72話 水神王アニバルの話29
――森の主を殺しちまったからだよ。自業自得だね。
――冬が早く来たのはあんたらのせいだよ。
アニバルは頭の中を空っぽにして、懸命に重い足を動かしたよ。
「アニバル様」
何度かウーノに呼ばれて、はっとなったよ。
「悪い。ぼうっとしていた」
「女たちが遅れています。休憩しましょう」
後ろを見るとずいぶんと離れたところに、トニアの母親がいたよ。吹雪だったら完全にはぐれていたかもしれないね。
「そうだな。食い物さっきもらっていただろう。食えるときに食おう」
硬いライ麦のビスケットは一人一枚は行き渡らず、食べ盛りの子どもや若者たちにあげたよ。
アニバルは村人たちから少し離れて、腰を下ろしたよ。
「ウーノ。お前の一族のやつらは村にもいただろう?そいつらは無事だったか?」
「アニバル様はお気になさらずともいいのです」
安否を言わなかったから、逆にアニバルは助からなかったんだと思ったよ。
「周囲を見てきます」
ウーノは矢筒を背負い直して、近くにいたホセにアニバルから離れるなと言ってから、ゴヨと一緒に歩き出したよ。
アニバルは疲れた足を揉みながら、深くため息をついたよ。
氷の鳥を殺したから、村は大惨事になったのか。ならば村人を殺したのは自分なのか。
守りたかったものは、消えていく。
レナータのあの国も、マニュスと名乗ってまで守りたかった国も。そして人々も。
ルドのときは王としてうまくやっていた前世の記憶があったから、現世もうまくやっていけると自信があったんだ。中央のアルクス家にお説教したこともあったしね。
その自信にアニバルは自嘲をもらしたよ。
結局自分が死んだあと国は滅んだではないか。
現世も水神様とかガルシアの英雄とか言われて、いい気になっていたんじゃないか。
「思い上がっていたな…」
この雪崩は神々はそんな自分に罰を下したのだろう。
独り言にホセはこちらを見たけれども、心配そうな顔をして何も言わなかったよ。
アニバルの方をうかがっていたトニアが来て、硬いビスケットをよいしょと割ってから半分アニバルに差し出したよ。
「水神様も食べようよ」
「俺は大丈夫だ。お前が食え。この先、飯が食えるかわかんないんだ」
「水神様もご飯食べられるかわからないよ?」
「水神様っていうの、やめてくれないか?俺は神なんかじゃない」
「水神様は水神様だよ?みんなを助けてくれたもの」
トニアは首を傾げたよ。
「…助けてない。俺の無知のせいで、村の奴らに大勢つらい思いをさせちまった」
アニバルのマエストロが生き物を無駄に殺すなと言ったのは、恨みをもっても殺すなという意味もあったんじゃないかって思ったよ。
「だったらちゃんと説明してくれよ、マエストロ。あんただったらどうしたんだ」
聞きたいことがあってもいない人には聞けない。アニバルは顔を膝に埋めてしまったよ。
トニアは困っていたよ。大人たちが見たことのない、うちひしがれたような顔をしていたから。まだ九歳の彼女には、アニバルを励ます言葉がわからなかったんだ。
「お腹空いてると元気でないから、食べようよ」
「お前が食え。俺は何度も転生したから、人よりは生きてるんだ。気にしなくていい。トニアは初めての人生なんだから、ちゃんと食って生きろ」
雪崩で死んだ人も初めての生だったはずだから、何度も生まれ変わっている自分と代わってあげたいと思ったよ。生き残ってしまったと考えてしまうんだ。
雪はさらに大粒になって降ってきたよ。このまま動かなかったら雪だるまならぬ、アニバルだるまになりそうなくらいだったよ。
アニバルは動けないんだ。
一生懸命やっても、すべては崩れ、打ち砕かれて、何をやっても無駄な気がしてきたんだ。
神々を信じるがゆえに住む場所を追われて、国に見放されたエスコンディド村の人たち。
神様たちはどうして何もしてくれない。
レナータの疫病のときもそうだった。
信じている者たちをどうして救わないのだと、天を見上げて降りしきる雪が目に入るだけで、神々からの答えはないよ。
「アニバル様。少し先に洞穴を見つけました。移動しましょう」
ウーノたちが戻ってきたよ。アニバルはゆっくりと立ち上がってから言ったんだ。
「ここから最短で領主の屋敷に行ける道はあるか?」
ゴヨとホセはウーノを見たよ。あるけれども秘密の道だし、大勢の人を連れていくところではないよ。
