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第一話

永田は、キャンパスを横切ろうとしていた。

キャンパスの中央には大きな芝生(まことに芸のない事に『中央芝生』と呼ばれている)が広がっており、一々これを迂回する学生はいない。

学校側も、見映え重視でキャンパスの中央に大きな芝生のスペースを作ってしまったために、いい顔はしないが芝生を横切る事は黙認せざるを得ない。

特に今日は爽やかな秋晴れであり、芝生の中程ではゴルフカートを一回り小さくしたくらいの大きさがある全自動芝刈機が、軽やかな音を立てながら芝面を刈り揃えていた。

こんな日は、心地よい風が吹き抜ける芝生を通るのは、当然の選択であった。

形だけの低い柵を跨いで、芝生に足を踏み入れた。

突然、芝刈機が刈り込みを中断して直進を始めたが、特にそれを気にする者はいなかった。

永田は、そのまま芝生の中央に向かって歩を進める。

その間に、外周部に到達した芝刈機は、外縁に沿って進路を変えた。

そして、そのまま穏やかに移動しつつ永田の死角に入った時点で再び向きを変えると、更に音を抑えながら滑る様に走り出した。

やがて永田が中央にある人の背丈程の大きな御影石の台(その上には初代学長の銅像が立っている)の手前に差し掛かった時、永田に気付いた加藤が声を掛けた。

「政弘、どこ行くんだ?」

永田がその声に振り向くのと、芝刈機がエンジンを全開にして走り出すのが、ほぼ同時だった。

そして、芝刈機はカッターをフル回転させて土煙よろしく粉状の芝生の欠片を撒き散らしつつ、どんどん加速する。

唸りを上げて突進してくる芝刈機に永田は、咄嗟の事で事態が理解できず、そのまま棒立ちとなった。

「政弘!退がれ!」

加藤の声に何も考える余裕もなく、永田は踏み出しかけた足を大きく引いたが、その踵は芝に絡め取られてバランスを失い、仰向けに倒れ込んだ。

必死に走り寄りながら、加藤は再び叫ぶ。

「転がれ!」

尻餅をつきかけた所で加藤の叱咤が耳に入り、永田は無意識の内に目を瞑って背中を丸めた。

一瞬で天地が回転して襲い掛かるGに目の前が暗くなりかけた時、激しい衝突音が響いた。

永田が恐る恐る目を開けると、芝刈機が御影石の台座に激突して停まっていた。

何が起こったのか理解できないまま目の前の芝生に手をついて立ち上がろうとする永田を、ようやくたどり着いた加藤が勢いよく突き飛ばし、加藤自身もその反動で後ろ向きに倒れ込んだ。

二人が弾ける様に左右に別れたその間を、衝突でひしゃげた芝刈機が轟音を立てながら走り抜ける。

衝突で大きく歪んだカッターは、今永田が手をつこうとしていたその場所を凄まじい勢いで掘り返しながら通過した。

もし加藤が突き飛ばしていなければ、永田はそのまま巻き込まれていただろう。

加藤は肩越しに背後の地面に両手を突くと、体を大きく反らせながら跳ねる様に起き上がった。

そして、呆然とへたり込んでいる永田に走り寄り、その襟首を掴んで引きずる様に立ち上がらせた。

「何なんだ?」

妙に間延びした調子で、永田が尋ねた。

「俺が知るか!」

怒鳴りながら加藤は一瞬辺りを見回してから、永田の襟首を掴んだままで芝刈機とは逆方向へ走り出した。

「ちょっと待って、痛い、痛い。」

襟首を掴まれて不自然な姿勢で走らされる永田が、その手を振りほどこうとしたので、加藤は振り返った。

その時、前面を大きく変形させた芝刈機がぎくしゃくとした動きでこちらに向き直ろうとしているのが目に入った。

「五月蝿い!死にたくなきゃ黙って走れ!」

二人はダッシュすると、そのまま中央芝生横断のコースレコードを更新する勢いで走った。

その後を、エンジンを全開にした芝刈機がまっすぐに追う。

芝生を刈り取る円筒形カッターを初めとする沢山の部品が衝突で変形しているのに委細構わず全速でぶん廻す事で、変形・摩擦・衝突・打撃とありとあらゆる金属音を響かせながら突進してくるそれは、耳を聾せんばかりの咆哮を上げて迫る鉄の猛獣であった。

「どこのどいつが、こんな猛スピードで走る芝刈機を作りやがったんだ!」

加藤は大声で憤懣の声を上げつつ永田と共に柵を飛び越えた。

柵から少し距離を取った所で二人が振り返ると、芝刈機が柵に引っ掛かったのが見えた。

ほっとした次の瞬間には、変形したカッターが柵をばりばりと噛み砕いて前進を始めた。

加藤は永田の襟首を掴んだまま再び走り出そうとしたが、永田は、その手首を掴んで留めた。

「何してる。逃げるぞ!」

「大丈夫だ。」

不思議に落ち着いた永田の声にその視線の先を窺うと、柵を噛み砕き終えてダッシュを掛けた芝刈機は、アスファルトに足許を掬われてそのまま前のめりに転倒した。

金属的な咆哮を続けながらのたうち回る手負いの獣を見ながら、永田は言った。

「カッターが変形して地面を掘り返してるから、アスファルトの上は走れん。」

まるで他人事の様に冷静に説明する永田に、加藤はやっぱりこいつには敵わん、と思った。

やがて獣が暴れるのを止め咆哮も止まった頃になって、ようやく職員が走って来るのが見えた。


あんなヤツが一緒にいるというのは予想外だった。

ターゲットの日常生活を観察した結果、反射神経は鈍い(と言うのすら控え目な表現である)と判断して良いレベルだと確認できたので、簡単に片付くと思ったのだが、咄嗟にあれだけ適切な判断ができる人間が側にいるとなると、作戦を練り直さなければいけない。

しかも、アイツはターゲットを突き飛ばした時点でそのまま逃げるだろうと予想したのに、わざわざターゲットに歩み寄り、更には連れて逃げるという行動に出た。

これは苦戦するかもしれない、と春香は思った。


永田と加藤はそのまま管理課に連行され、聞き取りを受けた。

それは、どちらかと言えば『尋問』と言った方が適切な物であったが、何を聞かれても二人は、見当も着かないと答える他は無かった。

他の学生達も、暴走が始まった時点では、二人共芝刈機に近付いてもいなかったと証言したので、学生課としても二人を釈放せざるを得なかった。


管理課から相談を受けた荒川は、頸を捻った。

そもそも、施設管理とは無縁の自分達教員に相談されても困るし、もし教員に相談するにしても、機械制御工学科の教員の方がまだしも実のある回答が得られるであろう。

荒川はここで講師の職を得てから、様々なプライベートの問題に起因する痛みを忘れるために、故意にあらゆる事に首を突っ込んで来たので、妙に頼りにされる様になってしまったのだ。

とりあえず、製造元に問い合わせて見ろ、とだけ言っておいた。


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