メモリーループ番外編 第一章 変態の異変
茂みをかき分け、たどり着いた先は洗濯場だった。
そこに、数神の女性の姿が見えた。
年齢は様々だが、全員が紫蘭と同じ服を身に纏い仕事に励んでいる。
その中の一人が紫蘭に気づき、籠を手にこちらに駆けてきた。
「紫蘭!もう体は良いの?」
「……え?」
長い髪をポニーテールにした彼女は、紫蘭の体をキョロキョロと見回す。
「風邪だったの?」
そう聞かれても、紫蘭には答えようが無い。
というか、紫蘭は彼女を知らない。
でも彼女は紫蘭を知っている。
「ってか紫蘭が風邪ってなんか似合わないわね」
そう言うと、他の女性達もカラカラと笑う。
言ってる事はかなり失礼だが、その笑みには全く嫌味が無い。
「紫蘭は神一倍健康だもんね~」
「そうそう!私達が風邪で倒れた時にも一神で仕事をこなしてくれていた事もあったし」
「あの時は下女頭、凄く紫蘭に助けられたって言ってたわ」
「……下女頭?」
紫蘭の言葉に、最初に紫蘭の元に駆けてきた女性が笑いながら背中を叩いてきた。
「そうよ!私達下女の上司である下女頭様よ!それもそこらの男よりも、すっごく男らしくて頼りがいがあるお方のっ!」
「夫は下男頭様。あの麗しき男の娘である下男頭様を狙う悪しき者達をバッタバタ倒して守る姿なんて、まさに勇者!」
「もう本当に惚れるわねぇ~」
どうやらその下女頭という相手は、ここに居る女性の心を鷲づかみにしているらしい。
全員の顔がまるで恋する乙女そのものだ。
紫蘭はふとあの二神を思い出した。
紫蘭が王妃となった後、王妃付きの侍女として紫蘭が唯一自分で選んだ者達。
そうだ――あの二神だけは違った。
彼女達だけは、紫蘭にも優しく親身になってくれた。
かたや、貴族の娘。
かたや、豪商の娘。
夫に頼み、初めて自分の意思で選んだ二神。
そしてその二神で最後となった。
そんな二神は……。
「フィーナ、花央」
「え?」
紫蘭の呟きに傍に居た女性がキョトンとした視線を向けてきた。
「何か言った?」
「え、あ、何でも、ないです」
どうしてそんな事を言ったのだろう?
けれど、気づけばそう答えていた。
「けど、本当に体の具合は大丈夫?無理しなくても良いのよ?それに今日はあんまり仕事もないし」
「そうそう!なんたって今日は大晦日だもんねっ」
「今日から正月三日間に渡って王都も王宮もお祭りか~。あ~あ、そんな時に仕事にあたっちゃうなんてなぁ~」
「文句言わないの!仕方無いでしょう?シフト制なんだから。特に王宮の仕事は内容によっては休日なんてないんだからね」
先輩らしき女性の言葉に、他の女性達が苦笑した。
「はいはい、分かってますよ先輩」
「まあ大晦日かとか正月とかに仕事が当たった場合は特別手当が付きますしね」
「それにご馳走の差し入れもあるし」
「そうよ!それに休日の日数自体は変わらないし、今回の分の代休はきちんと別の日にとってるでしょう?はっきりいってかなりの破格の待遇よ?民間だとこうはいかないわ」
そんな先輩の言葉に、紫蘭も知らず知らずのうちに頷いていた。
「四週六休。しかもお正月休暇と夏休み、建国記念日その他に加えて福利厚生がここまでしっかりしてる働き口なんて、凪国ではやっぱり王宮が一番よ」
その言葉に同意する女性達。
が、紫蘭は同意出来なかった。
今、何か聞き捨てならない単語を聞いた様な――。
「……凪国?」
ここは浩国ではないのか?
いや、浩国だが、福利厚生が一番しっかりしている国が凪国という事で言っているのだろうか?
確かに、凪国は炎水界の中ではかなり制度がしっかりと整っている。
夫も凪国に負けぬように政治を行っており、他の列強十ヵ国も「凪国に追いつけ追い越せ」が合い言葉となっていた。
だが、紫蘭を囲む他の女性達の反応はというと。
「紫蘭ってばどうしたの?」
「なんか変な事でもあった?」
「凪国がどうかしたの?」
女性の一神の言葉に、紫蘭はそれを口にしていた。
「いや、凪国って」
「この国の名前だけど」
は?
