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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

毒姫と呼ばれた私ですが、どうやら周囲を癒す力があるようです

作者: 鬱沢色素

「──お前のせいで、また屋敷の花がすべて枯れた! どうしてくれるつもりだ、エリシア!」


 まーた始まった。って思ったのが正直な感想だった。


 父の怒鳴り声が食堂に響いたとき、私は落ち着いて紅茶をひと口すすっていた。

 熱すぎて舌を火傷したのは内緒だけど。


「お前のその毒のせいで、使用人は倒れ、客人は逃げ出し……屋敷の名誉が、地に落ちたのだぞ!」


 あーあ、ついに名誉まで持ち出してきた。

 これは本格的にお決まりの流れっぽい。


「今すぐ荷物をまとめて、北の旧別邸へ行け! そして二度とこの屋敷の敷居をまたぐな! お前はもう追放だ!」


 はい! いただきました! 追放宣言!

 いやー、こうして面と向かって言われると、少し嬉しくなる。


「承知しました。さくっと準備して出ていきますね」


 そう答えた私に、父はあからさまに面食らった顔をした。


 え、予想外だった?

 こっちからすれば予想通りすぎて、もはやリアクションに困るんだけど。


「お前……嫌じゃないのか?」

「嫌? なんで? どうして、私がそう思う必要が?」


 この家で私がなにをされてきたのか、忘れたことはない。



 ──私の名前はエリシア・ルーヴェル。



 侯爵家の長女だ。

 そんな私だけど、生まれつき、ちょっと特殊な体質を持っている。


 まあ、端的に言えば『毒』だ。


 私に触れた植物はしおれ、小動物は怯えて逃げていく。

 体の弱い人が私に触れたら、具合が悪くなることだってあった。


 誰が最初に言い始めたのかは分からない。

 だけど、この体質のせいで私はずっとこの家で『毒姫』と呼ばれてきた。


 他にも呪われた子。厄災を呼ぶ娘。存在するだけで迷惑──そう言われて、落ち込んだ時期もあるにはある。

 けど、どれだけ気を遣っても改善するわけじゃないって気づいたあたりで、私の中の何かがふっと軽くなった。


 どうせ毒があるなら、それ込みで開き直ったほうがマシだって。

 落ち込んでも消えるもんじゃないし。


 だけど、私が屋敷中の人間に嫌われている事実は変えられなかった。



『食事、部屋の前に置いときますから。あっ、下がった皿には触らないでください。また誰か倒れたら面倒なので』

『お客様が気分を悪くされたら困りますし、姿を見せないようにしてくださいね、毒姫様』

『あっ、ちょっと! お母様の部屋の前は通らないでください! 空気が濁るって文句きてるんです!』



 使用人すらも、私にそんな汚い言葉を投げつける。


 あれこれと好き勝手に言われて、最初のうちはつらかった。

 でも、それが当然になってしまった今、もう驚きも悲しみもない。


 そんなわけで、父にお決まりの追放宣言をくらっても、別に傷つきもしなかったのである。


「もういい! お前がそう言うなら、こっちこそ願ったり叶ったりだ! さっさと出ていけ!」


 父からそう突き放され、私は応接間を後にした。


「……これで誰にも気を遣わなくて済むし、ちょっと気楽かも」


 冗談抜きで、そう思った。


 さて。

 父から告げられた行き先は、領地の北にある旧別邸。

 もともと療養施設として使われていたらしく、今は誰も住んでいないとか。


 人がいないなら、それはそれで気を遣わなくて済む。

 ゆっくり休みたい私にとっては好都合である。


 というわけで──早くこの家を出るために、そそくさと荷造りをしていると、


「エリシア様……本当に、行かれるのですか?」


 侍女のミーナが寂しげに尋ねてきた。


 彼女はこの屋敷内で唯一、私に普通の目で接してくれていた人間だ。

 別にこの家には未練はないつもりだったけど、強いて言うなら彼女を置いていくことだけ。


