死刑囚
生物兵器を探す青年のプロローグみたいな、ななな、な
『barat』と看板のかかった店から出てきたのは、サングラスをかけたプラチナブラウンの青年だった。無数のピアスが白い肌に実に自然に喰い込んでいるのが、余りにもキレイな青年の姿を更に異質に変えていた。
青年、一二三は店を出るなり首にかけていたヘッドフォンを耳に当てた。
先程の話の容量が思ったより大きく脳内で整理整頓をはじめようと思ったのだ。周囲を歩くひとの声や日常の音より、耳元で大音量に響くロックバンドの音楽は一二三の脳を活性化させるに富んでいた。
情報屋、砂条満欠の言葉は思ったよりも信憑性がありそうだ。
一二三でも知っている白崎という研究所及び薬品会社の話を持ち出してきた彼の、白崎亜子がその研究に関わっているという情報は、彼女を探し始めてやっと掴んだ有力な情報だと思った。そうならば、いままでは、行く場所のほとんどが戦場のような、殺伐とした場所だったことも納得できるからだ。
今回の満欠の言葉でやっと仮定を立てることまではできた。
白崎亜子は生物兵器と成り果て、行く宛てもなかったところをどこかの戦争屋にでも買われたのだろう。だからこそ、彼女は極めて危険な戦場でのみ目撃されていた。
「……まったくもう……、軍部は死刑囚の扱いが酷いよ、ほんと……」
しかし、これでやっと晴れて俺も自由の身だ。
口の中で一二三はにたりと口端を歪め呟いた。
ガチャガチャを耳元で鳴り響く轟音ロックに軽くリズムを合わせながら、大通りから路地に身を移す。
そしてそのまま、薄暗いビルの陰にその身を溶かすようにして、白銀の姿は消えていた。
一二三。
六年ほど前、都内で無差別大量殺人が行われるという壮絶な事件があった。たった十日の内に約二百人の人々が殺されるという内容で、それも、傷口の状態から、すべて素手での犯行であると断定されていた。
当初は通りかかりによる衝動的な殺人、通り魔だと思われていたのだが、徐々に公共施設へ足を踏み込んできた被害がその仮定を払拭させた。警察は威信にかけて、と捜査を始めたが、最終的には警視庁の中でも殺人を許し、最後は自衛隊によって取り押さえられるという結果で、犯人が捕まった。
その犯人が、当時一三歳、孤児院から中学校に通っていた、一二三という名の少年だった。
大量虐殺という言葉のもと、死刑を言い渡された一二三は死刑囚として刑務所の中で生活していたのだが。
それから六年、一九歳になった彼にある転機が、鉄格子の奥からふわりと投げられた。
顔をあげると、一二三の担当監視官である男が思い詰めたような表情で、しかし声はそのままに「出ろ」と短く言う。言われるままに外に出れば、いつも通り手首に鉄臭い輪が嵌められ前に進まされる。
「一哉、俺はどこに行くのかな」
「黒崎監視官と呼べ、一二三」
黒崎一哉は一二三の倍年齢を重ねた男だが、その隆々とした体格と活力の溢れる彼の雰囲気は実年齢よりずっと彼を若若しく見せていた。
幅二メートルの通路は両側に鉄格子が嵌められており、中には一二三と同じ囚人服を着た男達が収容されている。歩く一二三に軽く手をあげ挨拶する者もいれば、一哉を見てすぐにベッドに潜り込む者もいる。あげられた手に「よう」と短く挨拶を返し歩いていると、何度か連れてこられたことのある懲罰室への階段に降ろされた。
「おいおい、黒崎監視官様、これはないんじゃねえの。俺なんかした? ここ数日はイイ子にしてたろうよ」
懲罰室はどういった仕掛けがあるのか、光も、音も一切入らない作りになっており、食事さえ来ないこともある。十時間単位で入れられたことのある一二三は猛抗議したが、一哉は「黙れ」と一蹴して一二三の背中を押し、階段を踏ませる。
懲罰室に一二三を入れ、一哉は「またな」と短く呟いた。それに応える余裕もなく、「やだって!」と叫ぶと頬を殴られた。いい加減にしろと一哉が無表情ながら苛立ちを見せる。
「早く入れ。後はお前次第だ」
「はぁッ?」
ガチャリと扉の閉まる音の後にはなにも聞こえなかった。
暗闇の中に取り残された一二三は自分に繋がれている鎖の音だけを頼りに理性を保つ。音もない光もない。発狂してしまうまで後何分かかるかと数えておこうかとさえ思った、そのとき。
「君が、一二三くん?」
唐突に聞こえてきた声は落ちついたテノールだった。耳を心地よく刺激され、一二三はほとんど無意識に「そうだよ」と答えていた。
「そうか、流石黒崎くんは仕事が早いね」
「一哉……、監視官になんか頼んでたの」
「君をここに連れてきてくれ、とね」
「へえ、なんで」
「用が、頼みがある」
「無理だね。俺はここから出られない」
「君にもできる仕事を教えてあげるよ。アルバイト募集中なんだ、死刑囚限定で」
「ふうん」と曖昧な返事をしながら一二三は暗闇の中にいる自分以外のもう一人の目的を想像してい た。アルバイトって、と半ば馬鹿にしながら。死刑囚にしかできない、ということは、一般人、警察では手を出せないということだ。暗殺とかだったりして……阿呆臭。
「ふむふむ、で、どんな仕事?」
「暗殺」
「わあ」
ビンゴ、とは口に出さず、もう一度脳内で「阿呆臭ァァァ」と叫んでおいた。
「そういう専門のひとに頼めばいいんじゃないの、それ……」
「専門職の人間が数人もう殺されてしまって」
「それで、なんで俺になるのか分からない」
「君が大量殺人者だからだ」
分かり切っていることを、と一二三は闇の中を睨んだ。それを汲み取ったかのように、テノールが笑う。
「『彼女』ときっと対等で有り得る存在なんだ、君は」
ひたりと、何かが首に触れて一二三は跳び退いた。耳元にすう、と言葉が流れ込んでくる。テノールはこんなに近くにいたのだ。
「終われば君を、自由にしてあげよう」
テノールの指に、喉仏がゆっくりと撫ぜられた。