メモリーループ番外編⑯【第一章完結】
これで、第一章完結です。
次からは第二章です。
満天の星空が広がる。
これほど見事なものは、今まで生きてきた中でも五指に入るものだった。
その背後で、音も無く現われた気配に雲仙は組んでいた手を下ろした。
「お待ちしておりました、茨戯様」
「あら?待ち合わせたつもりはないけど?」
「戯れを」
確かに待ち合わせると言った言葉は使ってはいないだろう。
不敵な笑みを浮かべる茨戯を振り返り、すっと頭を下げた。
雲仙の王は海王ただ一神。
しかし、炎水界における影達の王は。
茨戯その神である。
「それで、お守りは終わったの?」
「御意。紅藍姫と藍英殿は無事に休憩所にて休まれています」
休むと言っても、あと二時間もすれば再び宴の会場に出てくるだろう。
「それにしても、かの淑妃を狙う者達のなんと多い事かしら?ふふ、恐れる事なくこの王宮に入り込むその肝っ魂の太さは認めてあげましょう。でも、ねぇ?」
心底楽しげに笑いつつも、その口元は全く笑っていない。
クスクスと笑う艶やかな笑みは、見る者によっては致死性の甘い毒を含む。
「我が君のお膝元で騒ぐなんて駄目よねぇ?」
「茨戯様の仰るとおり」
今宵、この王宮に忍び込んだ者達の命運は潰えた。
必ずやこの影の王が、いや、その意を受けた者達に刈り取られるだろう。
まあ、雲仙とてもし海国王宮に忍び込む馬鹿が居れば容赦はしない。
「それで――かのお方はどうですか?」
「ふふ、今頃は夢の中でしょうね」
決して名を呼ばず、けれど互いにそれが誰を指すのか分かりきっていた。
「にしても、とても麗しいお方ですね」
「あんたそれ、あの子の顔見て言ってる?」
蛙顔。
いわゆる、不細工キャラだ――見た目的には。
というか、どう見ても可愛いとは言えないのが哀しい所だが。
「茨戯様……」
「何よ、本当の事でしょう?外見だけを見れば」
「蛙顔は言い過ぎです」
確かにもう少し天秤が傾けば蛙顔に突入するが。
「それは、ほぼ九割方は蛙顔って事よね?」
「……」
「仕方ないでしょうが!実際そうなんだしっ!」
むしろ違うと言った方が相手に失礼だ。
本神がそれを自覚していないならまだしも、完全に自覚しているとなればあからさまなお世辞にしかならない。
「問題なのは中身よ」
「……まあ、そうですね」
「実際見た目が綺麗でも最低最悪な奴らは多いしね」
「我が身を省みれば――ですか」
「そうよ。アタシ達なんてその最たる例よ。どう見たって中身は最悪極まりないでしょう?」
そこに同意してしまう自分もアレだが、雲仙も自分の性格が良いとは思っていない。
むしろ狡猾で冷酷非道な神失格である。
あの紫蘭という王妃の方がよっぽど――いや、あの方と比べては駄目だ。
雲泥の差を突き抜けてしまっているぐらい違うのだから。
「こうして改めて思うと、俺達って最悪ですね」
「安心しなさい。たいていの国の王と上層部は最悪だから」
最低鬼畜。
冷酷非道。
怜悧冷徹。
残忍残酷。
神失格の最低最悪な生き物。
殆どの国王と上層部が当てはまっている。
「紅玉を大切にしなさいね、あと紅藍姫とか楓々とか」
「もちろんです」
「伊緒と槐もそうよ」
「当たり前です」
「アタシ達なんてね、顔と色気と能力取ったら何も残らないぐらいのクズなんだからね」
「御意」
言ってて何だかな~と思うが、それが真実なのだから仕方が無い。
ああ、世は無常なり。
だが……それを選んだのも自分達である。
昔は欠片程度にはあった良心も今は無い。
あっても、向けられる相手が限られすぎている。
「それで、先の件だけど」
「ええ、今の所は大丈夫ですよ」
王宮に滞在する浩国使者団が動いているという連絡を受けたのは、つい先程。
動くならば、彼女だろう。
「自分の考えすぎとか思ってくれると嬉しいんだけど」
「そうであれば、彼女は上層部からとっくに転げ落ちていますよ」
どんな些細な事でも確認する。
それゆえに、彼女には見落としが無い。
そして一度疑われたが最後、蛇のような執念で食らいついてくる。
「とはいえ、バレたらうちもやばいんですが」
「うふふ~~、そこは大丈夫よぉ!」
何の根拠の元にそんな事を告げるのか?
