87話 水神王アニバルの話44
エスコンディド村はアニバルが住むことで、護衛だけではなく、デォオスパハロの関係者など貴族の人が住むようになったんだ。人が増えて飲食店や雑貨店などの商売を始める人も出てきたよ。
昔みたいな静かな村ではなく、活気づいていたよ。
雪崩から約十年が過ぎ、もうここで大災害があったことも忘れ去られていこうとしていたんだ。
久しぶりにヴァリエンテ国にいるトニアとイバンから手紙がきて、里帰りするというよ。
二人は字が書けないから、代筆屋さんに頼んで書いてもらっているらしいよ。
アニバルは元々エスコンディド村の人に知らせると、みんな喜んでお出迎えの準備をしたんだ。
王様を出迎えるような村の騒ぎに、帰ってきたトニアはアニバルがいるからかなって思っていたよ。
子どもだったトニアとイバンは大人になったんだ。アニバルは一瞬二人がわからなかったよ。
「大きくなったな、二人とも!」
アニバルの言葉にイバンが笑ったよ。
「親戚のおじさんみたいな反応。水神様は変わってないね。王様やめちゃったの?」
狩人の格好をしていたからね。
「辞めたいんだけどさ…」
ホセを筆頭に護衛やアニバルの補佐官が何言ってるのオーラ出していたよ。
「この格好が楽でよ」
「水神様らしいね」
トニアがクスクス笑うと、アニバルは自然と彼女の笑顔を見てしまったよ。元々明るくて可愛い子だなと思っていたけれど、すっかり美人さんになっていたよ。
「トニアをずっと見てましたね」
あとでエクトルに言われて、アニバルは頭を掻いたよ。
「女って変わるなって思っただけだ。さすがに十以上、年下には手を出さねえよ」
と言いながら、トニアとずっといたよ。入居の準備を手伝ってあげたんだ。
三日ほど経ってアニバルは気になっていたことをトニアに聞いてみたよ。
「旦那や子どもは連れて来なかったのか?」
結婚したという連絡が入ってから、音沙汰なしだったんだ。
帰郷はトニアの母親が故郷に帰りたいと言ったからだって聞いていたよ。
トニアは庭の草むしりする手をとめて、寂しそうに笑ったよ。
「別れたの。子ども出来なかったから」
「追い出されたのか?まだ若いし、これからだろうが」
「追い出されてないよ。私が逃げたの。みんなからも若いからって言われたけど、時間が経つにつれて意識してしまって。夫ともギスギスしちゃって。
好きで結婚したのに、段々自分の気持ち分からなくなっちゃった。あとから結婚した義理の妹に子どもができて、お義母さんに跡取りはまだかって…。自分に自信がなくなって、つらくて。それで逃げた。
だから、ヴァリエンテには戻らないつもり」
ヴァリエンテの成人は十五歳くらいだったというから、トニアは十五、六で結婚して二十歳で離婚したみたい。彼女にとってこの数年は幸せになるはずが、つらい日々になってしまったようだね。
嫁姑問題があったかは、ドロドロしていて怖そうだからボクは聞きたくないけどね。
「そっか。元村の連中にはお前が結婚したって話しちまった。悪いな。でも、結婚や子どもだけが人生じゃないしよ。少しゆっくりしてから、どうするか考えればいい」
当時は離婚は恥とされていたから、アニバルのように考える人はかなり少なかったよ。
「水神様はどうして結婚しないの?」
アニバルは護衛たちが少し離れたところにいるのを確かめてから、トニアの隣に来て一緒に草むしりを始めたよ。
「政治的な話」
「面倒そうだね」
「面倒、面倒。俺、王族や貴族の中では神様だからよ。俺に子どもできたら、ルシオ…今の皇帝な。ルシオか俺の子どもか、どっちが皇帝になるってもめると思うんだ。だから、結婚しない」
「ふーん。そういうのなしで結婚したくないの?ほら、村の女の人たちに声かけていたときあったでしょう?」
悪のりでカルロスと一緒にナンパしていたことを、トニアは覚えていたみたいだね。
「あの時は王になるとも思ってもみなかったし、結婚したいとは思っていたけど、今はいいやって感じだな」
「子どもいなければ結婚したい?私、結婚してあげようか?」
ブチッと草が切れたよ。アニバルは目を見開いてから、トニアを呆れ顔で眺めたよ。
「…オッサンをからかうな」
「水神様はオッサンに見えないよ?」
「お前は今は結婚とか考えなくていい。気持ち整理してからそういうこと言え。オッサンとなんて、妥協にしか聞こえんぞ」
