愛も戯れ【キリト】
猛禽類の魔物であるキリトは、魔の国では魔王の次点の強さを誇り、彼自身もそれを誇りに思っていた。
使い古された言葉でいうならば、魔王の右腕といったところだろうか。
そんなキリトに、現在魔王デリウスの右腕として最大の危機が迫っていた。
◇
「何故、私があの女を」
ゆったりと玉座に腰掛けるデリウスに向かい合うように立った時、つい、声を荒げてしまった。
今まで自分を我が子のように慈しんでくれたこの王は、自分の事を一等信用しているのだと思っていた。
自身がデリウスの事を敬愛し付き従うように、長い年月側に置いてくれているということは、もはや、そういう事だと思っていた。
「ユナだよ、キリト」
それがどうだ。
制される声に煮えたぎる腹立たしさがきゅっと腹の底に沈んでいく。優しげに囁く声に、上昇する嬉しさの反面、期待した温度がそこにない事に指先までも凍るほどの寒さを感じた。
そのような声で、自分よりも先に呼ばれたのがあの女の名前とは。
「彼女の望むものは全て叶えてあげたいんだ、だからキリト、よろしく頼むね」
「……はい」
「不満かい?」
はい。そう言ってしまいたいのをグッと我慢する。迂闊にも唇を強く噛んでしまい血が垂れ落ちた。しまった。格好の悪いところをデリウス様に見せてしまう。
「いけない子だなぁ、キリト」
「……申し訳っ……!」
存外近くで声が聞こえ、顔を上げると黒く美しい髪が目に入った。艶やかな黒から見える白く滑らかな肌は、幻想的で思わずグ、と喉が鳴る。自分の背をはるかに追い越すほどの高い背丈であるにも関わらず、甘やかな表情に柔らかな物腰のアンバランスさがひどく艶めかしい。
デリウス様の白く長い指が、口元に伸びて、唇を撫でた。傷ひとつない美しい手を赤が汚す。
汚い血が、デリウス様を……。
ふふ、と楽しげな声が聞こえて、自分がデリウス様の指を凝視していた事に気がついた。滑りとした血は、少量なこともあり空気に触れて固まりつつある。
「私のせいで傷ついて、可愛いね、キリトは」
「は、いえ、申し訳ございません」
「私を汚した事を悔いているの?」
「……」
「うふふ、可愛いね」
「うっ」
「でもダメ、私のものを傷付けてはいけないよ」
赤い、ぬらぬらとした瞳が、きゅうと細められてゆらめいた。
白い肌に赤い宝石を埋め込んだような美しい顔が気がつけばすぐ目の前まで迫っていた。
デリウス様の髪の毛が頬に溢れ、パタパタと流れ落ちる。まるでカーテンのようにデリウス様と自分を囲い込む。
鼻先がぶつかりそうなほど近い。
よもや少しでも動けば、肌と肌がぶつかりそうな距離に目眩がする。透き通るような白から目が離せない。
この戯れに浸かってしまいたくて、もう一度、デリウス様しか持たない赤が見たいと視線を上げると、その目は何処か違う場所を見ていた。
自分が魔物であることを呪う。
良すぎる目は、一瞬であろうともその瞳に映るものが正確に見えた。ユナだ。
「デリウス〜! 早くその魔物貸してよ! 待ちくたびれちゃった!」
「うふふ、仕方ない子だね、可愛いユナ」
この女、デリウス様になんて口をきくのだろうか。寒気のする甲高い声に呼ばれて、部屋を出る。この女が何処からやってきたのかなんぞ興味がないが、目障りで仕方がない。
いっそ殺すか?
そんな考えが頭を巡る。
白い肌に、細められた赤。汚してしまった、指。それらが思考の端にチラリと顔を出す。
『悔いているのかい?』
あの甘やかな戯れを思い出す。
この小娘を殺せば、あのようにまた触れてくださるだろうか。肌が触れ合うことが許されるだろうか。
『私のものを傷付けてはいけないよ』
……いや、デリウス様のものを壊すわけにはいかない。あの女はデリウス様のものだ。
「貴様人間だったな……であれば寿命も持って100年程度……それくらいならなんの問題もないな」
「え、なに?」
「頭も悪そうだ」
「はぁ〜!? デリウスに言いつけちゃうんだから!」
ふむ。たった100年ならば、問題ないな。
馬鹿な事を考えてしまった。
デリウス様がこの醜女のものになったわけではなかったな。
魔物として生まれたことを感謝しなくてはなるまい。
単純ばかを期待させて弄ぶのが趣味のデリウス様です。
クズです。