17 気づかなければよかった
「……なっ!? やっ……!!」
フィオーレンは、引き寄せられたその手から、逃げようと暴れた。だが、男の手は腰にあり、びくともしない。
「離してっ……!!」
と、なおも暴れるフィオーレンの顔を、その男は自分の胸に押し付けた。まったく微動だにしない男に、何も出来ない自分に苛立ちながらも、ふと気づいた。
……拐うつもりではない? フィオーレンは直感的にだが、そう思った。
拐うつもりなら、さっさと裏路地に連れ去るか、馬車に押し込めばいい。暴漢魔にしても同じだ。
なのに、この男は胸に顔を押し付け"何か"から、守っている様な気がしてならない。
フィオーレンは、身をよじり、腕の隙間から何があるのか……と、見た。わずかにだが、隙間から何が見えた。
「…………っ!!」
その瞬間、フィオーレンは無意識に、自分を抱き寄せていた男の服をぎゅっと、掴んでいた。しらずしらずにその手に力が入る。
「……見た……のか。」
その男は、ひどく悲しそうに呟いていた。自分とは関係などないだろうに、優しく慰める様にもとれる言い方だった。
「…………。」
フィオーレンは、頷く代わりに、男の服をさらにぎゅっと握っていた。
フィオーレンは何件か先、アクセサリーを売っている店先に、二人の人影を見たのだ。
一人は、金髪でスラリした体躯の……良く知った男。
そしてもう一人は、その男の胸に顔を寄せ微笑む、ピンク色の髪をなびかせた少女だった。
……婚約者のアレン皇子とキャスリン。
遠目でもわかる。ピンク色の髪なんてこの世に、二人といない。
金髪がアレンなのは、フィオーレンなら見間違えたりしない。
……だって……。
……だって……好きな人……だから……。
「…………っ。」
フィオーレンは、この時、初めて自分の気持ちに気づいた。
気づいてしまった。
彼を、こんなにも……好きになっていた事に……。
「……あいつは、やめておけ……フィオーレン。」
何故あなたが、そんな事を言うの? あなたは誰なの?
目深に被る黒いローブの影からは、優しく自分を見つめる、蒼い瞳がチラリと見えるだけだった。
強く抱き寄せていた男の手は、いつの間にかフィオーレンの頬を伝う涙を優しく拭う。
フィオーレンは、泣いていた。
「…………。」
フィオーレンは、涙を拭うその優しく暖かい手を払う事が出来なかった。
いつものフィーオレンなら、知らない男の手など振り払うし、蹴り倒したかもしれない。
だが、今は出来なかった。
その手が、指が暖かくて、優しくて、どうしても振り払えなかった。
「…………っ。」
そんな、涙に濡れる瞳に、優しいキスが降ってきた。
「フィオーレン……。」
男が何かを言いかけた時、ここへ向かう誰かの足音がした。
それは、次第に近づいている様だった。
その音に男は気づくと、さらにフードを目深に被り、フィオーレンの髪を名残おしそうに触れ、風の様に去っていったのだった。
「……姉ちゃん……?」
男が去ると入れ代わる様に、弟ケインが目の前にいた。
「……姉ちゃん……泣いて……何があったんだ!?」
フィオーレンの頬に、まだ新しい涙の後と、目が赤い事に気づいた様だった。
「何も……何も、ないよ……。」
もう渇いてしまった涙の後を、フィオーレンは笑いながら拭った。
何もない……。
そう、だって……何も起きてはいないのだ。
「姉ちゃん……。」
そんなフィオーレンを、ケインは何も言わずに優しく抱き締めた。何があったに違いない。だが、聞かないで欲しいのなら訊くべきではないと、ただ、抱き締めたのだった。




