表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

綺麗なお兄さんは好きですか? がキャッチコピーの年上男性を籠絡していく乙女ゲーの世界で暮らしてるわたし。

作者: リゼ

 

 『ロリータ・コンプレックス』という言葉の由来は、20世紀に発表されたアメリカの古典文学作品からきている。映画化もされた有名な作品だから、知ってる人も多いんじゃないかな。

 わたし自身、どちらかというと年上の男性の方が好ましいと思えるから、年下女性を好む男性も多く存在するのは結構な事だ。


「皐月 (さつき)、俺は夕飯まで仕事してる」

「うん、分かった。お夕食出来たら呼ぶね」


 わたしと一緒に昼食の後片付けをしていた同居中の兄、広瀬嘉月 (ひろせ・かげつ)は、普段よりも幾分しゃっきりした口調でそう告げて食器洗いで濡れた手を拭うと、そのまま階段を上がっていった。今日もまた、書斎で書籍やパソコンと睨めっこするのだろう。

 兄と同居を始めてからまだ少ししか経っていないが、なかなか上手くいっている方だと思う。それもこれも、きっと幼少期からの努力のお陰だろう。


 でも、うちの兄は徹夜明けで寝ぼけていない時でも、ちょっと口数が少ないと思う。ボサボサした伸び放題の髪や髭を整えたら、すっごく格好良くなるのに。そんなんじゃ、せっかく一番優遇された攻略対象の立場なのに、ヒロインに恋焦がれられずにスルーされちゃうぞ。

 わたしは肩を竦めて、レポート作成に取り掛かった。



 わたしは平行世界の自分とでも言うべき、この地球とそっくりでありながら全く異なる世界を生きる女性の人生を、夢という形で共有している。いわゆるあれだ。サイコロを振って、1の目が出た世界と2の目が出た世界、可能性の分だけ枝分かれしていって……ってやつ。

 端的に言うと、『彼女』の生きる世界に存在する乙女ゲームの状況がもしも実際に在ったなら……の世界で、わたしは生きているの。

 『彼女』の人生は記憶に無いぐらい昔からよく夢で見ていて、『彼女』がのめり込んで遊んでる乙女ゲームの世界とよく似てる……だなんて、初めは全く気が付かなかった。夢の中で、兄や自分の名前が出てるゲームを遊んでいようが、しょせんは夢だもの。聞き覚えのある名前が出てきても、単なる夢にしか過ぎないって思うし。


 小さい頃から『彼女』の事を誰に話しても、変な夢だとしか取り合って貰えなくて。あれが、平行世界の出来事なんじゃないのか、なんてのも、実のところ科学的な根拠なんて無い。

 でも、『彼女』はわたしより十歳以上年上なんだよね。本来わたしが知るよしもない知識や経験を、昔から夢で垣間見るんだからきっとそうなんだ、と思ってる。

 だからもしかしたら、わたしが生きるこの世界の様子を夢で見ていた誰かが、ちょっとだけ時間が昔にズレた平行世界の『彼女』の日本で夢から得た作品のヒントとして、乙女ゲームを作ったのかも?


 で、乙女ゲームの話に戻るんだけど。

 わたしがここで生きてるのが『彼女』にも何か影響を与えてるのか、十年以上経った今でも『彼女』はたまに遊んでるんだよね。よっぽどお気に入りみたい。


 その乙女ゲームは、プレイヤーが操作するヒロインが中学に入学して、しばらくした頃から物語がスタートする。

 ヒロインの小学校の入学式の日、お隣のお姉さんが幼馴染みの男の子とデートしている現場を目撃したヒロインは、幼心に恋というものに淡い憧れを抱き、中学生になったある日、お隣のお姉さんから好きな人が居るの、と話を振られて『自分も素敵な恋がしてみたい』と思い立つ。


 ヒロインは素敵な年上男性達と知り合い、完全に子ども扱いされながらも健気にアタックを繰り返し、

「こんな義務教育中のお子ちゃまに、俺が本気になる訳が……!」とか、

「妹が出来たらこんな感じなのかなって、何度も自分に言い聞かせたんだ、君の事」とか、

「ええ、子ども扱いですよ。リスクを度外視させるほど大人を本気にさせたのだから、囲い込んで逃げ場を奪い取られないだけ感謝なさい」など。

 まあ、初めは完全恋愛対象外と見做されていたのに、徐々にヒロインに陥落していくヒーロー達の足掻きや開き直りも見所の一つだ。


 攻略対象達は全員年上で徹底されていて、中学で同じ部活のツンデレ系先輩、高等部の心優しい先輩、大学部の社交的な先輩、お隣のお家に住むお兄さん、大学准教授と、後半のメンツは犯罪じゃないかなそれ? と思わず聞きたくなるような攻略対象が揃っている。


 これまで散々、ここは乙女ゲームの情報が反映された平行世界で~とか、攻略対象が~とか話してきたけど、実のところロリータを地でいって男性諸氏を誘惑する中学生女子なヒロインというのは、わたしの事ではない。

 わたしのお隣の家に住む、葉山美鈴 (はやま・みすず)ちゃん。彼女こそこの乙女ゲームの小悪魔ロリータヒロインであり、恋愛に興味を抱く切欠になったお隣の家のお姉さんこそ、わたし、御園 (みその)皐月。

 うっかり選択肢を間違えてバッドエンドに確定なんかしようものなら、攻略対象の男性を恋人にしちゃう無自覚お邪魔キャラ、もしくはライバルポジションだ。


 現実に生きる美鈴ちゃんは昔からどこかちょっと変わった子で、それはもしかすると、わたしの影響もあるのかもしれない。

 わたし達がお互い小学生の頃にこなした、ゲームプロローグの回想イベントにあたる、わたしのデート現場を目撃した美鈴ちゃん……あんまり、恋愛事に興味が湧いたって感じじゃなかったなあ。『あっ君は友達!』って強硬に主張したのがまずかったのかしら?

