口伝
2024年8月
私物のスマートフォンが机の上でブルブルと震えた。画面を見ると非通知の文字と知らない番号が表示されていた。少し訝りながら通話ボタンをタップして耳に近付けた。
「もしもし‥‥‥」
スピーカーから嗄れた老人の声が聞こえた。
「古から伝えられた通り、人類に危機が迫り、カラグが目覚める。お主の真の任務の為に尽瘁するのじゃ」
「はい?どちらさん?そちらの名前は!?一体何の話しだ?!もしもし!‥‥‥」
老人はそれだけ言うと、立花の声に返す事無く電話を切ってしまった。
(何だ?今の老人は。この御時勢に悪戯電話か?人類の危機?カラグ?真の任務だって?間違い電話か?それとも‥‥‥まさか、あの事か?本当だったのか!?)
立花は執務室の椅子に深く座り直した。前任者から情報本部長の申し送りを受けた時、国家を越えた機密事項という荒唐無稽な話を聞かされた事を思い出した。その時は、何か都市伝説的の様な、まじない程度の事だろうと深く考えもせず、新たな任務である情報本部長の事に神経を集中していた。
確か前任者はこう言っていた。
「古事記の時代、八咫烏を祖に伝えられている事がある。この世を災厄から護る為、守護者が目覚める。彼等を助けるのが真の任務。その時が来れば分かる筈‥‥‥。そしてこの事は厳に秘密とするように‥‥‥。どこまでが本当か分からないが、明治以前は八咫烏と言う秘密組織から、旧日本陸軍参謀局長、陸軍中野学校長、内閣情報調査室長、そして情報本部長とかなり長い期間受け継がれているようだ」と、
前任者も意味も分からず信じていない様子だったが、必ず次の部長に上番する者に申し送るように言われていたと言っていた。それがこの電話の老人の事だったのだろうか?
その不審電話から一週間が経った頃、防衛大臣の秘書官から、明日の1300時に首相官邸危機管理センターの会議室に来るようにと電話が入った。
文書という形では無く、電話による口頭で、最優先事項という事だった。自衛隊はどんな事柄でも命令書が根拠になり、命令を中心に回っている言っても良いくらいだ。それが、陸将が動くのに電話だけと言うのは少し違和感を感じた。しかも、最優先という割には、用件も理由も電話では話せないという事だった。一瞬、先日の老人からの電話の件だろうかとも考えたが、あの事は誰にも話していない。大臣が知っている筈は無いのだ。
翌日、立花は1230前に黒塗りの官用車に乗り込み、市ヶ谷の防衛省を出た。靖国通りは渋滞も無く、いつもの平日と同じような混雑程度で、10分程で迎賓館赤坂離宮の表門を通過し、20分掛からず首相官邸西門に到着した。こちらの入口は、どちらかと言うと裏門と言う感じで、殆どの人が思い描く自然石のモニュメントが見える正面玄関とは違い、車寄せも無く周囲のビルの陰になっていた。
首相官邸は、機動隊が交代で常駐しているが、西門に到着すると、名札も階級章も無い陸上自衛官が、武装して入口と館内の警備をしていた。隊員はヘルメットの下にフェイスマスクを被っているため表情は分からない。
(なんだこの警備は?)
「立花陸将。すみませんが、スマートフォンは此方でお預かりする事になっています」
迷彩服の自衛官は立花に言うと、ファスナー付のビニール袋を差し出し、その中に入れるように促した。
「ご協力ありがとうございます」
立花はプラスティックの番号札を受けとり、前に進むと今度は金属探知機を持った自衛官に身体の隅々まで調べられた。
「何か有ったのか?」
立花は金属探知機を操作する隊員に声を掛けた。
「すみません。自分も理由は聞かされておりません‥‥‥どうぞ、エレベーターにお進みください。ご協力ありがとうございます」
(やはり重大な事が起きている。名札も階級章も無い隊員は特戦群だ。それが警備に付いて、携帯電話の持ち込み不可、それ以外の電子機器の有無まで調べるとは‥‥‥)
特戦群の隊員の後に続きエレベータ―に乗り込んだ。そして、地下の危機管理センターに併設された会議室に入ると、ある意味異様な光景が視界に飛び込んだ。
部屋の中央にある金色掛った欅の大型のテーブルにズラリと将官が席に付いている。陸上総隊司令官、方面総監、師団長など、陸将、陸将補だらけだった。一番低い階級でも特戦群郡長の一等陸佐だった。
(なんだ‥‥‥これは。一体何があったのだ‥‥‥!?階上に居たSの警備はこのためだったのか‥‥‥)
立花は隊員に促されて、席に着いた。
「物部総理大臣、増山防衛大臣入られます」
その言葉に危機管理センターにいる全員が腰を上げ、直立不動の姿勢で総理と防衛大臣を出迎えた。
「全員座ってくれ、形式ばった挨拶は無しだ。それと秘書やら従卒はこの部屋から出て欲しい」
思い掛けない増山防衛大臣の発言に、その場に居た全員が緊張した表情をしてざわついた。
増山防衛大臣はネクタイを緩め、従卒らが退室するのを確認すると、集まった将官達をぐるりと見まわした。
今この部屋には、日本のトップと、防衛大臣、それと陸上自衛隊のエリート中のエリートの将官が集まっている。戦闘服と制服が半々くらいで、陸上総隊司令官をはじめ、方面総監が5名、師団長が15名、特別の機関の部長7名、特戦群郡長、第一空挺団団長の計30名が会しているのだ。危機管理センター内とは言え、警備上このように司令官クラスが同じ部屋に集まるなど、通常では考えられなかった。
それだけ、異常な自体が発生していると言う事なのだろう。
(一体何が起きたというのだ‥‥‥?)