「紫蘭、やっぱり体調が良くないんじゃないの?」
「そういえば紫蘭の仕事のシフトだと今日は休みよね?」
「ってか、お正月三日間も休みだったと思います、先輩」
「じゃあ、ゆっくり休みなさいな。あ、宴の方に参加しても良いんじゃない?」
王宮で行われる宴は、基本的に身分関係なく参加出来る物が多い。
もちろん、身分がどうしても関わる物もあるが、今回の大晦日やお正月の宴に関しては多くの者達が楽しめるようにとの配慮もあり、下男下女という下働きの者達の参加も当然の如く認められていた。
ようはみんなで美味しいものを食べて騒ごうというもの。
舞や楽などの演し物もあるが、それらも多くの者達に見てもらう様な形式となっていた。
そしてその際には、王や上層部も顔を見せると彼女達は紫蘭に言う。
「それに今年は、他国からも使者達が来るからね~」
「何でも、国によってはそこのお姫様とかも来るとか」
「他の世界からも来るらしいわ!流石は凪国っ」
キャッキャッと騒ぐ女性達。
しかし、紫蘭は騒げなかった。
凪国?
ここは、凪国?
凪国と言えば、浩国から遠く離れた場所に位置する。
なのに、何故自分はそんな所に居るのだろうか。
ってか、分からない。
昨日までは、眠るまでは確かに浩国王宮の王妃の部屋に居た筈。
そう、王妃として、その部屋の主として……。
……いや。
紫蘭の中に、ふっと沸いたその考え。
もしや、浩国王妃というそれ自体が夢だったのではないだろうか?
そもそもただの一般神でしかない紫蘭。
家族も何もかも失った上に、特にこれといった優れたものも持っていない。
そんな存在が、王妃?
それも大国の王妃?
普通ならあり得ない。
そんなあり得ない事をあり得る様にしたのが、暗黒大戦だった。
大戦の終結後、色々なものが混乱している中だからこそ認められた。
身分も地位も血筋も何もかも持っていない王妃が、多く誕生したのだ。
紫蘭も、その一神。
今なら、まず認められないだろう。
そう――あれは、夢。
紫蘭が王妃だなんて、悪い夢。
本当の自分は、こうして違う国で下女として働いている。
王宮の下っ端として、何とかかんとか滑り込んで働いている平凡な存在でしかない。
紫蘭は甘美な夢に酔いしれた。
今は記憶が混乱しているだけで、きっともう少ししたら思い出すだろう。
そう……ここで、普通に働いて暮らしていた記憶を。
浩国王妃などという、悪い夢も忘れて。
ふと、そうなると今の浩国王妃は誰なのかと思う。
しかし、すぐに紫蘭はそれが馬鹿な問いだと自嘲する。
茜音以外の誰が居るだろう。
夫が真実愛した女性。
心から愛し、大切にしていた女性。
ただ、その彼女は別の相手を愛していた。
そして結婚していた。
ただし、建国直前にその彼は亡くなり、夫の愛した女性は遠い任地へと旅立ってしまったが。
――もしかしたら、それすらも、夢?
本当はそんな事は全く無くて、最初から夫と茜音の二神は結婚をしていた?
全ては、紫蘭の妄想?