 今日は美鈴ちゃんと二人でショッピングに行く約束してるし、それまでにレポート終わらせなきゃね。



 平行世界の『彼女』は、例のゲームを全クリして選択肢を覚えるぐらいやり込んでたけど、一番のお気に入りはお隣のお兄さん……早い話がわたしの兄の嘉月だった。

 お兄ちゃんってばどっか浮き世離れしてるせいか、ヒロインを子どもとしてじゃなくて、最初っから『異性』として見てるんだよね。恋に落ちたらぐいぐい口説いていって、むしろヒロインの方がたじろいじゃうぐらい。……もしかしてお兄ちゃん、真性なの?


 そんな危なっかしいお兄ちゃんだけど、わたしがまだ小さくて家族で同じ家に住んでた頃、お父さんとお母さんが離婚する前は、わたしはいつもお兄ちゃんにべったりだった。

 毎日毎日ケンカばかりするお父さんとお母さんから隠れるように、わたし達は家の片隅で寄り添って嵐が過ぎ去るのを待っていたものだ。

「大丈夫、皐月。俺がついてるから」

 お兄ちゃんはそう言って励ましてくれたっけ。わたしはその時はもう、平行世界の夢のお陰で、お父さんとお母さんが近いうちに離婚して、お兄ちゃんと引き離されてしまう事を知っていた。


 ちょっとぼんやりさんなお兄ちゃんには、絶対に幸せになって欲しい。

 わたしがお兄ちゃんの恋人に美鈴ちゃんを推すのは、昔からの友人で人となりを知っているからでもあるけど、ゲームの中でのハッピーエンドのお兄ちゃんが滅茶苦茶幸せそうだから、というのも大きい。

 父子家庭で昔から家事をこなしてきた美鈴ちゃんは、炊事洗濯掃除に裁縫何でも得意だし、料理の腕前は本当はわたしより上手いし手早い。ちょっと悔しいけど。

 世話焼きな美鈴ちゃんなら、すぐにでも嘉月お兄ちゃんのお嫁さんに来てもらえそうだし。


 わたしが実の妹の『御園皐月』じゃなくてヒロインの『葉山美鈴』だったなら、迷わずお兄ちゃんを選ぶんだけど……美鈴ちゃんは誰を選ぶんだろう。というか、美鈴ちゃん全然恋バナとかしたがる素振りも無いんだけど、気になる子とか居ないのかな。具体的にはお兄ちゃんとか!

 基本的に彼女が誰を選ぼうが、わたしは邪魔せず応援する気満々だ。取り敢えず、相手が攻略対象でもそうでなくても、社会的に立場がある大人で犯罪臭くない限りは。

 もちろん美鈴ちゃんが心を定めるまでは、全力でお兄ちゃんをプッシュするけどね!



「皐月さん、お付き合いさせてしまってすみません」

「良いよ良いよ。こういうのは、初めてから一人じゃ困っちゃうよね」


 待ち合わせの10分前に駅前に到着すると、中等部の制服に身を包んだ美鈴ちゃんが、わたしに駆け寄って来て開口一番に頭を下げてきた。目的の買い物の方向性がそれなだけに、ちょっと照れ臭そうだ。

 今日は美鈴ちゃんが新しい下着を買うそうで、気恥ずかしげに相談を受けたわたしはお供を買って出たのだ。

 美鈴ちゃん、丁度成長期だもんね。美鈴ちゃんのお母様がご存命なら、小学生の頃から用意してあげてたかもしれないけど、美鈴ちゃんのお父さんはなんか頼りない感じだもんなあ……

 大丈夫、任せて美鈴ちゃん。来たるべき戦いに備えて、小悪魔系に清楚系、ガーリーな誘惑下着まで、わたしがばっちり勝負下着を厳選してあげるから!


「あ、さようなら先輩方」

「おう」


 ショッピングモールに足を向けるわたし達の傍らを、賑やかに仲間内で会話を弾ませながら歩く、中等部の制服を着た男子のグループがすれ違う。

 彼らの姿を認めた美鈴ちゃんはぺこりと頭を下げて見送り、グループの中でも一際目立つ顔立ちの整った男子が、挨拶してきた女子生徒であるところの、美鈴ちゃんの顔をチラリと見て頷いた。


「なんかすんごい美少年だったね。美鈴ちゃんの知り合い?」


 彼らの後ろ姿を見やりつつ、わたしが何気なく問うと、美鈴ちゃんは頬を紅潮させてわたしにずいっと迫りつつ見上げてきた。


「そう思いますか、皐月さん!?

今の人は私の部活の先輩で、時枝芹那 (ときえだ・せな)先輩です。見ての通りの美少年で、絵画の才能溢れる将来有望な方なんですよ! どうですか!?」


 どうやら今のが攻略対象の内の一人、美鈴ちゃんの中等部の部活の先輩『時枝芹那』だったらしい。四月の出会いイベントは、時枝君とお兄ちゃんが強制で発生だから、五月に入った今、知り合いでも全然おかしくないけど。

 でも、どうですかってどういう事? チラッと見掛けただけでほぼ面識なんか無いに等しい年下の中学生に関して、わたしに何の意見を求めてるの美鈴ちゃん?


