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第八話

クレーンのオペレーターは、突然の警報に跳び上がりそうになった。

慌ててコンソールに目をやると、ディスプレイに大写しとなったクレーンの模式図上で、左のアウトリガー(作業中に左右に張り出して機体を支える脚)部が赤く点滅している。

続いて画面に警告メッセージが明滅する。

『左アウトリガー油圧低下!』

咄嗟にケーブルを繰り出して、鉄骨を下ろそうとする。

少しでも重心を下げて、転倒を防ごうとしたのだ。

その間にも、機体は不吉な軋みを立てながら傾いて行く。

加藤は、クレーンがはっきりと自分に向かって傾いて来ている事を認識した。

彼はどうするべきかに迷い、立ち竦んだ。

その間にもオペレーターは、クレーンを右に振ってバランスを取り直そうと懸命に操作していた。

しかしその操作は、反動でクレーンの傾斜を加速してしまった。

勢い良く倒れて来るクレーンが、フェンス上端にのし掛かりフェンスが紙の様に殆ど抵抗なく潰れて行く金属的な悲鳴を上げた時、ようやく加藤は反射的に前方に向けてダッシュした。

この一瞬の躊躇いが、取り返しのつかない遅れとなった。

加藤は視野の上半分を覆うクレーンの巨大な腕を見た時、思わず目を瞑ってしまった。


荒川は、大学に帰る道々で春香ではなくなったHALCAの事を思い返していた。

早苗にとってのそばかすは、否定しようの無い青春時代の思い出であり、必ずしも思い通りにはならない人生の象徴だったのだろうが、平井にとってのそれは、ただのノイズに過ぎなかったのだろう。

荒川は、人間のノイズに対する反応は3種類に別れると思っている。

一つ目は、意味の無い物がこの世にある事を許容する事ができず、そのノイズの中に何かの意味を見出だそうとするタイプである。

このタイプの人間は、自然を自分達にとって融和的な存在と感じ、だからこそ意味がない物は無いと考える。

そして彼等は、風音の中に人の声を聞いたり、樹木の葉の繁りに人の顔を見出だしたりするといった傾向を見せる。

大多数の人間はこのタイプに属する。

二つ目は、全く意味の無い物がこの世に存在する事を認めた上で、それを不要な若しくは邪魔な物と認識して排除すべき物に分類するタイプである。

このタイプの人間は、自然を敵対的とまでは行かずとも非融和的な存在と考え、これを征服すべき対象と認識する。

彼等は、風音が五月蝿ければ窓を閉ざし、樹木の葉の繁りが煩わしければこれを刈り込む。

第一のタイプに属さない少数派の殆どはこのタイプに属する。

そして三つ目は、それを意味がない物と認識した上で、世界の一部としてあるがままに受け入れようとするタイプである。

このタイプは、自然をそれ全体として融和的な存在とも敵対的な存在とも考えず、彼我の関係性はその接触点の様態に依存するという前提に立って、そこに耐え難い困難が生じた時のみ何らかの働き掛けを必要とすると考える。

彼等は風音の中に人の声を思わせる物が混じっても、自然に任せて繁る樹木の葉が不思議な形を示しても、それを自然の妙と捉えてあるがままに楽しむ。

このタイプの人間は少数派の中の少数派であり、滅多に出逢う事がない。

世界の進歩は、概ね第二のタイプの人間によって成し遂げられて来たが、彼等は時に暴走する恐れが無しとはしない。

一旦彼等が走り出した時に、その有用性と有害性の多寡を冷静に判別した上で暴走を適切に抑止する事が出来るのは第三のタイプだけであるが、なにぶんにも彼等は最少数派であり、更にその行動様式はノイズに満ち溢れた自然を敵対的な物として見ないという点で結果的に第一のタイプと似通った物になる。

そのため、今押し留めようとしている声が第三のタイプの冷静な判断力に基づく物なのか、第一のタイプの不合理な感情論に過ぎないのかを判断する事は困難である。

特に第一/第三の両タイプが同時に声を挙げる場合は、後者の冷静な声は前者の感情的な声に覆い隠され、単なる感情論として無視され暴走が止められなくなるか、バランスを逸した感情的な暴走となって制止が行き過ぎて有用な進歩までが打ち捨てられてしまうか、という両極端の悲劇に繋がる事が多い。

荒川は、平井の周りに第三のタイプの人間が居てくれれば良いのだがと漠然とした不安を感じていた。


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