第七章「揺らぐ心」
夜が明けても、空気は重かった。
街はいつも通り動いている。
人々は笑い、商人は声を張り上げ、子供は駆け回る。
だが――
カイゼルとルミナの間には、見えない沈黙があった。
「……」
言葉がない。
隣にいるのに、遠い。
(……昨日のこと)
ルミナは小さく息を吐く。
あの戦い。
あの言葉。
――人間じゃない。
胸の奥に、引っかかったまま消えない。
(……怖い)
思ってしまった。
ほんの一瞬だけ。
カイゼルを。
そのことが、何より怖かった。
「……ルミナ」
不意に呼ばれる。
「っ……なに?」
少しだけ声が揺れる。
カイゼルは、いつもと同じ顔をしていた。
だが――
どこか違う。
「依頼、行く」
それだけ。
短く、淡々と。
「……うん」
頷く。
それしかできない。
ギルドへ向かう道。
並んで歩く。
距離は変わらないはずなのに。
妙に遠く感じる。
(どうして……)
昨日までは、あんなに自然だったのに。
(どうして、こんなに……)
言葉が出てこない。
カイゼルもまた、何も言わない。
ただ前を向いて歩いている。
その背中が――
少しだけ、冷たく見えた。
――依頼。
森。
魔物。
戦闘。
すべては、いつも通りのはずだった。
だが。
カイゼルの動きは、明らかに違っていた。
速い。
正確。
そして――
冷たい。
一切の迷いがない。
一瞬で間合いに入り、斬る。
終わる。
次。
また終わる。
まるで作業のように。
(……違う)
ルミナは息を呑む。
これは強さじゃない。
感情がない。
「……カイゼル」
思わず呼ぶ。
だが彼は振り返らない。
「終わった」
それだけを言う。
それ以上、何もない。
ルミナの胸が締めつけられる。
(このままだと……)
言葉にできない不安。
だが確かに感じる。
(離れていく)
強くなるほど。
遠くへ。
手の届かないところへ。
「……ねえ」
声を出す。
震えそうになるのを抑えて。
「なんだ」
変わらない声。
だが温度がない。
「……なんでもない」
言えなかった。
怖かった。
もし、このまま距離が広がってしまったら。
もし――
本当に、届かなくなったら。
(……やだ)
その気持ちだけが、強くなる。
帰り道。
夕暮れ。
オレンジ色の光が差し込む。
長い影が伸びる。
二人分。
並んでいるはずなのに。
どこかズレている。
ルミナは、立ち止まった。
「……カイゼル」
呼ぶ。
今度は、逃げない。
カイゼルが振り返る。
無表情。
「……なんだ」
ルミナは、ぎゅっと手を握る。
勇気を絞る。
「……怖いの」
その言葉に、カイゼルの目がわずかに動く。
「なにがだ」
「あなたが」
一瞬の沈黙。
だが、続ける。
「どんどん、遠くにいく気がして」
声が震える。
それでも止めない。
「強くなってるの、わかるよ」
「でも……」
目を伏せる。
「そのぶん、何かが消えてる」
カイゼルは何も言わない。
ただ、見ている。
「私……」
ルミナは顔を上げる。
まっすぐに。
「置いていかれるの、嫌」
その言葉は、弱さだった。
だが同時に――
強さでもあった。
逃げない想い。
カイゼルは、しばらく沈黙する。
そして。
「……そうか」
それだけを言う。
だが。
次の言葉が出ない。
(……なんでだ)
何か言うべきなのに。
分かっているのに。
言葉が、出てこない。
(……分からない)
感情が、掴めない。
ただ一つだけ。
確かなのは。
ルミナのその表情を見ていると――
胸の奥が、ざわつく。
「……ルミナ」
名前を呼ぶ。
それだけで、少しだけ何かが戻る。
「……行くぞ」
結局、それしか言えなかった。
だが――
ルミナは、小さく頷いた。
「……うん」
完全じゃない。
分かり合えていない。
でも。
終わっていない。
二人はまた歩き出す。
同じ方向へ。
ただ――
少しだけ距離を意識しながら。
触れられそうで、触れられない。
そんな距離。
それでも。
まだ、繋がっている。
細く、揺れながらも。
確かに。