「うん、びっくりするぐらいの美少年だったね」

「そうでしょう、そうでしょう!?」


 あ、なんかピーンときた。

 美鈴ちゃん、きっと時枝君の事が気になってるんだ。美鈴ちゃん本人に自覚があるか無いかは分かんないけど。肝心の、淡い恋心を抱きつつあるのか、単純に先輩として憧れていて認められたいと思ってるのかは、ちょっと推し量りかねる~。

 でもこう、きっと本能的に周囲の女の子が潜在的なライバルになったりしないか、探りを入れてるんだな? ここは、美鈴ちゃんの恋のキューピットを自負するわたしとしては、ハッキリと心配なんか要らないんだと安心させてあげなくちゃ!


 目的のショップで、当然利用客は女の子ばかりな周囲をチラッと眺めてから、


「確かに可愛い子だけど、年下の男の子って、わたし興味無いしなあ。よく分かんないや」

「……!?」


 明るく言い放ったわたしの言葉に、美鈴ちゃんは今度は顔を青褪めさせながらよろめいた。危うく棚に後頭部をぶつけかけてる。

 あれ。美鈴ちゃんにとっては時枝君は同年代だから、わたしの中で美鈴ちゃんもどうでも良い興味無い、って意味だと思われちゃったかな?

 どうしたの? って聞いても、これなんかどうかな? って似合いそうなブラを差し出してみても、美鈴ちゃんはブツブツと何か小声で独り言を呟くばかり。わたしは腰をかがめて、美鈴ちゃんの口元に耳を近付けてみた。


「……やっぱり、ガッチリとハートを掴むには運命的な出会いを演出すべきか……」


 凄い、流石はロリータ小悪魔ヒロイン。下着を選びながら恋のターゲットとの親密度アップ計画を練ってる! これは美鈴ちゃん、かなり時枝君に心を寄せてる感じがするなあ。ラブ一歩手前?

 よっぽど時枝君を振り向かせたいのかな。お兄ちゃんに挽回の余地があると良いんだけど。

 でも、下着から遠い目をしたままよそ事考えてると、わたしが全部選んじゃうけど良いのかな? ピンクと白は外せないけど、問題は黒だ。似合うかどうかが最大の重要ポイント。さあ美鈴ちゃん、早く試着試着!



 お兄ちゃんと美鈴ちゃんの仲を取り持つべく、お買い物帰りにわたしは美鈴ちゃんを家に招いてお茶を出した。今日は緑茶にお饅頭。あんこはこしあん。

 本当は夕食前にお菓子とか食べたらご飯が入らなくなるんだけど、一個ぐらいなら……って、ついつい手が伸びちゃう。


「今日はいっぱい買ったから、しばらくは困らないね」

「……はっ!? あれ、私はいつの間に御園家宅に!?」


 ショッピング開始前から、どこかに半分トリップしていた美鈴ちゃんが、ようやく正気に戻ったみたいだった。

 移動や試着やお会計はちゃんと自分でしてたのに、考え事に没頭していつの間にか場面が変わってるって、軽いタイムスリップか夢遊病みたいだよ。身体は習慣から動いて、頭の中の考え事だけ活発化状態でよく怪我とかしないなあ。美鈴ちゃんの特技は読書しながら歩ける事、って本当なのかも。


「そうだ皐月さん!」


 我に返った美鈴ちゃんは、お茶を飲んで一息つき、意気込んで身を乗り出してきた。


「時枝先輩は確かにまだ年若いですが、是非長い目で見て欲しい人なんです」


 うん? もしかして、ずっと時枝君の事考えてたの? そんなに良い子なんだ?


「自分の信念を持ってる人で、絵を描いてる時の横顔なんかもう、はっとするほど綺麗だし、真剣さが伝わってくるんです」

「そっか。仲良くなれると良いね、美鈴ちゃん」

「いや、私がじゃなくてっ……」


 あ、照れてる? あんまりつついて本気でのめり込まれたら、お兄ちゃんの付け入る余地が無くなっちゃうな。私はさり気なく話題を逸らす事にした。


「ところで、今日の戦利品は確認しないの?」

「こ、これはっ……!?」


 ソファーに腰掛けてる美鈴ちゃんの、傍らに置いてあったショップの紙袋を指し示す私の眼差しに気が付いた彼女は、中身を取り出し絶句している。何で? ちゃんと試着してサイズも確認したし、似合う下着しか買ってないよ?