「うん。もう決まったことだし。ありがとうね、今まで」


 素直な気持ちを込めて言ったら、ミーナはぽろっと涙を零してしまった。


「……どうか、お元気で」

「そっちこそ。花壇に水やるときは、手袋忘れないでよ。まだ、私の毒が残ってるかもしれないから」


 最後に軽口をひとつ。

 ミーナが泣き笑いしながら頷いたのを見て、私もさすがに少しだけ胸が詰まった。





 ガタン、ゴトンと馬車が揺れる。

 窓の外には、見慣れた街の風景が広がっていた。


 侯爵家の北端にある旧別邸は、村はずれの静かな場所だという。

 管理もろくにせずに荒れ放題なことから、近寄る村人もあまりいないらしい。


「毒姫の幽閉場所にはぴったり、って思ってるんだろうなあ……」


 父の顔を思い浮かべて、思わず小さく笑ってしまう。


 でも、私は落ち込んでなんかいない。

 むしろ、ちょっと楽しみだった。


 だってこれまで、私の人生は『毒があるから』って理由で、やれることが決まってた。

 制限されて、避けられて、時には閉じ込められて。


 でもこれからは違う。

 誰にも干渉されず、自分の思うままに暮らせる場所が手に入るのだ。


 気落ちしている暇なんてない。

 どうせやるならポジティブに。それが私のモットーであった。


「よし、頑張ろう。私なりに」


 独り言を零して、そっと目を閉じる。

 馬車の揺れが、少しだけ心地よく感じられた。





 ◆ ◆



 ──早いもので、旧別邸での生活が始まって、三日が経とうとしている。


 第一印象通り、この屋敷は見た目こそボロいけど、住めばそれなりに落ち着くものだった。

 家具もちゃんと使えるし、水道も生きてる。掃除さえすれば、案外悪くない。


 さすがに手ぶらで追い出すのは罪悪感があったのか、両親は僅かばかりの生活費を渡してくれていた。

 とはいえ、それも心許ない。

 いつかは、ちゃんとお仕事を探さないといけないとは思っているけど……もう少し、ここでゆっくりしよう。

 ニート最高!


 そんな私は毎朝早く起きて、軽く朝ごはんを済ませてから庭の手入れをするのが、ここ数日のルーティン。

 ……まあ、庭の手入れと言っても、主に枯れ草の除去になるんだけど。


「よし、次はこの薬草……って、あっ」


 引っこ抜こうとした薬草に触れた瞬間、ぱたりとその葉がしおれていく。


 あーあ、またやっちゃった。

 私は自分の手を見下ろして、苦笑いを浮かべる。


「ほんと、反応早いよね……。せめて触った瞬間に枯れないでほしいんだけど」


 慣れてるとはいえ、やっぱりちょっとだけ凹む。


 でも、これが私の日常だ。

 今更、毒があるからって落ち込んでも、仕方ない。


「ん?」


 気が付く。


 この草、ただ枯れているるだけじゃなく──色がおかしいような。

 葉の縁が黒ずんで、中心に赤みが差している。

 なんというか、今までの枯れ方とは違っている気がした。


「え……なにこれ。前はこんなふうにならなかったのに」


 もしかして……と思う。


 実家の庭に生えてたのは、観賞用の花や樹木ばかりだった。

 だから、こんな薬草みたいな雑草に触れる機会はほとんどなかった。

 ……からなのかな?


 とはいえ。


「まあ……枯れていることには変わりないよね」


 放置しておけば、庭の景観も悪くなる。

 そう思い、枯れ草を引き抜いて、ゴミ袋に入れようとすると──、


「ちょ、ちょっと待った!」


 背後から突然、男の声が飛んできた。


「え……誰──うわっ!?」


 振り返ると、思わず驚きの声を上げてしまう。


 そこには草まみれの男の人がいた。

 年は二十代後半くらい。髪はぼさぼさ、目の下に若干のクマ。肩には薬草の束を背負っている。


 ……うん。まごうことなき変質者だね。


「ちょっと失礼……これは、やっぱり……!」


 私が戸惑っているのも気付いてないのか、男は私の手から枯れた草を奪い取ると、興奮気味にじっと観察し始めた。


 あ、あの。私、怒るべき? それとも逃げるべき?