その時、ズキンと頭の痛みを覚えた。
「紫蘭?!」
痛みに膝をつけば、女性達の焦った声が聞こえてきた。
「ちょっ!大丈夫?」
「誰か、医務室に」
「そ、そうね、医務室に行きましょう」
「あ、大丈夫、だから」
このままでは大事になるとして、紫蘭は慌てて彼女達を宥めた。
しかし顔色が悪いのだろう。
彼女達は心配そうに紫蘭を見つめる。
こんな風に心配されるのも、長らく無かった気がする。
そう……王妃だった頃には。
王妃としての記憶を妄想と疑いながらも、気づけば紫蘭はそう思う自分に思わず苦笑した。
王妃としての記憶は、夢。
そう思いたい。
けれど、まるで喉に刺さる魚の小骨の様にそれは強固にひっかかる。
取り除きたいのに、取り除けない。
忘れたいのに、忘れられない。
むしろ心の奥底からじわじわと、嫌なものが這い出てくる。
今この時、この状況こそが、夢。
そう囁く悪魔の声音を、紫蘭は震えながら振り払う。
「紫蘭、無理しないで。というか、あなたがそんな顔色をするなんて初めてよ」
「そうよ、無理したら本当に倒れちゃうわよ」
「医務室に行きましょう」
一緒に行くわと言う女性に、紫蘭は慌てて首を横に振った。
「だ、大丈夫!ひ、一神で行ける」
「でも」
「本当に大丈夫!」
そう言うと、紫蘭はなおも食い下がろうとする女性達を置いて走り出した。
申し出はとても嬉しいが、今は一神になりたい。
色々なものがグチャグチャしてて、何が何だか分からない。
ここが凪国だという事。
眠る前は浩国王宮に居た事。
自分はここでは下女だという事。
眠る前は浩国王妃だった事。
どちらが真実?
どちらが夢?
凪国王宮の下女である事を望む自分。
浩国王妃だと囁く、脳裏の声。
どちらが、本当の、自分?
気づいた時、紫蘭は再び知らない場所に居た。
というか、そもそも医務室の場所自体も知らないのだから行ける筈もない。
が、それ以前にここは外なのだから全く違う場所だ。
「……ってか、どこから来たんだっけ」
周囲には神気はない。
上に、建物は見えても遙か遠くという現実。
そしてその建物はあっても、周囲は木々に囲まれている。
このまま直進すれば、建物にたどり着けるのだろうか?
なんて歩いていれば、大きな池にぶちあたった。
「……そ、遭難?」
記憶の中にある浩国王宮も馬鹿でかかったが、凪国王宮も同じぐらい広すぎる。
ってか、敷地内に池って何?森って何?
きっと徒歩なら一日では回れない。
「はぁ……どうして私ってこう考え無しなのかしら」
思い返せば、浩国王宮でも良く遭難していた。
その時には、いつもあの二神が探しに来てくれていたっけ。
夫と言い合いになってケンカして、飛び出す度に二神が来てくれた。
「フィーナ……花央」
そんな二神も、もう居ない。
浩国の西部と東部を治めし、夫の側近たる二神の元にそれぞれ嫁いでしまったから。
ただし、それは政略結婚という名のつく婚姻。
側近達二神はフィーナと花央への恋情も愛情も無く、ただ政略として娶っただけ。
二神にはそれぞれ愛する者が居たという。
フィーナの結婚相手は、義妹を。
花央の結婚相手は、義姉を。
それでも――二神は嫁いだ。
『むしろ嬉しいんです』
『政略でも一緒に居られるんですから。いえ、むしろ政略だからこそ一緒に居られる』
『それを利用する私達は、とても罪深いんでしょうが』
二神の家はそこそこに利用価値があった。
そして、側近達の足場固めとして利用された。
それでも幸せそうな笑みを浮かべて、嫁いでいった二神。
決して愛される事はない。
むしろ邪魔者。
そう言われても、彼女達は……。
今、二神は幸せに暮らしているだろうか?
少しでも、優しくしてもらえているだろうか?