「可愛いでしょ? お揃いのキャミもセットになってるんだよ」


 紙袋の中からベビードールのセットを取り出し、美鈴ちゃんにあてがってみる。うん、この子は肌が白いからピンク色がよく似合う。


「こっ、こっちもフリフリレースにピンク、こっちも花柄ピンク!?」

「勧めたのはわたしだけど、ちゃんと美鈴ちゃんが自分で試着して、自分でレジに持って行ったんだよ?」


 トリップしてた美鈴ちゃんを我に返らせようともしたもんね。


「皐月? 帰ってきたのか……っ!?」

「あ、お兄ちゃん」


 てっきり二階で缶詰めしてると思ってたお兄ちゃんは、気分転換にでも降りてきたのか、話し声に気が付いたようでリビングのドアを開けて、中の様子を一瞥するなり硬直した。

 ソファーの上に無造作に広げられたブラにショーツ、キャミソールにガーターとニーソ。片手にピンクのブラをぶら下げた美鈴ちゃん。


「わっ、私今日はこれで失礼します!」

「あ、美鈴ちゃん」


 大慌てで広げた布を紙袋に押し込み、美鈴ちゃんは脱兎の勢いで駆け出した。お兄ちゃんはというと……美鈴ちゃんの背中を呆けたように無言で見送るだけで、追い掛けようとはしない。

 お兄ちゃん、ちょっと部屋に入ってくるタイミング悪かったね。後でメールで謝っておこ。お兄ちゃんに悪気はなかったんだよう。気恥ずかしい思いさせてごめん、美鈴ちゃん!


 まあ、このランジェリーと美鈴ちゃん事件のせいでか、お兄ちゃんは色んな意味で美鈴ちゃんを意識し始めたみたいだから、わたし的には結果オーライかな?



 攻略対象の男性諸氏は、美鈴ちゃんに好意を抱く可能性がある人達だけど、他の女の子に絶対に興味を寄せないとは思えない。

 わたしは昔から、平行世界で『彼女』が夢の中でゲームを遊ぶたびに情報を得て、成長するにつれて彼らに憧れが募ってきていた。実兄という印象が全くブレない嘉月お兄ちゃんや、ゲームの中で中学生から成長しない時枝君はさておき。

 高校生の大河内菫 (おおこうち・すみれ)君とか、大学生の石動椿 (いするぎ・つばき)さんとか、大学准教授の柴田雲雀 (しばた・ひばり)先生とか。彼らとわたしは、わたしの現実で普通に出会う事が出来るって気が付いて以来、わたしの目標は彼らの誰かと恋に落ちる事になった。

 冷静に現実的な視点から損得と利害を考えると、うっかり事態が発覚したらセンセーショナルに報道された挙げ句、学校の名誉や威信を地に落として監獄にぶち込まれ、人としての尊厳すら貶められかねない柴田先生を、ロリータ小悪魔の誘惑から避難させてあげるのが人の道であるような気がした。女子中学生と大学准教授がカップルというには犯罪臭漂うけど、女子大生と准教授の恋愛ならまま有り得る話だ。

 わたしが柴田先生に決めたのは彼が一番格好いいから、って理由も大きいけど。


 うっかり美鈴ちゃんの恋路と被って牽制されないように、序盤から彼一筋に生きますと宣言を込めて、柴田先生に憧れてるの、と具体的に個人特定可能な形で打ち明ける事にした。ゲームでの『御園皐月』は、具体的に誰の事か言明してないんだよね。だからバッドエンドでの恋のお相手はコロコロ変わってるんだけど。

 さて。そんなわたしに、美鈴ちゃんはひっくり返ってびっくりしてたんだけど、まさか美鈴ちゃんもいつの間にか先生を狙ってたの? まだ五月だから、柴田先生との出会いイベントって起こってないはずなんだけど。


「なんで……なんでよりによって准教授……!?」


 と、思ったら違った。どうやら、教職に就いている相手に生徒の立場で恋愛感情を抱くのは不毛だ、ってのが美鈴ちゃんの理念みたい。でもそれも、先生と知り合って親しくなるうちに、美鈴ちゃんは柴田先生に惹かれちゃうんだよ~。まあ、わたしがそうさせないよう全力で阻んじゃうけど。


「柴田先生は、熱心に指導してくれる生徒思いの優しい先生なんだ」

「そ、そうなんですか」


 んん? やっぱり、美鈴ちゃんからは『私も素敵な恋がしてみたいオーラ』が感じ取れないぞ。むしろ、全身から悲壮感が漂ってる気がするのは何でだろ?



 お兄ちゃんと美鈴ちゃんの仲を取り持つべく、わたしの奮闘はまだまだ始まったばかりだ。どうやらかなり興味を惹かれていたらしい、時枝君という手強い強敵がいるけれど、まだまだゲーム期間は始まったばかり。お兄ちゃんが有利な状況には変わりが無いしね!


 そんな風に、どっかり構えていたのがちょっとまずかったのか。ある日、一緒に夕飯を食べようとカレーを作っていた傍らの世間話で、美鈴ちゃんが恋愛事に興味を示し始めたようだ、という朗報と共に、危険な呟きを耳にした。

 美鈴ちゃんが好みのタイプとして例えたのは、本人曰く、


「アイドルばりの美男子で~、ファッションセンスも良くって~、女の子の友達も多くて明るくて積極的な雰囲気で取っつきやすくって、話してて楽しいタイプ? な先輩」


 だそうだ。

 いや、流石は小悪魔ロリータヒロイン、恋愛対象は当然のように年上なんだね。

 それは良いんだけど、何でよりによってそういう人と付き合いたい、とか思っちゃうかなー?

 居るよ、確かにその手の女の子と遊ぶのに慣れた、冗談半分に口説き文句を口にするお色気系お兄さんな攻略対象! 大学部の先輩、石動椿先輩が正に美鈴ちゃんの好みに当てはまる感じだけど……う~、まさか五月の椿先輩との出会いイベント、もう発生させちゃったとか?


