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メモリーループ番外編 第一章 無敵な中立鉄道

「さて、今後の事もひとまず決まりましたし、早速行きましょうか」

「行くって何処にですか?」

「もちろん、王宮の施設内を一通り」


 げ、無理ーーと思ったのが分かったのだろうか?

 それは美しい笑みを浮かべた明燐に紫蘭は嫌な予感がした。

 けれど、その後に続く言葉には納得せざるを得ない。


「話では、紫蘭の記憶はきちんとは戻っていない様子ですからね。それとも凪国王宮の中は大体分かりますか?」

「いえ、分かりません」


 それどころか、此処に来た時の記憶も無い。

 まあ、この王宮に入る前に襲われているのだから、仕方ないと言えば仕方の無い事だが。

 しかしそれを差し引いても、紫蘭は凪国王宮の地図など頭にはない。

 一神にされたら絶対に迷う。

 そしてこの広すぎる王宮で迷ったが最後、絶対に遭難死する。


 いや、その前にそもそも他国の王妃が他国の王宮内部事情を知るのは、国の防衛の面から言っても駄目ではないだろうか?


 王宮は戦時中には砦としての機能も果たす。

 何が何処にあってどのようになっているかが丸わかりであればあっという間に攻め込まれる。

 弱点だって知られている事になるのだから。


 また戦時中でなくても、下手すれば忍び込んで良からぬ事をしようと企む者達だって現れるかもしれない。


 しかし、そんな危惧を明燐に伝えても、彼女は笑って流すだけだった。


「笑い事じゃないです」

「確かにそうね。ふふ、やっぱり紫蘭は素敵ですわ」


 浩国王妃ーー紫蘭。

 彼女は名ばかりの王妃と嘲笑う者達は多かったが、本当に彼女は名ばかりだったのだろうか。

 少なくとももしそうであれば、明燐を始めとして誰一神として凪国側は歯牙にもかけなかっただろう。


 本当に、名ばかりで、あれば。


「安心して下さいな、紫蘭。抜け道とか重要区域とかは紹介しませんから」

「紹介されたって行きません。というか、それ以外も行きません」

「さあ行きましょう」


 紫蘭の言葉を無視して明燐はいっそう華やかな笑みを浮かべた。

 その笑みの美しさに思わず見惚れる紫蘭だったが……いやいや、待て待て。


「だから」

「危険な場所や関係者以外立ち入り禁止区域には入りませんから」

「いえ、そうじゃなくて」

 

 そんな他国の者が入ってはならない場所以外にもあるだろう。

 そう、そもそもの問題は。


「浩国王宮もそうなんですけど、とんでもなく広すぎるんですよ、王宮が」


 絶対に徒歩でなんて、回りきれない。

 数日はかかるだろう。


「それは仕方ないですわ。王宮なんですもの」


 有事には、民達の避難場所となる事もありある程度の広さは必要だと言う明燐に、紫蘭は反論出来なかった。


 浩国もそうだが、凪国の王宮もまた、王都と近隣の街や村の者達を収容する事を見込んだ造りとなっているのだ。

 だから馬鹿みたいに広い土地を持っているし、建物も多いし、地下だってある。 しかもその地下はきちんと道を知ってなければ確実に迷う程に複雑な造りをしている。


 まあーー降りる気はないが。

 よって問題は地上ある王宮の敷地の広さである、建物の多さである。


「ってか、一通り見るなんて無理です!そんなレベルの広さじゃないですっ」

「大丈夫ですわよ。何も徒歩で行くっていうわけではありませんもの」


 徒歩だったら泣いて拒むーーと、紫蘭は心の中で決意していた。

 しかし流石に徒歩は無理だと明燐も思っているらしい。


 となると、馬か馬車か?