「お前らが先に行ってエクトルに保護してもらえないか聞いてきてくれ。俺らが言うよりは、あいつが村々に働きかけてもらった方がいいだろう」
「そうですが…」
ウーノはちらりとトニアを見たよ。この場では火の魔法を使える人はとても貴重だったんだ。
ウーノは一理あると思って、ゴヨに行かせようとしたよ。でもアニバルはホセもと言ったんだ。
でもホセはアニバルのそばにいると従わなかったよ。
「俺はおそばにいます。アニバル様が行くのなら行きます」
「村の奴置いていけるかよ。
なんでだよ。外の任務は寒いからって嫌がってだじゃねえか。行けよ」
「行きません。地の果てでもついていき、お守りすると己に誓ったので」
アニバルは額を抑えて、この頑固者をどう説き伏せようかと思ったよ。
「お前もエトーレみたいなことを言うなよ。三人の中で一番若いんだから、少しは甘えろよ」
「私も地の果てまででもついていきます」
ウーノは薄々アニバルが何を考えているか気づいたよ。ホセに追随したんだ。
アニバルは余計なことをと苛立ったよ。
「当主として失格だぞ、ウーノ。長として一族の者を守らなきゃいけないのに、危険にさらしてどうする?」
「始祖を、アニバル様をお守りするのが役目いや宿命ですので、我々はここで息絶えてもアニバル様をお守りできるのなら本望です」
「だからそれが馬鹿だっていってる。前世の俺を知っているエクトルが言うのならわかるが、お前らはルドを知らない。命を捨てる恩も義理もないだろうが!
少しでも助かる人間がいるのならそれはお前たちだ。過酷な訓練を積んだお前らなら、一人でも生きていけるだろう。
俺についてくる必要はない。これぽっちの人の命も守れない男が国を守れるというのか?
恨みに狩られて森の主である魔鳥を殺したゆえに、多くの人が死んだ。
それでも俺はお前たちが、命を捨ててまで守る男だと言えるのか?この俺が!」
ホセが拳を握ってアニバルをまっすぐ見たよ。
「国は関係ありません。俺の主はアニバル様です。
始祖を尊敬していたのは本当だし、会うのを夢に見ていた。でも俺が会ったのはアニバル様です。
俺らの役目は日陰のものばかりで、まず人に褒められることはありません。そんな俺が任務中に死んでも、上の人たちは何も思わないでしょう。そういうものだと考えていました。
それが当たり前だと思っていた。でもあなたは俺を見て、俺の無事を喜んでくれた。嬉しかった。
ガルシア領主の屋敷の近道も人の上に立つ者たちは、まず先に自分を連れていけと命令するでしょう。あなたは違った。村人を、民を見捨てない。
でも俺が抱いていた始祖のイメージと確かに違って、あなたはすぐに諦めるし、自暴自棄になるし、ちょっとドジなところがあるけれど」
「おいおい。待て待て。今いいところでそれ言うか?ドジなのは自覚してるけどよ…」
トニアがクスクス笑っているよ。ホセもフッと頬の力が抜けたんだ。
「他人になると自分よりも諦めが悪くて、最後まで守ろうとするのが俺の抱いていた始祖のイメージです」
「…結局褒められているのか、俺は」
「褒めていますよ。命を懸けてお守りするのならば、あなたがいい」
アニバルは雪だらけの頭をかいたよ。
「わかったよ。じゃあ頼んだ」
アニバルの悲愴感が消えてホセは、ようやく拳の力が抜けたよ。
「ほう。ホセは私の教えをそう受け止めていたのだな」
ウーノの笑顔にホセはビクリと身体を震わせたよ。
アニバルが大笑いしたから、トニアも安心したよ。
アニバルの隣にきてビスケットを差し出したよ。握りしめていたのか、トニアの手袋にビスケットの凹凸が出来てしまったんだ。
「手で持ったのは自分で食うってお袋に言われなかったか?」
トニアは食べてくれると思っていたから困った顔して、一欠片のビスケットを噛んだよ。みるみるしかめっ面になったんだ。
「硬い…。凍っちゃったのかな?融かして」
「あ?はじめから水気なさそうだったぞ?」
アニバルが手を出すから、噛んでいない方を渡したよ。アニバルはビスケットを割ろうとしたけれど全然割れないよ。
「マジで硬いな、これ。そのまま食ったら歯が折れるぞ。お湯にいれてふやかすか」
「それ持ったから水神様が食べてね」
ふふふと笑ったトニアの知恵にアニバルは完敗したよ。
