Sanctus legatus
リビングから、兄の蒼が門扉の前に居るのが見えた。しかし、家に入って来る様子は無く、誰かと話をしているのが見えた。
(なんだ!?あのボッチが誰かと話している。道を聞かれたのか、宅配業者?または野良犬?)
莉子はソファのクッションを抱きかかえたまま、首を伸ばす。そこで、ようやく話ている相手の後ろ姿が見えた。
(ん、あれ!?あの制服は弥生高の女子‥‥‥随分長く話している様だけど‥‥‥ま、まさか!びじ‥‥‥美人局!!絡まれているのか!?そ、それで、一緒に帰って来たのか!?)
蒼と同じことを考えるのはさすが兄妹である。
女子の顔は見えなかったが、蒼の顔は見えた。不細工では無いが、いつもと同じで冴えない、貧相な顔だ。
(困っている‥‥‥顔でもないな。何しているんだ)
じっと見ていたが、最後まで女子の顔は見えない。女子が立ち去ってようやく玄関のドアが開く音がした。
(ま、まぁ、うちには関係ない事だし。ボッチの兄の事だ、どうせ大した用でも無かったんでしょ!)
「ただいま‥‥‥」
なんだか少し疲れた声だ。
「お、ボッチーのお帰りか」
リビングから小生意気な妹の声が聞こえる。
「うっせ!!」
いつものやり取りだった。
「そうそう、母から連絡有った。暫く帰って来れないらしい」
「あっそ」
蒼はさらっとそう言うと、2階にある自分の部屋に向かう。
リュックを床に落とし、背中からベッドに倒れ込んだ。そして、大きな溜息をつく。
「ふぅ~‥‥‥。何だか凄く疲れた‥‥‥。本当に、明日は迎えに来るのか?」
エアコンのリモコンに手を伸ばす。
(それにしても、暑いし‥‥‥明日からの事を考えると‥‥‥あぁぁあぁぁあ!)
蒼は頭を抱え、髪をグシャグシャと掻きむしった。
!
(ん?なんだ?この感覚。このシチュエーションはつい最近あった気がする。また、デジャブか?)
ここ最近になって、デジャブを体験する事が多くなった。ボッチによる症状の一つなのか分からないが、特に害がある訳でも無いのでそれほど気にはしていない。
制服からジャージ素材のハーフパンツとTシャツに着替え、リビングに降りて行った。
莉子がソファに座って映画を観ている。
(また、映画見てる。しかも、かなり古そうだ。あ、これか、前見た事あるな。鹿狩り映画だったはず‥‥‥)
古い映画で、アメリカの田舎町に住む、鹿狩り仲間の若者達が居た。その頃アメリカは東南アジアで泥沼の戦争をしていたのだが、その若者たちも徴兵され地獄の戦場に行く事になる。捕虜にされ死を見せつけられた仲間は、心が壊れていく‥‥‥。初めてロシアンルーレットを知ったのが、この映画という人も多いだろう。
終始暗く、残酷な描写が続くこの映画を中学生の女の子が見るとはなかなか渋い。と言うか、普通はタイトルすら知らないだろう。
キッチンへ行き冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注ぎ一気に飲んだ。
「ボッチー!さっき外で誰かと話して無かった?」
莉子は相変わらず、兄を見ることなく声を掛けた。しかも、酷く馬鹿にした呼称でだ。
「え!さ、錯覚じゃね~」
(しまった、コイツに見られていたか!)
「錯覚ってなんだよ。ったく!意味わからん事を‥‥‥これだからボッチーは‥‥‥ブツブツ」
妹は、美術・映像部と言う中学校では珍しい部活に入っている。元々は美術部だったのだが、10年くらい前から、映像で美術を表現するというコンセプトで、絵や彫刻に加え短編映画などの製作するようになった。それで、中学に上がってからは暇さえあれば映画やドラマを食い入るように見ているのだ。
莉子は、ホットパンツにTシャツ姿で、クッションを抱えて俯せで顔をTVに向けている。あまり、身体を動かしていないせいか、ホットパンツからニョキリと伸びた太腿は色白でムッチムチだった。
(この、ムッチーが!!)
もちろん、お年頃の女子にこんなことを面と向かって言える筈は無い。クッションを投げつかられるだけでは済まないだろう。
「おい、夕食どうするんだよ。今日は莉子の当番だよな?」
「え~また私?」
「いやいや、交代だろ?昨晩は僕が作ったんだから」
「だって~。お兄ちゃんの手料理が食べたいんだもん!」
「何、調子のいいこと言ってんだよ!」
「イタリアンなハンバーグ食べたいな~。お・に・い・ちゃ・ん!」
――――
(ったく、なんでまた僕なんだよ‥‥‥。都合の良い時だけは『お兄ちゃん』なんだから)
蒼はいつも妹の手の平の上で踊らされている。それで、この暑い中食料の買い出しに出てきた。スーパーまでは歩いて20分程で着く。
今晩のメニューは、莉子様の言いつけ通り、トマトソースのイタリアン・ハンバーグ、それにサラダと適当にスープを作る予定だ。
スーパーに入ると、合い挽き肉、ローリエ、トマトとパックのトマトピューレを購入し、家路に急ぐ。時刻は4時近いが、太陽の活動は相変わらず活発だった。
買い物袋を提げ、暑さで少しふらつきながら、アスファルトが溶けそうな道を歩いていた。
ふと後ろを振り返る。5、60mくらい後ろに2人の男性が歩いている。その後には、陽炎の向こうに軽のワンボックスが見えた。この辺は住宅街で車の通りは多い方ではない。多分、宅配業者などの車だろう。
しかし、蒼は2人の男性には少し違和感を感じた。じっと見ていた訳では無いが、2人ともサングラスを掛け、会話をしている風には見えない。顔をこちらに向け、只歩いている。服装はカジュアルで、一人だったら不自然では無いだろう。
ただ、平日の4時近くにサングラスを掛けた男性2人が、無言で歩いているのは少し不気味に思えた。
(気のせいかな‥‥‥)
少し歩く速度を上げる。あと数分で家に着く距離だ。
チラリと後を見る。2人の男達は先ほどより近づいている。後方にいた軽のワンボックスも、ゆっくりとだがこちらに向かっているように見えた。それに、周囲には他の人影も車も見えない。
(な、なんだ?なんか嫌な感じがする。花宗さんが言っていた、つけられるってこういう事か?で、でも何かの勘違いだろう。生粋の冴えない高校生をつけてもメリットは無いだろうし‥‥‥)
大溝家はそこの交差点を左に曲がればすぐだった。
(気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ‥‥‥!)
交差点に差し掛かり、素早く左に曲がる。買い物袋がグルんと遠心力に導かれて弧を描いた。その時男達が見え、更に近づいていた。
(こ、これはひょっとして!本当か!!マジなのか!?)
蒼は小走りになっていた――。
お読みいただき感謝いたします!怪しい男達の出現に、蒼の運命はいかに‥‥‥!