「確かに一度疑えば食らいつくわ。でも、それを逆に逆手にとればいいのよ」
それが確実に安心だと分かれば、その牙を収めるだろう。
「もうその手筈は打ってあるもの」
くすくすと笑う茨戯に、雲仙は悪寒を覚えた。
「因みに、どんな」
「聞きたい?」
その質問に頷かなければ良かった――。
後に雲仙はそう語ったという。
紅葉は八雲達と離れ、一神浩国の休憩所から抜け出た。
目指すは、彼女の元。
ゆっくりと芽を息吹く疑いを質すために、彼女は夜の闇を駆ける。
まさかという思い。
もしかしてという願い。
あり得るはずが無い。
けれど、あり得るかもしれない。
たとえ先に待つのが絶望だとしても、確かめる。
それが、紅葉の信条だ。
そうして辿り着いた紫蘭の部屋の前で、紅葉がそっと扉に手を当てた。
鍵がかかっているのを確認し、ゆっくりとポケットから合い鍵を取り出す。
カチャンと小さな音を立てて、鍵が開いた。
扉を開けて中に入った紅葉は焦る気持ちを抑えつけ、部屋の主の元へと歩き出し――。
「……やっぱりか」
それがどちらを指すのか分からない言葉だが、紅葉はふっと自嘲する様に笑った。
寝台の上で眠る紫蘭。
その傍にあるのは、書きかけのぼーいずらぶ本。
周囲に散らばるのは、挿絵となるイラストだった。
「いつもの紫蘭ですわね」
それだけを見れば、いつもの紫蘭だ。
どうやら、自分の考えすぎだったらしい。
まあそう簡単に起こる筈など無いのだ――奇跡なんて。
紅葉は小さい息を吐くと、蹴飛ばされて床に落ちていた毛布を紫蘭の体へとかけた。
そして音を立てないように部屋を横切り、外へと出た。
「奇跡なんて……起こる筈はありませんね」
起こるならばとっくの昔に起きているだろう。
紫蘭が記憶を無くす前に、紫蘭が男達に襲われる前に。
フィーナが死ぬ前に、花央が死ぬ前に。
死ななければならない方が生き延び、死んではならない者達が死んで。
この世界は間違っている。
なんと歪んでいる事か。
建物の外へと出て、紅葉は空を見上げた。
「歪んでいるわ――本当に」
死んで当然の者達が死なないで、死ななくて良い者達が死ぬ。
どうして、死ぬのが自分達では無かったのだろうか?
