one possibility
2024年8月下旬
防衛省
Unknown One Task Force
日本政府が秘密裏に設置した、“Unknown One”の対策本部は、防衛省の地下にあった。
ここは防衛省主導で日本国内の宇宙物理学者、天文学者、JAXA研究員、航空自衛隊宇宙作戦群などの専門家が集まり、観測衛星『すざく』、『あすか』、『ぎんが』からのX線望遠鏡画像や、JAXA、美星スペースガードセンターからの情報と、NASA、英国宇宙局、カナダ宇宙庁などの連携各国からの情報もここに集約されていた。
対策本部の巨大なモニターには、“Unknown One”の様々な情報が表示され、ディレクターの佐々木1等空佐以下、アシスタントディレクター、各観測衛星運用班、SETI班、追跡班、分析班、情報集約班、連携・調整班、内閣官房調整班などにグループ分けされ、総勢150名の専門家と陸上自衛隊と航空自衛隊員が、24時間体制で勤務していた。
しかしながら、ここに居る日本を代表するような科学者達ですら、どうする事も出来なかった。世界中の科学者は何とか交信を試みるが、悉く成果を上げる事は出来ずにいた。
そもそも、交信しても返信出来る知的生命体か、またはAIなどが搭載されているかすらも不明なままであった。
唯一出来る事は、全ての観測可能な人工衛星や電波望遠鏡でじっと見守る事だけだった‥‥‥。
そして、人類が“Unknown One”を発見してから約2か月が経過した。太陽から204億㎞付近を地球に向かって異常な速度で航行中の巨大小惑星に、ある変化が起きた――。
その30秒後、X線望遠鏡を備える『すざく』が観測した現象は、ここに居る科学者達を驚愕させた。
「伊藤チーフ!これを見てください」
分析班の研究員が、プリントアウトしたばかりのデータシートを、かなり興奮しながら伊藤に見せた。
「ん‥‥‥こ、これは‥‥‥!」
伊藤は眼鏡を掛けて、自分のPCを操作しモニターを凝視した。
「ま、まさか!!90GeVを観測したのか!!」
対策本部内は一気に慌ただしくなった。ここにいる物理学者や天文学者が長い間観測しようとしてきた事が、宇宙の大きさで言えば、ほんのすぐそこで発生したのだ。
「さ、佐々木ディレクター‥‥‥」
「どうしました?」
ディレクターの佐々木 良治1等空佐は、航空自衛隊の初代宇宙作戦群の指令を務めていたが、防衛大臣からこの対策本部長に抜擢されていた。
「そ、その‥‥‥。“Unknown One”の推定航行宙域に置いて、シ、シンクロトロン放射とX線、そ、それと、NASAのスウィフト衛星がガンマ線を観測しました‥‥‥!」
分析班長の伊藤教授は、宇宙空間の神秘、理論を肯定する物理現象、また人類の科学力では理解すら出来ないような事象を発見する為に、研究中心の生活をし追い求めてきた。それをついに観測する事が出来たのだ。そのため、かなり動揺し手が震えはじめ、頭の中で混乱が生じていた。
「シンクロトロン放射にガンマ線!?」
佐々木は伊藤教授の狼狽振りに、とてつもない現象が発生したのだと何となく理解した。
「はい、えっと‥‥‥高エネルギーの電磁波とX線、と、そ、その、光子の放射です。JAXA、NASAでも同様の事象を観測しています。え、と‥‥‥30mm/sec以下という極短時間だった為、その、データの精査が必要ですが‥‥‥」
佐々木1佐は、この伊藤教授の的を得ない返答と、狼狽え振りに少しイラついしまった。
「何でも良いから簡潔な説明をお願いする!」
対策本部に居た全員が静まり、動きを止めた。
「は、はい!こ、これは私個人の見解ですが‥‥‥。“Unknown One”の付近で、高エネルギーの電磁波とガンマ線が観測され、その直後にブ、ブラックホールが発生した後に、ホーキング放射を観測した可能性が高いです‥‥‥そ、それと‥‥‥」
「ブラックホールが‥‥‥!?それ以外にまだ何かあるんですか!?」
伊藤教授はずり下がった眼鏡を人差し指で直した。
「“Unknown One”が消滅しました‥‥‥」
誕生したブラックホールは、1秒にも満たない短時間で消滅したと同時に、“Unknown One”が、全ての観測機器から存在を確認する事が出来なくなった。残ったのは恐怖の記憶と観測データのみだった。
「しょ、消滅!?どういう事です?‥‥‥小惑星がブラックホールに取り込まれたという事ですか?!」
「い、今のところはそこまで分かりません‥‥‥、データの精査をしてみないと‥‥‥」
「分かりました‥‥‥。全員注目!!データの分析と“Unknown One”の発見に集中してください!関係各国と情報の共有を密にして、このデータの内容がどのくらい正確なのか報告をお願いします!」
この突然の事象は、関係各国のデータ分析でも同様であった。また消滅したと思われる時刻に、日本のKAGRAで重力波を観測していた。
どういった仕組みかは人類の科学力では分からないが、兎に角Unknown Oneの付近で極短時間に大きな重力が発生し、ブラックホールが現れ小惑星と共に消えてしまったという事だった。
それから数日の間、世界中の科学者がUnknown Oneを観測しようと試みたが、その消息を辿る事は出来なかった――。
ブラックホールと共に、人類の脅威は消えてしまったのだろうか?
