勉強が好きすぎてツラい。
「さすがに、やべえよな」
夕日が射し込む放課後の教室。
部活を終えた生徒達が帰る頃、奥田 仁はただ一人机につっぷしていた。
そんな彼の手にはしわくちゃになったテスト用紙と、学年順位の書かれた再生紙が握られている。
「くっそー、今回は頑張ったはずなんだよ…なんで軒並み10点とか20点になるかな…」
ほとんどバツのつけられた答案を見て、これを母親に見せたらどうなるだろうと考えてみる。
いや、考えるまでもない。いつものように涙目で叱られた後にまた次頑張りなさいと言われるに決まっている。
と言われてもここまで成果が伴わないと、やる気もなくなってしまうというものだ。
はぁとため息をつく仁に追い打ちをかけるように、最終下校時刻を告げる鐘が鳴る。
仕方なく仁は、とぼとぼと重い足を引きずって帰路についた。
「ただいまー…」
仁が憂鬱な気分で家の扉を開くと、玄関で母親が期待と不安の入り混じった表情で待ち構えていた。
別に珍しいことじゃない。テストの返ってくる日は決まっていつもこうだ。
「あー、今見せるよ」
そんな母を悲しませてしまうのが忍びなくて、顔をそらしながら答案を手渡そうとする仁。
しかしそのテスト用紙は、後ろからひょいと伸びた手に取り上げられた。
「…ふむ、想像以上に勉強が苦手のようですね。これを伸ばすとなると骨が折れそうです。」
驚いて仁はばっと後方を振り返る。そこには、ぱらぱらと答案をめくりため息をつく女性の姿があった。
一体誰だ、という疑問が喉元まで出かかる。ただその声が詰まってしまうほど、仁の脳内は一瞬で感動に埋めつくされた。
(なんて、綺麗な人なんだ…)
きめ細かく絹のような黒髪。
透き通って知性を感じさせるような碧眼。
スレンダーな肢体は黒のトップスとジーンズによってより強調されている。
「仁、こちら家庭教師の綾水 麗子さんよ。挨拶して」
「か、家庭教師?」
「その通りです仁くん。これから世界史を教えさせてもらいますので、よろしくお願いします」
そう言うと麗子さんは、ぴしっと引き締まった姿で頭を下げる。思わずこちらもつられてお辞儀で返した。
「では、先に部屋に上がらせてもらいますね。準備もありますので」
麗子さんが教材を抱えて2階にある自分の部屋へ向かったのを確認して、仁は夕飯を用意しに台所へ行こうとする母親に耳打ちして質問した。
「母さん、だ、誰あの人?家庭教師なんて聞いてないんだけど」
「どうせ、あなた今回の成績も悪かったんでしょ。仕方ないから家庭教師さんを呼ぶことにしたのよ、お父さんにも許可はとってあるから」
淡々と告げる母に戸惑いながらも、早く行かなくては先生を待たせてしまうことになる。驚きを飲み込んで、仁は急いで階段を駆け上った。
自室の扉を開くと、すでに麗子さんはプリントやペンを机に用意して仁を待っている様子だった。
なぜだろう、何も変わっていないはずなのに部屋がいつもより華やかに見える。
「準備はできましたか、仁くん」
「あ、は、はい」
「それでは…いきなり授業というのもなんなので、改めて自己紹介からはじめましょうか。私のことは麗子先生と呼んでください」
緊張を解かせようとしてくれているのだろうか、言葉を詰まらせる仁に麗子先生は微笑みかけながら話かけてくれた。
「私は仁くんより3歳年上の、大学2年生です。ここの近くの慶京大学に通っているので、質問があれば会いに来てください」
「慶京ですか、すごいですね」
慶京といえば、私立大学の中でもトップの超有名校である。今の仁には、慶京大生は雲の上の存在だ。
「入りたいなら、仁くんでも入学できますよ。そのためにも、まずは勉強しましょうか」
先生のおかげで打ち解けた雰囲気の中、1時間半の授業が始まる。
勉強のつらさなど忘れさせるほどの充実した鮮やかな時間は、あっという間に過ぎ去った。
「…お、もう時間ですね。では仁くん、来週までに宿題やってきてくださいね」
「はい、ありがとうございました」
「ふふっ、お疲れさまでした」
甘い香りを残して麗子さんはぱたん、と扉を閉める。授業が終わり、仁は安堵してベッドに倒れこんだ。
「また、会いたいな…」
さっき別れたばかりだというのに、もうそんな言葉がこぼれ出す。
(とりあえず、次までにドーナツでも用意しておかなきゃな)
そう決意し、帰っていく麗子先生を窓から見送った。