挿話 歌う人
それはむかしむかしのもっとむかし。統一王マニュスが即位するよりも、もっとむかしに歌がとても上手なひとりの少女がいました。
そこは中央のどこか。彼女の名前も記録にはありません。
しかし、確かに彼女は生きていたのは間違いありません。
それははじまりの神使だと語られているからです。
どうしてはじまりの神使と呼ばれているのかお話しましょう。
今の中央教と呼ばれる宗教は、かつて名前のない宗教でした。
名前というのは、ほかのモノや人と区別するためにつけられることがあります。区別する必要がなければ名前をつけなくてもみんながわかるからです。
中央教と呼ばれる宗教を信じる人々は、神々は存在し教えというものが当然であり、他の宗教を宗教と考えていませんでした。
中央教というのは、よその神様を信じている人たちが名前をつけたものです。
むかしむかしの中央教の聖職者は神官と呼ばれていました。神官は王様や貴族の子どもがなって、普通の人たちはなれませんでした。
歌が上手な少女はとても貧しく、神様たちにお供えする作物は自分たちが食べるものを少し減らしてお供えしていました。
その日の食べるものもなくなり、神様たちへのお供えするものがありませんでした。
少女は泥だんごを作り、葉っぱでお人形を作って祭壇にお供えしました。
ある神官がそれを見てとても怒りました。
「神様たちは泥のだんごを食べたりしません。こんな欠けた汚ならしい器に入れて!神殿が穢れてしまったではありませんか!」
少女は作った泥だんごと葉っぱのお人形を持って、トボトボおうちに帰りました。
悲しんでいると少女のおばあさんが慰めてくれました。
「神様たちは神殿だけにいらっしゃるわけではないよ。わたしたちをいつもそばで見守ってくださっている。おまえの思いはきっと神様たちに届いているよ」
少女はとても元気になり、家の近くの林の中にある、お気に入りの場所にお供えをすることにしました。
そこは小さな池があり、少女の家族や周りに住んでいる人たちの水汲み場でもありました。
少女がよく歌を歌うところでもありました。
そこにお供えしたあとに歌を歌うことが少女の日課になりました。
「いい歌だね。お祈りの歌かい?」
神殿では静かにしなくてはいけなくて、おしゃべりもしてはいけませんでした。
だから神様たちにお祈りや感謝する歌はありませんでした。
「そうよ。お祈りのお歌よ。つらいとき、悲しいとき。歌うと楽しい気持ちが戻ってくるの。それに神官様の難しい言葉も歌にしたらとても覚えやすいの。だから神様たちもお歌の方が聴いてくださるんじゃないかと思って」
毎日歌っていると、水を汲みに来た人たちが褒めてくれるようになりました。
神官たちから聞いた神様たちの教えや神話を歌にすると、子どもたちがやってきて聴くようになりました。
水汲み場に来た大人たちも足を止めて聴いてくれることが多くなりました。
池とは違う場所でも歌ってと言われるようになり、少女は人気者になりました。
少女は大きくなるにつれて、神様が使わした美しい歌姫だと囁かれるようになりました。
彼女の歌は耳に残り、自然と口ずさみたくなるからです。
次第に少女は足が悪かったり、事情があって神殿に行かれない人たちに歌で神様たちについて伝えるようになりました。
いつしか人々は少女を歌う人と呼び、少女は神々のことを人に伝える役目なのだと思うようになりました。
神官様と呼ぶ人がいて、少女はこう言ったそうです。
「私は神様たちから歌う役目を預かったただのお使いです。神官様ではありません」
少女は神官に怒っていました。人々に謙虚さを説くのに、自分たちはとても偉そうにしていたからです。
質素でいなさいと言いながらも、人々が神様にお供えした食べ物や宝石をもらっていい暮らしをしていたからです。
少女はきっと神様たちはこう考えているでしょうと、自分の考えを歌にすることをはじめました。
多くの人が少女の考えがいいと思うようになって、神殿に行かなくなり、家や池で神様たちへのお祈りは声を出したり歌を歌いました。
それを聞いた神官たちは怒って、少女を捕まえて火あぶりにしました。
火あぶりにされる前、大きな街の広場で丸太に縛り付けられました。少女を助けに来る人は誰もいません。
みんな殺されると怖かったからです。
少女はみんなが死ぬのは嫌だったから、誰も助けに来てくれないことが悲しいとは思いませんでした。でも自分が死ぬのはとても怖いです。
だから、お歌を歌いました。
神様たちを褒め称えて、良い行いをした人は天国に行けるという歌です。
それを聞いた神官たちはもっと怒りました。神々の教えにないことを広めた悪い人が、自分は悪くないと思っていると感じたからです。
「つらかったら、歌いましょう。嬉しかったら、歌いましょう。神々はあなたのそばいつもにいます」
歌声は火が燃える音で消され、少女は悲鳴ではなく、さらに大きな声で喉と肺が焼けるまで歌い続けたそうです。
少女は信じていました。
自分が死んでも、人々が自分の考えた神様たちへの歌を歌い継いでくれると。
少女が死んでから数年後、その地を治めいた王様が戦争に負けて、別の王様がやってきました。
とてもおいしい水が湧く美しい池があると聞いた王様は、少女が歌を歌っていた池に行きました。
そこで小さな岩に色々なものがお供えされてある場所に人々が集まって歌っていました。
死んだ少女をしのぶその歌は、静かでありながらも希望がにじみ出ていました。
感動した王様は何の歌だと聞いても、人々はすぐに答えませんでした。
自分たちが殺されるのではないかと怖かったからです。
王様は感動したことを伝えて、怖がらなくていいと一生懸命言いました。そこで殺された少女の話を聞いたのです。
少女の考えがとても素晴らしいと思った王様は、神殿から神官を追い出して、神殿で働く聖職者のことを神官から神使という名前に変えてしまいました。追い出された神官たちは前の王様の子どもや親戚だったので、牢屋に入れられたそうです。
そして、神殿で歌が歌えるようになりました。長い年月を経て中央教の聖職者は神使と呼ばれるようになりました。
しかし、少女の名前も彼女の作った歌はもう誰も覚えていません。
でもわかっていることは、歌がとても上手く、はじまりの神使であったということ。その志を神使たちは何千年も受け継いでいます。
おしまい。