陸上自衛隊のエリート達は、増山防衛大臣の言葉を待っていた。
「皆に集まっていただいたのは、日本‥‥‥いや世界規模で最上位の極秘事項と考えて貰いたい。この件を知っているのはG7の各政府の一部と軍上層部、宇宙関連組織の一部だけだ。まぁ中国とロシアも気付いているとは思うが‥‥‥」
危機管理センター内の空気が一瞬で張り詰めた。
しかし、誰も口を出さず黙って、総理と防衛大臣を見ていた。
「約一か月前、NASA、SETI、日本の美星スペースガードセンター等で、あるデータを受信した。ここにいる人達は年齢的にもボイジャー1号の事は知っていると思うが、現在は太陽系を離れ太陽から245億㎞付近を航行中だ。そして、その機体には地球外知的生命体に向けたメッセージを記録したレコードが搭載されている。そのメッセージと同じ内容のデータが、ボイジャー1号が航行している思われる宙域から3回送信されたのを確認した。その後、ボイジャー1号とは一切の交信が出来なくなっている」
一斉にどよめきが起きた。増山防衛大臣が言わんとする事が分かったからだ。
「その一週間後、同宙域で巨大な小惑星が発見された。NASAは小惑星にA/2025 UK1の仮符号を与え、通称“Unknown One”。現在、地球に向かっているとの事だ。この事象に関してG7の宇宙関連組織で協議をしているが、出来る事は監視と通信を試みる程度で何も進んでないのが現状だ。それと、今のところ各国の国民に知らせない事も決定している。その為、電波望遠鏡などの観測可能な施設は、民間と教育機関での使用も制限された」
「大臣、その小惑星は人工物なのですか?いつ地球に接近するか分かっているのですか?」
陸上総隊司令官の後藤啓二陸将が口を挟んだ。
「今の所、それが何なのかは分かっていないが、今言える事はその小惑星は月の三分の一程の大きさで極低温、それが時速280万㎞という驚異的な速度で真っすぐ地球に向かっている事‥‥‥それと11か月後に地球に衝突する可能性が有るという事だけだ」
全員が押し黙ったままで、何人かはネクタイを緩めた。
物部総理は静かに腕を組んで目を瞑っていたが、ゆっくりと立ち上がった。全員が物部総理の一挙手一投足を目で追っていた。
「今現在、我々に出来る事は何もありません。今後どの様な方向へ転がるか全く予想も付かない‥‥‥。我が国は、JAXA、空自の宇宙作戦隊、宇宙物理学者、天文学者などの専門家と特別対応チームを作って、諸外国と情報を共有し、今後の行動を決定していく事になります。皆さんには何が起きても臨機応変に対応できるよう心積もりをしておいてください。それから、この事は部下、家族などにも極秘です。それもいつまで隠せるかは分かりませんが‥‥‥」
日本中から集まった、自衛隊のエリート達は一様に、固く暗い表情をしたまま、危機管理センターの会議室を後にし、それぞれの任地に戻って行った。
しかし、立花だけは総理と防衛大臣に伝えなければならない事があった。例の老人からの電話の件だった。あの老人が言った事の真偽は分からない。しかし、地球に迫る危機と、情報本部長に受け継がれている事が、只単に偶然とも思えなかったからだ――。
お読み頂きありがとうございます。宇宙人は地球に来ているかもしれません‥‥‥なんつって。