夫に聞いても、答えてくれない。
紫蘭に出来るのは、二神の安寧を祈るだけ。
王妃たる紫蘭が二神の元に行くには、あまりにも遠すぎたから。
そんな時、紫蘭はより王妃である我が身を厭う。
王妃でなければ、自由に会いに行けたのに。
しかし、王妃だったからこそフィーナと花央の二神に会えたのだ。
そして何の身分も地位もなければ、王の側近の妻となった彼女達に会いに行くこと自体まず出来ない。
でも、それも夢だったのかもしれない。
凪国王宮の下女たる紫蘭の方が真実ならば。
「――ん?」
遠くで、神の声がする。
小さいが、思わず聞き惚れる様な美声。
それに導かれるようにして、紫蘭は足を進めていった。
「つぅ~~っ」
「馬鹿だな、お前」
「うっさいよ!悧按っ」
そこでは、元寵姫の二神――悧按と秀静が騒いでいた。
といっても、実際に騒いでいるのは秀静で、悧按の方は何度目かになる溜め息をついて額を手で押さえていた。
「と、とれないよぉ」
「しっかりと絡みついてるな」
枝に絡みついているのは、秀静の長い髪。
まるで絹糸の様に光沢のある髪の一房の先が細い枝に絡みついてとれない。
先程の突風で髪が乱れてしまったのが原因だ。
それから五分。
何とか外そうとしているが、むしろ余計に酷くなっている気がする。
「ああもう!苛つくっ」
「おい、どうする気だ」
「もう切る!」
そう言って、小刀を取り出した秀静に悧按は大きくため息をついた。
「気が短すぎるぞ、お前」
「うるさいやいっ」
涙目の秀静は恐ろしく愛らしい。
いや、涙目でなくても愛らしい美貌。
流石は男の娘であり、元寵姫。
悧按もまた、溜め息をつく姿が酷く悩ましい色香を放っている。
その憂い顔はどんな堅物の男でさえ欲望に身を堕とす程に妖艶だった。
と、秀静が髪に刃を当てる。
そのままぶちんと行くつもりだった。
彼女が来るまでは。
ガサガサと茂みをかき分ける音が聞こえ、秀静は手を止めた。
悧按もまた、音のした方を見る。
ここは滅多に立ち入る者達が居ない場所。
そこに自分達が居るのは、見回りとしてだ。
警備の厳しい王宮だが、なにぶん広大でもある為にどうしたって警備の緩い場所が出てきてしまう。
そしてその場所を狙って侵入する者達が居る。
それは、王の命を狙う暗殺者――なんて事はない。
むしろ、その九割九分九厘は王宮の上層部や元寵姫達という男の娘達を狙う者達だった。
自らの者達も居れば、雇い主に頼まれての者達も居る。
その目的は拉致監禁。
上層部の女性陣も狙われるが、男の娘達に比べればかなり少ない。
それに喜んでいいのか悪いのか。
上層部の女性陣や大切な者達が狙われるぐらいなら我が身を差し出すという男の娘達が殆どだが、なんでかどうもしっくり来ない。
最初から女よりも男の娘狙いです。
良かったですね
と言えない自分達が未熟なのか?
それは、男の娘達共通の疑問である。
と、それは置いておくとして、悧按は鋭く誰何した。
それに呼応するように、茂みから現れたのは。
「ひぃぃぃぃぃ!」
「うわあぁぁぁぁっ」
恐怖の使者――紫蘭。
でなくて、下女の紫蘭だった。
男の娘と見ればぼーいずらぶを妄想し、着衣を略奪しては売りさばく。
いや、その前にその絡みつく視線はまるで穢されているかの如く――いや、見ていようがいなかろうが常に頭の中で素敵な事を想像されているのだろう。
視線を感じれば常に半径五十メートル以内に居ると思え――と上司に言われた。
視線を感じれば、全力で逃げろと言われた。
その目力に、何度服を脱ぎかけただろう?
見つめられて脱がなければならないような気にさせられる。
いや、むしろ視線は「脱げ」の一言。
脱がなきゃ男じゃないと言われているが如く。
セクハラ視線、セクハラ発言。
そんなものは序の口。
時々呟く台詞を聞くだけで、自分達が脳内でどんな風に料理されているかを思い知らされるものだった。
そんな、恐怖の使者――紫蘭。
腐女子の勇者――紫蘭。
視界に入れたら全力で逃げろと言われる、紫蘭。
でも、悧按はともかく髪が枝に絡みついている秀静は逃げられない。
そして悧按もまた、煉国後宮での地獄を共にした秀静を見捨てる気はなかった。
逃げられないなら闘う。
って、悧按の戦闘能力で実力行使したら確実に紫蘭が無事ではすまないので、とりあえず――。
「こ、来ないで下さいっ」
ふるふると震えながら秀静の前に立つ悧按。
全然闘ってない。
威嚇すらしてない。
むしろ、襲ってくださいモード百二十パーセント。
ここに朱詩が居たら、まず平手打ちされる。
一方、制止の声をかけられた紫蘭はというと、それに構わずスタスタと二神の元まで歩いてきた。
ああ、間近まで来られてしまった。
ってか、視界に入った時点で彼女の脳内にて自分達は[バキューン]で[ピー]が[ピィィィ]した挙げ句に最後は――。
脳内で穢されていく自分達に二神は涙した。
いや、今まで脳内どころか実際に色々と変態達にされてきたが。
だが、そういう場合は相手を始末すればそれで良かった。
でも紫蘭の場合はそれが出来ない。
というより、やってる事は変態だが、それでも一定のルールと秩序の元、相手に迷惑をかけないようにやっているから。
いや、既に迷惑はかなり被っているが、普通の変態達が悧按達の大切な者達にまで危害を加えるのに対し、紫蘭達はそういう馬鹿をむしろ取り締まっている。
見事な平手打ち、アッパー。
口で言っても聞かないなら実力行使。
それどころか、中々意中の相手と接近出来ない元寵姫組の中には彼女達によって
『行ってこいぃぃぃ!』
と、意中の相手に向かって放り投げられた。
そしてその場合、かなりの確率で成功する。
そんな恋のキューピッド。
でも、変態。
そう、腐女子な上に神の着衣を売りさばく、変態。
紫蘭の腕が伸ばされる。
ああ、脱げって事ですか?
