9話 暴君ルドの話5
エジリオはルドと別れて、酒場に行ったよ。酒場に聖神使が行くことは禁止はされていないけれど、あまりいいとは思われなかったんだ。エジリオは神使服から平民の服に着替えたよ。
神使は儀式やお祭りのとき以外は酒を飲まないけれど例外は一人だけいたみたいだよ。
「闘いの神の神使はいつでも酒を飲めるのか?」
腕捲りをして、赤褐色の肌には無数の古傷があった男の人が顔を上げると、白い歯をニカッと見せたよ。ルドにヤジを飛ばしていた闘いの神の神使の一人だったよ。
「生水は貴重だから酒しかないことをお前も知っているだろう?」
水不足でなくても、生水にはたくさんの菌がいて飲むのは危険なんだ。必ず沸かして飲んでいたよ。お酒はアルコールが入っているから、安全な飲み物として幼い子どもにも低いアルコール度数のものを飲ませていたんだ。
「わかっているけど。神使服のままはどうさ?」
「かたいこと言わずにお前も呑め!あっ聖神使様はいけないかな」
くっくっと笑って堂々呑むよ。店員が注文を取りに来たよ。どれも値段が上がっていて、闘いの神の神使が食べていた一番安いナッツの盛り合わせを頼んだよ。
「ナッツで約七百円かよ。一ラーメで食べれたのに。しかたないか」
店員がカウンターの奥にいくとエジリオはため息をついたんだ。闘いの神の神使は服についた殻を払い落として、ちらりと店内を見たよ。いつもなら秋の収穫が終わって、食糧の買い付けにきた領内の商人たちが集まって居酒屋は賑やかになるけれど、今は数人しかお客さんがいなかったんだ。
「店を開けるだけ偉いと思うぜ?どこも自分が食べていくのに必死だ」
「なのに貴族の連中は食事を一日三回もとるらしい」
「ほう?そんなことを聖神使様に連中は話すのか?」
「ルド様だ」
「はぁん?ルド様?お前も水の神教の連中のようにお熱なのか?」
店員が酒とナッツの入った器を持ってきたよ。ナッツは十粒も入ってなかったんだ。
店員が下がるとエジリオは声を潜めて話すよ。
「場合によってはお熱になっても構わない。リクは魔法を見てどう思った?」
闘いの神の神使、リクは薄く笑ったよ。リクは神使兵でエジリオと幼いときに戦場で出会って、そこからの付き合いだよ。いわば戦友だね。
「あれは本物だ。今度手合わせ願いたいが、お前の魔法にビビったしな。大物なんだか小物なんだか」
「ルド様には霊が憑いているようだ」
リクがお酒を吹き出しそうになったよ。
「おいおい、冗談はよせ。統一王の再来で、アックルーアの使いの次は霊かよ。ちなみになんの霊だ?」
リクはまったく信じていなくて馬鹿にしたように嗤ったよ。
「奴隷の霊だそうだ。中央の言葉がわかる。リクは俺よりわかるだろう?今度話してみてくれ」
「グランデフィウーメの農民が、中央の言葉を話すなんて、にわかに信じがたいが…。お前は嘘をつくけど、そんな薄っぺらい嘘はつかないからな。お前の考えはどうなんだ?本物か?」
「俺は聖神使だから嘘をつかないぞ?
