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リュート弾き

作者: 紗保里
掲載日:2021/08/26



グリーンスリーブスの曲が聞こえる。


深い淵から這い上がるように、私の意識は戻ってくる。


リュートを弾く手は私のものだ。さほど大きくもない、少し荒れた手。

使い込まれた私のリュート。

チャリン と音がして見上げると、誰かがコインを投げてくれた。

リュートのケースに、コインが溜まっていく。

鉄貨に銅貨。小さなものから大きなものまで。

柔らかな風が吹き、木漏れ日が揺れる。


グリーンスリーブスを弾き終わる。聞いていた人々が動き出す。

私も動き出そうかと身じろぎすると、誰かが前に立つ。

「もう一曲弾いてくれないか。」

見上げると、もう若いとは言えない年頃の男だった。

「ヨルク地方の子守歌」を、と男が言う。


私は頷いて、弾き始める。

私の歌声にやや目をうるませた男は、銀貨をケースに入れてくれた。


「息子の命日なんだ。良い供養になったよ」


さぁっと風がわたる。沈み始めたオレンジの太陽が揺れる。

小銭を集め、リュートをしまう。

今日はよい稼ぎだった。次の町に行けるかもしれない。


私はいつもの宿にもどる。

少し奮発して夕食後に茶を頼み、部屋に戻る。


こんな旅を何年しているだろう。

紅茶の香りをゆっくり吸い込むと、胸の底から湧き出すものがある。




かつて三年近く旅をして、この国の王を助けた。

王は自らが戦いを仕掛けていった他国で捕虜になっていたのだ。


この国にはやり手だが忠義に厚い宰相がいて王のいない間、内乱もなく王の帰りは待たれていた。

「他国に攻め入ってまでの戦争をするな」とは宰相も言い、止めたのだが、「異教徒を倒せ」という一部の戦好きに乗せられた。

 

