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第九話

オペレーターは、フェンスの軋みが聞こえた時、思わず目を瞑っていた。

その時、突然軽いショックを感じた。

何故か転倒が急減速したのだ。

しかしその減速は持続せず、程なく地響きを伴ってクレーンは転倒した。

加藤は、目を瞑ったまま無我夢中で走り抜けていた。

その背中を掠める様に、風と共にクレーンの腕が縦に通り抜けた。


春香は、自分の行為に当惑していた。

加藤が何故かいつもの道を選ばずに工事現場の横を通り、そこでは偶然にも彼女が侵入可能なクレーンが動いており、しかも昼下がりの事で辺りには巻き添えになりそうな通行人もいない。

そして操作自体も難しい物ではなく、ただタイミングを計ってアウトリガーの油圧バルブを開いて油圧を抜くだけである。

まさに彼を排除する千載一遇のチャンスであり、それを何の躊躇いもなく実行したつもりであった。

しかし、その鋼鉄の腕が彼の頭上に覆い被さろうとしたその刹那に、無意識の内に油圧バルブを戻してしまった。

すぐに我に返ってバルブを全開にしたが、その間に生じた僅かな遅れの間に、彼は走り抜けてしまったのだ。

それは致命的な過ちであった筈だが、何故か彼女はその原因を追究してはいけない様な気がした。


加藤は、しばらく呆けた様に立ち竦んでいたが、工事現場から次々と人が飛び出して来て怒号が飛び交い始めると、ようやく我に返って状況を確認した。

そのまま少し考え込んでいたが、やがて彼は意を決した様に踵を返した。


帰宅するつもりで自宅の最寄り駅に降りた荒川は、歩を停め少し考えた後、方向を替えて歩き出した。

後回しになっていた問題を片付けるべきだと思い直したのである。


永田は、加藤が戻って来た事に驚いていた。

自分の態度はどう考えても見棄てられて当然の物であり、二人の友情は確立する前に終ったと思っていたからである。

何かを言い掛け様とする永田を掌で制して、先程は主がいたはずのベッドを視線で示しながら尋ねた。

「あちらは?」

「え?ああ、何かさっきリハビリに行った。」

「そうか。」

短くそう言って、加藤はベッドを囲むカーテンを閉めた。

真剣な眼差しに気圧されて窺う様な表情の永田に、加藤は言った。

「俺も今死にそうになった。」

その言葉に絶句する永田を見ながら、加藤は今しがたの出来事を語った。

「単なる偶然という可能性が0じゃないが、これだけ続くとなると、そうでない可能性を考える方が合理的だろう。」

相変わらず永田は無言であったが、その目は落ち着きなく宙を泳いでいた。

加藤は被せる様に言った。

「お前、もしかして何か心当りがあるんじゃないか?」

加藤は、それ以上何も言わずに、永田の反応を待った。

重苦しい沈黙が続いたが、加藤は今回は折れるつもりがなかった。

やがて、永田は意を決した様に口を開いた。

「この前のセキュリティ概論の時に、ビットバレー大停電の話が出たろう。」

唐突な話題に、加藤は要領を得ないまま頷いた。

「あれをやったのは僕だ。」

その告白には絶句する他はなかった。

何かを諦めた様な表情で、永田は淡々と続ける。

「いつか、誰かがあの過ちの責任を取らせに来るんじゃないかと思っていたんだ。」

ようやく我に返った加藤は、尋ねた。

「それは、あの件で誰かに怨まれているという事か?」

永田は無意識に軽く頸を振り、痛みに呻きを上げてから答えた。

「あの事件で大きな被害を受けた奴は沢山いる。それに・・・」

永田は、軽く口籠った。

「それに?」

加藤に促されて、永田は再び続ける。

「関係ないハッカーの中にも、面白半分に『正義の鉄槌』を下してやろうという奴も居るだろう、かつての僕みたいに。」

加藤は、尋ねた。

「『かつての』というと、お前は宗旨換えをしたって事だな。」

「ああ。」

「何でだ?」

永田は黙っていたが、やがて話し始めた。

「あの後、僕は自分の戦果を確めるために、色々と調べて回った。」

加藤は無言で先を促した。

「そうして、匿名の医療関係者のブログを見付けたんだ。」

言いにくそうに訥々と語り続ける。

「そのブログには・・・あの事件のせいで産まれる事が・・・出来なかった女の子の話が書いて・・・あった。」

感情の昂りを抑えきれなくなった永田は、涙声になった。

感情を解放させるべきだと感じた加藤は、先を促す事も止めてひたすら続きを待った。

「後、ぼやかし・・・てあったけど・・・母親の方もたぶ・・・ん、出さ・・・んが望めない身体にな・・・ってしまったみたいだ。」

永田はしゃくり上げながら、懸命に話を続けた。

永田の母が、無理な妊娠が原因で出産が望めない身体になってしまったという話を、彼自身から聞かされた事がある。

二人だけで徹夜で呑んでいた時の話だが、その話をする永田は本当に辛そうだった。

その夜の永田は、話し終わると同時に嗚咽が止まらなくなり、加藤は明け方になってようやく泣き疲れて眠るまでそのまま黙って見守っていた。

その夜の事から、流産と不妊は永田の中で最大のトラウマに直結するキーワードだという事は朧気にではあるが理解できた。

二人は、病室を仕切るカーテンの下に立ち竦む二本の脚が覗いている事に気付いていなかった。


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