――――――――――――――――
全く気が乗らないけれど、仕方なかった。玄関から一歩足を踏み出すと、急激に重力の異常が起きたかと思うほどに、身体が重くなった気がした。
(次の長期休みまで約4か月‥‥‥。同級生が作り出す影の中に隠れて耐えていくしかない)
少年はノロノロと歩く牛の様に学校へ向かっていた。今日は、朝一番で部室へ行き、夏休み中に採集した遺物を保管してから、教室へ行こうと少しだけ早く家を出たのだ。
別に放課後に部室へ行っても良かったのだろう。が、しかし、夏休み明けの初日に真っすぐ教室へ行く気分ではなかった。どうせ、久しぶりに会った同級生達が近況報告したり、休み中遊び回った仲間同士の、やたらハイテンションな思い出話を聞きたくなくても聞かされるからだ。
それに、誰も少年に話し掛ける人は居ない。
『よ!久しぶり!江の島に行ったとき以来だよな!』なんて事を言ってくる同級生は皆無だし、そもそも江の島などの観光地にみんなで行った事もない。将来的にも無いだろう。
多分、自分の存在は、同級生から見れば教室の備品程度にしか思われていない筈だと、少年は確信していた。
少年は校庭の端にある古い木造の部室棟に向かった。ここには、部員数が少なく、活動的では無い文化部が幾つか押し込められていた。建物の立地も悪く、陽が当たる時間も少ない。中に入ると、モワっとした高い湿度の空気が肌に纏わりつく。薄暗い廊下の床は軋み、壁や床の木材は湿気があり冷たくも感じる。各部屋の窓枠も今では珍しい木枠だった。もちろんエアコンなどの空調装置もなかった。
考古学研究部と書かれた部室の引き戸を開けた。古びた木製の引き戸は動きが悪い。両手を使って開けないとまともに動かなかった。
「あ‥‥‥」
少年はいつも俯いている。誰からの視線も視界に居れたくなかったからだ。その為、部室に先客が居たのに気付かなかった。
「お、おはよう‥‥‥大溝君‥‥‥」
「ひっ!!‥‥‥」
少年は突然声を掛けられて上擦った声を出してしまった。すぐに少し視線を上に向けた。
「ご、ごめんなさい‥‥‥驚かせたみたい」
この学校内で唯一少年に話し掛けてくる生徒の沢原亜紀だった。久しぶりに見た彼女は、依然と寸分変わらない見た目をしていた。櫛を通しただけの黒髪、黒縁の眼鏡、その奥に見える瞳‥‥‥。今の女子高生のような派手さは無いが、よく言えば落ち着きのある普通の女子だった。
「お、おはよう‥‥‥」
「大溝君も標本を保管しに来たの?」
どうやら彼女も、大溝と同じ理由でこの部室に来ていたようだ。ただ、沢原自身が、ホームルーム前に大溝が来る事を予見していたかまでは分からない。
「う、うん、そうだね。そんな感じっす‥‥‥」
大溝は出来れば話掛けて欲しくなかった。今は他に人が居ないからいいけれど、もしも他の生徒に見られたら心配の種が増えるだけだった。
だから、これ以上会話が続かないように、採集した古代の遺物を彼専用のボックスに無造作に入れて、そそくさと部室から出て行った。
「あ‥‥‥行っちゃった‥‥‥」
彼女が少し落胆し、溜息をついた事に気付かず大溝は行ってしまった。
足早に自分の教室の前まで来ると、中から騒ぐ生徒の声が廊下にまで漏れていた。この騒ぎなら自分が入って行っても誰も気付かれないだろうと考えた大溝は、ゆっくりと後ろの引き戸に手を掛けて、一呼吸置いてから慎重にドアを開いた。