 明らかに嘉月お兄ちゃんより、椿先輩に好意を抱いているのがハッキリするまでは、わたしはお兄ちゃんの味方だ。椿先輩をサラリと紹介するのも気が引けて、美鈴ちゃんには適当に誤魔化し、3人でカレーを食べながら、わたしはお兄ちゃんの好感度を上げる作戦を練るのだった。

 これは早々に、インパクト大作戦で髪と髭を整えさせた方が良いかもしれない。



 次の日の夕方、玄関のチャイムが来客を告げても、わたしが手が放せないでいる間に、お兄ちゃんが対応に出向いた。

 どうやら美鈴ちゃんが来てくれたらしい。話し声がする。


「今晩は、お邪魔します」

「……ああ。美鈴さん、いらっしゃい」


 この前、下着を広げていた場面を目撃した事件以来、美鈴ちゃんとお兄ちゃんは会うたびお互いにビミョーにもじもじしている。美鈴ちゃんから見上げられて、お兄ちゃんはそっと視線を外したけれど、その頬がほんのり赤らんだのを、わたしは見逃さなかった。


「美鈴ちゃん、いらっしゃい」

「……じゃあ、俺は仕事がある、から……」

「あ、はい。頑張って下さいね、嘉月さん」


 わたしが廊下の端から玄関先に近寄ると、お兄ちゃんは逃げるようにそそくさと二階の階段を駆け上がって行く。

 まったくまったく! お兄ちゃん、照れてるのか何なのか知らないけど、アピールしないでどうするの。


「皐月さん今晩は。今日は、昨日お裾分けして頂いたカレーのお礼になればと、色々作ってきたんです」


 美鈴ちゃんが笑顔で差し出すお盆の、上に被せられた布巾を持ち上げてみると、


「うわあ、美味しそう!」


 筑前煮にお魚のフライ、茄子の煮浸しに里芋の煮っ転がし、きんぴらゴボウ。全体的に色味が茶色くてすみません、だなんて謝る必要は全然無いよ、美鈴ちゃん! こんなに頂けるなら、お夕飯の支度が楽になる~。

 ゲームでも、小悪魔ロリータヒロインが手料理を差し入れて好感度が上がるミニイベントが頻繁に入るんだけど、正直わたしは(たかだかご飯程度で、現実にはそんなに好感持たれたりする訳無いよねえ)なんて舐めてました。スミマセン。

 美鈴ちゃんの料理のレパートリーは、本当に家庭の熟練主婦って感じで和食から洋食まで幅広く、かつ美味しい。コレは……すぐにお腹が減る年頃の男の子には、美鈴ちゃんがまるで女神の如き救い手に見えてしまうのも仕方がない。


「本当に貰っちゃって良いの?」

「はい、ちょっと今日は作りすぎちゃって」


 良かったら一緒に食べようか、と誘ってみたけど、美鈴ちゃんは今日はお父さんが早めに帰ってくるからって、お家に帰ってしまった。うう、残念。

 お夕飯の席に、美鈴ちゃんが作ったおかずを並べたら、お兄ちゃんは欠片も残さずペロリと平らげた。「美鈴さん、料理が上手いんだな」なんて感心してたけど、お兄ちゃん。グズグズしてると、美鈴ちゃんの手料理は二度と食べられなくなっちゃうよー。



 よく晴れ渡った翌日。ゼミの講義を受けにキャンパスを移動していたわたしの背中に、幼馴染みからの声が掛かった。


「皐月!」

「あっ君、やほ~」


 あっという間にわたしの傍らに追い付いた健脚の主は、春風に髪をそよがせて破顔した。

 お父さんの転勤によって、中学と高校は東京で過ごしたわたしが、小学校を卒業するまでよく一緒に遊んだ同い年の幼馴染み。

 中條陽炎 (なかじょう・あきほ)君。自分の名前の響きが女の子みたいだからって、友人達には愛称で呼ばせていて、わたしは昔から『あっ君』と呼んでいる。

 昔から男女の垣根を越えて友人を作る達人で、そしてわたしのいわゆる元カレ? というやつだ。

 小学校卒業と同時に別れを選択したわたしとあっ君だけど、いっぱい話し合って関係を円満解消したわたし達は、大学で偶然再会してからは、ごく普通の良好な幼馴染み関係で過ごしている。


「皐月はこの後講義?」

「うん、柴田先生の講義。毎回楽しいんだ」

「歴史がどーたら心理学がどーたらってやつだっけ? お前もよくそんな小難しいお勉強に励むよな。感心するわ……」


 あっ君は溜め息混じりにそう呟いた。そんな彼は、将来のスポーツトレーナーを目指す体育学部の学生。当然というか、わたしからしてみればむしろ彼の受講する講義の方が難易度が高い。だって、健康管理とか教員免許とか、色々学ばなくちゃいけないんだよね。

 あっ君は、『スポーツドクター資格欲しいな』とか、前にボソッと呟いてたけど、いやいやそれってつまり医師免許が必要だから! トレーナーの勉強だって難しいのに、何年勉強漬けになる気なの。


「今日、これから何か用事だった?」

「んー?」


 中学と高校ではサッカー部で活躍していたあっ君は、いかにも身体つきが引き締まった笑顔が爽やかスポーツマンって感じなんだけど、中身はまだまだ悪戯小僧な本質が隠しきれてない男の子だ。


「いや、天気も良いし皆で遊びに行こうぜ……って、誘いたかっただけ。ま、お前の愛しの柴田センセーとの貴重な時間は、邪魔できねぇわな」


 何故か笑いを堪えながらそんな事をのたまうあっ君に、わたしが反論する前に。


「おやおや。せっかくのデートのお誘いだったのに、いつもとは講義の時間が変更になってしまってすみませんね」


 わたしの後方から、そんな声が割って入ってきた。あっ君と喋ってるうちに、講義を受ける講義室の前までやって来ていて……いつも早くから講義室に足を運ぶ柴田先生が、いつの間にかわたしの背後に立っていた。

 ちょっとあっ君! 柴田先生がこっちに気が付いていると分かった上で、わたしが柴田先生好き好きな事実をワザと暴露したでしょ!?

