ナイフ 4
タンクから解放された俺は、まっすぐに屋上に向かった。意外と時間を食ってしまったおかげで、腹が全力で空腹を訴えている。
人目を気にしつつ、屋上へ昇る階段を上がる。屋上と言えば、主人公が授業をサボって寝てたり、恋人などと昼休みを過ごす定番スポットなのだが、実際のところ立ち入り禁止だったりしないか? 少なくとも俺は自由に屋上に入れる学校を知らない。彩高もご多分に漏れずそうなのだが、施錠されているはずの扉は開放されていた。これが、死神の能力かっ……!
アホな妄想を繰り広げつつ屋上に到着すると……、とりあえず、たまげた。
中世の西洋貴族を彷彿とさせる瀟洒なレースで縁取られたアップテントがどどんと中央に建てられ、その中には凝った造形の白いガーデンテーブルとチェアが4セット、高そうなランチョンマットなどで飾られて上品に設置されている。床には趣きがあるウッドデッキが敷き詰められ、その周りは色とりどりの薔薇のオーナメントが所狭し置かれている。さながらどこぞの高台にある邸宅のローズガーデンといった様相。
……なんということをしてくれたのでしょう……。
「こっちです、こっちー! お待ちしてましたよー」
ガーデンチェアに腰掛けてティーカップを傾けていた環は、俺の姿をみとめると勢いよく立ちあがり無邪気に手を振った。
「環……さん、あの……これは……、一体、何?」
「素晴らしいでしょう! 私がコーディネートしました下部さんのランチスペース、安らぎの空間ですよ!」
環は制服のスカートをチョンとつまむと、バレリーナのようにくるりと回転してみせた。環の髪がふわりと跳ねて、フローラルの香りが俺の鼻孔をくすぐった。
あまりの驚きに俺の全身はわなわなと震え、口元は行き場のない憤りでヒクヒクしていた。
「俺の場所? 俺、ここで安らがなくちゃならないの? このア○ネスの屋敷みたいなところで?」
「はい! 気に入っちゃいました?」
この顔が気に入った顔に見えますかね……。使われていないとはいえここはレッキとした共用スペースなのだから、こんな勝手なことをして許されるわけがない。今すぐにでも撤去してもらうべきなのだろうが……環の天真爛漫な笑顔を崩す勇気が俺にはなかった。
……まあ……いっか……。普通なら停学もんだが、きっと死神パワーでどうにかなるんだろ? いや絶対にどうにかしてくれよ?
改めて見ると、かなり大がかりだ。素人目にも分かるほど豪華で品のいいアップテントは、一番長い辺が10メートルを超えるほどの巨大な代物だ。やっていることはアホではあるが、エレベーターのひとつもない施設にこれだけのものを持ち込んだことは、純粋に賞賛に値した。
「これは、環が一人で作ったのか?」
「まっさかー! マスターですよ、マスター!」
マスター、万能だな! だが、出来ることならば、これは断って欲しかったぞ。
「それより、ランチですよっ、ランチ!」
背中を押されて案内された席には、水が入った清潔なグラスと曇りのないシルバーと純白のナプキン、フランスパンが2切れと几帳面に真四角にカットされたバターがセッティングされていた。
環が少し危うい手つきで俺の前にコトリと置いたのは、新鮮なサラダと具沢山のビーフシチューだ。たまらず、俺の腹は大音量で「食え!」と叫ぶ。
環は自分の分を持ってきて席に着くと、ぱちりと手を合わせる。
「いただきますっ! さささっ! どうぞ、ご遠慮なく沢山お召し上がりくださいなー」
促されて、ビーフシチューを口に運んだ。
「……う……旨いっ!」
極上ビーフの濃厚な脂身が芳醇なブラウンソースにマッチしている。俺は口一杯に広がるビーフシチューの幸せな感動に包まれていた。旨い、なんて旨いんだ!!! うん、旨い! 旨い……、そう、すっごく、旨い……んだけど……。
これじゃないんだよなぁ……。俺が望んでいたのは、もっと純朴でありきたりの手作り弁当だったりする。ウインナーがタコさんに切ってあるのとか、甘い玉子焼きとか……。
いやいや! そんな、贅沢言っちゃ失礼だな! これだって環が一生懸命作ってくれたんだし!
「これ、すっげー旨いよ! 環さんって料理上手なんだな!」
環は噴き出さんばかりに笑いながら顔を横に振った。
「まっさかー! マスターお手製ですよー!」
女子手作りですらなかったー!!! ええ、ええ。うすうす気付いてましたよ……。
今の俺はこんなことでいちいち落胆していられるほど暇ではない。
俺はマスターお手製のビーフシチューに舌鼓をうちつつ、さっそく学ランの幽霊のことを環に話した。