第五章「距離の変化」
夕暮れの光が、街を柔らかく包んでいた。
依頼を終えたカイゼルとルミナは、ギルドへ戻る途中だった。
手には、わずかな報酬。
それでも――
「ちゃんと生活できるね」
ルミナが嬉しそうに言う。
「……ああ」
短く返す。
だがその声は、以前よりもわずかに柔らかい。
ギルドで報告を終え、外へ出る。
人の流れの中を歩く。
隣には、ルミナがいる。
(……当たり前になってきたな)
ふと、そんなことを思う。
以前なら考えられなかった感覚。
「ね、あれ見て」
ルミナが指さす。
屋台。
焼きたてのパンの香りが漂っている。
「……食うのか」
「うん」
即答だった。
少し迷って、カイゼルは金を差し出す。
二人分。
ルミナは少し驚いた顔をした。
「いいの?」
「……ああ」
理由はない。
ただ、そうしただけ。
パンを受け取り、二人で並んで歩く。
ルミナが一口かじる。
「……おいしい」
その言葉と表情が、妙に印象に残る。
カイゼルも口にする。
――確かに、うまい。
だがそれ以上に。
(……なんだ、この感じは)
隣で誰かが同じものを食べている。
それだけで、少し違う。
「ね、カイゼル」
呼ばれる。
自然に名前で。
「なんだ」
「今日、助けてくれた人たち……喜んでたね」
「ああ」
「すごいよ」
その言葉に、カイゼルは目を逸らす。
「……そうでもない」
本心だった。
強くなった実感はある。
だが、それは空虚だ。
「私は、すごいと思う」
ルミナはまっすぐに言う。
「だって、ちゃんと守ってた」
その一言。
胸の奥に、小さな何かが灯る。
「……別に」
言葉は素っ気ない。
だが否定はできなかった。
少しの沈黙。
風が通り抜ける。
「……ね、カイゼル」
また、呼ばれる。
今度は少しだけ声が小さい。
「なんだ」
「ここ、座ろう?」
街の外れ。
静かな石段。
二人は並んで腰を下ろす。
空は、夕焼けに染まっている。
しばらく無言。
だが、不思議と居心地は悪くない。
「……前の世界ではね」
ルミナがぽつりと話し出す。
「外に出たこと、あんまりなかったの」
視線は空のまま。
「ずっと、ベッドの上で」
静かな声。
だが重くはない。
どこか、受け入れている響き。
「歩くことも、走ることもできなくて」
「……そうか」
短く返す。
それ以上は踏み込まない。
だが、ルミナは続ける。
「だからね」
少しだけ笑う。
「こうやって歩けるの、嬉しい」
その言葉に、カイゼルは視線を向ける。
小さな体。
細い腕。
それでも、確かに生きている。
(……そういうことか)
理解する。
彼女が、なぜここにいるのか。
ただの使命じゃない。
「……無理はするな」
ぽつりと、言葉が漏れる。
自分でも意外なほど自然に。
ルミナは少し驚いて、そして微笑む。
「うん」
その笑顔が――
少しだけ、眩しい。
「でもね」
ルミナは続ける。
「無理してでも、ここに来てよかったって思う」
まっすぐに、彼を見る。
「カイゼルに会えたから」
その言葉。
不意打ちだった。
カイゼルは一瞬、言葉を失う。
「……変なこと言うな」
ようやく出たのは、それだけ。
だが。
胸の奥が、わずかに熱い。
「変じゃないよ」
ルミナはくすっと笑う。
「本当のこと」
沈黙。
夕焼けが、少しずつ暗くなる。
(……分からない)
この感覚。
戦いとは違う。
孤独とも違う。
だが――
嫌ではない。
むしろ。
「……帰るぞ」
立ち上がる。
「うん」
ルミナも立つ。
自然に、隣に並ぶ。
距離は、少しだけ近い。
触れてはいない。
だが――
前よりも、確実に近い。
歩き出す。
同じ方向へ。
それだけのこと。
それだけなのに。
カイゼルは、ほんの少しだけ思う。
(……悪くない)