「【バス】です」

「……バス」

「ええ、停留所もきちんとあるんですよ?」

 さいですか……と紫蘭は胸の内で小さく呟く。

 まあ考えてなかったわけではない。

 中には王宮内で電車を通している場所もあるのだから。


 そしてバスぐらいなければ、凪国王宮はたぶん回れない。


「因みに、地下には地下鉄もあるんですよ?」

「地下鉄?!」

「ええ。そこから王都の外にまで出る事は可能ですの」

「それって逆に地下から王宮に侵入されるんじゃ」

「ゲートがあるので大丈夫ですわ。普段は王都の駅が地下鉄の始発駅も担っているのですけど、特別な場合にのみ王宮内の駅に出入り出来るように作っていますの。ですから、不届き者が居てもまずゲートを開けれませんし、何よりもゲートを出現させる事自体無理ですから」


 胸を張る明燐に、紫蘭は大きく息を吐いた。


 流石は凪国。

 スケールが違いすぎるし、技術もたぶん炎水界でも一、二を争うレベルだろう。

 浩国は馬か馬車での移動が主流だった。

 車やバスもあるが、それはごく限られた場所だけで走っており、とてもじゃないが普通に普及なんてしてない。


 明燐の話からすると、たぶん王都にも電車は普通に走っているのだろう。

 

 そして聞けば、実際そうだった。


 ってか、今では大きな街を中心に、鉄道が凪国全体に行き渡っているという。

 流石は凪国。

 もはや格が違う。


 船では海国が最も進んでいるが、陸の覇者は間違いなく凪国だ。

 因みに空の覇者も別に居るが、ここは割愛する。


「では交通手段も分かった事ですし、さっさと行きましょうか」

「え、あ、ちょっとまーー」


 待ってという言葉は通じない。

 紫蘭はあっという間に明燐によって連れ出されたのだった。



 今では凪国で普通となった電車。

 しかしそれは、炎水界全土に渡って普通のものとなりつつあった。


 現在各国での鉄道事業が進む中、炎水家が中心となって動く公共事業がある。


 それは、大陸鉄道と呼ばれた。

 今までは各国それぞれの領土で始発終着が完結していた鉄道。

 しかし、各国における流通手段の一つとして利用するべく、各国を繋ぐレールが敷かれる事になった。


 それを一つの大きな大陸を横断する列車という意味を取って、大陸鉄道と呼ぶ。

 敷かれたレールは各国を貫く形となり、国境という確固たる垣根すらもそのレールを阻むことは出来ない。

 国境の壁があっても、鉄道部分だけは穴を開けて通してその国土を突っ走り、再び他国との国境を突っ切っていく。

 それが赦されるのは、国家さえも超越した史上類を見ない完全中立の立場をその鉄道が取るからである。 その鉄道は、炎水家によって直接統治されるものであり、もし万が一にも内乱や戦争が起きている国でその鉄道に攻撃を加えようものがあれば、それは炎水家に牙を剥く事として即座に断罪される。


 すなわち、炎水界からの抹殺を意味する。


 そんな在る意味恐ろしい鉄道だが、聡い者達にとっては分かっていた。

 国同士の流通を促進し、更なる世界の繁栄と表向きは銘打っている。

 しかし実はその裏に、完全中立、たとえ戦地を走っても攻撃をする事は赦されない存在、逆に言えばそこに逃げ込む事で戦乱から脱出する為の手段という意味が隠されていた。


 つまり、避難民達がその列車に乗り込めば、彼らを追い掛ける敵の兵士達は手が出せなくなるのだ。


 いわば完璧な防護壁。

 戦地に取り残された弱者達にとっては、救いの列車となる。


 しかしーーだからといって、そう簡単に誰もが乗れる列車でないのも事実だった。

 それは各国をレールで貫く為に、余りにも路線を細分化させれば他国間との面倒な諍い、はたまた良からぬ事に使おうとする者達が現れるかもしれないと危惧する国々も多く、レールは実質一本しか存在しなかった。