 もうもう! 偶然とはいえあっ君にわたしの好きな人知られたの、絶対大失敗だった!


「せ、先生……」

「はい、どうしたんですか、御園さん?」


 慌てて振り向いた先の、敬愛すべき准教授様は、普段と変わらない柔和な笑みを浮かべて小首を傾げた。くっ……長身男性な癖に小顔なせいか、そんな仕草もヤケに似合う!


「い、今、中條君が口にした戯言は忘れて下さいねっ!?」

「はて、戯れ言と言うと……?」


 柴田先生はキョトンとした表情で尋ね返してきた。いや、『愛しの柴田センセー』ってところですよ! 冗談とかじゃないけど、他人の口から知られるとか抵抗がっ。


「じゃあまたな、頑張れよ皐月!」


 爆弾だけ置き去りにして、あっ君はサッサと退散していった。そして通りすがりに、他の友人に遊びに行く誘いを掛けている……


「やれやれ。流石にこんな廊下で、最終手段を繰り出す訳にもいきませんからね」


 そんな台風のようなあっ君の背中を共に見送った柴田先生は、白衣を翻して講義室のドアを開いた。


「廊下に立ったままだと、講義は欠席扱いにしてしまいますよ、御園さん?」

「え? あ、柴田先生!

さっきの最終手段が云々って、いったい何の話ですか?」


 先生に促されるまま講義室へと足を踏み入れつつ、何気なく呟かれた言葉の真意を知りたくて直接問い掛ける。先導する形でわたしの前に立っていた柴田先生は、足を止めて軽く顔だけをこちらに向けた。


「うん? 高校や中学の教師とは違って、大学准教授や教授には、生徒間における特権を一撃粉砕する、奥の手があるんだよ。君が同意してくれたら、の話だけどね?」


 ふふふ、と、楽しげに笑みを零しながら人差し指を軽く口元に当て、『内緒だよ?』なポーズと共に声を潜めて説明してくれる柴田先生。

 だけど、やっぱり具体的に何が行われるのか、サッパリだ。


「……?

先生、わたしよく分かりません」

「そうかあ、分からないか。

でも、いつかは行使してみたいな」

「行使って、何をです?」


 いつの間にか講義室に入ってきていた三回生の先輩が、わたしと柴田先生の会話に文字通りヒョイと首を突っ込んで入ってきた。

 柴田先生のゼミ生の一人、綺麗な茶髪とシルバーアクセサリーがお洒落な、石動椿先輩だ。美鈴ちゃんの攻略対象の一人で、なおかつ彼女の好みど真ん中らしいけど……今のところ、先輩と美鈴ちゃんはどんな関係なのかな? もう出会いイベントは済ませてるのかな。

 椿先輩がサラリと零れた少し長めの髪を流れるような動作で耳にかけると、シルバーピアスが天井からのLEDライトの光を小さく反射した。わたしと目が合うと、にこりと笑ったその瞳もキラリと輝く。

 この人も背が高いから、わたしと目を合わせてくれる時は、上からだったり下からだったりはその時々によるけど、とにかく顔を覗き込まれるんだよね。


「やあ石動君。いやね、学生の間にしか出来ない劇的イベントの演出についてだよ」


 うん? ……そんな話だったっけ?

 椿先輩は何だか不機嫌そうな表情で、柴田先生を睨み付けた。わたしと柴田先生が話してた事なんて、結局はたわいのない言葉の戯れ合いでしか無いんだけどな。


「へ~、仮にも教育者が、そんな事言っちゃうんですか?」

「何なら、今この場で跪いても良いんだけど? 君はそれで構わないの?」


 小馬鹿にしたような口調で挑発気味に笑う椿先輩に、柴田先生は柔らかい笑みを浮かべたまま、また小首を傾げて問い掛けた。

 チッと、椿先輩があからさまに舌打ちをし、小声で低く吐き捨てた。


「ウゼェ……余裕かよ」


 あ、椿先輩がご機嫌損ねた。

 柴田先生と椿先輩は、軽口を叩き合うぐらい気安い関係なのかもしれないけど、二人の間に挟まれてるわたしは、妙に居心地が悪かった。



「皆は、聖書を読んでみた事はあるかな?」


 講義の時間が始まり、教壇から階段状に机が並んでいる講義室の中を見渡した柴田先生は、まずそんな質問を投げかけてきた。

 だけど、日本人で熱心なクリスチャンって少数派だから、あいにく今日集まった生徒達は皆、目を通してみた事が無いみたい。わたしも読んだ事は無いなあ。


「ヒバリセンセー、今日は講義じゃなくて宗教の勧誘ですか~?」

「いやいや、決してそうじゃないよ?」


 真ん中の方の席から飛んできた野次に苦笑して、柴田先生は手にしていた分厚い本をパラリとめくった。


「例えば、ヨハネの黙示録の中で世界の終末やイエスの再臨。その前に、こんな生き物が現れると記されている。七つの頭と十本の角を持つ獣。その背中には、額に『大バビロン』と書かれた金や宝石で着飾った女が跨がっている」