本物の可能性は高いが、ただ霊が出ているときの記憶もあるし、自分がその奴隷だって言い張るんだ。俺は霊つきの人間に会ったことがないからわからない」
「俺だってわかんないぜ。噂程度しかないし、闘いの神様の信徒の俺はお門違いだ。そういうのは浄めがうまい水の神教徒に頼れ」
神使は神々を敬っているけど、自分の仕えている神様が一番だと思っているんだ。リクの推し神はバッギアだから、他の神様にはあまり興味ないみたいだね。
エジリオは蜂蜜酒を口に含んで顔をしかめたよ。ストレートだったから少し甘かったみたいだね。水で割ったものを店で出していたはずだけれども、水をけちったみたいだね。
割るかってリクが飲んでいたビールを目の前に置くけど、エジリオは遠慮したよ。
「徐霊についてはアグネーゼ大神使もわからなかったんだ。徐霊には専用に修行を積まないといけないから。
他を頼ろうと思ったところに風来坊のリク殿なら、詳しそうな人の噂くらい知っているかと思ってな」
リクは天上を見上げて考えていたよ。一杯のビールをチビチビ呑んでいたから酔いはまだ回ってないみたいだね。
「霊ではないが…」
「心当たりはあるか?」
エジリオは身を乗り出すよ。リクは酒が不味くなるって全部呑んでから話しはじめたよ。
「中央の先の東の方に山脈があってな。その辺りの異教徒を討伐に行かされたことがあってよ。そこの神使…いやザス?とかいったかな。異教徒を束ねていた上の奴が死んだザスの生まれ変わりだとか言うんだ」
「生まれ変わりってなんだ?」
エジリオたちが信じる多神教には生まれ変わりや転生という考えはないんだ。死んだら天の国に行くか、地獄に行くしかない。どちらかに行き損なったものは霊としてこの世に彷徨い、裁きの神の使いが来て、裁きの神の前に連れていかれて裁かれるんだ。
死んだら別の人間に生まれ直すという考えはないから、エジリオは困惑したよ。
「他の人間に生まれることだ。ザスが死んだら十月後に生まれた子がそのザスの生まれ変わりとされていた。真偽はわからないけどな。えーと前のザスのことを前世といって、生まれた子は前世の記憶があるそうだ。ルドという奴は霊に憑かれているというよりは、生まれ変わりという考えの方がしっくりくる」
「確かにその異教徒の話に近いが…。それは神々の教えにはない」
エジリオの困惑にリクは大きく頷いたよ。
「教えにないから認めることはできない。異教徒になりたくなかったらルドには口止めをしとけよ。あの規模の水の使い手はそうはいない。今は失いたくない」
リクは敬虔という言葉からやや離れているけれども、異教を信じる者は頭のおかしい連中だと思っていたよ。生まれ変わりの話も、苦しみも悲しみもない天の国に行けない、かわいそうな奴らだって考えているくらいなんだ。
教会の人たちも異教は認めないで排除してきたんだ。異教徒がいると聞くと襲撃したり、街にいれば広場に引きずりだして処刑したりすることもあるよ。処刑人は闘いの神神使がするんだ。
「口止めはする。本人は熱心なアックルーア教徒だ。でも誰かが異教の教えを話したかもしれない。その生まれ変わりについてもう少し教えてくれ」
「聖神使様にお話することではありませんぜ?」
「ちゃらかすな。ルド様は本気で奴隷だったと思い込んでしまっている。お助けしたいのだ」
「統一王の生まれ変わりならわかるけど、わざわざ奴隷って本当に頭大丈夫か?グランデフィウーメの教会は奴を守ると決めたんだろう?アックルーアの使いと吹聴して異教の考えを持っていたとかいったら笑えないぞ?」
「わかっている。貴族の考えに風穴を開けるかもしれないときがきたんだ。だから俺が聞いて判断する。今なら間に合う」
アックルーアの使いとして担ぐか、頭のやばいやつと切り捨てるかだね。
リクも身を乗り出してひそひそ話すよ。
「お前本当にやるつもりか?その若さで聖神使になってほうぼうから色々言われてるのに」
「言われているからもう黙る必要はない。聖戦ではないのに貴族の欲のために闘う神使兵たちを救う。お前も嫌だったから戦場から離脱してここまで来たんだろう?」
リクは陶器の器に口をつけるけど、ビールはもうなかったよ。
言うことを聞かない人々を異教徒と決めつけて、弾圧する領主もいたんだ。その領主の元で、聖戦と教え込まれてエジリオとリクは少年時代闘いに明け暮れていたんだ。二人はあるとき、あれ?って思って戦線から逃げ出したんだ。あちこちいって、グランデフィウーメのあるレナータ地方に落ち着いたんだ。
「ルドと異教の教えが関係あるかわかんねぇよ?