 つまり行った列車がそのまま戻ってくるという構造である。

 よって一度乗り逃せば次に乗るまでにかなりの時間を待つ必要がある。

 そればかりか、路線が一本しかない事によって、そのレールから遠い場所に住んでいる者達は、そのレールまで来なければ乗れない事になった。


 そんな各国で様々な論議を醸し出した大陸鉄道。

 使い方を間違えれば諸刃の刃、犯罪の温床ともなり得るそれを、ひとまずは各国が最終的には満場一致で認めただけでも大きな進歩と言えよう。


 後は、どうやってレールの数を増やすか。

 しかしそこに行くまでには、またかなりの時を費やすだろう。


 それこそ、行きと戻りでレールを別々にするーーというそんな根本的な部分からしても。


 だが、あまりにも路線を増やす事で管理が難しくなるというデメリットもあるからには、まずはそれを解決する為の対策が必要だろう。


 因みに、凪国はその大陸鉄道には最初から賛成派の国だった。

 それは海国も同じであり、列強十ヵ国の八割は賛成派だった。


「欲を言えば、あの時に大陸鉄道があれば良かったんだがな」


 優雅に紅茶を飲む明睡の隣で雲仙が静かに頷いた。

 まだまだ絶賛お茶会中。


「それにしても、あの紅玉ちゃんが海国王妃様だなんて」

「そういえば涼雪様は王妃様の事を知ってらっしゃるんですよね」

「ええ、もちろんよ。もしあのまま勤めていれば、凪国王妃様の侍女として召し抱えられていた筈だったから」

 それを奪った、いや、実際には頼み込んで貰った形だが、凪国からすれば優秀な神材をとられたも同然の状況。


 せめてとったが盗ったでない所にまだ救いはあったが。


「やっぱり紅玉様の事、返して欲しいって思ってますか?」

「そうですね……返してって言ったら返してくれますか?」

「そ、それはっ」

「ふふ、嘘ですよ。それに紅玉ちゃん自身が戻らないでしょうから」


 思いもかけない言葉に、紅藍が目を瞬かせた。


「大陸鉄道ですか……」


 明睡と雲仙。

 こちらはこちらで、大陸鉄道について語り続けていた。


「ああ。あれがあれば……果竪達は俺達から逃げ切れただろう」

「……」

「いや、果竪達だけじゃない。凪国の民達も、あそこまで追い込まれる前に大陸鉄道に乗せて」

「全ての元凶から逃げる事が出来た」


 雲仙の言葉に明睡は頷いた。


「ですが明睡殿。あなた達はできる限りの事をした。もしあなた達が抗わなければ、もっと多くの者達が死んでいた筈だ。それこそ、我が国の王妃様も、紅藍姫も助からない。柚蔭妃も殺されていたし、他の国々もそうだ」

「……確かに、そうだな。だが、殺された側からすれば、できる限りの事なんて冗談じゃない。そんな言葉で、終わらせたくない」

「明睡殿……」

「確かにどうにもならない、ギリギリの所ではあった。けれど俺達は命を奪ったんだ……そりゃあ、今までにも俺達は沢山の命を奪ってきた。しかし、無抵抗の者、無関係の者、巻き込まれただけの者の命を奪ったりはしなかった」


 それが、自分達の誇り。


「けれど美琳達は違う。美琳も、煌恋も、葵花もーー彼女達は、何の罪も犯してないにも関わらず俺達に殺されたんだ」

「明睡殿」

「必死に俺達を助けようとしてくれた彼女達を、俺達は殺した。無慈悲に、まるで楽しむように」

「違う」


 必死に抵抗して、抵抗して、何とか助けようとしたのを強引に押さえつけられて、操られて無理矢理殺させられた。

 雲仙は知っていた。


 最後まで、抗っていた彼らを。

 調べて、知ってしまった。


 もし、同じ立場だったらとーー考えれば考えるほど生きた心地がしなかった。


「……他の誰が何と言おうとも、俺は明睡殿の言葉を否定します。仕方無かったという言葉はある意味身勝手な言葉です。でも、それでも」


 苦しんで、苦しんで、苦しんで。

 必死に抵抗して、でもどうしようもなくて。

 それでも戦い続けて、最後まで助けようとして。


「俺達はそこまで立派な存在じゃない。むしろ愚かで身勝手で醜いーー美しい皮を被った化け物だ。何が美しいだ、綺麗だ、最高の美神だーー鼻で笑ってしまう」

「明睡殿……」

「だが、死ねない。約束したから。彼女達と約束したから。だから、茨戯達は生きるし、俺達も生きる。たとえ再び出会う資格がなくても、それを望むなんて虫の良い身勝手な願いだろうと……最後の約束は守る」


