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陽姫の涙  作者: Stella
第1章
2/3

001:転校


2時58分を示す腕時計に歩みを止めて、視線を上げる。目の前には理事長室と書かれたドア。


「はぁ」


頭がズキズキと痛む。今日に限って朝から体調が悪いのだから、やっぱり来るべきじゃなかったのだろう。私の身体はいつだって正直だ。今日も、そしてあの時も...。

ふたたび視線を落とすと、時計はすでに3時を示していた。


「仕方ない、か」


意を決して私の行く手を塞いでいるドアをたたくと、中から“どうぞ”という声が聞こえた。


「失礼します」


ドアノブを回そうとするが、震えて思うようにいかない。ギュっと拳を握り緊張を抑え、そして再びドアノブを握りしめた。


「ようこそ、楠藤学園へ」


中で私を待っていたのは、楠藤学園の理事長、東條修司。

長めの黒髪で、横に流された前髪。その前髪から見え隠れする柔らかい瞳。きちっと着こなされたスーツには、上品さが感じられる。さすがは有名私立の理事長というべきか、眼鏡を指で押す仕草さえも美しい。


「急に呼びだしてごめんね」


彼は申し訳なさそうに私を覗き込む。その仕草に、思わず“大丈夫です”と言ってしまう。本当は大丈夫なんかじゃない、と、そう言えたならどんなに楽だろうか。

そんな私に構いもせず、目の前の理事長は声を落として話し始める。


「実は、君に話しておきたいことがあるんだ」


理事長の言いたいことは分かり切っている。それを聞いたところで私にはどうすることもできないが。


「あのね、「プルルルル..」


彼の言葉を塞ぐように電話の音が鳴り響く。


”ちょっと待ってて”


そう手で合図して席を立つ。胸ポケットから携帯を取り出し、彼は誰かと話し始めた。目のやり場に困った私は、窓の外に視線を移す。

さっきまで青かった空は、徐々に赤く染まり始めていた。




視線を戻すと理事長は出かける支度を始めていた。


「ごめん。急な来客の予定が入ったんだ。今、別の者を呼んだから、校内の案内でもしてもらって時間をつぶしててくれる?」


その言葉に、私は静かに頷く。正直、ホッとした。


「ふぅ」


緊張で震えていた手も落ち着きを取り戻していた。ソファに身体をあずけ、一人になった室内を改めて見渡す。無駄なものがひとつもなく、いやに落ち着いた雰囲気を漂わせているが、はっきり言えば居心地が悪い。

さっきより頭痛が酷くなっている気がするのは気のせいではないはずだ。


キィ...


しばらくして、私一人のはずの室内に音が響く。音の先に視線をやると、教師らしき人がドアの外に立っていた。


「理事長からお話は伺っています。どうぞ」


そう言われた以上従うしかないので仕方なく、私は彼の後を追った。




「あ、あの」


2歩前を歩く背中に声をかける。彼は振り返って首を傾げたが、何かを思い出したかのように頷いた。


「あぁ、そういえば名乗っていなかった、ね。漆原創平です」

「あ、私は「聞いてるよ。成績優秀者特別枠で転入した東條月渚さん、だよね?俺担任だから」


ふわり。柔らかい笑顔が私を包む。


「困ったことがあったらいつでも相談して。この学校、特殊だから」

「特殊、ですか?」

「まぁいずれ分かるよ」


広い学園の中を漆原先生とただ2人、時折漆原先生が場所の説明をしながら進んでいく。2人分の足音しか響かないためか、まるでこの世界に漆原先生と2人だけになってしまったかのような感覚に陥る。そんなことはあり得ないと思いながらも足を進め、やがて肌に触る風が気持ちいい場所へとたどり着いた。


「これで案内する場所は最後かな」


漆原先生は足を止め、私を見て微笑んだ。

最後に連れてこられたのは、真ん中に大きな噴水のある中庭。噴水の周りには芝生が広がっていて、壁際にはベンチが並んでいる。


「それにしても、この学校、とても広いですね」

「まぁ、ここに通う学生の大半がそれなりの家柄の人たちばかりだからね」


そう。この私立楠藤学園は、いわゆる金持ち学校だ。財閥の御曹司や政界の有力者を親に持つ者など、とにかくお金持ちばかりが通っている。そして幼稚園から大学まで、エスカレーター式で学ぶことができる。楠藤学園に通うことが、彼らにとってのステータスとまで言われている。


