第五話
エレベーター事故の話は、荒川の耳にも入った。
やがて、被害者が芝刈機暴走の時に追いかけられた学生の一人だと判明した時点で、これは単なる事故ではないだろうと見当をつけた。
そこに、原田がやって来た。
「何か判ったかい?」
「ええと、とりあえずこれを見てください。」
そう言って彼は、メモリスティックを差し出した。
荒川はそれをデスクのPCに刺して中を見ると、中身はいくつかのデータファイルだった。
「まず、先頭のファイルを見てください。」
通常データファイルの名前は、その末尾にそのデータの形式を表す拡張子と呼ばれる文字列が付与される。
そのファイルは、拡張子が『DAT』であった。
これはつまりデータである事を示しているだけで、そのデータ形式について実質的には何も言っていないも同然である。
結局のところ形式は不明なので、まずは16進数の形式でデータを表示するダンプツールで開いてみた。
画面の左側三分の二に16進データの羅列が表示され、残り三分の一にそれを文字列として解釈した文字列が表示される。
「これは?」
「SSDを解析して拾い出したデータの残骸です。」
荒川は電源の投入と同時に消去が走ったのを見ていたので、SSDの中身については諦めていた。
「そんな事が出来るのか?」
SSDとは詰まる所、充電/放電が恐ろしく早い微小な電池(素子)を大量に並べた物で、蓄電している(オン)素子が『1』を、放電している(オフ)素子が『0』を表す。
消去という事は、恐らく全ての素子を全部オフにして(つまり放電させて)しまったのだろう。
慌てて電源を切ったとはいえ、とてもコンピュータの処理が完了する前に電源断が出来たとは思えない。
「ある程度なら出来ます。ただし、SSDを破壊する必要がありますが・・・」
原田の説明によれば、素子のオン・オフの際に電圧は瞬時に1/0になるわけではなく、山高帽を思わせる曲線を描いて上昇/下降していくのだという。
つまり、オンにするとその電圧を示す曲線はじわりと立ち上がってから急激に上昇し、オフにすると一気に落ち込んでからなだらかな傾斜に移行する。
そして電圧が閾値以下であれば、電圧が0でなくてもオフと判定される。
先程の例えで言えば、山高帽の鍔の部分はオフ状態なのである。
ただし、オンにするときの電圧の立ち上がり方ついては、閾値以下の部分つまりオン側の鍔の長さは極めて短い。
オンにするのに時間が掛かるようでは実用に耐えないからだ。
その一方で、オフ側の鍔の長さはかなり長くなる。
閾値を割り込む所までの下降が十分に早ければ、それ以降の下降にはどれだけ時間が掛かっても特に支障は無いのである。
そのためオフにした直後の素子は、以前からオフであった素子と比べてごく僅かに電圧が残っている。
その言わば『電子的な熱り』を拾っていく事で、その素子が以前からオフであったか、またいつ頃オフになったかを調べる事ができる場合があるのだと言う。
勿論、閾値より下だから通常のアクセスでは検出不可能であり、素子をカバーする樹脂を割って素子に繋がる接点を剥き出しにした上で、プローヴ(探針)と呼ばれる針状の接続端子を直接随所に接触させて拾い出す必要がある。
とはいえ、今現在オン状態の素子がいつオフ→オンとなったかは調べられないし、そもそも素子の反応(または冷却)速度自体にばらつきがある、といった制約があるので、完璧に拾い出せるわけではないが、それでも状況次第ではかなりの復元が可能となる。
そうやって、苦心の末に拾い出されたデータがこれであった。
しばらく眺めていたが、特に意味のある情報らしきものは見当たらなかった。
「僕は、この中から今回の事件を起こしたと思われるマルウェア本体と見当を付けた箇所を抽出しました。二番目を見てください。」
これも、また拡張子がDATなので、同様にして中を見た。
これは、荒川自身がある程度理解している一定の形式に沿った物なので、先程の全く何も見当がつかないデータよりはまだ判った。
先頭にある筈の制御情報の箇所、それに続くであろう実行命令の箇所と順に眺めていると、荒川は何か既視感めいた感覚を覚えた。
「そこから言語を推定して、逆コンパイルを掛けてみました。三番目のファイルです。」
人間が理解/記述可能な所謂コンピュータ言語で記述されたプログラムを、コンピュータが実行可能な16進数の命令の集合体に変換する操作をコンパイルと呼ぶ。
そしてこの16進数の命令の集合体をプログラム言語に戻す作業が、逆コンパイルである。
このファイルの拡張子は『TXT』であった。
つまり、この中身は全て文字列だという事である。
荒川は、テキスト編集用のツールであるテキストエディタで開いてみた。
表示された内容の2/3くらいはプログラムコード(記述)とおぼしき文字列であったが、残りは『・』であった。
「中黒は、解釈不能な箇所です。」
そう言う原田の声は、殆ど耳に入っていなかった。
そのプログラムは、切れ切れながらもかなり内容が把握できる程度に復元されていたが、そこから辛うじて読み取れる特徴には明らかに見覚えがあったのだ。
愕然としている彼の唇から、微かな呟きが漏れた。
「早苗・・・」
それを聞き取れなかった原田は、尋ねた。
「え?何です?」
その問い掛けに我に返った荒川は、少し慌てながら言った。
「い、いや、別に。とりあえず、このデータは警察に提出しよう。」
「え?」
「今、エレベーター事故について捜査中の筈だ。」
「あ、はい。判りました。」
そう言われて始めて、原田はこれとエレベーター事故とを結び付けた。
原田が警察に電話を掛けようとしている間に、荒川はこのデータを無断で自分のPCにコピーした。
春香は、もう一人のターゲットを監視するための監視網を改めて構築し直していた。
学内での行動パターンはほぼ同じ(そもそも二人は、これまで大半の時間を共に行動していた)なので、問題ないのだが、学校を出てからの行動が違うのである。
下校後の行動を追い掛けつつ、その先の監視カメラにハッキングを掛けてじわじわとその監視網を延ばして行った。
加藤は、やるせない想いを抱えて病院を後にした。
アイツは間違いなく何かを隠している。
出会った当初は、自分の周りで見た事の無いタイプの人間に対するただの好奇心が接触の動機だったのだが、じきに思った程取っつきにくくもない『そう悪くない』奴だと感じる様になり、やがて『波長の合う』奴だと思えてきた。
そして、この半年程の間でこれはもしかすると『親友』と言える関係になるかも知れないと感じ始めていたし、漠然とアイツもそうなのではないかと思い込んでいた。
しかし今回のこの反応は、自分に対する拒絶だとしか思えない。
それは裏切りだとまでは思わないが、自分の気持ちがある意味で『片想い』だったのかと感じ始めた。
そうだとすれば、それは文句を言うべき筋合いの物ではないが、淋しい事ではあった。