詳しい教えは覚えてないが、生まれ変わりという考えは目新しかったから覚えていただけだ。あとは教義を守らないと生まれ変わったとき、現世と言うらしいが、罰を受けるらしい。人はいくつかの欲があって、大罪になる欲は五つ?七つ?だかあるらしい。怠惰、暴食、色欲と…すまん、忘れた。
罪によって罰が違う。殺人は針山に落とされて、親殺しは生きながら腹を裂かれるそうだ。あと女の色欲は業火に焼かれるらしいぞ」
リクはにやりと笑うよ。何がおかしかったのかな?
「はいはい。えーとその罰は前世?で犯した罪を、現世で受けると。なんで前世で受けないんだ?」
エジリオたちは、死んだら即裁きの神に裁かれると考えていたから、わざわざ現世で罰を受けるなんて、まどろっこしいことをするのかと思ってたよ。
「そこまで知らない。どうやら、現世の次は来世というらしいが、来世で裁かれないために現世を正しく生きようというとじゃないか?」
「裁きの神様に裁かれて地獄に行かぬように心がけるようなものか。
裁きの神様から地獄に行けと言われた者で、殺人者は殺した人と同じ傷を負うというし。そういうことか?」
「聖神使様。異教徒の考えを理解してはならないし、理解する必要はありませんぜ?あれらの考えは神使を惑わし陥れる」
エジリオはナッツの殻をテーブルに叩いて、割れ目を入れてから指で割っていったよ。
「火の神の教えにない。よって、考えることにする」
「おいおい大丈夫か?異端審問受けても俺が話したことを話すなよ」
「異端審問は受けない。俺は聖神使だからな」
リクは呆れ返ったよ。聖神使とはいえ、神使の誰かに疑われたら裁判を受けなければならないよ。
「教会は老いも若きも貴族も農民も、そして奴隷にも門は開かれている。だが、結局は建物の中だけだ。外は奴隷はモノであり、生まれながら罪人。これは古来の教えにはなかったものだ。俺らは教えにないのに、この世界を維持するために罪なき人を陥れているのではないのか?」
「おい、どうした?この世の理を作ったのは神々だ。それに人が従っている。奴隷も理の中にある。疑うなよ」
「兵士と神使兵は殺人の罪には問われない。俺らは中央の貴族どもの戦いは聖戦ではないと思ったから戦場を離れた。でもあれが聖戦でないなら俺らは多くの人を殺してしまった、罪人になる」
「…」
揺れるロウソクの火をリクは見つめながら、エジリオの不安を聞いていたよ。
「聖神使になれば神々のお声を聞けると思った。聖域に入り祈った。毎日祈ってもいまだに聞こえない。俺は正しいことをしているのか。裁きの神様に今ここで裁いていただきたいのに、死んでからでは遅い。
ルド様がアックルーア様の使いというなら、神々のご意向がわかるのではないかと」
信じてみたかった。
リクはふぅとため息をついたよ。
「神のご意向どころか前世が奴隷ときた。奴はアックルーアの使いじゃない。聖神使は正しい道を他の神使に示して、説かなくてはならない、だろう?」
「わかっている。だから、もう少し様子を見る」
リクはいきなりお金をテーブルに置いて立ち上がってたよ。エジリオの分も含まれてるみたいだね。
「来い」
外は真っ暗だからエジリオは火の魔法で灯りをつけたよ。キミの国みたいに電気はないし、電灯も開発されていなかったから、火の魔法を使えない人たちはロウソクで夜を過ごしたよ。
家々を抜けて、人気のない溜め池まで歩いていったよ。溜め池にはくるぶしほどしか水はないんだ。
「どうした?」
「様子を見る時間はないぜ?ルドの噂はアグネーゼ大神使のお陰で、あちこちの領で広がっている。奴の力が欲しいという連中は多い。しかもグランデフィウーメは蓄えもある。