殺されるべきは、自分達。
なのに死んだのは、彼女達。
居なくなったのは、紫蘭。
ああ、なんて不条理な世界。
「大嫌いですわ、こんな世界」
死ではなく生を強いる世界。
逆の事を当然とばかりに進めていく世界なんて。
「大嫌いです」
吐き捨てるように言い放ち、紅葉は建物から離れていった。
そうしてその姿が完全に見えなくなった頃、それは紫蘭の眠る寝台の傍へと現われた。
「頭が良すぎるというのも考えものだな」
茨戯の信が厚く、『海影』では数少ない女性の間者。
昔、茨戯の養い子からは大姉と呼ばれていた彼女は、あっけなく去って行った紅葉に肩すかしを食らっていた。
いや、ある程度予想していたとはいえ、こうも予想通りとは。
「まあ、普段の紫蘭があれだけ強烈なら仕方ないか」
ある筈が無い。
ありえる筈が無い。
そう強く思わせるほどの光を放つ凪国での紫蘭。
とはいえ、紫蘭作のぼ~いずらぶの小説やイラストを散らばらせただけで、ああも上手く納得してくれるなんて。
流石は、紫蘭のぼ~いずらぶ好き。
そこに一片の曇り無し。
朱詩達が去った後、中々眠ろうとしない紫蘭を眠らせ、普段と変わりない演出をした。
これで下手に誰かが居たり、制止すれば余計に疑いを深めさせただろうが、それをせず、ごく普通に、来るなら来いとばかりの姿勢を取った。
それが良かったのだろう。
とはいえ、やはりあっけない。
「先入観は禁物か」
これだけ見れば、浩国は単純ととられかねないが――大姉はそうは思わなかった。
大姉だけではない。
実際には、幾つもの策が、そう思わせるように仕向ける策が複雑に絡み合い、紅葉を絡め取ったのだから。
それに、紅葉自信も確固たる確信が無かったのも敗因の一つだろう。
「さてと――」
気配は消しているが、事が上手く成った今、何時までもここに居るのは得策では無い。
早々にぼーいずらぶに関する全てを配下達と共にかき集める――もちろん、紫蘭の目に触れさせないために。
「朝までしばし良い夢を」
そうして、かなりの量になったそれらを手に持ち、今も眠ったままの紫蘭へ優雅に一礼して大姉達はその場から立ち去った。
だがそんな彼女も、まさか自分の手際に不備があるとは思わなかっただろう。
それは幸か不幸か、あの時侍女が手ずから入れたお茶に含まれる成分。
あのお茶は微弱だが解毒作用があり、体に含まれる余計な毒素を弱める成分を持っていた。
それは、毒を摂取する時期に関係なく効果を発揮する。
その為、紫蘭が体内に取り入れた睡眠薬にも反応し、微弱ではあるがその効果を発揮したのだ。
そう――睡眠薬の効果を弱めるという。
しかも、同じくお茶と一緒に摂取したお菓子に使われていたハーブ。
これと合わさる事で、よりその効果は強くなる。
それを、大姉は知らなかった。
それは彼女が不勉強だったからではなく、その組み合わせを知るのは限られていたからだ。
なぜなら、その茶葉とハーブは、元々互いに遠く離れた場所で栽培されており、一緒に組み合わせて食べる事はごく最近互いの商品が流通しだしてから。
しかも、解毒作用があるとは思っていないから、最初からその効果に気づかないのだ。
これまたつい最近、その事に勘付き研究を始めた忠望率いる数神の部下達以外は。
だから大姉が去って三十分もしないうちに、紫蘭は目覚めてしまった。
重たい頭を抱えて。
そして酷く乾く喉に悩まされつつ起き出し、水を飲むと友に外の空気を吸いに外に出た際に――。
「あら?」
紅葉が大切にしている、小さな耳飾りに気付いてしまうなんて。
そして、紅葉がそれをどれだけ大切にしているのかを紫蘭が知っていたが為に。
「紅葉が困ってるかもしれないわ」
以前、それを無くした紅葉が酷く憔悴とした顔で、焦燥にかられながらそれを探していたのを覚えていた。
だからこそ、一刻も早く届けてやりたい。
そう紫蘭が思ったとしても、誰が責められるだろうか?