そんな学校になぜ私が入学できたのか。それは漆原先生が口にした「成績優秀者特別枠入学制度」のおかげである。毎年1人、入学試験で成績優秀者であった者が家柄や財力に関係なく、学費も免除で入学することができる。家柄に関係なく「優秀な人材を育成する」という教育理念のもとに作られた制度らしい。

でも一方で、特別枠で入学した学生の中には、その場違いな雰囲気に耐えられずに退学する人も少なくないらしい。しかし今年は該当者がなく、転校の申込みをした私がその制度を利用することが出来たのだ。


わかる気がする。私だってこの場違いな空間から一刻も早く逃げ出したい。

頭痛もさらに酷くなってきた。


「とりあえず、あのベンチにでも座ろうかな」


私は漆原先生から離れて、噴水の前にあるベンチに座った。噴水の水は私を気に留めることもなく流れ続けている。

空を見上げると、染まりきった赤色を包むように黒い影が迫ってきていた。




それからどれぐらいの時間が経ったのだろうか。ベンチから立ち上がると、ふたつの影が視界に映り込む。漆原先生と、もう一人。

今日は奇しくも日曜日のため、生徒は殆どいないと聞いている。明日にはここもたくさんの声で溢れかえっているのだろう。でも、今目の前に広がるのは黒い影に包まれた静寂。

妙な恐怖に襲われ、私は漆原先生のもとへ駆け寄った。


“どうしたの?”とでも言いたそうな漆原先生。


すると隣にいた“もう一人”もふっと顔を上げ、私を捉える。


「あぁ、丁度いいから紹介するよ。彼は鳳蒼空、生徒会副会長で2年生。で、彼女は成績優秀者特別枠で転校してきた...」

「あぁ、君が例の」


私はお辞儀をして彼を見上げる。


漆黒の闇のような、私を吸い込んでしまう程のひどく冷たい瞳。その目にはきっと、私さえ映っていない。私を通して何を見ているのか。


プルルルル...


噴水の音だけが流れる空間に、電話の音が鳴り響く。おそらく理事長だろう。


「終わったようだ、理事長室へ戻ろう。鳳、また後で」


私はもう一度お辞儀をして、鳳と呼ばれた彼に背を向けて歩き出す。校舎に入る直前に一度だけ噴水の方へと振り向くが、そこにはもう人影すら見つからなかった。




「遅くなってごめんね」


すでに理事長室の中にいた彼は、苦笑いをしながら“どうだった?”と聞いてきた。校舎見学のことだろうか。


「とても広くて驚きの連続でした」

「ハハッ、確かにこの学園は広すぎる」


誰か学生には会ったかと聞かれたので、さっき会った副会長のことを話した。


「そうか...」


笑顔だった理事長の顔がくもり始める。そして真剣な面持ちでこう言った。


「今から大事な話をするから、よく聞いていてほしい」

「...はい」


私が頷くと、彼は声を抑えて話し始めた。それは私が想像していた内容と大きく違うもの、いや、ある意味私が想像していた内容だった。


「わかりました」

「僕も出来る限りの事はするよ。月渚ちゃんを守るためだからね」

「いや、私には守られるほどの価値は「月渚ちゃん」

「...え?」


遮るように私の名を呼んだ彼は少し怒っている様にも見える。


「月渚ちゃんは今でも僕にとって大事な人だ。だから僕の大事な人を貶すようなことは、たとえ月渚ちゃん自身でも許さないよ」

「...ごめんなさい」


こんなにも私を思ってくれる人がいるなんて、あの頃の私なら喜んだに違いない。でも、今の私はそうやって気にかけてもらうことすら許されない。

私の発した謝罪は"そんな思いも無下にしてしまってごめんなさい"、ただそれだけだった。


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