 それさえも破ってしまったら、もう本当に合わせる顔が無い。


 強い決意を瞳に宿す明睡を暫く見つめた雲仙は、そっと視線を外して空を見上げた。

 泣きたくなるような、青空が広がっていた。


「……大陸鉄道か……」


 それがあれば、安全な場所まで凪国王妃達は逃げ切れただろう。

 あの凪王でさえ、上層部でさえーーいや、権力者達が容易に手出しが出来ない、動く中立機関。


 片方に組みする事のない、炎水家直下だからこそ、それが成り立つ。


 それに乗っていれば、乗せられていれば。


 紅藍姫や楓々、海国王妃様を乗せられていればーー。


 もう二度と会えなくても、遠い空の下で生きてくれている、笑ってくれている。


 死んで失うぐらいなら、その方がよっぽどマシだ。

 でも、それが出来なかったからーー失った。

 それも最悪な失い方。


 雲仙の敬愛する王が王妃様と心を通じ合わせられたのも、藍銅が紅藍を取り戻せたのも、瑪瑙が楓々と再び出会えたのもーー。


 たぶん運が良かったから。

 きっと違いは、それだけしかない。


 最低。

 最悪。

 身勝手。

 虫が良い。

 理不尽。

 鬼畜。


 あらゆる罵りの言葉がこれほど似合う者達も居ないだろう。


 本当に、本当の意味で最低なのはーー。


 雲仙は笑った。

 凪国国王や上層部だけではない。

 たぶん、この世界、いや、天界十三世界や他の世界もそう。

 腐っている。

 美しい皮の下は全て。


 腐った心を美しい皮で覆いつくした者ーーそれが、自分達だ。


 それでもやり直すチャンスを得た。

 海国は、まだ失ってない。


「間違えるなよ」


 明睡の呟きに、雲仙は聞き返すこともなく頷いた。


 雲仙達が大切なものを失わななかったのは、ただの運。

 だからこそ、刻みつけなければならない。


 もう二度と、間違えない為に。


 そうして明睡は運良く生き残った愛しい妻に視線を向けーー。


「わ、私なんて凄くありません!だって熊も一撃じゃないと倒せませんし」


 一撃で十分じゃないか。

 いや、十分過ぎるじゃないか。


 一撃より少なかったら零だぞ。

 食われるぞ、平手打ちで吹っ飛ぶぞ。

 いや、熊なら爪で切り裂かれるか。


「涼雪様、一撃でも凄いと思います」

「いえいえ、紅藍姫。本当に凄い方だと、一睨みで熊を気絶させられるらしいですわ」


 逃げるじゃなくて気絶。

 絶対に食われるな、その熊。


「まあ涼雪様!!一撃でも凄いのにそんな……なんて謙虚な方なんですかっ」

「褒めすぎです紅藍姫っ……どうしましょう、嬉しくて顔が赤くなってしまいます」


 謙虚、か?

 確かに涼雪が恥ずかしがる姿はとても可愛らしい。

 しかし、謙虚、か?


 藍銅を見ると、彼はどこか遠い目で遠い場所を見ていた。

 そして雲仙を見ると、無言でお茶菓子を食べながら現実逃避している。


「おい、そこの駄目んずども」

「今は女ですから」

「俺は神じゃありません。森の熊です」

「馬鹿!そのチョイスだと涼雪に狩られるぞっ」


 熊ーーそれは、涼雪の獲物ベスト5に入る存在だ。


 因みに最近では、海で巨大鮫狩りに勤しむ事も増えていた。

 思いやり、いや重い槍を片手にそれを投げつける姿に、ハラハラと見守っていた元寵姫組のハートまで打ち抜いてしまった涼雪。


 いっその事、目撃した全員を消すか?


 そんな危険な思想に明睡が走りかけたとしても、誰が責められるだろうか?