俺が今日ここに行くと聞いたカスカータ家の当主がルドの力を見て報告しろといってきた。報告したら寄付金を上乗せするっていうからよ。まさかお前がお熱だとは思わなかったけどな」
カスカータ家が治める領地はグランデフィウーメ領よりも十キロメートルほど西側にあって、大きな滝があるほど水を湛えていたんだけれど、熱波ですべて湖も滝も渇れてしまったよ。
雲は西から東に流れるから、ルドが魔法で流した雲はカスカータ領には行かなかったんだ。だからそこはまったく雨が降っていないよ。
領民の多くは水不足に悲鳴をあげて、多くの奴隷は殺されたり売られたんだ。起伏の激しい土地が広がり、農耕地も少なくて酪農が盛んだったから、家畜の飲み水もなくて、ヤギやウシも乳を出すこともできなくなって、ほとんどが食肉にされてしまったそうだよ。
辛うじて山が湛えている地下水でしのいでいるけれども水位が下がって、領民たちは毎日地面を掘りつづけているんだ。
外部から買っていた穀物もすべての領地が売るのをやめて、蓄えることにしたから食糧不足になってしまったよ。
このままでは来年の収穫までに全員餓死すると思い詰めた領主をはじめ、貴族たちがグランデフィウーメの蓄えと水魔法の使い手のルドを奪おうと考えたようだね。
「…戦争する気か?」
「グランデフィウーメが応じなければ。俺が明日戻って当主に伝えて、一週間以内にカスカータの使者がくるだろう。教会の対応も考えておいてくれ。ま、聖戦ではないから沈黙するしかないだろうが」
「闘いの神様の神使は守備につくのか?寄付金をもらったんだろう?」
「そうなるだろうが、それは聖神使様のお声がないとなんとも」
教会の資金源は主に寄付とワインとかお酒を作って販売したお金だよ。
聖神使はグランデフィウーメ領周辺の十数の領地にある教会のトップだから、領主同士の戦争に荷担するかは聖神使が決めるよ。でも最終的な判断は各教会の判断に任されていたから、カスカータ領にある闘いの神教会に所属するリクは、そこの大神使が戦争するといえばそちらに従うよ。
リクは戦友のエジリオに、カスカータ領主の動きを一番最初に教えてくれたみたいだね。
「今年の実りがまったくないのだから、食糧はみなきつい。グランデフィウーメはよそに食糧を出さないだろう。兵力的にカスカータの方が厳しいだろうに」
「カスカータはポネンテやフェローチェに声をかけるつもりのようだ」
「ポネンテはわかる。カスカータ家の娘が嫁いでるからな。フェローチェからは何も聞いていないぞ?」
フェローチェは教会で大火災を起こして、大人数での魔法禁止にしたところだよ。百年以上火の神の信徒は肩身が狭い上、教会の再建が叶っていなかったんだ。そこで聖神使になる前のエジリオが領主を説得して教会の再建にこぎつけたんだ。
周辺地域の火の神の神使からもエジリオの功績を称えたことによって、聖神使へエジリオがなるきっかけにもなったよ。
だからフェローチェとエジリオは仲がよかったんだ。何らかの知らせが来てもおかしくなかったんだ。
「カスカータの使者はフェローチェに今日ついただろうから、朝にはお前の元に伝書鳩が来るだろう。グランデフィウーメの土地を狙う奴らは多い。グランデフィウーメだけでは兵は足りなくなるだろう」
エジリオの頭の中では、かつて見てきた戦場が浮かんでいたんだ。少し藻が浮かんでいる溜め池の臭いがしていたのに、血の臭いがかすめた気がしたよ。
「水がなければ野草も育たない。戦争をしても血が流れて畑は汚れるだけだ。