王はその国でとらえられた。



リュート弾きの私は王妃であった。

暗部も抑える武門の出で、私もそれなりの使い手に育った。

実はそれがひそかな嫁入りの条件だったのだ。

「王を守る」ということだ。

嫁いだ時期には、戦好きの派閥が簒奪を企んでいたようだったから。


幸いだったのは、本国で、もし王座を乗っ取るとすれば好戦派の一派であり、その一派は戦争でほぼ壊滅したということ。



まぁ そんなわけで少年の姿になった私は、二年近くかけて王が捕らえられている国に行き、

敵国の王都で半年かけて、リュート弾きの名を少しずつ上げた。

王の近くで演奏することも十数度。

それから、「実は母が病だと手紙が来て、故郷に帰る」と告げる。


何度か引き留められた後、褒美をつかわす。何なりと言え と言われる。

それを待っていた。


旅の友が欲しいので、囚人を一人欲しい というと変な奴だと言われたが、貧しい村の土地を耕す人手にもなると言えば、願いは叶った。


地下牢の廊下を歩き回り、何度か囚人の体格や顔を確認する。

王の存在はすぐわかったが、何度かやり過ごした後、珍しく顔を上げた時に、「死んだ兄にそっくりだ、母も喜ぶだろう」といえば、よし、と出された。


他国の捕虜に価値なんてない というあっけなさだった。

実は見透かされていたのかどうかはわからない。 

王は半分記憶を無くし、気力も無くし、牢番の話では、王であるとも認識されていないようだった。



帰国の旅の途中、少しずつ王と話をする。王とは名乗らなかったが。

捕まる直前、側近と服を取り換え、捕まった。側近姿の王は「王は逃がした」と言い張ったため、助かったらしい。他者の話としてさりげなく王は話した。

完全に正気を失ったわけでもなかったらしい。


服を取り換えた側近は、見つかって殺された。王を守る騎士もろとも。



半年かけて国に戻った。

私を見張る父の手の者の存在は何回か感じたし、王は迎えられるだろう。


王都に入ってしばらくして。

立派な馬車が迎えにきた。王は乗せられて去って行った。

一応、金貨のつまった袋をリュート弾きの前に置いて行かれた。


リュート弾きに扮した私はこっそり自宅に戻った。実家は武を重んじる侯爵家。

両親は労いの言葉をくれた。

三年ぶりに「女」の姿に戻った。侍女たちに、傷んだ肌と髪の手入れを施してもらい、やっと息をついた。その夜は本当にぐっすり眠ったのだった。


城に戻った王も、細かな傷などわからなくなるくらい、手入れされ、失われた記憶も自尊心も少しずつ取り戻した。


そして王は、妻がいることも思い出したらしい。

「王妃はどこだ」とある日、言う。

「王妃様は、王の行方不明の報に倒れられ、ご実家で静養されておられます」

事情を知る宰相は言う。そういうことになっていた。


「呼び戻せ」

私は王の元に参じた。やや青白く見えるメイクで。

それは大して王の心には響かなかったようだった。


王が戦に行くまでは、私たちはそれなりに仲良く暮らしていたような気がするが、その幸せは春の淡雪のように、もう存在していなかった。


まるで初めて会うように、私たちは向かい合い。それだけだった。

言葉はなかった。いらなかった。悪い意味で。

王にリュートを聞かせれば気づくのでは、という案もあったが、私自身の心がそれを拒否した。

功績を讃えられることも望まなかったが、何より、愛情を望まなかった。

人を愛せる人だ、という信頼が、かけらも残っていなかった。



そうして私たちはひっそりと離婚した。「病のため」ということにして。

あっけないほど、引き留める言葉もなかったのだ。



実家にしばらくいた後、私は旅に出ることにした。リュート弾きに戻る。

王国の危機は去り、父も好きに生きよ と言ってくれた。 


私たちの一家は、少なからずがっかりしていたのである。

何かあったときに助けるのが私たちの家であるのは暗黙の了解であり、盟約だった。

ではあるが。

王は忘れ過ぎている。

王の囚われ先を探すためにだって、我が家は何人もの配下を失っている。


 


リュート弾きとして、半年 共に旅をしている間、王は妻に気づかなかった。

それどころか、妻の思い出を語ることもなかった。

戦のことをぽつぽつと語ることはあったが、制圧されたときのことは口にしなかった。

自分の代わりに死んだ側近のことも、口にしなかった。

感謝の言葉もなければ後悔の念が感じられることもなかった。仲間たち(部下たち)の死を悼む言葉すら、出てこなかった。

警戒している初めの頃なら仕方がない。けれど、半年近く旅をして気安い会話が増えてきた頃にさえ、王の言葉の中に死者を悼む言葉は出てこなかったのだ。



記憶障害とは都合の良い言葉である。実際は、自分を苦しめる結果になる出来事は忘れたことにする、という都合の良いものだった。調子に乗りやすい、わがままなだけの子供。

それが、彼だった。

代わりに嬲り殺された側近は、一緒に育った乳兄弟だったはずだ。

陽動で亡くなった中には、王妃の兄もいた。



もともと無謀な戦であったのだ。王自身が望んでの出征だったはずだ。

おめおめと自分ひとり助かって、部下をねぎらう言葉もない。

負け戦だからとて、遺族に対する報償もないに等しい。

働き手の男たちを奪われた農業地帯では、生産力も落ちていた。


戦死した兵たちの形ばかりの喪が明けたら、有能な宰相も引退を考えている。

宰相の統治にはさしたる間違いもなかったが、国としての明るさ、活力は、本来王が与えるものだ。

武と暗部を担っていた我が家も、後継者の息子を失い、国に対する忠誠はぐらついている。



海が見える町に着いたのは間もなく雪が降ろうかという季節だった。

海が見える部屋を借り、夜の海を眺める。

月が出ていた。


「凍れる 月影」となんとなく歌が口をついて出る。

母が好きだった歌だ。と思い、ふと違和感を覚える。

母は、物心つく前に亡くなっている。


それは前世の記憶らしい、と 少しずつ分かってくる。


灯台守の歌だった。

真冬の荒波に打たれる灯台で、灯をともし続ける人の誠実さ。

そんな歌詞だった。





実は離婚を決める話し合いの折り、父や宰相にリュートの腕前を披露した。

王はいなかった。



 ♪

   王よ 私の王

   ここではないどこか いまではないいつかに

   私は はばたいていこう


   王よ あなたは

   ここではないどこかを求め

   かの時そこにいた民も妻も見ようとはしなかった。


   王よ 夢がさめあなたは戻ったが

   戻れなかった民の言葉は いまだあなたに届かない


   さようなら 王よ

   私はここにはいられない

   さようなら


   私が歌い続けよう 鎮魂の歌を  ♪


 

   「なるほど」と父

   「おお、これは。

    鎮魂の歌であり、訣別の歌ですな」と宰相。


   「平時にはありえない体験をさせていただきました。

    ありがとうございました。」



 今日も私は旅をする。歌いながら、リュートを弾きながら。

 歌以外、前世のことは思い出せないが、それで良いと思っている。



 大半の国民は、自分にできることを精一杯しながら誠実に生きている。

 それがわかる王になら、仕えても良かった、と思う。


 今になって、王は夜中にうなされて叫ぶことが増えたという。

 当然だろう としか思わない元妻の私がいる。






勝手に戦に行って捕虜になるような夫に、妻はそこまで尽くすのか、という疑問が、少しずつ大きくなって書いてみました。

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