――つらくても食べて。食べなかったら死んでしまうわ。
頭の奥で誰かが言ったよ。現世ではない、いつかの記憶。
死へばかり見つめていた自分のために、生きてほしいと願って言った言葉。
すぐに誰の言葉か思い出せなかったけれど、冷えた心がほんのりとあたたかくなったよ。
うちひしがれても、絶望しても、生きたいのなら息をして、ご飯を食べなくてはならない。
それを思い出させてくれた人が現世にもいる。
「ありがとよ、トニア」
「へへ」
アニバルはいつものように、いつもの声音で村人たちに声をかけたよ。
「みんな。ビスケット食えたか?」
「硬いよ、これ。歯茎から血が出た」
イバンがビスケットをカジカジしていたよ。
「歯茎から?ビスケットって凶器になるのか?」
おどけた感じでいうと子どもたちが笑ったよ。
「鍋持ってる奴どこだ?ビスケットをふやかしてみようと思うんだが」
ウーノたちが見つけた風が避けられそうな小さな洞穴で、火を起こしてから鍋に雪と食べかけのビスケットを入れたよ。
ふやけてドロドロになってしまったから、みんなに配って飲んでみたよ。
「…味がしない」
素朴なライ麦ビスケットをお湯にいれただけで、味を足していないからね。
それでもあたたかなお湯を飲んで、みんな少し元気が出たよ。
もうちょっと頑張れそうだと、歩き始めたよ。
雪は止まず、むしろ吹雪いてきたんだ。
地図上では僅か一キロ先だけれども、猛吹雪で視界が遮られて距離感がなくなってしまったんだ。
このまま進めばみんなはぐれてしまう。声を張り上げても吹雪で消えてしまうし、強風のせいで息もしづらいよ。そして身体の芯まで凍るような寒さ。
アニバルは強く願った。
晴れてくれ、晴れてくれ。
神々よ。
一瞬だけでも青い空を見せてくれ。
このままではみんな次の村に着くまでに死んでしまう。
見上げた空には、うねりをあげる吹雪の隙間から見える分厚い雲。
お尻にトンと当たったから何かと思って振り返ったら、イバンだったよ。
真っ白な顔して目が虚ろだったんだ。低体温症になりかけているのかもしれないね。
アニバルはここで天候操作すれば、魔力切れを起こして倒れる危険があったよ。
それでもアニバルはいつ終わるかわからない吹雪を止める決断をしたんだ。
ヨタヨタと歩くイバンがはぐれないように抱きしめてから、呪文を唱えたよ。
「水の神よ…」
大粒の雪が小さくなり、チラチラと舞い始めたよ。
寒さで絶望すら感じなくなった村人たちに、うっすらと陽が射したんだ。
「吹雪が止んだぞ!」
喜んだ人たちは周りを見ると倒れている人がいたよ。
「みんないるか!」
声をかけあい、倒れている人を背負ったり肩を貸したりしたよ。
ウーノたちは真っ先にアニバルのもとにいったよ。そばを歩いていたつもりが、数メール先を進んでいたんだ。
「アニバル様。魔法をお止めください」
「早く。休めるところに、みんなを」
ガタガタと震えて、雪に膝をついたよ。それでも魔法を止めず、イバンを掴んだままだったんだ。
「家が見えました。もういいですから。これ以上は危険です」
ウーノはアニバルを背負い、急いで視界に入った家に向かったよ。
エスコンディドの村人が全員家に入るまで、アニバルは魔法を止めなかったよ。
アニバルは魔力切れで失神したせいで、自分が寝かされたことも気づかなかったよ。
目が覚めたときに、村人がアニバルが寝ていた部屋に集まっていたんだ。
「なんだよ、お前ら。そんな顔をして」
「なんだよじゃないよ。水神様も死んじゃったのかと思った」
トニアが泣き出すとイバンも泣いちゃったよ。イバンは無事だったみたいだね。
「水神様もってどういうことだ?」
吹雪の中で低体温症になって倒れた人が何人かいて、そのまま回復せずに二人が亡くなってしまったんだ。
アニバルはしばらく声を失ったよ。早く魔法を使う決断していればと自分を責めたんだ。
「水神様のお陰で助かりました。ありがとうございます」
村人たちは本当に感謝してくれたから、アニバルは自分を責めるのはやめたよ。責める時間があるなら、これ以上犠牲者を出さないように考えないといけない。
理由を聞いたこの村の村長さんは、一晩泊まらせてくれることになったよ。
村長いわく例年通りの寒さで収穫もあったというよ。
森の周辺だけが異常気象だったのかな?
