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 わぁわぁと、無責任に囃し立てる野次と歓声が降り注ぐ。


「臓物撒き散らして死ね!」

「殺せ! 腐れ貴族なんざぶっ殺しちまえ!」

 

 まぁ中には、野次のレベルを越えて罵声を浴びせ掛けて来る者も混じっているが、それも含めて僕はこの場所、円形闘技場が嫌いじゃない。

 何故ならここには、剣闘士の血や汗が染み込んだ土の下には、欲望、絶望、希望の全てがごちゃ混ぜになって埋まってる。

 それこそ、そのおこぼれを浅ましく啜るだけで、僕の目的が達成できる程に。


 ……と、少し物思いに耽っていたら、ワァと歓声が一際大きくなった。

 どうやら今日の仕事相手が到着したらしい。

 そろそろ頭を仕事用に切り替えるとしよう。


「ハッ、逃げ出さずに私の前に現れるとは、卑しい蛮族にも最低限の勇気はあったらしい」

 鼻を鳴らし、現れた若い剣闘士、名前は確か……アペリアを嘲る。

 尤もそんな風に言ってはみても、アペリア君は剣奴なので試合から逃げるなんて事は最初から許されてないのだが。

 彼の濃い茶色の髪と褐色の肌は南方に住む蛮族、ミダールの民である証だ。

 以前はとても珍しかったが、ここ十年程で随分と数が増えたらしい。

 勿論蛮族達が自分の意思でやって来ている訳じゃなく、帝国の南方での戦争が順調であるが故、奴隷として連れて来られているだけなのだけれども。


 僕に蛮族よばわりをされ、アペリアが僅かに眉根を寄せる。

 激昂したりはしないけれど、まだ多少自分の立場を割り切れていない様だ。

 煽った私が言うのも何だが、あまり良い事ではなかった。

 あの程度の言葉に感情が揺らぐ様では、上に進んだ時の揺さぶりには到底耐えられないだろう。

 剣闘士なのだから、馬鹿にされようが貶されようが、そんな物は無視してしまえば良い。

 口で何を言われようと、剣闘士の価値を決めるのは実力と結果だけなのだ。


 構えを取るアペリアの武器を握った手に、必要以上の力が籠っているのを見て、僕は口元を歪めて嗤う。

 出来る限りいやらしい笑みに見える様に。

「さぁ掛かってこい薄汚い奴隷め。この帝国貴族、ルッケル・ファウターシュ男爵が、貴様に身の程を教えてやろう!」



「クゥォォォォッ!」

 裂帛の気迫と共に長剣を振うアペリア。

 踏み込みも剣速も、下級の剣闘士としては抜群に速かった。

 以前に戦いを観戦した時よりも更に速くなっているから、恐らく死なぬ為に必死に努力を積み重ねているのだろう。

 才能と、力への渇望、死への恐怖を併せ持つ彼は、一流の剣闘士になれる素材だ。

 ……でもまだまだ甘い。


「このイノシシめ。何の工夫もない剣が私に通用すると思うな!」

 私はバックラーで振り下ろされた長剣の腹を叩き、体勢を崩したアペリアの脇腹を短めの直剣、グラディウスで浅く切り裂く。

 傷口から血飛沫が舞って、周囲の歓声が一層強まる。

 直径が三十センチ程しかない小型の盾は、矢を防ぐと言う盾にとって最も大事な役割は全く果たしてくれないが、そんな代物でもこう言った闘技場でなら割合に使い勝手は悪くはなかった。


 アペリアは確かに一流の剣闘士になれる素質があるが、しかし幾ら素材が良くても、否、素材が良いからこそ、もっと狡猾に冷静に戦い方を知らねば上級には到底至れない。

 剣闘士としての位が上級になれば、例え剣奴であっても自由民になれるし、それなりの財産だって築けるだろう。

 しかしだからこそ、上級の剣闘士への道は険しく、素材が良質であればあるほどに、どんな手を使ってでも引き摺り落とそうとする者も増えるのだ。

 けれども剣奴の主人、興行師からしてみれば、折角上級にも至れるであろう素材を手に入れたのなら、中途半端な所でこけてしまわれるのは損となる。

 故に良質な剣闘士が勢いだけで下級を抜けてしまわぬ様に敗北や挫折の味を教え、底へと追い返してしまうのが、この闘技場の悪役であり、中級への壁でもある僕の仕事だった。



 剣に自信があり、剣闘士を相手にその腕前を見せ付けて悦に浸る嫌味な貴族。

 それが僕に与えられた設定だ。

 上半身は裸で量産品の武器のみを手に戦う剣奴に比べれば、僕は服の下に鎖帷子さえ着込んでる。

 つまり全く以ってフェアではなく、更に身分が貴族ともくれば、観客や剣闘士から嫌われる要素には事欠かない。

 でもそうやって嫌われるからこそ、悪役として場を盛り上げるには最適だった。


 僕が勝てば観客は鬱憤を溜め、その鬱憤を晴らす為に後の試合がヒートアップするだろう。

 僕が負ければ、貴族の負ける姿が見れたと観客達は大喜びだ。


 帝国でなくとも、大体の国では貴族を騙る事は重大な罪となるけれど、この僕、ルッケル・ファウターシュ男爵は、本当にれっきとした貴族である。

 まぁ決して設定通りに悦に浸る為に剣闘士の真似事をしてる訳ではないけれど、この身分の御蔭で僕は闘技場を取り巻く欲望のおこぼれに与れていた。

 


 闇雲に剣を振り回しても僕に通じないと理解したアペリアは、多少の工夫を試みはしたが、所詮は付け焼刃でしかない。

 寧ろ慣れぬ工夫により早く体力を失い、動きが鈍り出していた。

 今回はこれ位で良いだろう。

 僕は動きの鈍ったアペリアの顎を盾で殴り付けると、意識が飛んで後ろに倒れる彼の胸を、浅く広くグラディウスで切り裂く。

 傷口は大きく、出血も多く、けれども命に別状がない程度に。


 倒れて動かなくなったアペリアに、婦人の形ばかりの悲鳴や、観客の興奮した歓声、罵声が降り注ぐ。

 殺せとの声も混じっているが、ふざけるなって話だ。

 素質ある剣奴が最終的には何枚の金貨を稼ぐ存在になるのか、ちゃんと理解してから言って欲しい。


「つまらん。この程度か。まぁ私の相手ではなかったな」

 グラディウスを振って血を払い、カラカラと笑いながらゲートを潜って退場する。

 こんな風には言ってるけれど、次にアペリアが挑んで来たら、地に転がるのは僕の番だ。

 彼の資質なら、その日は然程遠くないだろう。


 勿論、中級への壁は僕以外にも何人かいるから、彼と再び対戦するかどうかは興行師の考え次第だけれども。



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