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3-11

「それで、一切の放棄を?」


「……馬鹿ですね。そうすれば、少しは省みてもらえるんじゃないかって……そんな夢を見てしまったんです……」


 自嘲気味な微笑みが、たまらなく悲しい。


「私を……必要と思ってくれるんじゃないかって……」


 消え入りそうな震える声が、どうしようもなくやるせない。


「でも、家事をしないことに腹を立てるだけで……私の話を聞いてくれはしなくて……」


 激しい怒りが込み上げてくる。僕は唇を噛み締めた。


 なぜ、大切にしないんだ。

 どうして、苦しめるんだよ。

 母親が元気で傍にいてくれるのが、どれだけ尊いことだと思ってるんだよ!


 僕は、親父は、どれだけ望んでも、もう決してその『幸せ』を手に入れられないのに。


「っ……」


 膝に爪を立てる。――悔しい。今すぐ、ぶっ飛ばしてやりたい。

 でもそうしたところで、ご婦人の気が晴れるわけじゃない。むしろ、もっと悲しませてしまうだろう。


 それがわかっているから、必死に耐える。


「うちに毎日来てくださっていたそうですね」


「……ええ、そうなんです。ちょっとだけ、癒されたくなって……」


 ご婦人が僕を見つめて、申し訳なさそうに微笑む。


「あなたに、会いたくなってしまって……」


「へ……?」


 ぼ、僕?


「はぁっ!? イケメンってコイツのことかよ!?」


 店主――一陽さん目当てで通っているものとばかり思っていた藤堂にとっては、完全に根耳に水の話だったのだろう。「信じられない」とばかりに声を上げ、僕を指差す。


「コイツのどこがイケメンなんだよ!」


「…………」


 そのとおりだけど――僕が言うのはともかくとして、お前が言うな。


 ムッと眉を寄せると、ご婦人が「失礼なこと言わないの!」と藤堂をにらみつける。


「もちろん、うちの男連中よりよっぽどイケメンですよ!」


 憤慨した様子でピシャリと言って――再び僕へと視線を戻した。


「この店にはじめて入ったのは、春のことでした。友人に誘われて。そのとき、あなたの働きっぷりと笑顔が、すごく心に残ったの」


「僕の、ですか?」 


「ええ。この店では、お客が自然と手を合わせるのよね。心を尽くした美味しい料理に、感謝の気持ちをを込めて。それを見て、あなたは本当に嬉しそうに笑う。それこそ、毎日見ている光景だろうに。嬉しくてたまらないと言わんばかりに」


 ご婦人が「見ているこちらも幸せになってしまうぐらい」と微笑む。


「どれだけ忙しくても、お座敷で卓上と床との距離が近いから、絶対にバタバタ走ったりしない。お客の横を通るときは、頭を下げてからそっと――細心の注意を払って。だけど、お客を待たせるのは厳禁。動きは無駄なくスピーディに。すべては、お客に最大限食事を楽しんでもらうため。あなたの仕事ぶりは、料理への――このお店への愛情しか感じない。本当に素晴らしいわ」


「あ、ありがとうございます……」


 まさか、そんなふうに言ってもらえるとは。

 思いがけない言葉に恐縮しつつ頭を下げると、ご婦人がさらに笑みを深める。


「どんなに忙しくても、お会計のときには素晴らしい笑顔を見せてくれる。帰りしなには深々と頭を下げて『ありがとうございました』と言ってくれる。それが本当に嬉しくて」


 けれど、その笑顔はすぐに寂しげに萎れてしまう。


「私は家では家政婦にすらなれない――ただ無視されるだけの存在だったから」


「っ……」


 藤堂がなんとも言えない渋い顔をして、俯く。

 そんな彼を見て、一陽さんは一つ息をつくと、すらりと立ち上がった。


「――失礼。ご婦人、厨房に来ていただけますか?」


「え……? 構いませんが……」


 突然の申し出に戸惑ったように視線を揺らしつつも、ご婦人が頷く。

 一陽さんは「では、こちらに」とオクのほうを手で示すと、畳を見つめたままの藤堂を見下ろした。


「貴さ……君は、少しここで待っていなさい。――凜、貴様もだ」


 ――結局『貴様』って言っちゃってる。いい機会なんで、誰に対しても『貴様』呼びはやめましょうか。一陽さん。


 頷くと、ご婦人を連れ立って、一陽さんがナカノマを出てゆく。

 ダイドコの扉が閉まる音がして、僕は藤堂に視線を戻してため息をついた。


「あんなこと、母親に言わせるなよ」


「っ……俺は……」


「家事は女がするものだとか、母親がするものだとか――そんな古い価値観に縛られて、大事な人を虐げる男なんて、普通にかっこ悪いぞ。商社で働いていようが

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