 悩んだ末に私が出した答えは、


「あなた誰?」


 とにかく、相手の正体をはっきりさせることであった。


「おっと、ごめん。僕はライナス。この辺で薬草採取してる薬師だよ。この別邸、誰も住んでないって聞いてたから、裏庭にだけちょっと入らせてもらってたんだけど……君がいるとは思わなくて」


 申し訳なさそうに、ライナスが言う。

 うん……やっぱり、変質者だ。


「自警団さーん──」

「うわっ、ままま待って!」


 自警団を呼びに行こうとすると、ライナスは慌てて私を止めてきた。


「誰も住んでないからといって、人の敷地に入り込んだら、自警団を呼ばれるのは当然だと思うけど……?」

「だから、ごめんって! でも……ここが人の敷地? 誰かが所有してるとかって、聞いたことがないけど」

「ここはね──」


 少し面倒臭くなりながらも、私は自分の事情を説明した。


「なるほど……」


 すると、ライナスは痛々しい表情で。


「実の娘を追放するなんて……酷い親がいるもんだ。君の親はなにを考えているんだろう?」

「まあ、あの人たちは自分のことしか考えてないから」


 肩をすくめる。


 ……それにしても、事情を説明したら「触れただけで植物が枯れるなんて、君が悪い!」と罵倒されるかと思ったけど、この人はそんなことをしなかった。

 それだけでも、ちょっとは信頼してもいいのかな?


「だから……か。毒姫って──あっ、ごめん。この呼ばれ方は嫌なんだよね?」

「全然。どっちでもいいというか。そう呼ばれていたのは事実だし……というか、どうしてさっきから興奮してるの?」

「あっ、そうそう! どうしてってどころじゃないよ! この草、ただのフランキア草だったのに、君が触れた途端、魔性毒ましょうどく化してる!」

「ましょう……どく?」


 聞いたことのない単語に、私は思わず聞き返した。


「魔性毒っていうのはね、本来は人工合成でもめちゃくちゃ難しい、特殊な毒素だよ。すごく不安定で、猛毒なんだけど──ちゃんと精製すれば、高ランクの薬の材料にもなる」

「……毒が、薬になるの?」

「そう」


 とライナスは何度も首を縦に振った。


「専門用語で『毒の反転触媒』っていうんだ。これがあれば、重病人の熱を下げたり、回復を促進する薬が作れる。君の体は、その触媒の役割をしてる。つまり……」

「……つまり?」

「君の毒、めちゃくちゃ高級素材ってこと!」


 ライナスは目を輝かせながら言い切った。


「高級素材って……大袈裟すぎない?」

「大袈裟じゃないよ。これすごい発見だ。魔性毒を自然生成できる人なんて、聞いたことがない!」


 私は毒を持って生まれてきて、ずっと迷惑者扱いされてきた。


 でも。


「えっーっと、つまり私の毒が役に立つってこと?」

「もちろん。ちゃんと管理すれば、人の命すら救える可能性がある。君の体質、薬師にとってはまさに奇跡だよ。ルーヴェル侯爵家が、君を追い出したなんて信じられない」


 奇跡。

 私の毒が、まさかそんな風に呼ばれる日が来るなんて、思いもしなかった。


 まだ信じられなかったけど、心の奥がじんわりと温かくなる。

 なんだろ……ちょっと、嬉しいかも。


「ねえ、お願いがあるんだ」


 一転、ライナスは真剣な顔で。


「今度また協力してくれない? もっとサンプルが欲しいんだ」

「いや、初対面で『毒もう一回くれ』ってお願いするの、どうかと思うよ」

「……だよね」


 ライナスは頭をかいて、罰が悪そうに笑った。

 私はそんな彼の姿を見て、自然と笑ってしまった。


「まあ、いいよ。どうせ、やることないしね。私の毒が人の役に立つなら、協力したいし」

「ほんと!? ありがとう!」


 首を縦に振ると、ライナスはぐっと顔を近付けてきた。


 ち、近い!

 この人、さっきから思ってたけど距離感がおかしい!


