ナイフ -1
久しぶりに雲ひとつない、爽やかな朝だ。
駅からの通学路に、青春を謳歌する哄笑がはじける。平和で退屈な、彩高の日常風景である。
そのなかで俺は、足音を消し、気配を消し、念入りに周囲を監視する。電柱の陰、住宅の庭木、看板の後ろ――。俺の目はただの一瞬も休むことなく、素早く動き続ける。
見逃すわけにはいかない。今この瞬間も│現世で行き場を失った魂は、己の念の業火に焼かれてながら、救済を待ち焦がれているのだ。
俺は、死神僕。死者を、導く者――。
なーんてな☆
いかんいかん。朝っぱらから中二病を拗らせてしまった。
昨日、俺は死神僕として生きる道を選んだ。その帰り際、「今の時間でちゃんとご説明しなければならなかったのですが……きっと絶対必ずちゃんと読んでおいてくださいね!」と環に手渡された『死神僕就業説明会』なる資料を開いてみると、意外や意外。表紙のユルすぎるイラストのせいでなめてかかっていたが、30枚ほどのコピー用紙の束は細かい文字でびっしりと埋められていた。
パラパラとめくっただけですっかり面倒になってしまったのだが、それでもさらっと目を通したところによると――。
なんと、俺は死神僕としての能力を得てしまったらしい!!!
最終的には自分で選んだ道とはいえ、ほぼ強制的に僕にさせられたのだから、憤りはめちゃくちゃある。だが、しかし。特殊能力と聞いて、ときめかない高校生男子はいるだろうか。いや、いない(断言)!
ある日突然闇の力に目覚め、一人苦悶する俺。ああっ、なんと恐ろしい! 俺の絶大すぎる力はきっとこの世界を滅亡に導いてしまう……。そんな折り、突如、教室にテロリストが襲来する! 俺は自らの底知れない能力に慄きながらも、敵との死闘を繰り広げるのだ! ハッ! あれは隣のクラスの斎藤さん(とっても可愛い)! 大変だ! テロリストの手にかかりそうになっているではないか! ウァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!! もう容赦しねえぞ、テロリストめ! 地獄で後悔するんだなぁあ゛あ゛あ゛あ゛! ドガァァアアアアアン!!!!!!!!
うん。素敵だ。テロリストってとこがかなり微妙だが、男なら誰だってキュンキュンしてしまう、まず間違いのない展開だ。
いやー、それにしても斎藤さんは可愛いよなー。これはさらなる妄想広げずにはいられないでしょ。うひひひひひひひ……………………………………ひ? ヤベッ!
通りすがりのおばあちゃんに、めちゃくちゃ不審者を見るような目つきで睨まれてしまった……。
違いますよ、変態じゃないですよ、俺は正義の味方側の能力者でですね……。おっお孫さん可愛いですねー。フリフリのスカートから見える水玉のパンツがなんとも……って、いやいや、これはけっして変な意味ではなくてですねっ!!!
コホン。
まあ、気を取り直して。
肝心な能力なのだが、基本的には今まで見えなかったものが見えるようになっている、程度のものらしい。残留思念が可視化するとか――、そんなことが書いてあった。所謂、霊感ってやつだと思う。まあ、これは必要不可欠だよな。霊の姿が見えなければ、導きようがないからな。
その他の能力については、人それぞれ、らしい。
過去には、詐欺師みたいに人を欺ける能力だったり、自分だけの道を作ってワープみたいに移動できる能力だったり、宙に浮かべたり、指から弾丸が飛び出したり、馬鹿でかい刀を振り回せたり……そんな素敵な能力者もいたらしいから、これは期待せずにはいられない。頑張れ、俺の潜在能力! できれば刀でおなシャス! ついでに黒い袴姿で戦いたい。髪もオレンジ色に染めてしまうのもアリかもしれない。
って、ここまではしゃいどいてなんだが……、何にも……、見えないんですけど?
学校までの道すがら、それらしいところを注視して歩いてきたが、怪しいものなんて何一つなかったんですけど? 追加能力どころか、基本能力すら発揮できてないんですけど?
別に魑魅魍魎に襲われたいわけじゃないけどさー。家を出るとき、かなり気合入ってたんだけどな。肩すかしをくらったような気分だ。本当に能力とやらに目覚めてるのか怪しくなってきた。まさか、環とマスターが共謀して俺を騙しているだけとか? だとしたら昨日あれだけ泣き叫んだ俺って、めっちゃ恥ずかしい奴じゃないか………………………………ん?
ふと見た方向に、渡り廊下沿いに植えられた紫陽花があった。鮮やかな紫色の後ろで、黒い陰が揺れる。
やっと、思い出した。
既にソレと遭遇していたのだ。
俺の目の前で学ラン姿の男が、渡り廊下に溶けた――。