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死神僕 7

 「下部君の合意がなかったわけだから、昨晩の契約は無効だ。つまり、君はここで選択できる。契約に合意して生きるか、取り消して、再び、死ぬか――」

 マスターは、包みをそっと開いてゆく。

 小さな、雀だった。

 羽根が少し乱れていて、嘴はぽかんと開いたままだ。まるで落ち葉のように軽く、脆く見える。そして、ピクリともしない。

 「今日見つけたんだよ。まだ若そうだし外傷もないから、病気だったのかな」

 マスターはそっと羽根の乱れを直した。


 「下部君。簡単なことだよ。等価交換だ」

 「……等価交換」

 「君が平均寿命まで生きるのであれば、君に残された時間は60年を超える。それが、環が君に与えたものだ。その価値は、とてつもない」

 マスターは雀を愛おしそうに撫でていたが、やがてテーブルに置いた。環は静かに深呼吸をして、その前の席に着いた。

 「想像してくれ。ここに天秤があるとする。片方には、命が乗っている。そしてもう片方に、僕としての契約が乗っているんだ。つまり、それくらい死神僕は大変だということだ。死にたくないから、という理由で契約するのも、悪くはないさ。だが、覚えておいてほしい。死神の仕事を請け負うということは、もしかしたら、60年分の苦痛を、まとめて受け取るようなものかもしれない」

 「それは、人に、死を与える仕事、ですか?」

 恐る恐る質問すると、マスターは微笑んで、首を横に振った。

 「死は、運命が与えるもの。死神は運命の後始末をするのさ」

 「運命はいつだって理不尽で不条理なものですから、ほころびが生じるんです」

 と、マスターの話を受けて、環が話す。

 「生き物はみんな、生きるのが大好きなんですよ。普段は考えられたことがないかもしれませんが、本当に、そうなんです。それが、ある日突然、命を取り上げられてしまう。納得して受け入れるのは、難しいです。だから幽霊とかお化けとか呼ばれるものとして、現世に残ってしまう。でも、そこに居てはいけないんです。居れば居るほど、辛くなってしまうから」

 環は俺をじっと見つめる。

 「魂を在るべき場所へご案内する。それが、死神のお仕事です」


 環の細く白い指が、繊細な飴細工を触るようにそっと雀の骸を撫でると、辺りはふんわりと温かい光に包まれた。

 俺は超常現象としか言いようがないこの光景を、疑うこともなく受け入れていた。しばらくすると、光は凝縮されて、オレンジ色の小さな光の玉となり、生き生きと宙を舞い始めた。その様子は、まるで幼い子供のような無邪気さだ。見ているとなんだか、懐かしいような、泣きたいような、なんとも言えない気持ちになってくる。


 環の指が往復する度に、雀の骸は熱と質量を取り戻しているようだった。雀は少しずつ膨れ、かつての生を取り戻していく。

 そして、オレンジ色の光がふっと吸い込まれたその瞬間、死骸だった物は、やがてビクリと鼓動した。

 首をぶるぶると振り、生を確かめるように大きく羽根を羽ばたかす。開かれた目に光が宿り、身体はしなやかに力強く膨張し、羽毛は艶めいていた。

 雀は飛び上がると、激しくさえずりながらくるくると環の周りを周回した。生きているのが嬉しくてたまらない、といった様子だ。


 「これが、今の下部さんです」と、環。

 「死神僕としてご契約いただければ、この状態を維持できます。ですが、もし、この契約が決裂となれば」

 俺は息を飲む。次に何が起こるのか、有り有りと想像できた。

 環の右手がゆっくりと上がる。忍者か陰陽師がやりそうな、指を開かないピースサインみたいな形をとっている。

 宙でしばらく留まっていた右手が、鋭く振り下ろされた。


 雀はバタバタともがき、ほどなくテーブルの上に落下した。

 「私が与えた分の命は、お返しいただきます」

 つい今まで勢いよく飛んでいた雀は、再び、静物になっていた。俺は、雀に触れてみた。まだ温かいものの、おかしな具合に固く、それでいてぐにゃりとしていて、水分が抜けたようにカサカサしていた。

 「死ぬと申しましても、苦しむことはありません。ただ、命をお返しいただくだけです。魂は在るべき場所へ送り届けます。遺体もこちらで上手く処理します。なんの事件性もない、突然死として発見されるように」

 環の声は、少し震えていた。

 「いかが、なさいますか?」


 いかがもなにも、ここでNOと言える奴なんているのだろうか? 生き物は、生きるのが大好きなのだから。

 答えは最初から一つしかない。例え、どんな苦しみが待っていようとも。

 「……やるよ」

 環はほっとしたように破顔する。

 「はっきりと、おっしゃっていただけますか?」


 俺は、大きく息を吸い込む。

 「俺、下部一路は、死神僕として……、契約します」


 「ありがとうございます!」

 涙声の環が抱きついてきた。強すぎて少し痛いくらいだ。

 「よろしくお願いしますね!」

 涙を浮かべたままの環がにっこりと笑う。ただの一ミリも屈託のない、満面の笑顔だ。

 俺は思わずドキリとする。俺という生き物は、つくづく、単純に出来ているらしい――。

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