また本来ならば止めるべき紫蘭への見張りも、下手に浩国側の疑いを煽らない為に遠ざけられており、なおかつ紫蘭が薬で朝まで眠らされている筈、だから起きない――という先入観からすぐには見張りたる影も戻らなかった。
それ故の、事故。
失態。
先入観に囚われていたのは、浩国だけではなかった。
「けど紅葉、何処にいるのかしら?」
戻ってくるまで待つのも一つだが、以前の事を思えば悠長に待ってなどいられない。
それどころか、今頃無くした事に気づいて大慌てになって探しているかもしれない。
「そうだ――明燐さん達なら」
彼女達に届ければ、紅葉に渡して貰えるかもしれない。
明燐達の居る場所なら知っていた。
もし何かあれば、ここに来る様にとも教えられていた。
地図も持っていた。
だから、迷うはずが無い。
紫蘭は意を決して歩き出す。
しかし、すぐに足を止めた。
「さ、寒いっ」
今はただ息を吸いに来ただけだから、身に纏うのは薄い衣が一枚。
これでは確実に凍死するとして、紫蘭は慌てて部屋に舞い戻る。
そして寝間着を脱ぎ、外行きの服を身に纏う。
ここでどうして下女の服を身に纏わなかったのかと言うと、ただ何となくだった。
そうして、唯一外行きと思われる服を身につけた後、紫蘭はふとハンガーにかかっていた鞄に気づいた。
「これは……」
それは肩からかけられる少し大きめの巾着袋だった。
「……これに入れておけば無くさないかも」
耳飾りを入れるには大きすぎる入れ物だが、手に持っていたりポケットに入れていれば落としてしまうも目に見えている。
今までにも何度もそれで失敗した経験を持っていた。
だから、紫蘭は迷わずに巾着袋を手に取りそこから取り出したハンカチに耳飾りを包んで巾着袋へと戻した。
それにしても、やっぱり高そうな耳飾りである。
青い石はサファイアと呼ばれるものだろうか。
紅葉はこれを何処で手に入れたのだろう?
まあ、あまり詮索するのは失礼だから聞くつもりはないが。
「あと、何があるか分からないし」
地図はあるし、行き方もきちんと教わった。
しかし、それでもまたあの大図書館から戻るときの様に迷うかもしれない。
準備は万全に整えてかなければ。
「それと書き置きもしないと」
もし誰かが来た時に、何処に行ったか分からないとなれば大事である。
だから、出た時間、目的地を紙に記載する。
「下手に彷徨いたら迷惑になるものね」
ならば明燐達が来るまで部屋に居てくれと、もし彼女達が居たら懇願していただろう。
しかし紫蘭の頭には、紅葉の悲しむ顔しかなかった。
そしてこれが、後々騒動となる。
「え~と、ハンカチにちりかみ、目的地までの地図と、あとは――ん?」
巾着袋に入っているものは以外に多く、紫蘭は袋を逆さにした。
コロンコロンと出てきたのは――。
「……マッチ?ライター?」
なんでこんなものが入ってるのか?
「それに、ドロップ缶未開封が一つと、開封済みが一つ」
オヤツか?これ。
「あとは……財布?」
紫蘭と刺繍がされているから、たぶん自分のものだろう。
中身を見れば、十万円ほど入っている。
「このお金は何処で……」
とはいえ、自分の名前が書かれている財布に入っているのだから、少しぐらい拝借しても良いだろう。
因みに紫蘭は覚えていないが、その十万円は男の娘達の下着を売りさばき、孤児院と母子家庭に寄付した残りの利益――つまり、紫蘭の取り分がそのまま入っていたりする。
「けどこんな大金を持ち歩くのは怖いし……」
かといって、めぼしい隠し場所は見当たらない。
というか、今はそんな事よりも早く耳飾りを届けないと。
「まあ、あっても使わなければ良いだけだよね」
そうそう。
ってか、小銭も入ってた。
小銭だけで五百円玉が三枚に――うん、いざとなればこっちを使おう。
だから問題なし。
「さてと、さっさと行かないと」
そんな紫蘭は知らない。
後に、自分の判断が正しくなる未来を。
そう――お金なんて、あればあるほど良いという事を。
そうして建物を出て、夜の闇の中を歩き出す。
闇といっても、建物の周りには街灯があるし、道は明るかった。
だから何事もなければ、辿り着く筈だった。
そう……何事もなければ。
ただ彼女はバスの最終時間というもが頭の中からすっぽりと抜けていた。
明燐達の何かあれば来なさいというのが、実は昼間である事、渡されたバスの時刻表も昼間に来る事を考えて渡された物であるという事。
そしてバスが既に無いという事が分かってもなお、まあここまで来ちゃったし戻るよりは――という、間違った方向でのポジティブを発揮した事が、彼女の浅慮を表すものだった。
今までにも、もし~~であればという事は沢山あった。
今回もそう。
もし、その一つでも無ければ。
もし、あの時そんな行動を取らなければ。
彼女達は出会う事なんて無かったのに。
それが成功する筈なんて無かったのに。
「あ――」
下女の住む場所は、高官達から比べれば比較的外に近い。
だから、紫蘭はそこまで来てしまってもある意味仕方が無かった。
けれど――。
どんっと、紫蘭にぶつかった相手が居た。
ぶつかる際に、紫蘭は見てしまった。
そのフードの隙間から見えた、その顔を。
あの子だ――。
共に舞台で舞った子。
確か、――国の姫と。
え?姫?