貴族の政略結婚や後妻をとるのに年下の女性と結婚することはあるけれど、アニバルとトニアは十五歳くらい離れているから、普通はあまりないよ。
「そんなこと思ってないよ!」
「意外と根っこはってんな。少し水撒くか」
アニバルは立ち上がって、水魔法でお庭に水を撒いてから草むしりしようとしたよ。その方が土がやわらかくなってむしりやすくなるよ。
「トニア、濡れるからそこどけ」
「…ごめんなさい。軽はずみなこと言って。水神様だって、色々悩んで結婚しないって決めたはずなのに」
「あんまり悩んでないぜ?ほら、前世で結婚したことあるし?結婚体験済みだ」
「どんな奥さんだったの?」
トニアはぱっと目を輝かせたよ。アニバルはどうしてか複雑な気持ちになったよ。
「美人だったぜ。我慢できなくてわがまま言われて手を焼いたけどな」
「また会ったら結婚したい?」
アニバルは空を見上げて首をかしげたよ。
「どうだろうな。あっちが『何、この獣臭い狩人』って言って近づかないだろうよ。ルドのこと、土臭い農民男って言ってたんだぜ」
「え…。何で結婚したの?」
水を撒いて草をむしりながら、キアーラとの出会いから、結婚まで話したよ。トニアは少女のように目を輝かせて聞いていたよ。
「キスで治療って、水神様大胆ね。奥さんを見てみたかったな」
「王宮に絵があるが、平民が部屋に入るのは難しいかもな」
草むしりが終わるとトニアがお茶いれるねって、おうちの中に入ったよ。
イバンと母親は買い出しに行っていなかったよ。
「よくよく考えたら王様に草むしりさせてしまったわ」
「別にいいぜ。他にやることないか?」
「大丈夫。本当にありがとう。家まで作ってくれて。教えてくれたらすぐに帰ったのに」
アニバルは避難した村人たちのかつての家を真似して建てたって言わなかったからね。
「言うと帰ってこないといけないって思われたら嫌だったし」
「水神様って優しいよね」
ふふふとトニアが笑うのをアニバルはずっと眺めていたよ。
王宮に戻っても、ふとした瞬間トニアのことを思い出すんだ。
「…これはまずい」
オッサンになってから恋するとは思わず、アニバルは村にしばらくはいかないと、開発室にこもったりしてトニアのことを忘れようとしたんだ。
恋からの仕事へのシフトチェーンジ!
アニバルいわくこの時期の研究が黄金期だったらしいよ。
例えば暖房器具は薪が主流だったのを、魔石を使ったものを開発したんだ。
ハンディーな魔法具の暖房器具はあったけれども、お部屋全体というのはなかったんだ。
ディオスパハロはかなり寒くて、凍傷になる人があとを絶たなかったよ。
それをどうにかしようとしたんだね。
魔石の産地だから原料に困らないし、使いどころがないあまり魔力が入っていない魔石を使ってみたよ。
すると大成功で、寒い真冬でも人が暮らせるようになったよ。
そうこうしているうちに、エスコンディド村の神使から収穫祭をするから来て欲しいとお手紙がきて、アニバルは行くことにしたよ。
エスコンディド村は村というより町さながらの人がいて、さらにお祭りでとても賑やかになったよ。
「お待ちしていました!」
ヴァリエンテも何人か移住してきて、飾った馬を見せたよ。
「お乗りください!ゲレルのご衣装もあります!」
ヴァリエンテ王が命令して作らせたという服は、金糸もあしらわれてとても豪華だったよ。
「金の無駄遣いだな」
「そんなことを言わず。陛下がどうしたら喜んでいただけるか、みな考えているんです」
フォロー役エクトルに言われたよ。
仕方ないから着てあげて、村を馬に乗って回ったよ。
記憶を取り戻したころは馬に乗れなかったけれど、王様になって訓練したんだ。
「お帰りなさい、水神様。すぐに帰って来るって言ってたのに遅かったね。
これ、村の子どもたちが水神様にって」
花の首飾りをトニアが首にかけてくれたよ。トニアも刺繍をあしらった村の伝統衣装を着ていて、花を頭につけていたよ。
「おお、そうか」
アニバルはトニアをなるべく見ないようにして、子どもたちに手を振ったよ。
「ありがとな」
たくさんの人に囲まれて、アニバルは自然とトニアと離れていったよ。
近隣の村からも人が来ていて、アニバルを一目見ようと人集りができてしまったんだ。
危険だと感じた護衛たちは、アニバルを中心地から別の場所に移動させたよ。
アニバルは隙を見て逃走したから、ホセはかなり怒ったようだよ。
アニバルは森の奥の小屋を過ぎて、さらに奥へ行こうとしたよ。
「水神様!」