むしろ神の手を煩わせる前に全てを脱ぎ捨てろって事ですか?
ってか、この方本当に浩国の王妃様ですか?
最初に聞いた時、信じられなかった。
何がどうしてどうなって……。
そんな元寵姫組が紫蘭の素性を知らされたのは、紫蘭が凪国王宮の下女となってからしばらくたってからの事。
真実を知った時、嘘だと叫んだ者達は数知れず。
真実を知っても信じられなかった者達、過半数。
紫蘭が王妃だったという浩国の王妃選定の基準を疑った者達、全員。
紫蘭が王妃で大丈夫だったのか、浩国――とかの国を心配した者達、全員。
そして実は紅葉が、紫蘭の様子を報告し、何か有事の時には対処する要員として派遣された浩国上層部の一員と知った後は、本気でその事について聞こうかと悩んだほどだった。
まあ――実際には聞いていないが。
というか、聞いたところで果たして教えてくれるだろうか?あの烈女。
明燐にはレベル的には敵わないが、それでもかなりの烈女である彼女に勝てる男はかなり少ないだろう。
実際、浩国では彼女の見た目に騙されて痛い目に遭わされた者達は数多いと聞く。
そんな風に色々と思い出す事で自然と現実逃避していた悧按と秀静。
と、秀静の髪に紫蘭の手が触れる。
一体どんな辱めを受けるのだろうか?
「う~ん、これはひどく絡まってるわね」
そう言うと、紫蘭は秀静の髪を慎重に解いていく。
って、はい?
いつもの紫蘭なら
『きゃぁあん!枝に絡まった秀静様って何?!樹木プレイですか?!秀静様の美しさには樹木すら襲いかかり捕らえにかかるって事ですか?!』
とか
『きっとその枝が触手となって秀静様に絡みつき、ああもう素敵な同神誌が書けそうです!ああ、もしその樹木が朱詩様の大切になさっている形見の白梅なら、朱詩様の寵愛を受ける秀静様に嫉妬した白梅が恋敵を捕らえてあ~んな事やこ~んな事をきゃぁぁあぁぁ!』
こっちがきゃぁぁぁぁぁあ!だよ、とツッコミたい。
ってか、朱詩様は寵愛なんてしてないから。
お気に入りは居るだろうけど。
朱詩様の寵愛は今は亡き恋神のみ。
んで、今は居ない、妹の様に可愛がっていた凪国王妃様だけだ。
そして白梅をそんな妄想に巻き込むな、穢すな、それこそ朱詩様に殺される。
ってかその話の展開だと、朱詩様の想い神が秀静に手を出すというあれで。
確実に。
秀静が殺される。
形見の白梅ですら、自分が認めた者達にしか触れさせないのだから。
以前凪国王妃様が枝をボキンと折ってしまったが、それも彼女だからこそ。
彼女以外なら、確実に殺る。
まああの時は、枝を折ってしまって謝る王妃様に対して逆にその弱みにつけ込んでたっぷりと愛でていた朱詩様が居たのだが。
鬼畜――と、悧按と秀静は思ったが言わない。
直属の配下である元寵姫仲間の玲珠と柳にそれとなくその件について言っても、黙殺された。
言えば確実に殺られるから。
って、また現実逃避してしまった。
「あ、まだ動かないでくださいね」
思わず後ずさろうとした秀静を止め、紫蘭は枝に絡む髪を解いていく。
そして間も無く、秀静の髪も枝も傷つく事なく解放された。
「あ……」
秀静がいくらやっても外れなかったというのに、それはさらりと枝から離れていった。
「ダメですよ、そんな素敵な髪を切ったら」
その時、ピキンと悧按達は固まった。
目の前の光景が、現実のものとは思えなかったのだ。
ってか、なんだ、これは?