 ……っていうか、こうしてあらためて見ると、意外と整った顔立ちしてるなこの人。

 もうちょっと髪を整えて、クマをどうにかすれば、普通に見栄えは良さそうだ。


「ご、ごめん!」


 さすがにライナスも自分の狼藉に気付いたのか、慌てて離れる。


「怖かったよね?」

「大丈夫。それよりも、私にあんまり近付かない方がいいよ。高級素材だかなんだか知らないけど、毒であることには変わりないし」

「そうだね。だけど、うーん……いつまでも、君をそんな風に扱うのは嫌だな。また、それについても対処法を考えていこっか」


 ライナスは腕を組んで、うーんと悩んでいた。

 こういう風に考えてくれる人は今までいなかったので、ちょっと嬉しかった。


 ──毒で嫌われ、追放された私の体質が、誰かの助けになるかもしれない。


 そう考えると、今はとても誇らしかった。





 翌日からライナスと一緒に、私の毒を活用した薬づくりが始まった。


 まさか毒姫と呼ばれた自分が、薬作りに協力する日が来るなんて思ってもみなかったけど──やってみると、案外楽しい。


「ほら、これ触って。あ、ほんの少しでいいよ。強く触れると毒の濃度が上がりすぎちゃうみたいだから」

「了解。……っと」


 私は指先でそっと薬草に触れる。

 すると、葉の色がうっすらと赤紫に変化していく。


「おお、いい感じ。うん、安定してる。反応も均一だ」


 ライナスは目を輝かせながら、草をそっとビンに入れた。


 こうしてできた薬の試作品は、ライナスのつてを通じて、村の療養所に持ち込むことになった。

 診療所の奥で帳簿をつけていた白髪混じりの先生が、眉をひそめながらビンを持ち上げる。


「……うーん? 本当にこんなの効くのか? 色も匂いも、いかにも怪しいが」

「大丈夫ですよ、先生。毒素はちゃんと処理してます。僕が保証します」

「うーん、ライナス、お前がそう言うなら信じてみるが……」


 どうやら、このライナス。

 最初はただの変質者だと思っていたけど、薬師としての腕は間違いないみたい。

 その証拠に、診療所の先生も彼のことを信頼しているようだった。


「本当に患者に使っても問題ないんだな?」

「もちろんです!」


 ライナスの真剣な表情に、先生は「しゃあないな」とでも言いたげに溜め息をついた。


「診療所にくる患者に試してみよう。だが、万が一のことがあれば、すぐに使用を取りやめるからな」

「ありがとうございます! 安心してください。責任は僕が取ります」


 こうして、試作品の薬は正式に使われることになった。


「本当に効くのかな……?」

「大丈夫だよ!」


 不安を吐露すると、ライナスが笑顔で頷いてくれた。

 なんだかこの人の笑顔を見ていると、自然と「なんとかなるんじゃないか」って思えてくる。


 何事もなければいいけど……。

 だが、私の心配は杞憂に終わるのであった。





 それから数日後。


「すごい! あの薬、飲んだら息子の熱がすぐに引いたの!」

「足の怪我が治りかけてる……嘘みたい!」


 村人たちが、口々に喜びの声を上げていた。

 その薬の材料に、私の毒が使われていることを聞いても、誰も怖がったりはしなかった。


「ライナスの言ってたことは、本当だったんだ」


 療養所の前で話を聞いていた私は、思わずぽつりと呟く。


 ライナスから話を聞いても、まだ私の毒で誰かが元気になるなんて信じられなかった。


 だけど、こうしてちゃんと現実に起きている。

 ほっとするやら嬉しいやらで、むず痒い気持ちになった。


「ねえ、あなたが……薬師さんの助手さん?」


 不意に、後ろから声をかけられた。


 振り返ると、七歳くらいの小さな女の子が立っていた。


「うん、まあそんな感じ。どうかした?」

「その、お姉ちゃんが作った薬……ありがとう。あれ飲んだら、足、全然痛くなくなったの!」


 にぱーっと満面の笑みになる少女。


「そっか。良かった」


 ──ありがとう。

 たったその一言を聞けただけで、胸がじんわりと温かくなる。


「でもね、私、昔は“毒姫”って呼ばれてたんだよ。触っただけで植物を枯らしちゃうから、すごく嫌われててさ」