多くの奴隷が兵として戦争に駆り出されるだろう。ルド様はおそらく止めたいはずだ。広範囲の水魔法を使おうとするだろう。だがカスカータやフェローチェの全域となれば、命が危ない。俺らは彼を失ってはならない。聞けば必ず動こうとする」
「あいつのことを妙に高く買うな。農民だったんだろう?」
「霊の奴隷…。ルド様の前世は山を水魔法で崩して集落を埋めたそうだ。そんな使い手、統一王の時代にはいたというが、今の時代にはいない」
「統一王も山を崩して国を埋めたり、泥地にして兵を沈めたりしたっていう伝説か?あれは話を盛っているだけだろう」
「彼は出来ると思う。この地は一つになるべきだ。富を均し、人々が苦しみから救われるために。
聖神使になれば叶うと思ったが、俺や神々の言葉を心の底から聞く為政者は少ない。
だから神々の世界をこの世界に作る人が必要だ」
「おい…。まさかお前…」
灯りの炎がふわふわとエジリオの周りに集まったよ。ニヤリと何か企んでいる顔をしているね。
「生まれ変わりという考えはとても面白い。ルド様は奴隷だった。そしてその前は統一王であった。もちろん、奴隷というのは伏せる。奴隷と言えば貴族たちはこぞって揚げ足をとるだろう」
「あのさ。お前は神使なの。為政者じゃないの」
「頭が変わらなければ世は変わらない。ルド様にはアックルーア様の使いであり、統一王になっていただく」
エジリオの決意にリクはため息をついて頭をかいていたよ。
そのルドといえば、生徒たちの前で雨を降らしたのに、一人ぼっちのままだったよ。むしろ、エジリオに傷をおわす攻撃ができたから、こいつヤバいみたいな眼で見られて、敬遠されていたよ。
でもルドはそんな貴族の子どもたちの態度は眼に入っていなかったんだ。学校の図書館に行って言葉の辞典を片手に勉強に励んでいたよ。奴隷の時の失敗は考えることをやめてしまったことと、知識がまったくなかったことだと考えたんだ。
だから学校にある本を片っ端から読んでいったよ。学生でいられるのは一年もないから、少し焦っていたんだ。
神使になれば各教会の所蔵している書物は閲覧できるけど、教会にある本は神々の教えのことばかりしか書いていないんだ。
魔法の使い方や貴族の考え方、歴史、地学とか様々な知識はここで学ぼうとしたんだ。農業についての本を見つけたとき、怒りながら読んでたよ。
自分たちが育てていた作物の害虫駆除や作業が楽になる農具が書いてあったんだけど、ルドは知らなかったんだ。
「これを農民が知っていれば収穫量も増えて労働も減るのに、どうして貴族の人は教えないんだ」
教えている貴族もいるけれど、農民を下に見て交流したくないと考える貴族もいてなかなか知識が広がらなかったんだ。貴族のほとんどは領城の城下町を囲う壁の外へ出たくなかったんだよ。
ルドは本をたくさん読んで農業の知識を身につけて、農民に教えようと考えたんだ。
図書館が閉まれば、今度は剣術の練習をしたんだ。そうやって一日を終えて、朝も剣術の稽古からはじめるよ。
「熱心ね」
誰もいない学校のグラウンドでカリーナが一人で立っていたよ。ルドは汗を拭いながら苦笑したよ。
「何かしないと落ち着かないんだ。農民は日が昇れば畑を耕して、時間があれば薪を割ったり、家のことをする。暇な時間なんてなくて。奴隷がいれば食事も服の直しもしてくれるけど、それでも夜にはくたくたになって寝る。疲れないで寝るって俺の生活にはなかったんだ。
そういえば、カリーナはマエストロに会ったの?」
「そのマエストロなんだけど、ルドに会いたいっていうの。この前の学校での魔法を見ていたみたい。ルドの弟子にしてくれって」