 いや、実際には茨戯と朱詩に力ずくで正気に戻されたが。


 修羅には、「電気ショックいる?」とかって、一歩間違えれば死の淵を彷徨うような治療法を勧められたが。


「死ぬっちゅうの」

「大丈夫です。うちの国も似た様なものですから」


 愛しい相手に逃げられた海国宰相の乱心事件。

 あの時、雲仙は半殺し、雲仙の弟は右足の骨折と左肩の脱臼。

 そうーー雲仙は弟が来てくれて殺されずにすんだが、それだけだ。

 そのままであれば、弟と二神で殺されかけただろう。


 そこに駆けつけた海王陛下が、同じく駆けつけた大将軍よりも早くに宰相を一撃で黙らせたのだ。


 というか、地面に沈めた。


 今思い出しても、いや、やはり海王陛下は海国最強である。

 また炎水界においては、上から数えた方が早い猛者。


 見かけによらないーーいや、見かけによらない者達は多いが、海王陛下はその中でも群を抜いた存在だった。



「とりあえず熊、鮫、蛇、蛙はやめろ。いや、猛獣と爬虫類全般全てやめろ。本気で食われるぞ」

「ふっ……俺の貞操は槐に捧げてますので」

「いや、文字通りの食うだから」


 それって、カリバニズムーーなんて言葉が藍銅の脳裏に浮かんだが、とりあえず無かった事にする。


 そして涼雪も、流石に共食いはしない。


「今度一緒に熊狩りに行きましょうね」

「はい、涼雪様!!」


「勝手に海国使者を巻き込むんじゃないっ」

「紅藍姫、熊は絶滅危惧種です!」



 そんな叫びが二神に届いたかどうかはーーたぶんその場に居た者達でも分からない。





「それで、こちらがかの有名なーー」

「はぅぅ」


 あれからどれだけの時間が経ったのか。

 紫蘭は明燐に引き摺られながら、薄れゆく意識の中でぼんやりと考えた。

 まだ考えられるなら大丈夫ーーなんていう状況ではない。


 いくら【バス】が交通手段だからといったって、限度がある。

 王宮内の【バス】は全て徐行運転しているのだが、それでは日が暮れる!!と叫ぶやいなや、明燐は【タクシー】を呼び寄せた。


 そして始まった爆走。

 良い子は真似をしてはいけません。

 王宮内は徐行運転が義務づけられています。

 快適な乗り心地で有名なタクシー会社と最初に説明した運転手よ、どの口がそんな事をほざく。


 とにかく、猛スピードで爆走するタクシーで紫蘭は完全に乗り物酔いした。

 建物の説明をされても全く頭に入ってこない。


 むしろ今は車内なのか車外かさえ良く分からない。


「後でテストしますので」

「お、鬼ですっ」


 そこに明燐の鬼畜発言に、紫蘭は涙目となる。


「ってかいっぺんには無理なんですって!」

「気合いで覚えるのですっ」

「気合いで補えないぐらい凡神なんですよ!」


 ってか、元々紫蘭は凡神だ。

 それが何を間違えてか王妃などという存在になってしまった。


 そして努力はしても、本来の能力が格段に上がるわけでもなく、浩国国王や上層部が優秀であればあるほどその能力の乖離に苦しんできた。


「紫蘭、出来ないと思えばそこまでです」

「出来ると思っても、そこまでなんですよ」


 やれば出来る。

 努力すれば実る。

 夢は叶う。


 でも、どんなに努力しても出来ない事はあるのだ。

 叶えられない夢はあるのだ。


 そして神は、そこまで強くはない。


 途中でぽっきりと折れる神だって、いる。


 誰もが高潔でなんていられない。

 自分の能力の低さに嘆き、理想と現実のギャップに絶望し、それを乗り越えられない自分の弱さに心が砕け散る。


 小さな傷が少しずつ膿み、腐り落ちるように。


 そしてその傷が大きければ大きいほど。


 激しい絶望と嘆き、苦悩に苛まれて堕ちていく。


 周囲が優秀であればあるほど、美しければ美しいほど。

 彼らは選ばれた存在。

 紫蘭は都合が良く利用しやすい存在。


 その利用の課程で、偶然にもその地位に居るだけ。