いつもの悪そうな笑みでもなく、にやけた笑みでもなく。
何かを企んでいる様な笑みでもなく。
ふわりと花がほころぶ様な柔らかく優しい笑顔だった。
思わず見惚れた二神だが、すぐに我に返る。
だが内心はかなり焦っていた。
今まで紫蘭は女性として見る事はなかった。
それは神妻、それも浩国の王妃というだけでなく。
素敵なまでの変態っぷりを目の当たりにした事で、女性という範疇を軽く越えてしまったからだ。
むしろ紫蘭を女性と認識する事は世の女性達に土下座で謝罪したい程にあり得ない。
そこまで思ってしまう程に、生々しい変態っぷりだった。
そして紫蘭は紫蘭で自分達を男として全く認識してないだろう。
まあもともとその美貌から常に『女』扱いされていたが、それとも違う。
そう――悧按達を『女』扱いした者達とも完全に違うのだ。
着替えの最中、入浴の最中にも用事があれば乱入して普通に用件を済ませていく紫蘭。
猥談を話している男の娘達に普通に混じって話をする紫蘭。
男の娘が拉致監禁されかけたり、襲われかけている所にぶつかれば普通に相手をなぎ倒していく紫蘭。
それは別に普通の女性の時にも行う。
っていうか、最後はちょっと違うかもしれない。
が、どう考えても自分達は男扱いされていない。
かといって女扱いもされていない。
たぶん生物扱いはされているだろうが――なんて言うのだろうか?
それこそ小さな子が男女関係なく一緒に遊ぶあんな感じ程度の認識しかしてもらえていない気がする。
ぼーいずらぶの同神誌を書いているのに。
いや、そもそも自分を女として認識しているのかが――。
ああそうか。
紫蘭は男の娘達を男として認識していないわけではないのだ。
むしろ男として認識している――だってぼーいずらぶ同神誌のモデルにしてるから。
ぼーいずらぶは男達の恋愛話とか、そういういちゃいちゃをしているものを言う。
だから、ようは紫蘭が自分を女として認識していないだけである。
そう、そうだったのだ――って。
「あ、あの、何を」
「え?髪が乱れているから直していたんですけど」
乱れている――のか?
悧按は秀静の髪を見た。
あれだけの突風があれば普通は爆発した頭となるが、どう見ても少しだけしか乱れていない。
むしろそれがとても色っぽい。
しかし紫蘭はさっさと秀静の髪を手櫛ですいて直していく。
「また枝にからまったらまずいですから結んだ方が良いですよ」
「え、あ、うん」
「髪紐はありますか?」
その問いに、秀静は髪紐を渡す。
それを受け取り、素早く髪を結んでいく紫蘭。
ふと、以前された仕打ちを秀静は思い出した。
以前もこんな風に髪を結ぶと言われて任せたが最後、それはそれは色っぽい姫君の髪型に結い上げられた。
「ちょっ!ストッ」
と言った時にはもう遅く、紫蘭の作業は終わっていた。
「頭の上で結い上げてみたんですけど」
そうして出来上がったのは、単純にポニーテールの髪型だった。
「こうした方が少しはマシだと思います。それに、仕事をするなら纏めた方が動きやすいですし」
帯刀こそしていないが、二神の身のこなしから武官ではないかと紫蘭は見当を付けていた。
ただ、武官とは思えないほどに麗しく妖艶な美貌をしているが。
そんな絶世の美貌を持つ男の娘たる目の前の男達。
けれど、浩国にも男の娘達は結構居たからそこまで驚くほどではない。
というか、浩国上層部の男性陣はおろか、夫もまた絶世級の性別を超越した男の娘達だったし。
「……あ、あり、がとう」
「どういたしまして」
そう言うと、紫蘭はまた微笑んだ。
そしてまた悧按と秀静が固まる。
「な、なんか紫蘭が変」
「ああ、かなり変だ」
ぼそぼそと言い合う悧按と秀静は、恐る恐る紫蘭を見つめる。
これは本当にあの紫蘭なのだろうか?
