1話 朝は看守の崇拝から
ゴーン、ゴーン、ゴーン
「時間よ、起きなさい!愚かな錠前共!!!」
風見鶏コンスライニ監獄砦の朝は、鐘の音と監獄長直々の超低音(大声)から始まる。
ここでは、鳥の囀りで起きる優雅な朝も、鶏の鳴き声で起きる朝もない。
「ん、朝……」
監獄長の素敵な低音オネェボイスで目覚めた私は、のそのそと上半身を起き上がらせた。まだ眠たいと舟を漕ぐ。
まだボーッとする頭だったが、覚醒させるのに一分とかからなかった。
毎朝毎朝感じる、鉄格子越しからの圧だ。
それを放ってくる方へ顔を向ければ、そこには石畳に両膝をついて胸の前で指を組んだ変人……ゲフンゲフン、すみません。私担当の看守イスカがいた。
「……」
とりあえず私も、今までしたこともない全力で引いた顔と視線を送っておく。
ここに投獄されてから早三週間。彼、イスカの私に対する行動が以下の通りです。
・毎朝(何時から待機してるのか)私の寝顔と寝起きをセットで拝んでいる。
・朝食、昼食、夜食の三食が彼の手作り。
・手持ち無沙汰してると書物やお菓子といった、彼曰く貢ぎ物を持ってくる。
・監視という名目で、私への崇拝に時間を費やし、語ってくる。
・毎日一枚以上は私の絵姿を描いている(ところを見た)
エトセトラ……。
最初こそ戸惑ったが、今は慣れを通り越して引いている。まぁ、私もイスカの行動に絆されつつあるのか、言葉遣いも態度も最初よりは怖れなく接している。
「おはよう、女神。今日も変わらず美しいな。朝から女神の顔が拝める今日という日に感謝する」
私の視線に気付いたのか、祈りを終えたイスカがとんでもないことを平然と言ってきた。
引いた顔の女神を拝んで感謝するなんて、彼は一度医術師に診てもらったほうがいいのではないだろうか。
あと、投獄されたあの日から、なぜか私のことを女神と呼び続けている。解せません。普通は錠前番号で呼びますよね? 解せません(二回目)。
「ステンドグラス越しに朝日を浴びる女神も一目見れば、大陸全生物みな健やかな一日を過ごせるだろう」
「そう思うなら、ここから出していただけませんか?」
「それはできない」
「即答なんですね」
お気付きになりましたか?
そもそも脱出手段として窓を設けない監獄で、なぜ私の部屋だけ外の光を取り入れたステンドグラスの窓があるのか。
それは、すべてこの看守によって大改築されたからです。
天蓋付きの高級ふかふかベッドを、石畳だと冷たいだろうと敷かれた肌触り抜群の絨毯も、天井から吊り下げられた豪奢すぎるランプも全部そう。彼が与えてきた物だ。
ちなみに、私の今の服はいわゆる囚人服ではなく、天使みたいな純白ネグリジェだ。襟元は繊細なレースと、私の瞳の色のマゼンタピンクのリボンがあしらわれている。
「あの……一ついいですか?」
「何だ? 何でも話してくれ――あぁ、腹が空いたのか? すまない。気が利けなくて」
「違います! あ、いえ、お腹は空いてるんですけどそうではなくて。その、良くしてくれるのはありがたいんですけど、こんな豪華すぎる家具とか、お金の使い道間違ってると思います!!」
どう考えてもおかしすぎる。だって、本棚やドレッサーまで置いてるんですよ!?