 手折られた花が腐るように、本来の場所とは違う環境に置かれた花はあっという間に枯れる。


 汚泥の中でしか咲けない花は、清らかな土地では根付く事すら難しい。


「みんながみんな、明燐さん達みたいじゃないんです」


 紫蘭の様な凡神だって居る。

 そんな存在いとって、「やれば出来る」、「努力すれば出来る」と言葉をかけられるのはどれほど苦痛だろうか。


 全く努力してないならまだしも。

 努力しているのに、沢山頑張っているのに。


 そこにやれば出来るって、努力すれば出来るって。


ーー努力すれば夢は叶うーー


ーー頑張れば何でも出来るーー


 ソレデモデキナカッタラ?


 努力しても、頑張っても、寝食を削って勉強してもーー紫蘭は、凡神のままだった。


 神一倍、神の何倍も努力してきた。

 それでも、紫蘭は夫どころか上層部にも追いつかない。


 彼らは天才。


 秀才にもなれぬ身では越える事なんて不可能なのだ。


 そして努力の上でもーー敵わない。

 誰よりも近くで、彼らの努力を見てきた紫蘭だからこそ、彼らの才能が彼らの努力で開花されたものだと知っている。


 誰かが言った。

 無駄な努力だと。


 そうーー無駄な努力なのだ。


 全ての努力が報われるわけではない。

 報われぬ努力だってある。


 叶う恋があれば、叶わぬ恋があるように。


 叶わぬ夢があるように。


 だから、無駄。

 無駄なのに。


 全てを放り出してしまえば良かったのに。


 明燐は紫蘭を見つめる。

 もう少し色々と案内したかったが、どうやら時間切れらしい。

 夕刻から始まる宴の開始時間が迫り、明燐も出席を求められている。

 それも、凪国宰相の妹姫として。


 主たる果竪が居ない今、侍女長としての仕事は殆ど無い。

 代わりに女官達の仕事の補佐を始め、他職種の仕事を侍女達それぞれに手伝っていた。

 今回も女官の仕事を手伝おうかと思っていたが、宰相の妹姫としての参加となればそうもいかない。


 まあ、女官長の百合亜からは宴に集中しろと言われているから、今回ばかりは侍女長としての自分を忘れるつもりだ。


 さて、あえて宰相の妹姫として参加する事になったが、果たして参加者達は自分に何を求めるのか。


 政略結婚?

 見合い?


「私には蓮璋っていう素敵な愛玩ーー許嫁がいますのに」


 え?今愛玩って言った?言った?


 と、ツッこむ者が居ないのが蓮璋の悲劇なのかそうでないのか。

 因みに紫蘭はどうしたのかと聞かれれば、彼女は明燐から離れた場所に立っていた。


「ーー何か気になる書物があれば、どれでも好きに読んでいいですわ」


 大図書館。

 地下は二階、上は五階まである巨大な書物の宮は、果竪が居た時から更に増改築を繰り返し今ではこれほどの巨大な建物となっている。

 そうーー端から端まで、建物の全長は約一キロにも及ぶ。

 しかし単純に横に細長いのではなく、もちろん厚さもばっちりだ。


 そしてこの建物。

 書物以外にも自習室やら研究室、講堂、会議室などの様々な部屋があり、そして喫茶店や食堂まである始末。


 それもこの大図書館を利用する者達が多いからだ。

 時には、王都の民達も此処を利用する。

 もちろん、一般市民の立ち入り禁止区域も存在する。

 しかし、それ以外の部分で民達に知識を解放した事で、凪国の教育水準は以前に比べて格段に上がった。


 紫蘭はその中の書物を一つ手に取った。


 それは、小さな子が読む絵本。


 後ろで、明燐が声をかけてきた。


「紫蘭、すいませんが私は一度ここで失礼させて頂きますわね。戻る時には司書の方に声をかけてくださいな」


 そうしたら紫蘭の滞在する部屋までその相手が送るからと告げると、挨拶もそこそこに明燐はその場を立ち去った。


 思いのほか長居してしまったらしい。

 既に時間はギリギリだった。

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