最初に現れた時はまだしも、その後少しずつ感じた違和感がジワジワと広がっていく。
ふと、秀静は自分の懐に隠し持っているものに思い当たる。
そしてもう一度紫蘭を見た。
いつもと様子の違う紫蘭。
ってか、まるで普通の女性の様な紫蘭。
だが、いくらいつもと違う紫蘭でもこれを見せれば
「あ、手が滑った」
そうして紫蘭の方へと落としたのは
ある腐女子から取り上げた、最新作の同神誌。
今、紫蘭が絶賛お勧め中のカップリングの代物だった。
しかも紫蘭が手に入れたいと騒いでいたものだから、目にした途端に飛びついて
「はい、どうぞ」
紫蘭はその中身はおろか表紙すら満足に見ずに秀静へと差し出した。
「……」
「……」
「……あの?」
受け取らない秀静に困惑する紫蘭。
そんな彼女に、秀静は言った。
「それ、前に紫蘭が読みたがっていたものだよ」
「え?」
彼の言葉に、紫蘭は戸惑う。
そうなのだろうか?
しかし、覚えていない――いや、いまだこれが現実なのかも分からない紫蘭は否定する言葉を持たない。
そして中を見るようにそれとなく勧める秀静に促され、紫蘭はその本をじっくりと見た。
「……」
ぼーいずらぶ、という本らしい。
中身を見ると、かなり過激な事が書かれていた。
「……」
普通なら顔を真っ赤にするものだが、夫や浩国上層部男性陣に囲まれていればそういう生々しい話は良く耳にしていた。
そう――本神の意志を無視した拉致監禁も、女の様に扱われ、到底口では言えない様な扱いをされてきた事も。
正妻、正妃、側室、妾、奴隷とそれはそれは様々な立場に貶められ、辱められてきた彼らの話を聞けば。
この本に書かれている内容に顔を赤らめる事も無かった。
枯れている――いや、荒んでいるな……と、紫蘭は自分の乙女度の無さに哀しくなった。
「その、私の趣味じゃないですね」
前の自分が見たいと言ったのかもしれない。
けれど、今の自分は見たいとは思わない。
だから、自然とそんな言葉が零れていた。
別にこういう本を否定する気はないし、妄想して自分が楽しむだけなら良いのだろう。
神の趣味好みはそれぞれなのだし。
それに本神同士が心から同意しているなら、同性愛も良いのかもしれないし。
そう――無理矢理はダメだ、無理矢理は。
相手の意思を無視した強制は紫蘭も断固拒否する。
「どうぞ」
再度本を差し出した紫蘭だったが、やはり彼らは受け取らない。
天使の様に愛らしく可憐な彼も。
妖艶な美貌の彼も。
それどころか、ガッと紫蘭が肩に担がれる。
「へ?」
そのまま凄まじい速さで運ばれていく紫蘭は、気づけばどこかの建物の中に居た。
「医務室長!」
「何だよ、騒々しいな」
これまた絶世級の美少女が白衣を身に纏って立っていた。
体の蠱惑的な曲線がしっかりと露わになる白衣姿は、ある意味殺神的にエロチックな着衣である。
って、あの顔は。
「あ、修羅さんだ」
「紫蘭がおかしいんです!」
「紫蘭が変なんです!」
「いや、紫蘭がおかしいのも変なのも公式だから」
公式って何だ。
そう心の中で突っ込む紫蘭。
と同時に、医務室長――修羅は気づいた。
「修羅さん?」
そんな呼び方を、今の紫蘭はしただろうか?
昔の紫蘭ならいざ知らず。
って、え?
弾かれる様に、修羅は悧按と秀静が担いできた問題の相手を見た。