あたたかな食事も出してくれたよ。凍傷になった人もいて、その人たちを預かってくれることになったんだ。
束の間、吹雪が止むと村長は外にアニバルを連れ出したよ。
「ほらすぐそこに壁が見えるだろう?ガルシアで二番目に大きい街だ。そこには宿もあるし、役所もある。村の事を領に報告したほうがいい」
悪天候ではなければ、一時間もかからないで着きそうだよ。
まずは宿がとれるか確認しにアニバルたちは行くことにしたよ。
トニアも行くって言い張ったんだ。
「お宿の人が入れてくれないって言ったときに大人の男の人がたくさんいるより、女の子がいたほうが同情してくれるかもしれないでしょう?」
トニアはいつも以上に頭も口も回るよ。そう言われてしまえばそうかと、トニアも連れていくことにしたんだ。
アニバルは食事を一度とってから、またぐっすり寝たよ。
起きたらもう次の日になっていたんだ。
大事に持っていた氷の鳥の羽根が傷んでないか確認してから、また木の箱に入れたよ。
いざとなったらこれを売ろうと考えていたんだ。
アニバルはウーノとホセ、トニアと一緒に街へ向かったよ。村人に何かあったときのためにゴヨが残ったよ。
幸い雪はちらつく程度で、大きな街に来たことのないトニアは楽しみなのかニコニコしていたよ。
さすが領内で二番目に大きい街で、検問には列が出来ていたよ。
「通行証とかないけど、大丈夫か?」
ルークススペース帝国のときは必ず大きな街に入るときは通行証や身分証が必要だったから、急に思い出してしまったよ。
ルークススペースの通行証や身分証はそんなにきっちりしたものではなくて、住んでいる村や街の偉い人または教会の大神使が、この人がこういう理由で街に入りますと書いてあるだけだったよ。
現世では大きな街に来たことがなかったから、ルールがわからなかったよ。
「理由を話せれば大概大丈夫ですよ」
ウーノとホセは貴族だし、身分証を持っているから入れるよ。
トニアは並ぶのに飽きてあくびをしてたころに、やっと街の中に入れたよ。人の多さにトニアは目を丸くしっぱなしだったんだ。
安い宿がありそうなエリアに向かって、露店の人に聞いてみたよ。
「明日から祭りがあるからよそから人が大勢来てるんだ。空いてるか分かんないぞ?」
「祭り?」
「神が現世に現れたら祝いの祭りさ。大きい街は競ってやってるけど、うちの街はちょっと出遅れてね。
こんな真冬にやらなくてもいいのによ」
「祭りって何をするんだ?」
店主は街のさらに中心のほうを指差したよ。
「神や初代皇帝、『王の守護者』の雪の像とか並んでたり、歌や劇をやるそうだ」
神様って聞いてアニバルはなんの神様だろうと思っていたけれど、初代皇帝やら王の守護者やらという単語でやっとルドのことかとわかったよ。
ホセがピンと来ていないアニバルを後ろでクスクス笑っていたよ。アニバルはギロって睨んだけど、耳が赤かったよ。
たくさんの宿をまわったけれど、全然空いていなかったんだ。
「祭りが終わるまで満室だって?いつ終わるんだよ?」
「一週間だそうです。村長に交渉して祭りの間だけでもいさせてもらいましょう」
アニバルたちが宿を回っている間にホセが情報収集していたんだ。
「ホセの言う通り、村にいた方がいいでしょう。その間に私どもがエクトル様に連絡をとりますので」
「そうしてくれ。一応宿屋に祭りのあとにしばらく置いてくれるか聞いてみる」
ウーノは街の中心地に向かったよ。この街は壁が二重になっていて外と内側の間にある市街地は平民が住むエリアになっていて、真ん中は街を治めている伯爵と貴族が住んでいるよ。
宿屋は祭りが終わったら空き室が多くなるから歓迎してくれたけれど、期間がわからないと聞くと渋ったよ。
「だめなの…?」
トニアがうるうると涙を浮かべると、同情してくれたのか何軒か引き受けてくれたよ。
「将来が恐ろしいな」
トニアが宿屋のおかみさんからお菓子をもらっているときに、アニバルはホセに言ったよ。
「純朴だと思ったのですが。子どもでも女の涙に騙されてはいけませんね」
えらく真面目に言っていたよ。宿まわりを続けていると、お菓子を食べて上機嫌に前を歩いていたトニアがくるりとこちらを向いたよ。
「明日からお祭りなんでしょう?イバンも連れてきていい?村のみんなも。少しでも楽しいことがあった方がいいよ」
アニバルは正直祭りを見る気分ではないよ。トニアが村の悲劇に何も感じていない能天気な子ではなく、彼女も人が死んでたくさん泣いていたのをアニバルは見ていたよ。