 柴田先生の話を纏めると、つまりこういう事だ。著者であるヨハネは実際に執筆した時期よりも、約25年ほど前に黙示録が書かれたかのように装い、過去25年間に起きた出来事を内容に盛り込んで、予言が的中したかのように見せかけた。

 ヨハネが生きていた当時、西暦95年前後。ローマではキリスト教徒は迫害され激しい弾圧を受けていて、ヨハネはたくさんのキリスト教徒を無残に殺すローマ皇帝を『獣』だと嫌悪していた。

 この迫害の時期は予言が当たっているからだ、つまり、世界の終末と神の国がやってくる時は近いんだ。そう言って、苦しむキリスト教徒達を励ましたかったんだろう。


 だが、終末の時は近いどころか、実際のところローマ帝国の歴史は長い。そして西暦313年、キリスト教はローマ帝国に公認され、広大な支配地域にその教えは広がっていった。

 そうなると困るのが、聖書に記されたローマ皇帝は残虐な獣だという比喩で表現された記述である。自分達を庇護してくれる権力者を悪し様に罵倒する訳にはいかない。そうして、黙示録の獣は未来の出来事だという解釈をされるようになった……


「書物を開くと、当時を生きる人々にとっては暗黙の了解で理解出来る比喩が多分に含まれている。

それが、時代の変遷によって様々な解釈をされるようになるんだから、昔話って面白いよね」


 そう柴田先生は締め括って、今日の講義は終わった。


 はあああ……なんか、聖書研究の人達にとっては初歩的な前提らしいけど、聖書に書かれた出来事って本当にあった出来事だけを書いてる訳じゃないんだね。

 わたしは教壇の上を片付けている柴田先生に駆け寄った。今日もさり気なくアピールを頑張る!


「柴田先生っ」

「どうしたの御園さん? 今日も何か質問?」


 段差を駆け下りるわたしに、聖書を片手に微笑みかけてくる柴田先生は、白衣にYシャツネクタイ姿だというのに、『まるで教会の神父様ってこんな雰囲気なのかしら』と思わせる、どこか静謐な空気を纏っていた。


「はいっ。聖書の逸話が本当にあった事じゃないなら、どうしてキリスト教の信者は世界中にたくさんいるんでしょう?」

「う~ん、そうだね」


 わたしの、講義の内容から外れている気もする質問に、しかし優しい柴田先生は真剣に考えてくれた。


「きっと、聖書の言葉を寄りどころにしているからだろうね。人は、生きていく上で何かに縋りたくなる事が本当にたくさんある。

僕は、聖書は色んな解釈で人の心を軽く出来る、哲学書の一種だと思ってるんだ」

「哲学書、ですか?」

「そう。世界には辛い事や苦しい事がいっぱいあるよね。ペテロの第一の手紙、第3章にこんな一節がある。『善をおこなって苦しむことは――それが神の御旨であれば――悪をおこなって苦しむよりも、まさっている』

それはつまり、どんな人もきっと善良な本質を持っていて、正しい事をしていれば人の心は通じ合えるのだ……とかね?」


 先生が優しく微笑む姿を見たら、なるほど……何だか、聖書とは素晴らしい書物のような気がしてくるから不思議だ。さっきの講義では、そうは思わなかったのに。わたし、ちょっと単純過ぎるのかもしれない。


「わたしも一度、聖書をじっくり読んでみたいです」

「そう? 小難しくて退屈かもよ?」

「頑張りますっ」

「それなら」


 と、柴田先生は持っていた聖書をわたしに差し出してきた。


「僕の本、貸してあげる」

「わあ、有り難うございます!」


 笑顔でそれに手を伸ばしたわたしと柴田先生の間に、またしてもにゅっと顔を突っ込んできた人物が。誰かと思ったら、また椿先輩だし。


「さ~つき、ちゃんっ。アイツらが今夜、皆で飲みに行かないか、だって。行く?」

「ええ?」


 椿先輩から急に飲み会の話題を振られてわたしは面食らったが、まあ、うちのゼミ生の先輩達は酒好きが多い。これまでも幾度か誘われた事がある。


「柴田先生は行かれますか?」


 お借りした聖書を胸元に大事に抱きつつ先生に尋ねると、柴田先生は首を左右に振った。


「ううん。せっかくのお誘いだけど、今夜は用事があるから遠慮しておくよ」


 何だ。先生が出席しないならわたしもパスしよう。


「すみません、椿先輩。わたしも今夜はちょっと……先生からお借りした本、早速読み込みたいので」

「うわ、凄い断り文句」


 正直に伝えたら、椿先輩は目を丸くした。う~ん、だって先輩達からの飲み会のお誘いをどう言って断っても、結局角が立つ事に変わりが無いんですもん。


「本って……柴田先生から聖書借りたの? わざわざ?」

「だって、何か興味が湧いちゃって」

「そう言ってこの前は、日本昔話を借りてなかった?」

「あれも面白かったです」


 椿先輩、よく覚えてるなあ。あ、もしかしてわたし、柴田先生に本たかる悪いイメージを周囲に振りまいてるのかな?柴田先生が迷惑してるとか、逆に一人の生徒を贔屓してるとか、そんな噂が立ったらまずい。今後はちょっと、控えなきゃ。