 ふっと笑ってみせると、少女はぱちくりと目を見開いた。


「お姉ちゃんが嫌われてた?」

「うん、そう」


 さぞ、今の私は苦虫を噛み潰したような顔になっているだろう。


「……ねえ、お姉ちゃん」

「ん?」

「毒姫なんかじゃないよ」


 少女は、にっこり笑って、こう言った。


「今のお姉ちゃんは毒姫なんかじゃない。この村の──『癒しの薬姫』だよ!」

「──え?」


 思わず、言葉を失った。


 毒姫。

 私がずっと、呪いのように背負っていたその名前を──この子は、否定してくれた。

 しかも薬姫なんて、まるで正反対の呼び名までつけてくれて。


「薬姫か……いいじゃないか。癒しって言葉が、君には似合ってる」

「うちの爺さんもあの薬で熱が引いたんだよ。本当にありがたい」

「薬姫エリシア様、なんて呼ばないとバチが当たりそうね!」


 他の村人たちも笑いながら、口々にそんな優しい言葉をかけてくれる。


「癒しの……薬姫、かあ」


 つい口にして、くすっと笑ってしまう。


「ちょっと照れるけど……悪くないかも」


 満更でもないって、こういうときに使うんだろうなあ。


「お姉ちゃん。この村にずっといるの?」

「うん。少なくとも、当面はそのつもり」

「やったー! だったら、これからも会えるね。また、お喋りしてくれる?」

「もちろん。私は村はずれのお屋敷に住んでるから、いつでも来て。あっ、庭にある草とかは触っちゃダメだよ? 毒があるかもしれないから」

「分かった!」


 少女は嬉しそうに笑って、ぺこりとお辞儀をして去っていった。


「ふう……ほんとに、こういうのもいいね」


 旧別邸ではしばらくのんびりするつもりだったけど、こうして村人たちのためになれるなら、忙しく動き回るのも悪くないかもしれない。


「──エリシア!」


 後ろからライナスが駆け寄ってきた。


「すごいよ! 村の診療所の先生から正式に依頼が来た! あの薬を、定期的に作ってくれって!」

「ほんと!?」

「うん! エリシアの毒が、ちゃんと村の『希望』として認められたってことだよ!」


 希望。

 そんな風に言われたのは、人生で初めてだった。

 誰かに必要とされて、感謝されて、笑顔をもらえる。


 ──こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。


 胸の奥があったかくて、涙が出そうになるのを必死でこらえながら、私はそっと笑った。


「よーし! 癒しの薬姫として、もっと頑張ってみようかな!」





 ◆ ◆



「……どういうことだ。うちの厄介者の毒姫が、今では『癒しの薬姫』などと呼ばれているだと?」


 ルーヴェル侯爵が放った言葉に、応接間にざわりとした空気が流れた。


 彼はエリシアの父。

 彼女を追放した張本人だ。


 エリシアを追い出してからというもの、エリシアの名前など家中で口にされることはなかった。

 父であるルーヴェル侯爵も、その母である侯爵夫人も、彼女の存在など最初からなかったかのように振る舞っている。


 しかし今や、エリシアの名が王都の薬師たちの間で飛び交っていた。


『毒が薬に変わるなんて、まるでお伽話みたいよ。でも、実際に効くんですって』

『どうやら、辺境の村でとんでもない薬が作られたらしいぞ。たった一滴で高熱が下がるとか』

『しかも、ある一人の特異体質が関係しているとか。ほら、あのルーヴェル家で外に出てこない子。エリシア様っていったかな』


 そういう話は無論、ルーヴェル侯爵の耳にも届いていた。


「魔性毒。まさか、エリシアの毒が薬になるなんて……」


 夫人が、青ざめた顔で言葉を漏らす。


「そんなこと、思いもしなかったわ」

「全くだ。このままでは、毒姫──娘の利用価値を、他所に取られてしまう」


 侯爵は眉間に皺を寄せる。


 忌むべき毒のはずが、今や万能薬の原料。

 しかも、供給は一人の少女からに限られる。


(そんなものがあったら、金などいくらでも湧いてくるようになる。我がルーヴェル家も、さらなる発展を遂げるだろう)


