慌ただしい朝 ―壱―
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「守道…朝ですよ。 起きないのですか?」
几帳越しに聞こえてくる、優しい女性の声。
ゆっくりと微睡みながらも、重たい瞼を押し上げた。
開いた目に注ぐ、朝の柔らかな日差しと、ひやりと肌を撫でる風が心地いい。
「おはよう、母さん」
「おはよう、守道。 父様はもう、出仕なさいましたよ?」
几帳の端を捲りながら顔を覗かせ、柔らかく艶やかな黒の長髪を風で揺らし、同色の優しい瞳をすっと細める。
そして、白くなめらかな肌の上に羽織っている袿をふっくらと柔らかい唇を隠すようにあて、柔らかく優雅に首を傾げた。
三十三歳のこの女性は光栄の妻で、守道と行義の母・菖蒲。
いつもずぼらでだらしなく、女心のおの字すらわからない夫の光栄を支える本当に優しくて健気な妻だ。
そんな夫であるのに、よく何十年も呆れずに添い遂げたなと常々思う守道である。
それはさておき。
「うわ…やばいっ!」
守道は体の上に掛けた掛布代わりの袿を思い切り蹴飛ばす。
それと同時に守道の隣で袿で丸まった小さな塊がもぞもぞと動いた。
「……うー…?」
塊から聞こえてきた、眠たげな幼く愛らしい声。
その声に守道は眉間にしわを寄せて首を傾げた。
「…ん?」
守道はその塊に手を伸ばして袿をそっと捲ると、すうすうと柔らかな寝息をたてる行義がいた。
「…あれ……何で行義がいるんだ…?」
守道は行義をしばらく見つめたまま、首を傾げた。
「あら、部屋にいないと思ったら……守道と一緒に眠っていたのですね」
呆然としている守道の隣で、菖蒲は安堵を含む優しい声でそう呟いた。
守道はその声を聞きながら、眠っている行義を起こさないようにそっと茵を離れる。
そして、几帳の脇をすり抜けた時、守道の足に硬い何かが当たった。
「ん?」
視線を足下に向けると、数冊の専門書と大衍暦議がつまれていた。
あぁ、そうだ。
昨日部屋に戻って、行義がわからないと言っていたところを教えていたのだ。
随分遅くまで書を一緒に読んでいていたものだから、疲れて行義が先に眠ってしまった。
自分の部屋に帰そうかとも思ったが、眠っている行義を起こすのも可哀想だったため、守道の茵まで引き摺って一緒に眠ったのだ。
それからぐっすりと熟睡していた守道は、どうやら寝過ごしたらしい。
「あー、やばい…。 もう日が高く登ってる…」
守道は白い夜着のまま、少し開いている妻戸から呆然と空を見上げた。
「そんなに呑気にしていると、遅れてしまいますよ」
菖蒲は立ち尽くしている守道に優しくそう問いかけ、部屋の奥にある屏風の裏にまわった。
そこには、衣類をしまう唐櫃がおいてあり、守道の普段着である狩衣や狩袴、出仕時に着る直衣が入っている。
その蓋を開けて中から紫色の直衣と烏帽子を取り出し、それを抱えて守道にそっと差し出した。