思わずキョトンとする紫蘭を残し、相手が小さく謝罪の言葉を残して走り出す。
「え?え?え?」
そっちは外――。
ってか、確かあの少女は姫で、ってか他国からの使者で、使者は専用の屋敷が与えられて。
それが、なんでここに一神で居る?
紫蘭の中に、ある考えが浮かんだ。
何か、良からぬ事でも起きたのだろうか?
いや、とにかく彼女を捕まえないと。
「ま、待って!」
慌てて駆け出し、少女を追い掛ける。
けれど少女の姿は遠く、曲がり角で見えなくなる。
それを慌てて追い掛け、辿り着いた先にあったのは一台の馬車。
倉庫付近に止まっているそれの荷台に潜り込む相手に、紫蘭は慌てて駆け寄った。
「ちょっ!あな」
声をかけようとした時、その気配に気づいた相手が慌てて紫蘭へと手を伸ばした。
そしてそのまま、荷台へと引きずり込まれる。
「むがっ!」
「静かにしてっ」
と、馬車の主が戻ってきたらしい。
声を上げようとしたが、首筋に当たるものに気づいた。
「声を出したら、刺すわ」
「……」
何かに怯える様な眼差し。
震える腕。
紫蘭であれば、振り払えただろう。
けれど必死に懇願するかの様な視線に、紫蘭は抵抗を止めた。
彼女に重なったのは誰なのか――。
気づけば馬車は進み出していた。
ってか、普通は重さで気づかないだろうか?神が二神も乗っているというのに。
しかし、聞こえてくる鼻歌と声音に紫蘭は気づいてしまった。
酔ってる?!
飲酒運転でしょう!これっ!!
時折グビグビと何かを一気に飲む音が聞こえたから、飲みながら走ってる。
と、もう一神傍に居たらしい。
酒を飲みながら運転するなと叩かれていた。
たぶん、話の様子では奥さんだ。
ありがとう奥様。
これで事故って死んだら笑いものである。
というか、知らない間に勝手に乗り込んだ者が死体となって出てきたら笑うにも笑えない。
むしろ卒倒ものだろう。
この場合、馬車の主の罪なるのかは疑問だが。
馬車が止まった。
どうやら、門近くに辿り着いたらしい。
「動かないで」
また少女が紫蘭の耳元で囁く。
「外に出たら、解放するから」
「……」
このままでは、少女が外に出てしまう。
それどころか、紫蘭まで外に出てしまうだろう。
もちろん紫蘭は解放されればすぐに戻れば良いが、どこで解放されかるかが問題だし、何よりも少女をどうするかだ。
この調子では少女はどうあっても戻らないだろう。
どうすれば――。
と、その時だった。
「よいしょっと」
小さく荷台の扉が開いたかと思うと、何かが転がり込んできた。
突然だ。
きゃっと小さな悲鳴が上がる。
紫蘭が息を呑む。
少女が絶句した。
持っていた刃物でスパンとやらなかっただけマシだが、ちょっとだけかすった気がしないでも無い。
しかし今はそれを気にしている場合ではない。
それは、声からすれば少女だった。
「なんでこんなに狭いのぉ?ってか、何この温かいの」
周囲の喧噪が騒がしくなってくる。
門が近づいているのだろう。
それが少女の声の高さを綺麗に隠していた。
「あれ?誰か居るの?もしかして、私と同じお忍び?」
そうして現われた顔は。
見覚えは無かった。
でも、お忍びと言うからには、とっても嫌な予感がする。
「って事は、私達同士ね」
何故そうなる!