「すぐに馬車ををよこせ! あの娘を連れ戻しにいくぞ!」


 そう言い切った侯爵の顔には、もはや父親としての情など欠片もない。


「丁重に扱うぞ。姫として迎え入れたと、世間に思わせるのだ。今更、追放したなど知られては困る」

「じゃあ、療養のために外に出していたことにでもしておきましょうか?」

「それがいい! お前は天才だな!」


 二人で盛り上がる、侯爵とその夫人。


 こうして、己の利益のために、再び手のひらを返す侯爵家。

 かつて毒姫と呼んで娘を切り捨てた一家が──今度は娘の毒にすがろうとしていた。





 ◆ ◆


 その日。

 私はいつものように庭の草を抜いていた。


 このところは、ただ枯らすだけじゃなく、毒の変化具合を見極めながら丁寧に扱うようにしている。

 薬作りの手伝いを始めてから、私の中で毒への向き合い方が少しずつ変わっていくのが自分でも分かった。


 ……と、そんな時だった。


「エリシア! お客さんが来てる!」


 庭の向こうから声と共に、ライナスが飛び込んできた。


 最近では、いつもライナスと一緒にいて、薬づくりに励んでいる。

 そのおかげで、彼とも大分仲良くなったものだ。


 なのに、今日の彼は私を呼ぶ時にしては、ちょっとだけ硬い声音だ。


「お客さん? 誰?」


 私たちが作った薬を求めてきたのだろうか。

 だったら、診療所にたくさん置かれているので、そっちに行った方がいいのでは?


 そう思っていたが、


「それが……」


 ライナスが深刻そうな顔をして、客人の名前を告げる。


 その瞬間、走ってライナスと共に玄関に向かうと──そこには、もう絶対に見ることはないと思っていた顔があった。




「お父様? それに……お母様も」




 両親が揃って、私の前に立っていた。

 あまりにも突然のことに、それ以上言葉が紡げない。


「エリシア、久しいな」


 笑顔を浮かべる父。

 だけど、私に向けられた父の笑顔なんて記憶になかったので、嬉しさよりも胡散臭さを感じる。


「元気にしてたかしら?」

「ええ、おかげさまで」


 母にそう答える。


 ……なんのつもり?

 どうして今更、両親が私の元に……?


 怪しんでいると、続けて父は続けて耳を疑うようなことを言い放った。


「療養のために外に出していたが、もう十分だろう。そろそろ戻ってこい」


 療養のため?

 言っている意味が分からず、私は目を瞬かせる。


「……え? なにそれ」

「お前がいなくて寂しかったんだ。そろそろ、お父さんたちに親孝行をしてくれ」

「そうよ。そろそろ遊びは終わりにしてちょうだい。お母さんたちは、可愛いあなたともっと過ごしたいわ」


 まるで私が最初から家の宝だったとでも言わんばかりに、両親は相変わらず胡散臭い笑みを続けている。


「……ふうん」


 私はちょっと肩をすくめた。


 都合のいいことばかり言っているが、両親の目的は間違いなく私の毒だろう。

 どこからか、私の毒が万能薬に変わることを知り、連れ戻そうとしているだけに違いない。


 やりようによっては、私の毒で一財産を築き上げることも可能だからね。

 もともと貴族でお金には困っていないはずなのに、これ以上なにを求めるんだか。


「エリシア……」


 傍ではライナスが心配そうに、私を見ている。


 もしかして、私がこの村を離れるって思っているのかな?