ガララララ‥‥‥
上目遣いでチラリと見渡すと、予想通りに誰もドアが開いたことに気付いていない。生徒達はいくつかのグループに分かれて、夏休みの出来事やネットで流行っているチャンネルやサイトの話に夢中だった。
大溝は少し安心して一歩足を踏み入れた――。
今まで大音響を垂れ流していたスピーカーのボリュームスイッチを、一気に0にしたように一瞬だけ教室内の音が消えた。
しかし、その一瞬の静寂は少年にとって不快なノイズとなって心臓の鼓動を速める切っ掛けとなった。
でも、ただそれだけ‥‥‥。
誰一人少年に視線を向ける者は居なかった。
その直後にホームルームのチャイムが鳴り、担任の鈴木が教室に入って来た。それに気づいた生徒はバラバラと自分の席に向かって行った。
そこで初めて、大溝は息を止めていたことに気付いた。そして息を静かに吐くと、窓側の一番後ろに有る自分の席に向かった。
教室内は話足りない生徒の声と、机や椅子が床を擦る音がすると、他の教室からも同様の音が聞こえた。
「はい、みんな静かにしろ‥‥‥日直」
鈴木の声で、日直が号令を掛ける。いつもの日本の学校だ。号令に合わせて席を立ち、挨拶をする。まるで軍隊みたいだ。
「おはよう!2学期初日だけど‥‥‥休みは居ないみたいだな。出席は省略するぞ。もし休みの奴がいたら自己申告な!」
鈴木のボケは無笑に終わった。これが20年前だったら、こころ優しい生徒が『先生!休みの奴は言えませんよ』なんてフォローが入って、多少は教室内に笑い声が響いたのだろう、しかし、今の子供達は冷たい。つまらない物にはすぐにマイナス評価を宣告してしまう。
すると、教室の後ろの引き戸が開かれた。教室中の視線がドアに集まった。
何故か、学年主任が机と椅子をひと揃え引き摺りながら入って来た。
そして、学年主任は鈴木に目配せをして、机と椅子を置いて教室から出て行った。
「はい、注目‥‥‥何となく分かった者もいると思うが、今から転入生を紹介するぞ」
(は?転入生!?実在するの?漫画やアニメの中には存在するかもしれないど、実際は居ない筈でしょ?それがこのクラスに!?)
「鈴木!それって女子?ねぇ女子!?」
クラスに一人は必ず居る調子に乗った男子が、興奮して鈴木に問い詰めた。
「五月蠅い!どっちでもいいだろ!‥‥‥ほら入って」
鈴木は廊下にいる転入生に声を掛けた。そして、転入生が教室に入ると妙な歓声が上がった。それは主に男子からだった。
それだけで転入生の性別は分かってしまう。
「今学期から一緒に勉強をするからな!特に男子はちょっかい出すなよ!!‥‥‥じゃ簡単に紹介して」
転入生は少し俯きながら教室に入ると顔を上げた。
「初めまして。花宗 結月と申します。どうぞ良しくお願いいたします」
転入生は花宗 結月と名乗った。
大溝は転入生が来たと言う事は、自分を拒否する人が増えた程度の認識で、その人の容姿やどういった人柄かなど興味は無かった。
しかし、この転入生の存在が、大溝 蒼の人生に大きな影響を与える事になるとは、思ってもみなかった――。
お読み頂きありがとうございます。何とか、お下劣な展開から軌道修正しました。