002:空席
翌日。
「じゃあ、呼んだら入ってきてくれる?」
「はい」
一足先に教室に入っていく漆原先生の背中を見つめる。
「席つけー」
ざわついていた教室は漆原先生の一声で静まり、そして一瞬だけドア越しに先生と目があった。
「急だか今日からこのクラスに転入生がくる。じゃあ入れー」
「失礼します」
開いたドアから足を踏み入れ教卓の横に立つと、これからクラスメイトとなる人達を視界に入れる。その顔は、誰一人欠けることなく好奇心に満ちていた。
「知ってるやつがいるかもしれないが、成績優秀者特別枠で転入した、東條月渚さんだ」
「はじめまして。これからよろしくお願いします」
「じゃあ、東條は窓側の一番後ろの席な」
「わかりました」
指定された席へ向かうと、右隣は空席、そして前の席には他の女子とは比べ物にならないぐらいの美人が座っている。彼女の意識は既に教卓の先生にあるようで、私には一切見向きもしなかった。
けれど朝礼が終わると突然、前の席の美人が振り返った。
「ねぇあんた」
「...はい」
美人に似つかわしくない言葉遣いに驚きながらもそれに応える。
「転入試験、満点だったんだって?」
「え、あ、はい」
「へぇ、すごいね」
ふわっと笑った彼女の顔からは嫌みが一切感じ取れない。ただ純粋にそう思ってくれているようで、ただただ綺麗だった。
「あなたの笑顔、綺麗ね」
「そう?ありがとう。そういうあんたは笑わないね」
「そう、かな」
全てを見透かすような視線に内心ドキリとするが、それは一瞬のことですぐに柔らかいものへと変わる。
「私、西園寺胡桃。よろしくね」
「あ、私は」
「知ってる。東條月渚でしょ?月渚って呼んでいい?」
「あ、うん」
「私のことも胡桃って呼んで」
「わかった」
それだけ言うと、言いたいことを言い終えて満足したのか、胡桃はさっさと前を向いてしまった。
しばらくすると1限目の授業の先生が教室に入ってくる。どうやら世界史の授業のようだ。
ふと、隣の席に顔を向ける。
まるで空席なのが当たり前かのように、誰もが見向きもしなければ、先生もしかりだ。少しの違和感を覚えながらも、教科書を開く。
「まぁ、開いたところで変わりないけど」
「なんか言った?」
「ううん、なんでもない」
先生の声をBGMにしながら、ぱらぱらと教科書をめくる。板書をするチョークの音と、ノートを取るペンの音が耳に心地よい。
さすが名門校なだけあるようで、皆真剣に授業を聞いている。
私は教科書を閉じ、窓の外へと視線を移す。それは泣きたくなるような、清々しいまでの青一色だった。
午前の授業が終わり、胡桃がくるっと後ろを振り返る。
「ねぇ、お昼一緒に食べに行かない?」
「え、私?」
「あんた以外に誰がいるのよ。それに、月渚転校してきたばっかりなんだから食堂の使い方とかわからないでしょ?私が教えてあげる」
胡桃はさも当然のように私の腕を掴んで立ち上がらせる。
「どうせ私いつも1人でご飯食べてたから」
「えっそうなの?」
...意外だった。
今までの胡桃の私への言動からすれば、さばさばしてるけど面倒見のある、友人の多そうなタイプのはずだ。
「ここは各界の有力者の子息が通う特殊な学校。だからこそここを繋がりを作る絶好の場だと考えてるやつも多い。私は、教育の場に私情を持ち込むのは嫌いだし、何より上辺だけの友人なんていらないから」
はっきりと自分の意見を言う胡桃の横顔は強くて美しい。一瞬、ほんの一瞬だけ、その姿があの人と被る。
「胡桃はどこかの令嬢なの?」
「西園寺グループよ」
西園寺グループは確か、老舗呉服屋だった西園寺呉服屋が事業拡大をして、今や日本のアパレル業界のトップに君臨するグループだ。最近では大手コスメ関連の会社を買収して更に事業拡大をはかっていると聞いた気がする。
「ふーん。そうなんだ」
「やっぱりね」
「え?」
「私あんたを見たときから、あんたなら友達になれそうな気がしてた」
思わぬ発言に私は目を見開いた。そんな私をみて胡桃は可笑しそうに笑う。
「どうして私なの?」
「気付かない?あんたは私を西園寺の令嬢だと知っても態度が変わらなかった」
「あ...」
そういうことか。
何としても繋がりを持ちたい人間なら何らかのアクションを起こす。でも、私はそれをしなかった。
「でも、それも作戦のひとつかもしれないとは思わないの?」
「私だってそれなりの場数を踏んできた。そういう人間かそうでないかは何となくわかるわ。まぁ、それであんたがそっちの人間だったら私の見る目がなかったってことね」
そんな話をしているうちにいつの間にか食堂に着いていた。人は多いけれど話し声はとても静かで、クラシックが穏やかに流れている。さながら高級レストランといったところか。
「とにかく、私は私の勘を信じてる。だからこれからよろしくね」
差し出された右手に応えるべきか理性が私に訴えかける。けれど私の本能は、無意識にその右手を取っていた。
「よろしくね、胡桃」
そう言えば、胡桃は嬉しそうに笑った。
「じゃあ席に着こう。今日はAランチがオススメね」
「そうなの?じゃあ私もそうする」
席に着くと直ぐにボーイが来て、胡桃はそれに対してスマートに注文を済ませた。それを眺めていてふとあることを思い出した。
「ねぇ胡桃、ひとつ聞いても良い?」
「なに?」
「私の隣の席の人って今日は休みなの?」
「いや、学校にはいるよ」
「...ん?」
「まぁいずれ会えるよ」
「そっか」
そうこうしているうちに、オードブルが運ばれてくる。単なる前菜にこれほどのクオリティを出しているとは、もはや高級レストラン以上だ。
「...すごいね」
「まぁ、楠藤学園だからね」
胡桃に倣い、外側のカトラリーに手を伸ばす。
ランチの凄さにただただ驚いていた私には、まさか隣の席の生徒が私の運命に大きく関わってくるなんて知る由もなかった。