8話 変わらない日常の裏で、復讐焦がす者
黒く淀んだ対の世界。地上界のように青く澄んだ空なんて、似合わない。
邪神の隣人〈雨期の魔女〉レアメが死んだあの日から枯れ続けてる逆なる杯を、二人の魔女が並んで見上げていた。
「……ねぇ。この杯が枯れたらさ、あたし達、どうなっちゃうのかな?」
鮮やかなマンダリンオレンジ色のツインテールを揺らし、シアン色の瞳は憂いを帯びている。
「さぁ……どうなるか分からない。こんな事、初めてだもの」
地面につくほどの長い薄紫色の髪に、同じシアン色の瞳をした魔女は、無表情のまま淡々と返答した。
「……死んじゃうなんて、聞いてないよ」
〈箱庭の魔女〉アルカフネと、〈幽幻燈の魔女〉ソムタルテは、ただそこに佇み、亡き親友であり同士でもある魔女の死を悼む。
「誰がレアちゃんを殺したのかな? ほぼ不死身の魔女を殺す力を持つ人間なんて、絶対に居るわけないのに」
「でも、アルカ。地上界も昔と違って発展してるから、ソムたちの知らない魔法を作ったのかも。もしくは――〈始まりの魔女〉」
「始祖が居るって言うの?! それこそあり得ないってば! だってだって、もし生きてるとしてさ、どうして同じ魔女を殺すの?」
「ソムは可能性を言っただけ。魔女同士の争いは禁忌。レアもそれは知ってたはず」
「じゃあ殺したのは人間だね!」
「それも、分からない。だから……地上界に行って、探す」
「探すって?」
「レアを殺した人物、証拠、一つ残らず。それで――復讐する。後悔させる。絶望させる。ソムの友達殺した人物に」
ソムタルテの言葉に、アルカフネがニィッと歪んだ笑みを浮かべた。ギザギザの歯が、その笑みをより恐ろしく見せる。
「いいね、いいねぇ~! うん、復讐しよう!」
二人の魔女は箒を召喚し、頷きあった。
「っ!!?」
一瞬、背中がゾワッと粟立ち、私は思わず身震いした。
腕を擦っていると、外で乾かしていた布団を抱えたイスカが姿を見せる。
「どうした、女神。寒いのか?」
「いえ、ただ少し寒気がした気がしたのですが、気のせいですよ。ほら、先程から雨も降りだしましたし」
「暖房魔法を強めるか。もしも女神が風邪を引いたりでもしたら……それこそ世界は氷河期を迎えてしまう」
「私に何かあったら必ず世界が滅ぶんですね」
前は口が避けたら、世界が滅ぶんだったっけ?
「そうなったら、身の回りの世話をさせてもらっている俺の落ち度だ。女神、風邪を引いたその時は全力で看病すると今ここで誓おう!」
「大丈夫ですよ。誓わなくてもいいですから!」
私は心の中で、絶対に風邪なんか引かないと決めた。看病された日には、私は確実に精神を削られるだろうから。
「だから、誓わないでくださいって! こら、拝みはじめるのも!」
布団そっちのけで、膝をついて胸の前で手を組みだしたイスカは、また私を拝みだした。
本当に懲りないな、この看守官は。
「朝昼晩の三回は必ず。一日三回以上は女神を拝まなければ、狂信者イスカの名が廃る」
「むしろ、その姿がすでに名を廃らせてますけど……」
「さてと。女神が御体を震わせるのも無理はない。ここは浮遊の監獄で、女神の部屋は一番上だからな。天気と温度の差が大きい。今日は温かいご飯にするか。カレーか、シチューも……」
イスカは晩ご飯のメニューを呟きながら布団を敷く。
見ても分かる。さっきまで太陽の光をたっぷり浴びてフッカフカになった布団は、今すぐにでもダイブして包まれたいほど気持ちいいと。
「部屋の暖房を上げたいが、鉄格子の隙間から暖気が逃げてるからな。ふむ……」
考え込んでしまったイスカは、部屋を一通り見渡してからやがて絨毯に目を止める。
「……これなら、女神の御体を冷えから守ることが出来るか」
「?」
イスカの行動を目で追っていれば、イスカが突然テーブルを持ち上げて端に寄せはじめた。
そしてら絨毯の真ん中に膝をつき、右手を絨毯につけた。
ブワッと風が起き、イスカの青灰の髪を撫でる。
赤と橙の歯車魔法陣が浮き上がって、イスカの右手の周りを大きく回転しながら絨毯の上を滑り、弾けるように消えた。
「今のは?」
「少しすれば分かる」
「? ……あっ」
私は驚いて足元を見た。
さっきまで冷たかった絨毯が、裸足の裏がじんわりと温かくなってきた。
「凄い……! 足が温かいです!」
「絨毯に微量の熱魔法を施した。あまり熱すぎると今度は汗をかいて風邪を引くからな。また後でスリッパを用意しておくか」
「…………ここ、監獄ですよね?」
「?」
私が聞くと、イスカは首を傾げてきた。いや、首傾げたいのは私なんですけど。
二人して黙って首を傾げる光景は、端から見ればシュールかもしれない。
「いきなりどうした。ここは女神が住む楽園だが?」
「至れり尽くせりすぎて、一瞬ここがどこか忘れそうになるんです。誰かさんのおかげで」
