第三章「共に歩く理由」
夜が明ける。
冷たい石畳の上に、淡い光が差し込んでいた。
カイゼルはゆっくりと目を開ける。
……隣に、誰かいる。
視線を向けると、少女が座っていた。
ルミナ・セレスティア。
小さく膝を抱え、静かに空を見上げている。
逃げていない。
いなくなってもいない。
(……まだいるのか)
不思議と、それが少しだけ“当たり前”に感じた。
「起きた?」
振り返ったルミナが、やわらかく微笑む。
「……ああ」
短く答える。
それ以上の言葉は出ない。
だが沈黙は、不快ではなかった。
「お腹、空いてるよね」
ルミナが差し出したのは、簡素なパンだった。
どこかで手に入れてきたのだろう。
「……いらない」
反射的に拒む。
だが、腹は正直だった。
ぐ、と音が鳴る。
ルミナは小さく笑った。
「無理しなくていいよ」
その一言に、カイゼルは目を伏せる。
――拒む理由が、分からなかった。
ゆっくりとパンを受け取る。
口に運ぶ。
……温かい。
それだけで、妙に胸の奥がざわついた。
(……くだらない)
だが、その“くだらなさ”を否定しきれない。
「ありがとう」
気づけば、言葉が出ていた。
ルミナは少し驚いて、それから嬉しそうに笑った。
「うん」
たったそれだけのやり取り。
それだけで、空気が変わる。
――そのときだった。
遠くから、悲鳴が聞こえた。
「……っ!」
ルミナが顔を上げる。
カイゼルも同時に立ち上がる。
身体はすでに動いていた。
「行くの?」
ルミナの問いに、彼は振り返らない。
「……関係ない」
そう言いながら――
足は止まらない。
二人は路地を抜け、開けた通りへ出る。
そこには、数体の魔物がいた。
狼のような形状。
だが目は赤く濁り、牙は異様に長い。
低級魔物――だが、一般人には十分脅威だ。
人々が逃げ惑っている。
「やめて……!」
子供の声。
その前に、一体の魔物が迫っていた。
――考えるより早く。
カイゼルの身体が動く。
一瞬で間合いを詰める。
剣が振るわれる。
音すら置き去りにした一撃。
魔物の首が宙を舞った。
「……え?」
周囲の誰かが声を漏らす。
だがカイゼルは止まらない。
次。
次。
次。
無駄のない動き。
感情のない斬撃。
ただ“処理”するように魔物を斬り伏せていく。
――強い。
明らかに、以前とは別物の力。
だが。
(……なんだ、この感じは)
戦っているのに、何も感じない。
達成感も、高揚もない。
ただ、終わる。
最後の一体を斬り捨てる。
静寂が戻る。
「……終わった」
誰かが呟く。
だがカイゼルは何も言わない。
ただ剣を下ろす。
その背中を――
ルミナが見ていた。
「……すごい」
その声は、賞賛だった。
だがカイゼルは首を振る。
「違う」
「え?」
「……何も、感じない」
正直な言葉だった。
戦っても、何も残らない。
それが、今の自分。
ルミナは少しだけ目を細める。
そして、ゆっくりと近づいた。
「じゃあ」
その手が、彼の腕に触れる。
「私が、感じさせてあげる」
静かな声。
だが、強い意志が宿っている。
「……は?」
理解が追いつかない。
だがルミナは続ける。
「戦う理由」
一歩、踏み込む。
「生きる理由」
さらに近づく。
「一緒に見つけよう?」
その言葉は、優しくて。
逃げ場がなかった。
「……なんで」
また同じ問い。
だが今度は、少し違う。
ルミナは迷わない。
「あなたが、ひとりじゃないって知ってほしいから」
その瞬間。
胸の奥が、強く揺れた。
理解できない。
だが――
否定もできない。
長い沈黙。
そして、カイゼルはゆっくりと口を開く。
「……勝手にしろ」
それは拒絶ではない。
受け入れでもない。
だが――
拒まなかった。
ルミナは、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、勝手にするね」
その軽さに、ほんの少しだけ呆れる。
だが不思議と――
嫌ではなかった。
二人は並んで歩き出す。
行き先は、まだない。
目的も、定まっていない。
それでも。
ひとりではない。
それだけで――
世界の見え方が、少しだけ変わっていた。