トニアが紙袋を持って走ってきたよ。一人きりだったからアニバルは怒ったよ。
「一人で森に入るなって言っただろうが!」
トニアは身体を縮めて上目遣いで、そろそろと袋を差し出したよ。
「この辺も魔物避けの柵があるから大丈夫だと思って…。お母さんたちと出店で売ってるから、水神様にも食べて欲しくて。あんまり出店のもの食べれてないでしょう?みんな水神様に食べて欲しくて色々考えていたの」
袋の中はライ麦のビスケットだよ。ふと雪崩が起きてトニアたちと村々を転々としたときのことが過ったんだ。
「…怒って悪い。つい昔の癖で」
「水神様、私はもう大人だよ?」
アニバルはビスケットを噛むとホロホロと柔らかかったよ。あの時の硬いビスケットかと思って思いっきり噛んだから、割れてポロポロと地面に落ちたよ。
「柔らか!あんときのかと思ったぜ」
「あの硬いやつ?私もライ麦のビスケット見るたびに思い出しちゃったから、柔らかいもの作れば雪崩のことを忘れられるんじゃないかと思ってお母さんと一緒に作ったの。美味しい?」
モグモグと食べ終わって手についたくずをなめたよ。
「うまい」
「よかった」
「さっき大人って言ってたが、俺からしたらトニアまだまだ子どもだけどな」
笑顔からむーっとした顔になったよ。ころころと変わる表情は幼いころから変わらないなとアニバルは思っていたよ。
「三回目の転生だし、人生四度目だ。寿命が一人平均四十年として、合計で約一六十年近く生きていることになるしな。トニアは二十歳だろう?まだまだ子どもだ」
「えー。いつになったら大人なの?」
「五十くらいになったらかな」
「それ、おばあさんじゃない。水神様はまだ三十代でしょう?子どもだね」
この時代は人生は五十年くらいと人々は考えてたから、そう考えれば五十歳はおばあちゃんかな?
「俺は精神論を言ってんだ。これから森の奥に行くが、お前は帰れ」
「どこまでいくの?」
「氷の鳥を倒したところ。最近行ってないからどうなっているか見に行こうと思ってな」
トニアも行きたいと言うから一緒に行ったよ。
木が増えて少し狭くなったようだけど、変わらず開けた場所だったよ。
アニバルが寝そべるとトニアも寝そべったよ。
「いいところだね!」
「だろう?森の中を歩くのが難点だが」
二人は秋の空を寝っ転がって見上げていたよ。
「ねえ、水神様。王宮に行っちゃうの?村に水神様がいないと寂しいよ」
「寂しいか?前よりも人増えて賑やかじゃないか」
「賑やかだけど、たくさん変わってしまった。私の知ってる村は水神様がいる村だもん」
アニバルは元には戻らないって言おうと思ったけれど、トニアが感じていることはそういうことじゃないんじゃないかって考えたよ。
「お前らは親戚も、友だちも一気にいなくなっちまったからな。昔の風景がなくなって寂しいのか?」
「そう。だから、水神様が魔物狩ってみんなに分けているのを見ると、私の村なんだって思うの」
「俺はずっといられるかわかんないぜ?新しい人たちとお前たちの村を作るんだ」
トニアが泣きそうな顔をするから、ずっといるよって言いたくなったよ。
「トニア、お前は…」
木々が不自然にガサガサいったからアニバルは跳ね起きて、魔力砲を掴んだよ。
「トニア。小屋の方へ走れ!」
トニアが立ち上がった瞬間、魔物が森から出てきたよ。
二人は走り出したけれど、トニアがふらついて転んだよ。
「大丈夫か!」
「ごめん、立ちくらみ」
アニバルはトニアに魔力砲を押し付けて抱き上げてたよ。
「魔物を撃て」
「えっ。使ったことないよ!!どうすればいい?」
魔物が迫ってくるからトニアはおっかなびっくりしながら、魔力砲を構えて撃ったよ。何発か発射すると慣れてきたのか、どうするのどうするのって言わなくなったよ。
一発魔物の肩に掠めたよ。
「中ったけど、中らない!追いつかれる!!」
「いいから撃ちまくれ!」
トニアは言われた通り、撃ちまくると何発か掠めたら魔物が止まって逃げていったよ。
トニアを抱えたまま、小屋に着いたら中に入ったよ。
「水神様が撃てばよかったじゃない」
「俺だと殺しちまう。魔物でも無駄な殺しはしない。怪我してないか?」
転んだときに膝がすれていたから、アニバルは治癒魔法で治したよ。
「ありがとう。あっという間に治っちゃうんだね。水神様って凄い」
「凄くねえよ。帝都には凄い使い手ゴロゴロいるぜ?腹減ったな」
トニアがくれたビスケットの袋を開けると粉々に割れていたよ。