 でも、大丈夫。




「今更、帰ってこいって? 無理だよ。もう、こっちで楽しくやってるから」




 表情はにこやかに。

 けれど、心の中では、ぐらりと怒りが揺れていた。


「楽しく? こんな田舎で、なにを言って──」

「ねえ、私をあの家から追い出したのって、誰だったっけ?」


 言葉を遮って問いかけると、父の眉がぴくりと動いた。


「お、追い出したとは人聞きが悪い。私は……」

「『二度とこの屋敷の敷居をまたぐな!』って言ったの、覚えてるよ。ルーヴェル家の名誉が地に落ちた、ってことも」

「そ、それは誤解だ。あれは、たまたま機嫌が悪かっただけで──」

「どうせ、今は利用価値が出てきたから戻ってこいっ言いにきただけでしょ? 都合よすぎるよ」

「違う! 別にお前の毒が目的なんじゃ──」


 瞬間、父はしまったと言わんばかりに口を噤んだ。


 ほーら、やっぱり。私の予想は間違ってなかったみたいだね。

 結局、この人たちは私を娘としてではなく、『使える毒袋』としか見ていないんだろう。


「お言葉ですが……」


 今まで静かに話を聞いてくれていたライナスが、こう口を開く。


「エリシアの毒は、あんたたちが思ってるよりずっと繊細なものです。無理やり使っても、なにも得られませんよ。あなたたちに、エリシアを渡すわけにはいきません」


 ライナスの言葉に、父が顔をしかめた。


「ふざけるな! 我が家の金のなる木を、こんなところに置いておけるか!」

「金のなる木? 人のことを?」


 思わず、笑ってしまった。


「やっぱり、お断りだよ。私はここで、これからも暮らす。癒しの薬姫としてね」

「親の言うことに逆らうつもりか!」

「私を見捨てたのに今更、親ヅラしないでよ! お父様たちより、ここの人たちの方がよっぽど親切なんだから!」


 思わず語気を強めてしまうと、両親は揃って言葉を失った。


 私が言い返してくるとは思っていなかったのだろう。


 しかし。


「いつの間に、親に反抗するようになったのだ……! えぇい、帰らないというなら、無理やりにでも連れ帰る! こっちに来なさい!」


 と父が私の腕を掴もうと迫ってきた、その時。



「ん? ちょうど薬の相談で寄ったんだが……なにか揉めてるのか?」



 診療所の先生が玄関に顔を出した。

 騒がしいのに気付いて、来てくれたのかな?


 そして、来てくれたのは診療所の先生だけではない。



「今日は配達に来たの。なんか、大変そう?」

「お姉ちゃん、今日もお喋りしよ!」



 療養所の先生、配達人、私に癒しの薬姫という素敵な名前をくれた少女──数人の村人が心配になって、駆けつけてくれたのだ。


「だ、誰だ、この田舎者たちは!」


 突然現れた村人たちを見て、さすがの父も戸惑う。


「薬姫様。これはどういう状況なんです?」

「えっとね……私を追い出した実家が、今さら『戻ってこい』なんか言い出しててさ」


 私は肩をすくめて苦笑する。


 隠す必要もないと思ったから、事前に村の人たちには私の事情を話していた。

 だから、両親がしらばっくれようが、最初から無駄だったわけだ。


「なにぃ!?」


 すると、村人たちの目に怒気が宿った。


「彼女を連れて行かせるわけにはいかない!」

「薬姫様は、この村の希望です。彼女を追い出した両親に、渡せるもんですか!」

「お姉ちゃん、連れていくのはダメ! お姉ちゃんは、この村にずっといるって言ってくれたんだから!」


 村人たちは私の前に立ち、堂々とそう言ってくれた。

 その姿は、どんな盾よりも頼もしかた。


「き、貴様ら、揃いも揃って……っ! こんな田舎者と話す時間がもったいない! エリシア! 早く来なさい!」

「え、いいの?」


 トトメは私の番。

 私は一歩、両親に歩み寄る。

 すぐ目の前まで近づいて、にっこり笑った。


「私の体、毒だってことを忘れた? 触れても、大丈夫そ?」


 そう囁いた瞬間、母は青ざめて数歩後ずさった。

 父も顔を強張らせ、即座に手を引っ込める。


「く、くそ……っ! 覚えてろよ!」


 両親は目を泳がせ、捨て台詞を吐いて踵を返した。


 そして馬車へと乗り込み、村を逃げるように去っていくのであった。




 災難が去ってから──数日後。




「ルーヴェル家の醜聞、もう広まってるみたいだよ」


 ライナスがそう教えてくれた。


「私を取り戻しにきたのがバレたってこと?」

「そう。療養なんて嘘。通じるわけがない。社交界じゃ今、ルーヴェル家の笑い話で持ちきりさ」


 貴族の面目は丸つぶれ。


 さらに──。


「おかげで、ルーヴェル家の評判も、地に落ちているらしい。社交界でも、前みたいな存在感を示せなくなったそうだ」

「ふーん、そりゃざまぁだね」

「ざまぁ?」

「知らない? 巷では、追放された人間が逆襲し、追放した人間に仕返しをする小説が流行っているんだよ」

「ははっ、そんなのがあるんだね。これは傑作だ」


 そう言って、ライナスは楽しそうに笑った。


 ──もう私は、毒姫なんかじゃない。

 たとえ実家がどうなろうと、今の私には関係のない話だ。


「ねえ、ライナス。両親の話なんかより、さっさと薬づくり始めない? 私、今すごく頑張りたい気分」

「おっ、いいね。じゃあ、今日はとことん付き合ってもらおうかな」

「はいはい。癒しの薬姫、本日も頑張りまーす!」


 今日も今日とて、私は癒しの薬姫として楽しい日々を過ごす。

お読みいただき、ありがとうございました。

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