンナも恐怖するだろう。
そう思ったのに――、ジャンナは笑うんだ。
「大丈夫。寝ぼけていたの? 気にしなくていいわ。クロは私をどうこうしようという気はないでしょう?」
そういうジャンナをぽかんとしてみてしまう。
何でジャンナは俺に怯えないのだろうか。
何でジャンナは俺を追い出さないのだろうか。
何でジャンナは俺に優しく笑いかけるのだろうか。
何もかも不思議で、分からない。
普通に考えて自分よりも背が高くて、自分よりも力の強い男に押さえつけられれば恐怖するのが当然だ。しかも出会ってそんなに経っていなくて。俺は『魔王』の側近なんて言われる男なのに。
悪気がなかったとしても、ふとした時に押さえつけられ――下手したら俺がジャンナの命を脅かすことだってあるだろうに。眠っている時に顔を覗き込んだからなんて些細な理由で。
今の俺みたいなやつが周りにいれば、俺は近づかなかったかもしれない。少なくともこんな風に、ジャンナみたいに、全てを慈しむような優しい笑みは浮かべられなかっただろう。
――どうして、ジャンナはそんなに優しいのか。
そう問いかけそうになって、口を閉じる。ジャンナの事情は聴かないと決めたばかりなのに、その笑みを見ると、近づきたくなってしまった。
……これが俺と敵対している連中によるトラップだったのならば、それを考えた相手と、演技でこんな優しい笑みを浮かべるジャンナを敵ながら称賛してしまうかもしれない。
そんなことを考えていればジャンナが口を開く。
「……クロ、王都から帰ってきたから料理作るわね」
俺の様子がおかしいのも分かっているだろうに、ジャンナは俺に何も聞かない。
「うん……おかえり」
俺はそんなジャンナを見て、思わず“おかえり”なんて口にしてしまうのだった。