「食えねえ」
「あはは。柔らかくって思って作ったからね。
そうだ、水神様。さっき何か言いかけてたよね?」
「あ?なんだっけか?忘れた」
トニアは吹き出して大笑いしたよ。
「忘れちゃったの?百六十歳だもんね」
「うるさい。笑うな。百六十年は合計だ、合計!」
トニアは立ち上がるとふらついたよ。アニバルはとっさに腕を掴んだんだ。
「おい、さっきから大丈夫か?」
「へへ。魔物を久しぶりに見たから、緊張しちゃった。ヴァリエンテにはあんなに大きいのいなかったし」
膝が震えてしまって、トニアは恥ずかしそうにしながらもアニバルの胸に顔をうずめたよ。
「座るか?」
アニバルは支えてあげようとトニアの腰に手を回すと、トニアがアニバルの背中に腕をまわしたんだ。
「水神様といると凄く落ち着くの」
「…トニア。さっきまだガキだって言ったが、成人してんだからホイホイ男に抱きつくな」
「逃げるとき抱きついたけど、それはダメだったの?」
「あれは仕方ないやつだ。ほら、座れ」
結婚しようかと言われて、安心すると言われて、トニアがアニバルを男として好いてくれているのではと期待したけれど、待てよと思い直したよ。
トニアはアニバルを父や兄のように思っていて、慕ってくれているだけではないのか。
彼女が赤ちゃんのときから知ってるし、家族のように思われているのは当然ではないか。
詳しいことは聞かなかったけれど好きな人と結婚して数年で離婚したのだから、つらいこともあっただろう。その前には大切な人たちを雪崩で失っている。
これ以上、親しい人たちと別れたくない。村の中心的なアニバルがどこかに行かないで欲しいと思っているのではないか。
トニアをくしゃくしゃと撫でて、座らせたよ。
「少し休んだら行くぞ」
「もう少し一緒にいたいけど、ダメ?」
「護衛たちがすぐにここにくるだろう。お前も出店放っておいていいのか?」
「よくないけど…。水神様。この前言った結婚のことだけど」
アニバルがいつもの冗談を言うような顔ではなく、真顔だったかトニアは言葉に詰まったよ。
「あの冗談のことか?」
「冗談じゃないから!私、本気で」
「嬉しいがお前の気持ちはおそらく、家族とかへの愛情と同じだ。しばらく気持ちを整理しろ。それに離婚したばかりで、他の男と結婚ってちょっと節操ないぞ?
本気だったとしてもお前には王妃は務まらない。ヴァリエンテの男と結婚したときの比ではないほど、子どもだのなんだのと言われる。耐えられるのか?」
「…」
トニアはうつむいてしまったから、アニバルは魔力砲を背負ってから行くぞと言ったよ。
気まずいまま、外に出るとホセたちがいたよ。
「陛下」
ホセの低い声にアニバルは、ハハと笑ったよ。
「悪かったって。もう逃げないし。王宮に帰るぞ。トニア、お袋さんにビスケットうまかったって言っておいてくれ」
「うん」
トニアと一緒に村に戻ると馬車に乗って王宮へ戻ったよ。
「トニアと何かあったのですか?彼女が浮かない顔をしていました」
エクトルに言われたよ。馬車の中にはアニバルとエクトルだけだったよ。
アニバルはエクトルの顔を眺めたよ。
「お前、何歳だっけ?」
「二十三ですが。俺と会ったときの陛下の年のころになりました」
「そうだな。お前、結婚はどうするつもりだ?」
「縁談がいくつかきていますので、お会いしてから決めようと思っています。陛下はどうされるので?」
「…俺が結婚できると思うか?」
シエロ教徒からすれば、アニバルというより、神様と結婚になるよ。
「陛下がお望みならば、例え中央教徒の人間でも国民全員祝福するでしょう」
「貴族はそうは考えないだろうよ」
「ではトニアのことを諦めるので?」
「…何でトニアが出てくる?」
エクトルがまっすぐ見てくるから、アニバルは目をそらしたよ。
「陛下とトニアの間に男女の雰囲気がありました。トニアを妙に避けていましたし」
バレバレだったみたいだね。
「トニアとはない。あの子は俺を父や兄のように思っていて、かつての村がないのが寂しいから俺を引き留めようとしているだけだ。そもそもあいつには王宮は似合わない」
「陛下はお優しいですね。
俺はそんな陛下が誰よりも幸せであることを願っています。
ただ言えるのは来世で彼女に会えるかわからないということ。今の生は一度きりですので、後悔なさらないでください」
アニバルはありがとうと言ってから、窓の外をぼんやりと眺めていたよ。




