9 ある意味、ローウェル ルートより怖い
「お父さん!!」
それどころではないフィオーレンは、父親に詰め寄った。しかし、イスに座っている父親ミュスエルは、長い足を組みほのほのしている。
「お父さん!!」
何故に慌てて帰って来た娘に、何も訊かないのか。
「フィオちゃん、おかえりなさいは?」
「お父さん!! それどこ……。」
「おかえりなさいは?」
「…………お、おかえりなさい。」
フィオーレンはほのほのしている父に負けた。言わなければ、話が先に進みそうにないからだ。
「親父、それどころじゃねぇって!!」
後から入ってきたケインが、暢気にしているミュスエルに言う。
そう、大事な話があるからだ。
「おかえりなさい……は?」
ケインには、にこやかに微笑みながらも強めに言った。
「おかえり!! ってか、それどころじゃねぇって!!」
こういう時の父は、実に面倒くさいので逆らわず、挨拶を返しておく。言わなければ言うまで待とう……が父親ミュスエルだ。
「お父さん、ちょっと忙しいのだけど?」
「「なんか、ローウェル ルートに入ってたんだけど!?」」
姉弟はそれどころではないので、父の話を流して言った。
「…………っ。」
その瞬間、父ミュスエルは、ものすごく嬉しそうに、キラキラと瞳を輝かせた。
「「……なに、そのカオ。マジでムカつく。」」
そのカオにイラっとした姉弟は言った。なんだか嬉しそうにしているからだ。人の気もしらないで。人の不幸がそんなに楽しいのか。
「そうか、そうか!! 頑張るんだよ? フィオちゃん!!」
さらに嬉しそうにするとミュスエルは、女子みたいに小さく胸の前で、両手で拳を作って見せる。父親としてどうなのか……と色々な意味を込めて言いたい。
「……頑張る気なんてないけど?」
身の危険がわかっているのに、頑張るんだよって……父親としてどうなのかな? バカなのかな?
頑張ってどうにかなるのなら、今ごろ、アレン皇子と上手くいってるハズですが?
「せっかく、入ったんだし、ファイト!!」
せっかくもクソもないし、ファイトとか云う場合ではないんだけど? バットエンドしか見えないのですが?
「「…………リセットして。」」
姉弟は、そんな父親を半目で見ながら言った。ファイトとか頑張れとか、そう云うレベルではない。生命の危機だと言っている。
「え~~~~~~っ?」
ものすごく、ものすご~~くイヤそうな顔をした。娘の危険がわかっての、ブーイング。マジでありえない。
何度もやり直しているから、頭がおかしくなったのかな。
「私、さっき拐われそうになったんだけど?」
令嬢だと思って、少数だったから良かったものの、大人数で来られたら、ケインがいたとしてもどうなっていたことやら。
「………………っ!」
なのに、父ミュスエルはさらに、恍惚したカオをした。
「ねぇ……わ・た・し、拐われそうになったんだけど?」
イラっとしながらも、もう一度詰め寄り念を押す。可愛いかはともかくとしても、娘が危険な目に合う事がわかっての仕打ちなのか。
「ほら、そこは拐われとかなきゃ!」
と手をポンと叩く。
「「…………アホか!!」」
そんな問題発言をする父親があるか!?
拐われとけって何!?
「だって、ローウェルくん、助けに来てくれるよ?…………。」
「ねぇ。クエスチョンの後の"間"は何?」
非常に気になる。
「来てくれるよ?」
「「なぜ2度言った。」」
「…………ほら、お父さん、忙しいからね?」
誤魔化す様に、二人を追い出しにかかる父親に、二人は詰め寄る。ローウェル ルートはゲームで、やった事がないフィオーレンは特に気になった。大体、乙女ゲームとはチョイチョイ違う。その違う、この世界で拐われた時、果たしてローウェルは助けに来てくれるのだろうか。
「「……リセット!!」」
もう一度言った。ゲームではないのだから、危険なルートをあえて進む意味がわからない。死んだら終わりだ。
「……ちょっと、意味がわからないんですけど?」
なおも、にこやかにすっとぼける父。
「…………っ!」
だが何かに気がつくと、みるみるうちに顔色が変わっていた。父の、そのただならぬ様子に、二人もまたゾクリと背筋が凍る。
背後から異様な冷気を感じ、絶対に見てはいけないと、その気配から二人は目を反らした。
そう、一番逆らってはいけない、ラスボスが来たからだ。
「…………どうしたのかな?」
ミュスエルはそのボスに、ニッコリと微笑んでみせた。
「……ねぇ……お父さん……? フィオちゃんが拐われかけたって、聞こえたのだけど……?」
ラスボス……それすなわち、母親である。
クールビューティーと云う言葉が、良くお似合いでいらっしゃる。我が母にして、元隣国の皇女。色々な意味で逆らってはいけない、最重要人物である。
「…………あ……え、えっと。」
王宮では、泣く子も黙る宰相様も、この家ではただの人。
ラスボス登場で、父はみるみるうちに、カオが土色に変わった。
そう、蒼白ではなく、土色である。
「……リセット……しましょうか?」
冷たく、しかし美しく微笑む母。氷の女王である。
「…………。」
だが、リセットしたくない父は、顔をそらした。
「……しましょうね?」
そんな父に母は、さらに深い深い微笑みを浮かべ言った。
「……はい……。」
諦めたのかしゅんとすると、小さく小さく蚊の鳴く様な声で頷いた。氷の女王……魔王に逆らえないのは、別に父に限ってではない。
この屋敷で、王宮で、何人の人間が逆らえる事ができるのか。
その後、しばらく……父親ミュスエルの姿を見た者はいなかった。