というか、突然現われた相手に自分と同じお忍び仲間と認定して即座に握手するなんてどんだけ世間知らずなんだ――。
これには、紫蘭だけでなく少女も呆然としていた。
しかしそんな彼女達を余所に、馬車は進んでいった。
「次――」
紫蘭達が忍び込む馬車か門を通過する番となる。
ただし、その前に何か不審な物が中に入っていないかをチェックする手筈となっていた。
それは、先の馬車がチェックを受けているのが聞こえていたから分かっていた。
そう――ここで、見つかる筈だった。
凪国王宮の警備の厳重さは伊達では無いのだから。
許可を与えた物以外を持ち込ませず、かといって持ち出させず。
それは、中に居る者達の安全を考えてのもの。
なのに――運は彼女達に味方したらしい。
「げぇぇぇっ!」
酔っ払った馬車の主の一神が、思い切り嘔吐したらしい。
「ひぃぃぃっ!す、すいませんすいませんっ!」
「ちょっ!飲み過ぎだよ、主さんっ」
「あ~あ、こりゃまずいな。袋取ってこい」
「大丈夫か?詰め所で少し休むか?」
そんな門番達の気遣う言葉に、主の妻である女性はばっさりと言った。
「こんの馬鹿亭主!ったく、いくら大晦日だからってカバみたいに飲んで!」
そして往復ビンタの嵐。
門番達が慌てて止めにかかる。
「とんだ恥さらしだよ!」
「ちょっ!奥さんタンマタンマ!」
「旦那さん殴っても解決しないからっ!」
「ってかそれ以上殴ったら死ぬって!」
と、そこに聞き覚えのある声が二つ。
「こいつらの言うとおりだよ、死ぬぞ酔っ払いの頭を殴ったら」
「流石にここが殺神現場になるのは見過ごせませんね」
苦笑交じりの声。
ああ、右近と左近。
大戦時代には、紫蘭は何度か言葉も交わした事がある。
そんな彼らは恐縮する馬車の主の奥方を止めると、早く行くようにと促す。
「すいませんすいません!このお詫びは必ずっ」
「いいからさっさと帰りなよ」
「安全運転でお願いしますね」
そうして門番達に見送られながら、馬車が正門を通過したのが分かった。
ああ――外に出てしまった。
外を見ようとすれば、また首筋にそれが当てられた。
「まだ、駄目」
「……」
正門を出て、しばらく進めば喧噪が聞こえてくる。
ああ、街中に入ったのだ。
といっても、王宮は元々王都の中心にある為、その表現は正確ではない。
しかし――王宮からは離れてしまった事だけは紫蘭にも分かった。
そうしてようやく、止まった馬車から紫蘭達が外に出られた時には、そこは見知らぬ場所だった。
王都なのに、居場所が分からない。
馬車の主夫妻は、妻が夫を引き摺ってさっさと家の中に入ってしまってもう居ない。
馬車は倉庫に収められてしまい、鍵をかけられた。
ただし、この倉庫の持ち主――主に夫がうっかりものなのか、窓は開いてしまうという始末。
「大丈夫なんだろうか、この家」
それは、紫蘭だけでなく残り二神の少女も他人様の事だが少なからず心配を覚えたと後に語る。
だが今はそんな事よりも。
王宮の外に出てしまった事が問題だ。
しかも、場所分からないし。
「って何処に行くの!」
隙を見て走り出した二神に、紫蘭は慌てて後を追い掛ける。
そうして二神を捕まえた時、紫蘭は余計に居場所が分からなくなるという事態に陥る羽目となるのだが、たぶんそれは彼女のせいではないだろう――たぶん。
え~、題名に【第一章完結】と表記されてあるので驚かれたかと思います。
という事で、今回で第一章部分が終わります。一応これ、三部構成で作っていました。
次回からは、紫蘭達のはちゃめちゃなお忍び&逃亡編です。
とりあえず筆がのっているので、大根と王妃本編と共にもう少し書き進めて行きたいと思います。
そして感想を下さった皆様、本当にありがとうございますvv
これからも頑張ります~~、完結に向けて(土下座)