⑥
「クロ、おはよう」
「……おはよう」
――俺には目の前のジャンナが何を考えているか分からない。
どうして俺を『魔王』の側近だと思っているのに、俺にこれだけ優しい笑みを浮かべるのだろうか。
婚約者だったエレファーとはまた違う笑みだ。エレファーの笑みは、年相応の明るい笑みだった。
――ジャンナの笑みは、大人の、優しい笑みだ。何だろう、俺のことを『魔王』の側近だということを知っていたとしても、俺をただの少年として対応しているというか、そんな感じに見えた。
そもそも国の騎士として活躍していた俺にこんな風に接する人なんていなかった。だから余計に不思議だった。
俺は相手を守る側だった。そんな俺をまるで慈しむように見るジャンナ。例えば、俺が今の状況になっていなかったとしても、俺はジャンナに出会っていたら戸惑っていたかもしれない。
まぁ、そもそもこんなことにならなければこんな場所で暮らしているジャンナに会うこともなかっただろうけれど。
「ねぇ、クロは今日は何をしたいとかある? 外に出るのは今はやめた方がいいなら、家で出来ることかな」
「……何もない」
二人分の食事をジャンナは作り、俺に食べさせてくれる。ジャンナは俺に何かを強要することはない。ただ俺を同居者として、優しく笑っているだけだ。
――したいことがあるか。
そう問いかけられても思い浮かべられなかった。あの日以来、俺にとってそんなこと考える暇なんて全くなかったから。
だから何をしたらいいのか分からなかった。何かしたいということも考えた事がなかった。
この穏やかな状況が夢のように思えて、実感も湧かない。
実感も湧かないから、俺は何もないとしか答えられない。
――そして俺が今まで何をしたいと思って、どんな風に行動していたのか、そういうのも思い出せなくなっている。二年間の間で、俺はそんな風に考えてしまっていた。
「そうなのね。まぁ、好きにしてくれたらいいわ。でももし気が向いたら一緒に錬金とか料理とかしてくれない? 気が向いたらでいいんだけど……」
「そのくらいなら、言われたらやる」
俺の言葉を聞いてもただ微笑んでいる。ジャンナの態度は、俺がどういう態度でも変わらない。
ジャンナがどうしてそんな風なのか……それは少しだけ気になった。ジャンナは今まであった人たちとは、何だか違う雰囲気がある気がする。
「クロ、これをやってもらってもいい?」
「……ああ」
「ねぇ、クロは――」
「……ああ」
俺はジャンナの言葉にただ頷くだけだった。ジャンナに言われたことはこなしていたけれど、それ以外はただ息をしているだけで……俺はそこで生活をしていた。それでもやっぱりジャンナはいつでも微笑んでいる。
ジャンナと一緒に錬金も行った。
驚いたことにジャンナの錬金の腕は良かった。これだけ錬金の腕が良ければ、もっと良い所に住めるのではないかとそんな風に思った。
何故こんなところでジャンナは一人で生きているのだろうか。
此処で生活をしてみて分かったけれど、ジャンナの家は不自然に魔法具などが揃っていて、魔物除けも十分にある。この場は誰かがなにかの目的で、作られているのだろう。そもそもこういう家に住んでいる時点で、ジャンナだってもしかしたら特別な人なのかもしれない。……元々この家がジャンナのために作られたのならばだけど。
けど、俺はそのことをジャンナには聞かなかった。俺も自分のことは話したくないし、此処にいるのはただの成り行きで、ジャンナと近づく気もないから。
俺が何を聞かなくても、俺が何も話さなくても――ジャンナはいつも通り過ごしている。
「じゃあ、クロ、少し休みましょうか。私も休むから」
「ああ」
ジャンナは俺を一つの部屋へと案内する。
それは俺が最初に寝かされていた部屋である。此処が俺の部屋として与えられている。……本当に、ジャンナはよく分からない。
「ねぇ、クロ、何が食べたい?」
「……なんでもいい」
ジャンナは本当に、ただ当然のように俺に笑いかける。
――それが本当に不思議で、意味が分からない。
「美味しいもの作るからね」
その穏やかな笑みは、俺を戸惑わせるには十分だった。