「? 女神に貢ぐことは狂信者として自然のことだが?」
何か間違っているのか? とでも付け加えたそうな顔で言うイスカに、私はベッドから降りて小さく地団駄を踏んだ。
「完全に間違ってます! 私は女神じゃありません! ごくごく普通の人間です、に・ん・げ・ん!」
「謙遜する必要はない。君は〈雨期の魔女〉を屠った、崇拝されるべき信仰対象物化、女神だ」
「私の今の行動を見てて、よく謙遜なんて言葉が出てきましたね。……はぁ。私は本当に〈雨期の魔女〉だなんて知りませんし、殺してもいません。無実です」
この際、信仰対象物化とかいう言葉も、強調された狂信者という言葉も無視です。無視。
「無実かどうかはこちらも調査をしている。さすがは女神。謎が多くて、探りがいがある」
その時、イスカの瞳が少し細くなった気がした。私の正体を暴こうとしている目。
私は、思わず逃げるようにイスカから視線を逸らした。速くなる鼓動を紛らわそうと足の指で絨毯の毛足を掴んだり離したりしてみる。相変わらず良い毛並みしてます。
すると、カシャンと牢の小窓が開く鉄の音が響いた。
「朝食だ。よく噛んで味わってほしい」
「……」
「女神?」
投獄以来に感じたイスカへの恐怖に固まっていると、彼は訝しげに私を見ていた。
「え、っと、はい。朝ご飯ですよね」
牢の中に入れられた朝食を受け取る。
(わ、美味しそう……! それにリンゴのウサギさん可愛い)
今日の朝食は蜂蜜たっぷりのフレンチトーストに目玉焼きとソーセージにサラダ、フルーツはリンゴ(ウサギの形)。あとはミルク。
「いただきます」
手を合わせて与えられた恵みに感謝する。
イスカの事を怖いと思ったけど、このご飯に罪はないんだよなぁ、とフレンチトーストを口に運ぶ。
フワッ。ジュワァ。甘くて頬が落ちそう……。美味しい。
「……宗教画の女神」
た、食べづらい。
イスカがペストマスクの嘴に両方の指を当て、感極まった様子でこちらを凝視していた。
運命の王子様に出会った時の乙女ですか?
「恵みに感謝する女神、朝食を食べる女神、その後読書する女神、懺悔の時間の女神、夜の女神……これを一枚ずつ列ねたら、新しい宗教画が生まれそうだ」
「止めて下さい。生まなくて結構ですので」
なんて事を言い出すのか、この看守は。また妙な発想にお金をつぎ込まれる前に止めなければ。
「自分の世界に入らず看守の仕事をして下さい」
「め、女神が、俺に導きを示してくれている……! なんという慈悲。俺はなんて幸せなのだろうかっ。ありがとう、女神!」
今度は感涙にむせび始めた。
出会った当初の態度から百八十度、それ以上に振り切って変わってしまったイスカに、どうやら他の看守たちも手を焼いていると聞いた。それもこれも私が来たからだとか……なんか、ごめんなさい。
おかげでごく一部から看守を惑わす魔女扱いされてます。
パクパクと朝食を平らげ、ご馳走さまでしたと手を合わせた。
「私は女神じゃなくて、ティパルーです。もしくは錠前番号、えっと、Ⅸ〇ⅡⅦⅦ」
「女神を錠前番号で呼ぶなど、出来ない」
「会った初日の開口二番目に言ってましたよね」
「俺には出来ない」
「言ってましたよね?」
「……」
ちょっとだけ圧をかけて言ってみたら、居たたまれなくなったのか、イスカが目を泳がせ始めた。
でも、いつまでも女神と呼ばれるのは好きじゃない。だって私は女神なんて大層な存在じゃないし、ちゃんと名前があるんだから。
「では名前で呼んで下さい。あ、君でもいいですよ」
すると、泳いでいたイスカの目が私を捉え、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「…………ティパルー、神?」
「なんで神を付けたんですか。それ、女神の女の部分を名前に変えただけですよ」
「す、すまない。このような仕事をしている手前、あまり女性の名を呼ぶ機会がなくて、だな。慣れていない」
少し拗ねたように俯くイスカを、不意にも可愛いと思ってしまった。
弟妹がいればこんな感じなのかな。ふと、私に家族はいたのか気になった。
(あれから何一つ、何も思い出せない……)
少しだけ感傷に浸っていると、朝食終了を知らせる鐘の音が鳴り響いた。ハッと我に変える。
「朝食の時間の終わりだ。懺悔の時間まで好きに寛いでいていい。もし暇になったらこれを活用してほしい」
作ってみた、とイスカが数枚の紙束を渡してきた。
私はそれを受け取った瞬間、驚愕することになる。
「……な、なんですかこれ!!」
「日々の女神を描いた宗教画風の塗り絵だ。本人に見てもらうのは恥ずかしいが、俺的には美しく描けていると自負している」
なんとそれは、私の絵姿だった。ご飯を食べてる私、読書してる私、ちょっと黄昏てる私……他。私だらけ。
美化しすぎだし、恥ずかしいなら最初から渡さないでほしいのですが!
「いりません!」
「なぜだ!?」
丁重にお返ししました。
誰が好きで美化された自分の絵を自分で塗るのが楽しいんですか?
これが、私とイスカの日常となりつつあるのが怖いです。
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