「は?」
おやおや、十代の若造にマエストロの称号を持つ人間が弟子入りなんて、前代未聞だよ。ルドは冗談かと思ったんだ。
「貴族は俺を馬鹿にするのが好きなようだ」
「違うって。本気で思っているみたいなの。マエストロもあんな大規模な魔法使ったら、数日倒れて起き上がれないって」
「使えるの?雨を降らせる魔法。なんでみんな使わないの?」
「知らないわよ。最上級魔法は命がけだって聞くから、やりたがらないんでしょう」
「…俺はマエストロには会わない。自分の命を惜しんでいる間に何人死んでいると思っているんだ」
タオルを握りしめるルドにカリーナは困ったよ。
「そんなに怒らないでよ。マエストロの称号をもつ水の使い手は、井戸に水を入れたりして駆け回っているって聞くわ。グランデフィウーメの中で死者があまり出てないでしょう?」
「壁の中の話だろう?俺はマエストロと話をするつもりも弟子にするつもりはない。神使になるからって言っておいて」
水魔法で汗を服ごと流して、乾かしたらさっさと校舎に入ってしまったよ。水魔法を使いこなすルドにカリーナはため息をついたよ。
「簡単に魔法使えるから言えるのよ。服を乾かすのに何重もの魔法をかけるのに片手間みたいに」
ルドは世の中不公平というけれど、カリーナも幼いときから魔法を勉強してきたのに、一切魔法を学んでこなかったルドが最上級魔法を使えるから不公平だと思っていたよ。
ルドはいつものようにクラスの中で誰も話さずに、授業を受けていたよ。
魔法の授業で教師が三十代くらいの男をつれてきたよ。彼はダブレットという腰丈までの上着をきて、それは濃紺で一見地味に見えたけれども、細かい刺繍がされていたよ。貴族の男の格好だし、教師かとルドは思っていたよ。
「水の使い手でマエストロであるブルーノ殿にお越しいただいた。特別に一学年でも水の使い手に授業をしてもらえるようになった」
カリーナが話していたマエストロみたいだね。ルドは嫌な予感がしたよ。
ブルーノは自己紹介してから、教師に聞いたよ。
「生徒に教えてもいいのですが、私も習いたい人がいまして。ルド殿はいらっしゃいますか」
ルドへ視線が集中したよ。このまま逃げたいと思ったけど、ブルーノと視線がぶつかってニッコリと微笑まれてしまったよ。
「俺がルドですが」
カツカツとブルーノは近づいて、座っているルドの目の前に立ったよ。
「あなたの水魔法は素晴らしかった。ぜひ私を弟子にしてください!」
はぁ?という空気が教室に漂ったよ。カリーナから事前に聞けてよかったとルドは思ったよ。
「カリーナ様と今日話しましたか?」
「いや?彼女とはまだ会っていない。彼女を 視えるようにしてあげたんだって?私を弟子に…」
「お断りします」
「お断り…!どうしてだ?」
「学生にマエストロが弟子入りはおかしいでしょう?」
「あなたがここにいるのがおかしいのだ。天候を操る魔法を使えるのだ。その歳でその才があるなら、マエストロの称号を持つ使い手の弟子にならないのはおかしいんだぞ?」
「俺は農民出身ですので、魔法を学ぶ機会はありませんでした。グランデフィウーメ家の方の養子にしていただいただけで身の余ることです。その上、マエストロに弟子入りなんてされたら、恐縮しすぎて背が縮んでしまいます」
「縮まることはない!胸を張られよ。
養子になって学校を出て、どうするのだ?失礼だがあなたの出身を考えれば貴族のご令嬢をいただいて、政治を動かす立場にはなれない。魔法を極め、マエストロになったほうがいい。私が認めよう。それで私に魔法を教えてくれ」