「ここを楽園と思って過ごしてくれ。女神への奉仕、崇拝、そして、楽園を今以上に至極のものにする事が狂信者たる俺の職務だからな」
「何回も言うように、楽園の狂信者ではなく、監獄で看守の職務に励んでください」
「……そうだ。女神のために、ブランケットを編んでいるのだが、続きをここで編んでもいいだろうか? 休憩所は編める空気ではないし、女神の居る神聖な空気を吸って肺を清めながら編みたい」
「それはもはや看守の仕事じゃないのは断言できます」
話を逸らしたうえ、いそいそと毛糸が入った籠を取り出したイスカに、私はどう反応していいか本気で解らなかった。
どうぞ、と言うべき? え、待って。それ今どこから持って来て……。
「布団を取りに行く前に持っていた」
とうとう心まで読まれるようになってしまった。……狂信者は女神の心の声すら筒抜けと? あ、でも信者は神様の御告げが聞こえるって何かの書物に書いてあったな。それと同じ事か。
色んな意味で怖くなった私は、編み物を始めたイスカから距離を取り、ぽかぽか温かい絨毯の端に座った。
「本当は、女神は青系が似合うと糸を買ったのだが、寒色は冷たい気がしてな。女神の綺麗な穢れなき瞳の、マゼンタピンクにしてみた。縁取りはレースみたいにしたら、きっと女神に似合うブランケットが出来ると思う」
「ありがたいんですけど、これは完全な職務放棄では?」
「ぐ、っ! 懺悔しよう! 俺に罰を……っ、俺を踏んでくれ、女神!!!」
「ああぁぁ、しなくていいです! 聞いた私が悪ぅございました!!」
編み物を置き土下座しようとしたイスカを、私は全力で止めに入った。
踏んでくれって、しかもちょっと嬉しそうにしてるのは何で? それに、職務放棄してる自覚はあるときた。分かっているなら看守の仕事をしてほしい。
「普通、逆ですよね? 看守が罪を犯した人間に、こう、拷問とか鞭とか、踏んでそう」
「それを悦んでやるのがジャンヌだけどな。女神を拷問だけじゃなく、踏むなんてこと……そんなこと出来ないっ! 今なら分かる。かつて歴史で、キリスト教の信者を見つけるために踏み絵をさせられた信者たちの苦しみが! 俺だって女神の姿絵は、踏めない!!」
ど、どうしよう。収拾がつかなくなってしまった!! この前、余計な事はしない言わないって誓ったばかりなのに!
「俺に、女神を踏めと……神も残酷なものだな。俺を敵に回すか?」
「わ、わわ分かりましたから! ほら、ブランケット編むんですよね!? 楽しみにしてますから!」
「あ、ああ! 完成を待っていてくれ女神」
やっと顔を上げたイスカに私は、ふぅ、と額の汗を小さく拭った。
漸く落ち着きを取り戻したイスカが編み物を再開させる。
不思議な空間に居たたまれない私は、近くに偶然置いてあった書物を手に取って読むことにした。
「…………何か、分かったことはあったか?」
「え?」
私は、ただ頁を捲っていた手を止めて顔を上げ、イスカを見る。
少し、少しだけ鼓動が速くなる。
イスカは編み物に視線を落としたままで言葉を続ける。
「書物を読んで思い出したこととか、投獄される前の記憶とか」
どうして急にそんな事を聞いてきたのか、イスカの真意が掴めなくて返答に迷ってしまう。
「無理なら聞かないが」
「ぁ、いえ! ……そう、ですね。やっぱり私は〈雨期の魔女〉だけじゃなくて、邪神の隣人とか、他の魔女とか、文字を見てもパッとこなくて。知らないんだなって、確信はしました」
「……そうか」
ひと編み、ひと編み編むイスカの姿に、なぜか顔も思い出せない母の姿が重なる。
「お母さん……」
「お母さん? 母親を思い出したのか?」
「いえ、今のイスカ看守官を見て、母がよく編み物をしていたのを思い出しました」
山の冷気がまともに下りてくる寒い村だったから、私と姉のマフラーと手袋をお揃いで編んでくれて――。
「……寒い村……」
「女神の故郷か?」
「村の名前は分かりませんが、恐らくは――」
「女神」
「っ?! は、はい!」
思い出したくて言葉を切った時、少し声を強めたイスカに呼ばれる。
「焦るな。俺は女神を追い詰めたいわけじゃない」
「…………」
「それに、俺は女神の母親でなく、女神を崇拝する狂信者だ。俺だって、女神のためなら手袋もマフラーも悦んで編んで見せよう!!」
「…………数分前のシリアス、返してください」
私を元気付けようとしてくれたのかは分からないけど、その切り返しはイスカらしくて。
「この物語は日常系のはずだぞ」
「誰に言ってるんですか?」
今日も今日とて、イスカは平常運転だ。
この前、何か知ってるような感じだったが、気にすることはないのかな……。
私はそんな事を思いながら、今日の晩ご飯に心を踊らせることにした。
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