「そんなに面白いなら、俺も柴田先生オススメの本、借りたいなあ。ねえ、センセ?」

「残念、石動君。今日の手持ちは御園さんの手の中の聖書だけだよ。

そんなに気になるなら、石動君は図書館から原書でも借りて来たらどうかな?」

「ヘブライ語やギリシア語なんか読めませんよ」


 笑顔でしてる会話なのに、なんかやっぱり、椿先輩が喧嘩腰に見えるなあ。でも、柴田先生って椿先輩と喋ってる時、わたしと話す時より何か楽しそうなんだよね。ちょっとジェラシー。


「ま、俺も日本昔話とか、世界中の童話の類にちょっと興味が湧いたの否定はしませんけど」

「よし、それなら御園さんは聖書、石動君は童話を読み終わったら、二人にはレポートを提出して貰おうかなあ」

「ええっ!?」

「強制!?」

「大丈夫大丈夫、ちゃんと成績に考慮するから。あ、石動君はちゃんと西洋童話の原書を読むんだよ。

自主的に勉学に励む生徒を教えられて、先生幸せだなあ~」


 優雅に白衣を翻し、先生は笑顔で講義室を退室していった。特に期限とか切られなかったけど、先生の心の点数がこれで稼げるのならわたし、張り切っちゃいます!


「皐月ちゃん、良かったら俺と一緒に……」

「椿先輩、わたし、早速レポートに取り掛かるので、これで失礼します! さようなら!」

「あ、皐月ちゃ……」


 ペコっと頭を下げてお暇を告げ、足早に講義室を退室するわたし背後から、「っのヤロー、計算ずくかあっ!?」なんて叫びが聞こえてきた。わたしにとっては柴田先生に話し掛けられる口実にもなるご褒美だけど、あれは椿先輩、不意打ちレポート提出を言い付けられて、相当怒ってるよ~。



 ウキウキ気分まま帰宅したわたしを、嘉月お兄ちゃんがにっこり笑顔で「お帰り」と出迎えてくれた。だけどお兄ちゃんのその姿を見て、わたしは思わず玄関先でズザッと後退ってしまった。


 昨日まで……いや、わたしが大学に向かう今朝までは、ボサボサの伸ばしっ放しな長髪を適当にゴムで括り、髭もボウボウだったお兄ちゃん。だがしかし、夕方に帰宅すると、サラサラの髪の毛はナチュラルショートにカットされ、顔にも髭はもちろん青い剃り痕すら無い。まさに美男子に大変身を遂げていた。何この美男子。

 だけど一番気になるのは、今お兄ちゃんが着てる、その謎のTシャツかなあ。アイラブ……FUJIYAMA? お兄ちゃん、そんなに富士山好きだっけ? もう一回、何この美男子。


「お、お兄ちゃん……ど、どういった心境の変化?」

「いや、特に何かあった訳では……」


 お兄ちゃんはちょっと気まずげにわたしから目線を逸らし、ズイッとわたしに畳まれたTシャツを差し出してきた。

 富士山の写真がプリントされたこれは、今まで見た覚えが無いんだけど。うちにこんなTシャツあったっけ?


「皐月、父さんからの宅配が来ていたぞ。これ、俺とお揃いらしい」

「お父さんからのお土産だったんだ」


 お兄ちゃんから受け取って目の前で広げてみると、Tシャツの肌触りはとても良かった。綿100%だし、柄は奇抜だけど部屋着にする分にはくつろげて丁度良さそう。

 まさか荷物はTシャツだけって事は無いよね。お父さん、他に何を送ってきたんだろう?


「お兄ちゃん、今日はちょっとご飯遅くなっても良い?

読みたい本があるんだ」

「ああ、別に構わない」


 頷いて、お兄ちゃんは何だかソワソワしながらリビングに入っていった。

 ドアからコソッと覗き込んでみると、お兄ちゃんはリビングのテーブルにノートパソコンを広げて、縁側と庭に繋がる大きな窓ガラスの向こうへ、時折チラリチラリと視線を向けていた。因みに、我が家はそこのガラス製の掃き出し窓の出入り口から庭に下りると、その敷地の向こうは丁度、葉山家の玄関先になってる。


 はっは~ん。お兄ちゃん、急にイメチェンとかしたのは、美鈴ちゃんから自分の見た目から引かれないか、気になりだしたな? わたしが急かして美容室に押し込む必要も無かったみたい。

 ふふふ、美鈴ちゃんが帰って来たかどうかは、キッチンの食卓よりもリビングの方が気が付きやすいもんね。


 わたしは廊下で一人、にんまりと笑みを浮かべてから自分の部屋に引き上げて行った。

 これはきっと、うちのお兄ちゃんに春がきたって考えて良いんだよね。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] すみません、わたし、お兄さんを応援したくなりました…! 頑張って、嘉月さん………!
[一言] まさかのWゲーム展開にびっくりしました。皐月の方はまだ普通だけど、美鈴の方はやたら濃厚エロENDっぽいの多いからギャップが・・・・・・。ロリータヒロインの美鈴と皐月がお互いのゲームの方向性を…
[一言] 連載と共に楽しませてもらってます。 今回はふと人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇であるという言葉を思い出してしまいました。 なんという悲劇。なんという喜劇。 そして、あれ18禁…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