トニアはとても強い子なんだ。つらくても泣いても、明るく笑おうとする子。そんな彼女にみんな励まされたよ。
「そうだな。屋台も出るみたいだから、みんなに金を渡して好きなもの食ってもらおう」
「いいの?やった!」
「トニアは今日食っただろう?」
「えー」
この日は村に戻って村長にかけあったよ。祭りが終わるまで滞在していいと約束してくれたんだ。
翌日、祭りを見たいと言う人だけを連れて街に行ったよ。アニバルみたく気持ちが沈んでしまっている人もいたからね。
朝から街の人たちは浮かれた様子で、誰もが笑顔だったよ。
「神のお目覚めに感謝を!」
通りすぎる人々は合言葉のように言っているよ。
「ねえねえ。神様って水神様のこと?」
トニアが混乱しているようだったよ。この帝国に伝わる始祖の生まれ変わりがアニバルだと聞いていたけれど、アニバル本人を知らない人がお祝いして知ったように逸話を語るから、街の人が言う神様とアニバルが結び付かないみたいだよ。
アニバルも神がルドであるような気がしないし、昨日まで必死な思いをしてここに辿り着いたのに、街の人々はさもルドが素晴らしい人で超人であるように語る。
浮かれた空気に馴染めず、一人だけ取り残されたみたいな浮遊感を覚えたんだ。
答えないアニバルにトニアは何か言おうとして、イバンに手を掴まれたよ。
「人が多くて離れちゃいそう」
「そうだね。水神様。手を繋いでいい?」
「あ?ああ」
アニバルはトニアの手を繋いだよ。
「どこか行きたいところあるか?」
「ワッフルのお店と、飴のお店と」
「食いもんばっかだな。トニアは」
アニバルは、ははと笑うと浮遊感は消えていたよ。
しっかりと小さな手が自分の居場所を掴んでくれている。
現世の名はアニバル。
水神様と呼んで慕ってくれる村人を守るんだ。
「人が集まっているね!」
イバンが指差した方にステージがつくられていて、楽器の音色が聞こえてきたよ。
演劇をやっているみたいなんだ。
「乾いた大地に雨を!」
レナータ風の服を着た男が天に両手を向けると弦楽器がシャシャシャと音を立てたよ。雨を表しているみたいだね。
平民の服を着た役者たちがステージで膝をついて、感激しているような表情をしたよ。
「雨だ!恵の雨だ!救いの神が現れた!」
違う。
あのときは俺は神ではなかった。神の使いだと言われたんだ。
「水神様?」
トニアは戸惑いの表情を浮かべて、アニバルを見上げているよ。手を強く握ってしまったようだね。
「あ、悪い。劇観たいか?」
「…ううん。ワッフル食べたい」
「わかった。ワッフルな」
アニバルが笑うとトニアも安心したように笑ったよ。
「あの劇の救いの神様ってどの神様?」
イバンがアニバルに聞いたよ。
「水の神だから、アグルア様だろう?」
「そうだよね。でも男の人だったよ」
イバンはルドの話だとわからなかったようだね。
「あの男は雨を降らしたから、アグルア様の使いだと言われたんだ。それが神様に見えたって話だろう」
「ふーん?」
ホセは後ろから三人を見守っていて会話に入らなかったよ。イバンは何か考えていて、あっと言ったよ。
「劇の男の人は水神様みたいだね。水がなくて困った人に水をあげたんでしょう?水神様もアグルア様の使いだし」
アニバルは無意識に足を止めたよ。
千年前に言われていたことが別の場所で、まったく前世とは関係ない子どもが言う。
なのにルドの子孫はルドを神だという。
ルドが信じた神々を子孫は信じていない。
「水神様?」
「あ、ワッフルだよな。えっと確かにこの道沿いにあったよな」
「水神様はどこにもいかない?私たちと一緒にいてくれる?」
トニアはアニバルの心がここにあらずというのを感じとって、とても不安に思ったんだ。
アニバルはトニアの肩に手を置いて笑ったよ。
「なに。どうした?俺はお前らと一緒にいるぜ」
トニアはよかったと手を引いたよ。
「そんなに食いたいのかよ」
「えへへ」
ワッフルを買っているとエスコンディド村の人が走って来たよ。
「水神様!ヴァリエンテの人がこの街にいて、水神様を探していました」
「ヴァリエンテが?この時期に?」
急に冬が来て国に帰れなくなったのかなと、アニバルは予想しながら村人についていくよ。
大通りから一本入った道に馬を連れた見たことのある人たちがいたよ。
次回は通常通り、土曜投稿予定です。




