孫堅、世に出る(一)
男の手は汚れていた。男の朱色に染まった剣は、善人、罪人双方の命を無差別に絶つ。男は部下達に向って指揮する。
「奪ったものは船に運べ」
部下達は抗う事も無く、無言で略奪品を船へと運び込む。男達の顔からは罪の意識が全く感じ取る事ができない。極わずかでも罪悪感を感じているのなら、いくらかマシな方だろう。
この男達は海賊である。
首領の名は「胡玉」。何人、人を殺してきたか検討がつかない。そして胡玉は今日も略奪を行った。当然抗う者は殺された。今日はまずまずの結果だったらしく、戦利品を眺めて胡玉は満足気にしている。
胡玉は腐っていた。何のためらいもなく、人の命を軽々と絶つ事ができる。最初は人を斬った後、いくらか罪悪感が残った。不思議なもので、罪悪感は時間と共に消えうせる。斬り殺した人数が増えるに従って、胡玉はしだいに罪悪感を感じにくくなっていった。ついには完全に感覚が麻痺し、何も感じなくなっていた。感覚が麻痺したといっても、胡玉には一つだけ感じるものがあった。
それは人を殺した時に得る、満足感だった。
胡玉は完全に腐っている。それはさておき、何故胡玉の横暴が許され続けているのか。それは漢王朝に要因がある。皇帝というのはこの時代ではお飾りにすぎず、十常侍(十人の宦官の総称)という宦官達が政治を専横していた。十常侍は己の富を増大する事に没頭した。世の中が乱れようと、十常侍には関係なかった。自分の地位さえ高くなればいいのだ。
まだ六歳の霊帝を操るのは容易な事だったという事は言うまでもない。まだ六歳の童子だ。政治の事が分かるわけもなく、政治は全て十常侍が担当していると言える。こうなると十常侍は、やりたい放題だった。十常侍の政治は政治ではない。十常侍にとって政治とは己の富を築き上げる道具にすぎないのだ。賄賂は当たり前の事だった。十常侍に賄賂を贈る者は出世し、賄賂を嫌う者は絶対と言っていいほどに出世できなかった。
──上が乱れれば下も乱れる。
当たり前の事だった。庶民から搾り取れるだけ税を搾り取り、役人は私服を肥やした。無論庶民の暮らしは貧しくなった。海賊達の横暴は頻繁に起こるようになった。こんな世の中を築いたのは誰なのか。十常侍をおいて誰もいないであろう。胡玉の横暴が許され続けたのも、主に腐った世の中を作った十常侍が原因だった。
──見晴らしの良い大地に、がっしりとした体が居座っていた。それも堂々としている。若者の視線の先には、海賊が居た。若者の眼には、賊の数は4、50人と映った。
──弱い。若者には賊がどれほどの強さか解った。弱い。賊を見た感想はそれ以外何も浮かばなかった。若者には、一人であの賊を壊滅させる自信があった。若者の体格は立派だった。なんといっても引き締まっている。威が体からにじみ出ている。しかし、一人で4、50人斬るとなると面倒だ。戦いは何があるか解ったものではない。突然の事故で己の生命が失われ兼ねない。
若者は知友兼備といってよかった。若者は大軍を指揮していた。いや、指揮している素振りをみせた。賊の間に動揺が走った。若者は大軍を実際に指揮していたわけでもない。単なる真似事だ。しかし、賊共の眼には若者が大軍を指揮している様に見えた。賊共は慌てた。まだつみきれて居ない戦利品を慌てて船に押し込み、われ先にと逃げようとした。
──遅かった。若者が恐ろしい勢いで突っ込んできた。一人である。若者が賊の男とすれちがった。血が舞い上がった。賊の一人の男の首から血がおびただしいほど出ていた。次々と血が虚空を占領した。賊の男達は相手が若者一人だと気付くと、反転して若者に襲い掛かった。賊の男達の剣はすべて虚空を切り裂いているだけで、若者にかすりもしない。若者の剣が踊る。剣が踊るたびに賊の首が跳んだ。
若者には神が付いているのか。胡玉にはそう見えた。若者に触れる事すらできない。触れようとするなら、朱色に染まった剣が命を完全に絶つ。
──やはり弱い。若者の眼は本物だった。若者の手がかすかに動いた。残り少ない敵は唖然とした。何が起こったのかわからないという顔をしている。だが自体を理解するのにはそう時間がかからなかっただろう。首領胡玉の首が地に落ちている。若者の剣が今までより格段に速い動いきを見せた。常人には見えない、凄まじい閃光だった。若者は今まで手加減していたのだ。明らかに手を抜いていた。そして、気まぐれに本気を出してみた。結果、首領胡玉の首が一瞬のうちにとんだ。生き残っている数人の男共は震え上がった。胡玉はあれでもこの賊の中で一番の腕を誇っていたのだ。その胡玉が反応さえ示せずに倒されてしまった。男達は強烈な恐怖感に襲われた事であろう。
若者の周囲には大量の屍が群がっていた。若者はたった一人で賊を潰したのだ。大胆不敵な男と言っていい。この若者の名は孫堅、字は文台といった。この時孫堅はわずか17歳だった。この後、孫堅の名が世間に轟いたのは言うまでもない。
後から自分の作品を何度か推敲してみると、やはりまだまだ未熟だと感じ入りました。
まだ自分は三国志を書く器量ではないと悟りましたので、一時三国志の執筆を中断します。