こそこそ話しているけど、しんと静まった教室では丸聞こえだよ。教師は他でやってくれという顔をしていたのをルドは気づいてるけれど、ブルーノは無視しているよ。
「俺はマエストロになりません。この力は水の神様が授けてくださったものです。この力は自分の利益になるためではなく、全ての民のために使いたいと思っています。この土地以外でも水を求めている民がいるでしょう。俺は救いに行きたいです」
「まるで神使のようだな。貴族はこの地を守らなければならない。領主様の遠い親戚とはいえ、グランデフィウーメ家の養子になれたのだ。まずはこの土地のことを考えろ」
ブルーノはプライドを折って、ルドに学びたいとお願いしているんだ。それを断られて腹がたっているんだね。
ルドは立ち上がって、ブルーノを睨んだよ。
「この土地とは囲いの中の話でしょう。囲いの外は水を失い、今日食べるのもままらない農民が大勢おります。農民を失えば食糧も失う。殺さず生かし搾り取る?いつまでそうしているつもりですか?
あなた方が農民が死ぬとわかっていながら、ためている食糧を出さないのは、それは殺人ではないのですか?ここにいる貴族は全員地獄行きだ」
罵声が教室に響いて、隣のクラスの教師が何事かと見にきたよ。
「訂正しろ、農民!」
スクールカースト上位のエドモンドが叫んだよ。ルドはずっと思っていたことが言えて少しすっきりしたけれど、やらかしてしまったと思ってももう遅いよ。
ルドは鞄を持って、教室を出ていこうとしたらブルーノが肩をつかんだんだ。
「今なら間に合う。訂正しなさい」
「俺は事実を言っただけだ。何度でもいう。目の前にいる人間が一切れのパンしかなくて、それを取り上げたら餓死するとわかっていたら、もうそれは殺しだ。囲いの外で農民が作ったものをあんたらは食べている。自分たちが作っているのにそれを農民は食べられないんだ」
「よそから農民を守ってやっているのは貴族だ。戦う力を農民は持っていない。だから農民上がりを貴族にするのは間違っているんだ」
エドモンドがいうと生徒や教師までが嗤うよ。
ルドは腹が立ってしかたがなかったよ。
「魔法や知識という戦う力を奪っておいて、つくづく貴族は勝手だな。望み通り農民上がりはこの地を離れることにするよ。領主様は濡れるのはお嫌いだから、囲いの中に雨を降らすのはやめておきますね。ブルーノさん、放してくれませんか?」
「放さない。聞き捨てならないことばかりだ。水の使い手はあちこちで水を恵んでいる。囲いの外もだ」
「…それは失礼しました」
「あなたが学校に来なくても学べるように取り計らう。だから、マエストロにならないか?」
「お断りします。俺はやっぱり農民だ。貴族の世界は肌に合わない」
ブルーノは両足にしびれを感じて立っていられずに床に膝をついたよ。
「え…?」
「俺は今からアックルーア教会にいって、神使になる誓いをたててきますので、邪魔しないでください」
ルドはブルーノを一瞥して、ドアの方へ歩いていくよ。
「おい、農民。私たちに地獄に行くと言ったことを謝罪しろ」
エドモンドが土魔法でルドの目の前に蔦を出したけれど、どうしてか枯れてしまってルドは簡単に通ってしまったよ。
「は?枯れた?」
エドモンドが驚いているけれど、ブルーノは大笑いしだしたんだ。
「素晴らしい!呪文も唱えていない。あれは生まれたときから、すべての水が視えていたのだろう!あんな天才見たことがない。神使になることを阻止しなければ」
ブルーノは慌ててルドを追いかけたけれども、すでに校舎を出たあとで、つかまえられなかったんだ。




